お花見場所取り合戦

 沿道二キロに続く桜並木が開花を迎えると、人々は浮き足立つ。それはこの市庁舎でも同じだった。春、市職員たちは十二時の鐘が鳴るとテラスを目指す。そのテラスは沿道に面しているため昼休憩中に花見が出来るからだ。もちろん一般市民にも人気のお花見スポットで、テラスの各階に『アルコール禁止』の看板が設置されている程だった。
 中でも一番人気なのは、最上階である三階の一番日当たりのいいテーブル席だった。今もその席を巡って争いが繰り広げられてる最中である。
「こんにちは三條さん」
「海原さん、まだ働いていたのね」
争いの一方は、三條率いる生活市民課窓口交付係で臨時職員として働く面々である。彼女は長年一緒に働く同年代の内田と、三月から勤め始めたばかりの東山を従えていた。三條と内田は若い東山を自分の娘のように可愛がっていて、テラスで花見をさせてやりたいと、やってきたのだ。
 三條と睨み合っているのは環境対策課愛護動物係の職員である海原だ。隣には今年度入庁したての岬を連れている。海原も三條同様、桜を見せたくてやってきた。
「失礼ね。まだ定年前よ」
「いいわねぇ公務員さんは安定していて」
「ふんっ。臨職さんこそ責任がなくていいわね」
「でも環対さんとは忙しさが大違いですから」
テーブルと四脚の椅子を挟んで三條と海原は言い争う。普段は穏やかな三條しか知らない東山は驚き、傍らの内田にこっそり尋ねた。
(三條さん、どうしちゃったんですか?)
(ひーちゃんは知らないか。あの二人、幼馴染みなんだけど何故か犬猿の仲なの。市役所では有名な話)
なるほどと思いながら東山は、海原の後方に控える岬に目をやった。おそらく自分と同年代くらいだろう。自分の同じように困惑しているのが見て取れ、同情する。相手も同じ事を思っていたのだろう。二人は視線が合うと、こっそり会釈をしあった。
「私はひーちゃんに、どうしてもここでお花見をして欲しいの。彼女、この市に越してきたばかりなのよ。楽しんでもらいたいじゃない」
「それはこっちも同じよ。岬ちゃんは入庁したばかりなの。この職場を気に入ってほしいじゃない」
二人は嫌みを言い終えると、どちらがこの席を使うにふさわしいかで揉め始めた。
「市民のために行動するのが市職員でしょ? 譲りなさい」
「それは臨職でも同じ事よ」
「うるさいわね。給料多めにもらってんだから譲りなさい」
「横暴ね。それだからヒロヤに振られたのよ」
「あれはあんたがヒロヤに」
「あのー」
つかみ合いの喧嘩に発展しそうになった時、東山が声を掛けた。
「三條さん。お昼終わっちゃいますから他へ行きませんか?」
「そうですよ。海原さん。もう二十分です。私、お腹ぺこぺこです」
それに同調するように岬も声を掛けた。
「ひーちゃんがそう言うならいいけれど」
「岬ちゃんがおなかすいたなら仕方ないわね」
可愛い後輩に言われれば矛を収めざるを得なかった。こうしてその日は引き分けになった。
 翌朝から三條は燃えていた。内田と東山が出勤すると、時間になったと同時にテラスへ行く準備をするよう言った。住民票や戸籍謄本の交付を行う生活市民課窓口交付係といえば、庁舎内でも一、二を争う忙しさである。だからこそ十二時丁度に仕事を終えられるよう、三條は念を押したのだ。
 そして十二時。三人は鞄を手に取ると三階のテラスへ早足で向かった。窓口交付係は一階にあるため、あの席を取るには少しでも早く行く必要がある。足早にテラスに出て目的のテーブルに向かう。海原と岬の姿はまだない。三條は勝った、と心の中で快哉を叫んだ。が、椅子がない。そこにはテーブルしか残されておらず、周囲を見れば少し離れたテーブルで十人程の女性グループが談笑していた。彼女達が椅子を移動して使っているのだった。
「あそこ、また人数増えてない?」
そう言ったのは遅れて現れた海原だ。
「今日は私の方が早かったわよ」
「でも椅子がなければ同じでしょ」
「海原さん、人数増えてるってどういう事ですか?」
岬が恐る恐る質問した。海原は女性グループを見ながら説明する。
「彼女達、噂好きのグループでね、誰々はA町のアパート住まいで旦那は某企業の課長で二一時に帰宅するって情報を収集するのが趣味なのよ」
その説明に三條が付け加えた。
「お昼は隣の数理研で食べてるんだけど、この時期は移動してくるのを忘れていたわ」
数理研というのは隣に立つ数理学研究所の略だ。昼になると弁当屋が何軒も来る上、吹き抜けのロビーには食事スペースもあるため、そちらで休憩する職員も多かった。
「あそこ、一度入ると抜けられないから増える一方らしいですよ」
さらに付け加えたのは内田だった。彼女達三人は庁舎内での勤務年数が長いため、様々な事情に詳しかった。若い二人は感心したように言う。
「へぇ。抜けられないなんてマフィアみたいですね」
「そんなに噂好きなんですか?」
回答したのは三條と海原だ。彼女達は競うようにして話し始める。
「あいつら、なんでも知りたがるのよ。若い臨職はターゲットにされやすいから気をつけなさい」
「岬ちゃんも油断しちゃだめよ。若い職員の事は特別知りたがるんだから」
だが一緒になって注意したのが気まずかったのだろう。二人は黙り込むとそっぽを向き、その場を離れてしまった。こうしてその日も引き分けになった。
 日を追う毎に桜の花は開いていく。満開が近くなるにつれ、三條と海原の争いも激しさを増していった。後輩の手前、引くに引けなくなっていたのもある。だが、ある日は中央警備室のおじさんが椅子を並べて昼寝をしていたし、ある日は一般市民の老夫婦が昼食を摂っていた。こんな具合にいつも邪魔が入り、決着がつかないでいた。
 そうして二人の花見熱が上がる一方、冷めていったのは東山と岬である。彼女達は花見ができなくても構わなかった。春は何かと仕事量が多い。場所取りよりも一時間きっちり休む方が重要だった。そうした雰囲気は互いに伝わるのだろう。言い争いが始まるとこっそりため息をつくので、東山と岬の間には妙な連帯感が芽生えていた。
 ついに桜は満開を迎えた。その日は朝から弱い雨だった。東山が出勤したと同時に三條が勢い込んで言う。
「ひーちゃん。きっと競争率が下がるわ。今日こそお花見よ」
その気合いの入り具合に、東山は密かにため息をついた。雨の日くらいは室内で食べたいのが本音だ。
 ついに緊張の昼休憩がやってきた。鐘が鳴るのと同時に、三條は二人と共に走る。ここまできたら、どうしてもあそこで花見をしたかった。走る勢いを落とさずテラスに出る。だが、同じ事を考えていたらしい海原に追い抜かれた。負けじとさらに走る。二人はもつれ合うようにして走り、椅子に手をかけようとして、停止した。
「なにこれ」
「なんでこんな所に?」
そこには猫がいた。テーブルの中央に体の大きな猫がいて、行儀良く座り目を閉じているのだ。おまけに四脚の椅子それぞれにも一匹ずつが同じ体勢で座り、まるで中央の猫を崇めているような雰囲気だった。後からやってきた三人は猫達に目を細めた。東山は携帯で写真を撮りつつ言う。
「これ、猫の集会ってやつですよね。かわいー」
「でもなんで庁舎の三階に猫が?」
「海原さん。もしかして一階に居る子達じゃないですか?」
「そうよ。そうだわ」
愛護動物係なだけあって、二人は地域猫に詳しいようだった。
「どういう事?」
「ほら。一階に芝があるでしょ。あそこに何匹かいるのよ。雨の日は見ないと思ったけど、ここまで登ってきていたのね」
「まさか猫にとられるなんて」
そう三條が嘆いた時、海原が大きく伸びをした。
「あーあ。ばかばかしくなってきちゃった」
「えっ?」
「だってテリトリー意識の強い猫が仲良くやってるのよ。たかが場所取りで熱くなりすぎてたなって」
そう言った海原は四人にここで待つよう告げ、どこかへ行ってしまった。
 数分後。海原はコンビニの袋を手に戻ってきた。そこから缶を取り出し三條に渡しながら言う。
「今日は猫に免じて休戦にしない? これ一緒に飲みましょう」
「ちょっと。これ」
その缶はなんとビールだった。三條は焦って返そうとする。
「よく見て。ノンアルコールよ」
「それでも」
「職員がいいって言うんだからいいのよ。皆の分も買ってきたから一緒にお花見しましょう」
海原は缶を皆に配る。さらにレジャーシートを取り出して広げた。
「実は、勤め始めてからずっとテラスでビール飲みつつお花見をしてみたかったのよね」
海原の突飛な行動に戸惑っていたが、理由を聞いた東山と岬はすぐさま同意しシートに上がった。
「私もここでビール飲んでみたかったんです」
「お二人も飲みましょうよ。桜が満開で、猫が集会中なんですよ。こんな時にお花見しないなんてもったいないです」
東山の言うとおりだった。おまけにノンアンコールだけれどビールまで用意されているのだ。この状況を楽しまない方がどうかしている。五人は揃ってビールをあおった。喉を鳴らして飲み、大きく息を吐く。
「最高! ノンアルコールなのは残念だけど」
「でも宴会気分になれますね」
「そうね。仕事中のお花見としては贅沢すぎるくらいね」
高揚した雰囲気で口々に言い、弁当を広げはじめた。
「でも、なんでアルコール禁止の看板があるんですか?」
「前に誰かが宴会したからじゃない?」
「あの噂好きグループに聞いてみようか」
「そんな事まで知ってるんですか?」
「多分ね」
五人はビールを飲みながら、看板が立てられた理由について想像をしあう。雨にうたれて桜の花びらが舞い、猫のしっぽは幸せそうに揺れていた。彼女達は、ほんの数十分の花見をおおいに楽しんだのだった。


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サークル名:おなかすいた(URL
執筆者名:徳永りく

一言アピール
食に執着のある人間が、ご飯シーン多めの話を書いています。短編、恋愛、ファンタジー、ひねくれた登場人物、時々暗めな話が多いです。

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お花見場所取り合戦” に対して1件のコメントがあります。

  1. 浮草堂美奈 より:

    おばさんたちかわいいな! 最後は猫がのびのびしているとは……笑ってしまいました(^^

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