月食み

 この世には、女を食む鬼がいるという。陽光に照りし白亜の絹糸、焔の瞳を持つ鬼。
 かの者に心を許してはならぬ。心を許したら最後、己がままではいられぬとて。
 くわばら、くわばら……。
《一》
 からからと風車を回しながら愛花《あいか》という名前の少女は夜道を歩きながら覚えたての歌を歌っていた。

″廻れ廻れ、赤き火よ
恵め恵め、蒼き花
この道は夢うつつ、現から夢へと 夢へと
清き魂よ 清き乙女よ
この、この、呼び声が聞こえるか
清き魂よ この声を聞きなさい

後から、後から 歩く姿美しき
夢から現へと 移り変わる赤と青
見給え、見給え
汝の心の鮮やかき″

「だめよ、そんな物騒な詩を歌っては」
 傍らにいた母が娘の声を遮る。娘はきょとんと母の顔を見るが、やがて素直に従った。
 娘はとても利口な子だった。母に寄り添い、母のために尽くす、娘として最高と謳われるべき子だった。
 すれ違いざまに娘の後姿を見やる。
 年端もいかない割には強い意思を秘めた娘。
 娘がいなくなれば母はどうなるであろう。懇願するだろうか。
 ならば──。
 暫し思案して、ある方法を閃く。
 娘は気づかなかっただろう。いや、その場にいた誰もが、その存在には気づかなかっただろう。
 背後に潜む影に。
 やがて影は宵闇へと姿を消した。

《二》

「お母さん、お母さん、何処なの?」
 ある夜のこと。娘は一人彷徨っていた。
 母がいなくなったのだ。
 母は仕事をしに外へ出る。だが、必ず決まった時間には帰っていた。
 しかし、決まった時間から早幾つ。いくら待てども母は帰らなかった。
 不安になった娘は母を探しに表へと飛び出した。
「……お嬢さん」
「……え、私?」
 不意に呼び掛けた声に娘は容易く反応する。
 よく焼けた肌に、キラリと光る黒い瞳。母から借りた紅でも塗ったのか艶のある唇。娘は利口な上に美人だった。
 ──やはり。
 ──やはり、手に入れなければならない。
「母を探しているのかい?」
「そうなんです。幾ら待っても戻って来なくて……」
「ひとりで出歩くのは危険だよ。ここにはね、鬼がいるから」
 鬼とは目の前にいる我のこと。だが、流石の娘もそれには気づかなかった。
 娘は目の前にある人の優しさにうっかり絆された。
「ありがとうございます。お願いしてもいい?」
「もちろんだとも」
 母のいる場所は知っている。母を連れ去った超本人なのだから。だが、娘が知る事は──永遠にない。

《三》

 娘は男と共に森へと向かった。男は娘に母が攫われたという情報を教えた。
 母が危険だとわかった娘は直ぐに森へと歩いてくれた。
 あと少し、もう少し。そう、そのまま、ゆっくり。
 娘はまんまと騙された。
 不意に視界が開けたとともに、娘は悲鳴を上げた。
「お、お母さん!」
 母は血を流して息絶えている。苦しげに眉間を寄せ、天を仰いでいる。
「……あなたが、やったのね……」
 娘は敵意を剥き出しにして振り向いた。娘はやはり利口で美しい。素早く剣を取り出し、刃を向ける。
「流石は霊媒師。姿は誤魔化せても気配は誤魔化せぬか」
 だからこそ、娘をここに呼び寄せた。
 娘はやはり何も分かっていない。
「ああ、可哀想に。覚えていなかったか。ああ、可哀想に……恩を仇で返すとは……やはり、君も人間、か」
 娘の目は憎しみに燃えている。あの、母と同じ目。
 穢らわしいものでも見るような目。
「やはり、だめか。君にも受け入れてもらえなかったか……人間なぞ、滅びてしまえば良いのだ」
 最後に呟いて以降、娘の消息は知れぬまま。

 翌月、娘の住んだ村が滅んだ。

《四》

 赤ん坊を連れた女が、偶然にも禁断の地へと迷っていた。禁断の地とは生死の境目。
 女の腹を見ると何かが刺さっていた。
 心の目で女の背景を見ると、女の住む村は異人によって焼き払われた。女は辛うじて難を逃れたが、ぎりぎりだった。
 その女はとても美しかった。だから、女にあることを持ちかけた。
「お前と、お前の娘、お前の住む村を豊かにしてやる。その代わり──」
 お前の娘は私が貰う。
 母に似て、美しい娘へと育つだろう。
 母は頷いた。にこやかに。
 だが──それはあくまでも無意識下での出来事だった。
 目覚めた母はこの地に伝わる鬼を怖がり、やがて鬼を振り払うための祭りに参加した。
 あれほど助けてやったというのに。
 あれほど気にかけたというのに。
 あの女は何一つ覚えていない。
 憎い、憎い。
 娘が成長した暁には必ず──。

《五》

 物言わぬ娘。血に染まり、伏している。
 よく、分からない。
 娘は我の姿を見、一瞬だけ目を見開き、顔を伏せた。これが最期だった。
「これで、良かったのか」
 恐れた悪魔は倒れた娘に寄り添い、静かに項垂れた。
 抱き上げた身体はとても軽かった。


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サークル名:ロザリアは笑う(URL
執筆者名:真北理奈

一言アピール
月と愛憎と炎をこよなく愛するファンタジー創作屋です。
初めてテキレボアンソロジーに参加します。割と悲しい感じのものが多いですが、炎好きな方はぜひ当サークルへ!
よろしくお願いします!

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