捧げる祈りは

 物事が本来とは異なる珍しいかたちで現れること、それはその国では吉兆とされた。珍しい白い亀が献上され、元号が変わることもあったと残されている。
 左大臣家の血を継ぐ皇子は目を覚ますと視界の端になにやら動くものを捉えた。咄嗟に寝台から飛び降りるとその影と対峙する。それは、天蓋にしがみつく蚕。そして、その蚕が吐き出している糸はなにやら漢字が連なっているように残されていた。

 鷹と夜鷹は兄弟だった。帝の後継者である彼らは、取り巻く事情を薄々感じながら何も知らない顔をして日々を過ごしていた。その方が彼らにとって丸くおさまることも知っていたし、何より彼らは本当に仲が良かった。周囲の人々がそれを信じていなかったとしても。
「たか、離れの更に奥に行ったことある?」
 弟の夜鷹は、兄に対しても生意気な口調で話しかけたが、兄の鷹は一度も気にしたことがなかった。
「いや、聞いたこともなかったけれども、あのような場所に何かあるのかい?」
 短い黒い髪と同じ黒い瞳をした鷹は帝によく似ていた。一方で、土色の赤毛の髪と薄墨色の瞳をした夜鷹は彼の母親に似ている。
「屋根が見えたんだ、見に行こう」
 女官の誰かが書き写した物語を読んでいた鷹の半尻の裾を夜鷹が引く。七つになったばかりにしては幼い様子を見せる弟に、鷹は甘い。手元の一巻きの紙を一瞥し、引かれるままに立ち上がる。
「危ないことはしないと約束してくれるなら行きましょう」
 必ず、と瞳を輝かせて誓う弟に、兄は小さく息を吐いた。夜鷹は周囲を見ずに走って行ってしまうことを、鷹は経験から学んでいた。

 離れは、身体の弱い鷹の母、第一妃のために作られた離宮だった。更にその奥に、鷹は屋根を見たのだと言う。木々に埋もれるように、垣間見える屋根に近づいてゆく。
「なんだこれ……」
 見つけたその屋敷は、大きさにそぐわず築地で囲まれている。所々崩れていることもあり、容易に中を垣間見ることができた。中の建物も新しいものではなく、どこか近寄りがたい雰囲気をしている。
 彼らは屋敷の中から物音を聞きつけ、身を隠した。さっと御簾が持ち上がり、一人の女房らしき人物が姿を現した。
「何か見つかって?」
 建物の奥から声がかかる。まだ幼さの残るその声に、兄弟は息を呑んだ。
「いいえ、気のせいでございました」
 奥の声の主は姿を見せることはなく、様子を見に来た娘も奥へと引っ込む。顔を見合わせた彼らはそっとその屋敷の方へと近づいた。御簾がかかるその奥を覗き込むことはできない。
 身分を明かして話を聞こうか考え始めた頃、さっと風がそよいだ。奥の方に一人の少女が座っているのが見えた。白い肌と白い髪が際立っている。一瞬だけ見えたその顔は鷹と変わらない年齢のように見えた。
「ゆきのさま、何ともありませんか」
 慌てたように先ほどの娘の声がする。その問いに、大丈夫ですと答える声が聞こえた。ゆきのというその名前を彼らはしっかり刻み込む。

 少女は薄暗い部屋の中で、うとうとと微睡んでいた。今の頃合いは、世話をしてくれているくちなしも居ない。御簾越しに暮れてゆく空を眺め、陽の光が当たらないように陰に身を横たえる。ゆきのは、肌も髪も瞳も他の人と異なり白に近い。そのため、陽の光を浴びると肌が焼けるように痛むのだった。
「ゆき」
 幼い頃の名を、誰かが呼んだ気がしてゆきのは顔を上げた。周りには誰もいない。夢の中の誰かが呼んだのだろうと再び眠りにつこうとすると、再度誰かが名を呼んだ。
「だれ?」
 ゆきののことを知るものはごく僅かのはずだった。その白さに惹かれて彼女を引き取った右大臣家の人々と彼女を献上された帝、そして世話をしている梔。
「夜鷹と」
 よだか。その名を聞いたことのあるような気がしたがすぐには思い出せなかった。よだか、ともう一度繰り返すと御簾の向こう側で空気が揺れた。影が映る。ゆきのと変わらない背丈の影と少し大きい影がふたつ。
「ゆきはどうしてここに?」
 もう少しだけ御簾に近づいてみたかったけれど、踏み出すことはできなかった。一歩を踏み出すには、まだ彼らのことを知らなすぎる。
「ここはわたしを閉じ込めておく檻なのです」
 おり、と告げるその言葉が冷たく響いた。容易に抜け出せそうなこの屋敷を檻と言う。それは彼らにとってひどく羨ましくも思えた。
「ゆきのさま?」
 裏から聞こえた声に彼らは慌てた。鷹と夜鷹だともう一度名前を告げると、来た時と同じようにさっと気配が消える。どうしましたかと梔に尋ねられたゆきのは、なんでもないのと応える。彼らのことを話したくなかった。
 鷹と夜鷹は梔の居ない時に度々ゆきのの元を訪れた。ゆき、とどちらかが声をかけると、少女は少し間を空けて、声をかけた主の名を呼ぶ。ゆきのが呼ぶその名はどこまでも染み渡っていくようだった。

 ぽつり、と一滴の滴が落ちた。小さな染みが次第に大きくなっていく。彼らが通い始めてしばらくした、とある昼下がり。鷹と夜鷹は激しくなる前にと戻ろうとする。
「雨宿りをしたらいいわ」
 白い手が御簾を捲り上げ、手招いていた。彼らは顔をあわせるとどちらからともなくするりと内側へ入り込む。
 その日を境に、鷹と夜鷹はゆきのの屋敷の中に上がるようになった。すぐに飽きてしまう夜鷹とその相手をする鷹が外で遊ぶのを、ゆきのは中から眺めていた。今まで静かだった屋敷の中に、笑い声が染み込んでいく。彼らが帰った後の屋敷は、昼の名残を響かせているようにも、静けさが際立っていくようにも思えた。
 すまない、と時折鷹がこぼした。ゆきのはその言葉が受け取れず、どうしてと尋ねる。
「いつも眺めているだけだから、退屈だろうと」
「そのようなことはないわ」
  首を振って、ゆきのはもう一度、そんなことないと繰り返す。
「わたしには、こちらに来てから梔しか居ないから。たかとよだかが来てくれるだけで嬉しい」
 幼い頃からゆきのにできることは限られていて、機織り小屋の中で里の女たちに混じって機織りをすることしかできなかった。懐かしい機織りの音が耳の奥で蘇り、寂しさが顔を覗かせる。ゆきのはそれを必死に抑え込んだ。
 少女の返答にそうか、と呟いた鷹はしばらく物思いをした後、ゆきのに尋ねる。
「文字は読めるのでしょう?」
 以前、ゆきのが文を手にしていたところを鷹は見たことがあった。
「少しだけなら」
「今度、物語をもってきましょう。分からないところは教えます」
 ものがたりと繰り返す。甘やかなその響きに、ゆきのはお願いしますと頭を下げた。
ゆきのはたちまち物語に夢中になった。後宮をはじめ、貴族の間では写本が出回っているのだという。ゆきのの知らない場所で繰り広げられるその話は、貴族の男女の恋の物語で、鷹が続きを持ってきてくれるのを楽しみにしていた。
「ここはなんて書いてありますか?」
「この文字はなんて?」
 初めこそ、読めない文字を尋ねていたゆきのも、次第に一人で読める文字が増え、読み終えるのも早くなっていった。その分、その二人の様子を夜鷹はつまらない表情で眺め、鷹の邪魔をして怒られるのだった。
「よだかは、外にいる方がすき?」
「動いてる方が楽しい。文字を読むのは、先生と一緒の時だけでいいよ」
「たかとよだかは、ふたつでひとつなのね」
 ゆきのの近くで寝転んでいた夜鷹の額にかかった髪をさっとはらう。冷たい白い指が額にかるく触れる。その感触を夜鷹はずっと忘れることはできなかった。
「ふたつでひとつ?」
「そう、動くことの好きなよだかと、知ることが好きなたかと。ふたつが合わされば、ちょうど良い案配になるでしょう」
 夜鷹はそれに賛同することができなかった。その通りでもあったし、その通りにはいかないこともすでに気がついている。年を重ねた彼らにとって、もう彼らの周りで起きていることに目をつむり続けることが叶わなくなっていた。
 鷹が元服を迎える前日、鷹は一人でふらりとゆきのの元を訪れた。
「もう、容易には来れないけれど、これを渡しておきたかったのです」
 差し出されたのは、ゆきのが読みたいと言っていた物語の続き。彼女はそれを驚いた表情で見つめ、そしてゆっくりと受け取る。手元の紙の束を見つめた後、鷹を見つめる。陰に潜むゆきのの目に、明るい場所に座る鷹が眩しく見えた。
「本当は知っていたんです」
 鷹が零した言葉に、ゆきのは身を硬くする。知っていて、知らないふりをしていたのは彼女も同じ。
「左大臣家の娘を母に持つ私と、右大臣家の娘を母に持つ夜鷹。そして、右大臣家から帝へ献上された白き乙女のゆき。私が元服し、夜鷹も後を追うでしょう。だからゆきも、夜鷹のために祈ってください」
 鷹の元に現れた蚕と対抗するように見出されたゆきの。その意味するところを、気がつかないわけにはいかなかった。
「わたしも存じ上げておりました。このひとときを、壊したくなかったのです」
 右大臣家で短い間ながら教育を受けたゆきのは、すぐに気がつくことはできなかったものの、二度目の訪いで確信していた。それでも、面と向かって尋ねることはできなかった。ゆきのは面をさげる。肩が僅かに震えていた。
「ゆき、これからどうなるか分からないけれど、あなたの中に鷹と夜鷹を残しておいてください」
 ゆきのの肩に置かれた手が温かい。彼女は小さく、はいと答えた。

 誰も訪ねてくることのないはずの屋敷を、武装した皇子が眺めていた。彼が何を考えているのか、伺うことはできない表情でただ、眺めている。ゆき、と彼は静かにその名を呼ぶ。
「ゆき、反逆を起こしたものの討伐が成功するように祈りを」
 薄暗い屋敷の中から、美しい声が返る。
「ご武運をお祈り申し上げます」
 ゆきのは反逆者と呼ばれる彼の兄弟のことを思い、そして、それを討つ兄弟のことを思った。吉兆のしるしとして、彼女は祈る。捧げる祈りは、誰かのために。


Webanthcircle
サークル名:Couleurs(URL
執筆者名:たまきこう

一言アピール
和風/現代/洋風のファンタジーを持っていきます。第4回テキレボでは、和風小説MAPを企画しています。和風小説が好きな方、気になるけどどんな話が分からない方、ぜひお立ち寄りください!

Webanthimp

捧げる祈りは” に対して1件のコメントがあります。

  1. 浮草堂美奈 より:

    歴史のうねりを感じます……。それでいて、幼い兄弟と白い女はあくまでもうつくしいです……。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

前の記事

徒夢