きみのしかく

「ほほう、なるほど」
 探偵とおぼしき男は白い手袋をつけルーペを取り出した。
「なるほど確かに何もない。つまりこの中にあったはずの大切なものを何者かに奪われからっぽにされたということですね」
 乃木家の大広間。ここにはこの屋敷にいる一族がみな集められていた。シャンデリア煌めく天井、白く輝く大理石の床、その上には毛足の長い絨毯、白い優雅な調度品。西洋風のインテリアにはどうしようもなく不似合いな着物姿の少女がソファに浅く腰掛け震えながら頷く。
「きっとそうなのだと思います。だって、からっぽだなんておかしいじゃないですか」
「きっと、ですか」
 探偵がその曖昧な被害届に首を傾げたことに気づくと、少女は黒い瞳を潤ませた。
「すみません。実はよく解らないのです。元々この四角い箱の中に何が入っていたのか。わたしにもよく解らないのです」
着物の袖で顔を覆う。その白い指先で涙を拭うたび、赤い花が、蝶が揺れて美しい。探偵は見とれていた。と、同時に厄介なことに巻き込まれたものだとも考えていた。一過性の記憶障害かそれとも。何にせよ長引きそうな案件だと肩をすくめる。
「解りました。ならばその状況を踏まえた上で考えましょう」
 探偵の返事が拒絶ではなかったことに安堵したのか少女は顔をあげた。
 名前を聞かなければと探偵が口を開きかけたちょうどその時、
「大変です!」
 唐突に扉が開く。その大きな音に広間にいた全ての人々が振り返るとそこにはよれたスーツの冴えない男が立っていた。探偵は眉をひそめる。そこにいたのは彼にとっては見知った男、そして長いこと見知らぬ人物になってくれないものかと願い続けている男でもある。
「騒々しいですね」
「すみません。いやだって大変です。電話は通じませんでした」
 どこか嬉しそうな顔で報告する男は探偵の押しかけ助手である。知っていた。電話はきっと繋がらないと探偵も助手もどこかで察していた。そもそもいつもそうだ。自分たちの行く先々ではいつでもややこしい話をさらにややこしくするようなトラブルが起きる。
「先生、もしかしてまた密室ってやつじゃ」
探偵物にはおあつらえ向きの現状。そこに居合わせる名探偵の自分。つまりそれは。
「犯人は必ずこの中にいてそして私が今からそれを解き明かすということだ」
 決意にも似たその呟きは誰にも届かず消えた。
 探偵は姿勢を正し、改めて着物の少女を、それからぐるり取り囲んだ乃木一族を見回す。
「さてお集まりのみなさん。それではゆっくり解き明かしましょうか。彼女が奪われたものがなんであったか。そうしてその何かはどこへ行ってしまったのかを」
きっと長い夜になる。この物語はきっと、名探偵が主人公の古き良き探偵小説。プロローグはそろそろ終了、本章をはじめるための気の利いた言葉を考えていた探偵に思いがけない声がかかる。
「あのう。探偵さんちょっとよろしいかしら」
洋装のご婦人が小さく手を上げ前にでた。場違いなまでに穏やかな声、穏やかな表情。白いブラウスがまぶしい。
「どうかしましたか?」
「実は先ほどからずっと不思議に思っていたことがありますの」
「なんでしょう」
 出鼻を挫かれ少々不機嫌な探偵を気にするでもなく彼女は続けた。
「まずは自己紹介が必要ですわね。私はこの家の娘、秋と申します。本家の娘という立場上親族は全て把握しておりますのでその立場からお伝えしたいことがありますの。当主である父の穂積にも相談した上でのことですのでどうぞお気を悪くなさらず聞いていただきたいのですわ」
 なかなか本題に入らない優雅すぎる物言いにますます苛立つ。この探偵物語をつつがなく進める義務が自分にはあるというのにという思いが言葉にトゲを作る。
「ですからなんでしょう」
しかしながら秋は探偵の苛立ちに取り合う様子もなく、着物姿の少女を遠慮がちに指さしマイペースにこう言った。
「その方は一体どなたですの?」
ドナタデスノ。静かなる爆弾は探偵の苛立ちを全て吹き飛ばした。ドナタデスノ。一族の全てを知る秋が知らないという着物の少女。
「どういうことでしょう」
質問で返すしかない探偵に、秋はにこやかな表情のままひるむ様子なく続けた。
「この方はどなたなのでしょう。少なくとも当家、乃木家に連なる者ではありませんわ」
ぐるり取り囲んでいた一族たちからも、知らない、見たことがないという声が聞こえる。渦中の着物姿の少女は不安に満ちた顔をして、探偵をすがるように見ていた。
「そんな、わたしはそんな」
とうとうぽろりとこぼれ落ちた涙を、少女をこの状況に陥れた秋が拭う。そして寄り添い問いかけた。
「ねえあなた。そもそも本当に何かを奪われまして?」
 慈しむような哀れむような目。それは自分の役割だと思いながらも探偵は何も言い出せずにことの成り行きを見守っていた。これは名探偵が、自分が主人公の推理ものではなかったのかという戸惑いは隠しきれない。
「私たち、あなたがきちんと本当のことを言ってくださらないとこれからつまらない取り調べとやらを受けなければなりませんの。そんなの滑稽ですわ。探偵小説でもありませんのに」
 包むように温かい、それでいて凜とした秋の言葉は火を思わせた。寄る辺ないこの物語の先を照らし導く光。少女は秋を見つめた。秋も少女を見つめ、そうしてふわりと笑った。全ての罪を許すように。
「思い出しました」
 少女の告白がはじまる。
「わたしは何も、なにひとつ盗まれてなどいない。はじめからここには何もない」
 震える声でたどたどしく語りはじめた少女の背を秋は優しく撫で、そして囁く。
「自分のことなど見えないものですわ。それは死角にあるのです。けれどどんなに見えずらくとも、見えていないだけなのかそもそも何もないのか。その見極めは必要ですわ。そうしなければいつまでたっても本当の自分など見つかりません。誤魔化しては駄目。あなたを作るのはあなたですわ。答えはいつでもあなたと共にあります。さあがんばって」
 促され、少女は帯をゆらし立ち上がると皆の前へと歩を進めた。しゃなり、しゃなり。帯留めの黒い猫。その横にぶら下がる鈴が揺れ涼やかな音がする。
「はじめまして。そしてごめんなさい。わたしは和です」
 清々しい表情で少女がそう告げると、頭上のシャンデリアは提灯に、大理石の床は畳に、白い家具は木目の美しい艶めく和家具に姿を変えた。洋装で集っていた乃木家の人々はそれぞれに和装に、秋の白いブラウスも美しい白い着物へと変化する。魔法のように全てが和であった自分を取り戻す。
「淋しかった。ぽっかり空いたその場所に何か詰め込みたくて、もっと深い意味が欲しくて奪われたふりをしました。けれどもダメ。そんなことは許されない。ううん自分が許せない。本当はなにひとつ失われてなどいないのです。箱、いいえ右側の四角の中には何も入らない。入るはずもない。そうでなければわたしじゃない」
 和はそう言うと涙をぐっと拭い無理矢理に笑顔を見せた。そこに何も入らないことはあらかじめ定められた運命。
「私は和。くちへんの娘」
 のぎへんではない乃木一族ではない、くちへんの和。
 全てを告白し、いま、和の時がくる。
 

「ところで我々は一体なんだったのでしょう。なにひとつ解決してないですよね」
「まあいいじゃないですか。たまには名探偵が探偵小説じゃないものにでたって」
「こんな結末でもですか」
「物語に貴賤なしです」


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サークル名:酔庫堂(URL
執筆者名:七歩

一言アピール
ちょっと不思議な短めのお話を本にしています。ツイノベからはじまった同人活動ですが、近頃では短編小説も書くようになりました。言葉にまっすぐ取り組んでしまうためテーマ物の場合は今回のようなお話になりがちですが、幻想世界の日常、人ではないものたちの生活を書くことがたまらなく好きです。

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きみのしかく” に対して1件のコメントがあります。

  1. 浮草堂美奈 より:

    まさかの展開でした! 和をこんな風に使われるとは……! 不思議な展開が良かったです。

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