旅行の頃

 ちゃんと自分で準備するからと駄々をこねる由夏ゆかに、約束だぞ、と渋々俺のベッドで一緒に寝たにもかかわらず、起きたらやっぱり準備はできていない朝。案の定、手伝うハメになり、急いで最寄駅に行くも、電車の出発時刻に間に合わず、予定より数時間遅れてしまい、目的の温泉地に着いたのは昼過ぎだった。
 駅には旅館名の書かれた送迎用小型バスが待っていてくれていた。
「すみません」
 謝りながらバスに乗り込む。中途半端な時間のせいか、俺達の他に三組しか乗っていなかった。一番後ろの席に座り、ふう、と息を吐く。
「間に合ったね」
「間に合ってない」
「えー、ちゃんと乗れたよ?」
「遅れるって連絡したから乗れたの」
 はぁ~、と深い溜息を吐き出す。
「宿に着いたらどこも行かないからな」
「えー!」
「約束を守れなかったのは誰だ?」
「…………よしくん?」
「コラ!」
 肩をすくめてペロリと舌を出す。
「ごめんなさい」
 チラリと横目で見てから小さな溜息。
「宿の近くなら出てもいいぞ」
「やった!」
 両手を上げて喜ぶ。なんだかんだ言っても由夏には甘いと自分でも思う。それは娘というものが男親にとってそういう存在なんだろう、といつも思わされる。
 小さなバスは慣れたように小道を走り、慣れたように温泉街へと向かって行く。海が見えてくると、指をさしてキャッキャと嬉しそうに騒ぎ出す。
「由くん、海だよ海!」
「ああ、海だな」
 答えながら、海沿いの温泉宿を予約していて良かったとホッとする。海沿いなら少し歩けば砂浜もあるだろうし、温泉街なら土産物屋もあるだろう。宿に到着したら少し休んで、それからその辺をうろつけば満足するだろう、と思いながらはしゃぐ由夏に相槌を打っていた。

小さなバスはおごそかな佇まいの門を潜り抜け、純和風な建物の前で停まった。ドアが開き、誰からともなく乗客は降りていく。車内には俺と由夏だけが残された。席を立ち、手を差しだす。
「降りるぞ」
「うん!」
 嬉しそうに手を取り、数歩歩いてバスを降りると、預けていた荷物を受け取った。案内されるまま建物の中に入り、草履に履き替えると、仲居と他愛ない会話を交わしながら、長い廊下を進んでいく。部屋の前で立ち止まり、格子の引戸を開ける。
「こちらが伊原いはら様の御部屋でございます」
草履を脱いで部屋に上がり、荷物を部屋の端に置いてから、座り心地のよい座布団に座った。仲居が慣れた所作でお茶を淹れ、わかりやすく簡潔に旅館内の説明をしてくれる。由夏は部屋に入るなり、奥の部屋付き露天風呂の方へ行ってしまった。
「それではお夕食の時間まで、ごゆっくりお過ごしくださいませ」
気品のある柔らかい笑顔で部屋を出て行く仲居を見送り、ふぅ、と一つ息を吐き出してから、露天風呂の入口をウロウロしている由夏に声をかけた。
「おーい、ちゃんと聞いてたか?」
「あー、うん……ね、それよりお風呂入ろ!」
タタタッと俺の方に駆け寄り、ちょこんと隣に座る。
「勝手にどうぞ」
言ってから湯呑みの茶を啜る。
「一緒に入ろー!」
「入らない」
「えー! 一緒じゃなきゃやだー!」
あぁ……やっぱりな、と予想どおりの展開に用意していた台詞を放つ。
「由夏、高校生になったら一緒にお風呂は入らないって約束しただろ?」
「まだ高校生じゃないもん!」
「中学を卒業したんだから、高校生と同じ」
茶を啜る。
「高校も推薦で受かってるんだから、もう立派に高校生」
我ながら苦しい理屈と思うが、由夏なら上手く煙に巻かれてくれるだろう。
「ヤダ! 一緒に入る!」
思った通り、強引に駄々をこねて腕をグイグイと引っ張りだす。こうなると、俺が折れるのがいつものパターンだが、今回は事が事なだけに俺は折れない。
「ダメ! 約束破ってばかりの悪い子のお願いは聞きませーん」
プイッと顔を逸らし、湯呑みに口を付けようとした瞬間
「!!!」
いきなり由夏が抱きついてきた。
「お願い! これから良い子になるから!」
腕の力が強くなる。
「もう……一緒にお風呂に入ろうとか一緒に寝てとか言わないから……今日だけ…………今日だけ……由夏のお願い聞いて……」
腕の力とは反対に、徐々に小さくなっていく声。少し胸が痛くなる。目の前にある艶やかな黒髪に、ソッと手を添える。
「わかった。今日だけだぞ」
「うん」
小さく頷く様子は、いつもと様子は違っていて、色々な思惑を張り巡らせてしまいそうになるが、今はやめておくことにした。

「由くーん! 早くー!」
露天風呂から聞こえる声に呼ばれ、脱衣所で衣服を脱ぐ。全裸になるものの、下半身にタオルを巻きつけ、露天風呂へと入っていく。湯桶で掬った湯を体にかけてから檜造りの湯船に入る。と、すかさず俺の足の間に入り込み、由夏の身体を背後から抱きしめるような形になる。
「こうやって入るのも、もう最後だな」
「一緒に入りたいって言ってるのに、由くんがダメ! って言うんでしょ?」
ぷぅ、と頬を膨らます。
「由夏も大人になるんだから、そろそろ父さん離れしないとな」
細くて華奢な肩に手で掬った湯をかけてやる。答える様子はなく、ただ黙って身体を預けるだけの由夏。小さな溜息を吐き、身体の前に腕を回し、ソッと抱きしめる。腕に触れる柔らかい感触と湯船から漂う檜の香に包まれながら、少しの罪悪感と不安を感じてしまう。
「風呂上がったら、どこ行く?」
「探検」
「探検?」
「うん。この旅館、面白そう」
「面白そうって……」
 何事もなかったように会話が始まる。
「食事の時間までな」
「はーい」
 返事を聞き、湯船から出ようと体を離そうとする。
「まだ出ちゃダメ!」
「のぼせるよ」
「いいの!」
 俺はよくない。仕方ない、今夜だけだ、と自分に言い聞かせる。
「わかった。ご飯食べたら、また一緒に風呂入ってやるから、とりあえず出るぞ」
「え? 本当?」
 くるりと振り向く。
「ああ、約束する」
「嘘じゃない?」
「由夏じゃないから」
「なにそれー!」
 また頬を膨らませるが、心なしか嬉しそうに見えた。

 風呂から上がり、バスタオルで体の水滴を拭う。自分の浴衣を着てから、上手く着れないでもたついている由夏に浴衣を着せる。濡れた髪をバスタオルで拭き、洗面所の椅子に座らせ、ドライヤーで乾かす。
「ふふふ~、気持ちイイ~」
 満足げに笑う姿に、俺も嬉しくなる。
「これ好きだよな」
「うん!」
「髪乾いたら、探検行くぞ」
「うん!」
 由夏の元気な返事から、やっと旅行が始まったような気がした。


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サークル名:雑食喫茶(URL
執筆者名:梅川 もも

一言アピール
和風ファンタジー、NL、BL、GL、R18、R18G、おっさん×少女などなんでもアリの雑食主義。二次創作は主に刀剣乱舞。同人歴浅いですが、どうぞ宜しくお願い致します。

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旅行の頃” に対して1件のコメントがあります。

  1. 浮草堂美奈 より:

    この親子……かわいい! 父親離れできない娘……かわいい!

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