名月-meigetsu-

 蔵を改造した書庫には、たくさんの本棚と共に畳が敷かれた一角がある。そこには空になった酒瓶が何本も転がっており、天窓から差し込む月灯りが淡く反射していた。
 名月なつきは手にした和綴じの本を眺めながら、慎重に紙を捲った。縁が欠け黄ばんだ紙は、丁寧に扱わないと破れてしまう事もある。それ程の年代物は、読むのも一苦労だ。達筆過ぎる筆文字は全く読めない部分も多いが、それでも時代を超えて自分の手に在る事自体が嬉しくて、ついつい唇を緩めて夢中になってしまう。
「ん……」
 そんな名月の膝に頭を預けていた、強面の青年が小さく呻く。辰臣たつおみと言う名の彼は、同じ男ではあるが自分を好いてくれて今は恋人の関係にあった。普段は周囲を威圧するような雰囲気の辰臣だが、今は眉間に皺もなく穏やかな表情で眠りこけている。辰臣の髪を指で梳きながら呟いた。
「お酒は、僕の方が強いんですね。意外でした」
 返事もなく眠り続けている辰臣を愛おしそうに見つめてから、再び手にした本に視線を落とす。また四苦八苦しながら月灯りのみで文字を追っていると、二人だけの書庫に誰かがやって来た。
「こんな暗い所で読んでると目ぇ悪くしますよ」
 辰臣を「若」と慕い、常に側に付いている荻野おぎのと言う青年が新たな肴を手にし近付いてくる。そんな彼に、名月は少し慌ててしまった。自分と辰臣が恋人である事に、荻野は面白くない、と言った様子を見せている。それなのに、こんな膝枕をしているところを見たらどう思うか。
 しかし、荻野はシッと小さく呟いて名月を手で制止すると、その前に胡坐を掻いて座った。
「若が起きます。そのままで」
「は……はい」
「こちら、良かったらどうぞ」
 荻野が差し出してきた皿には、肴ではなくみたらし団子が三本載っている。そうだ、今日は十五夜だった。月見団子、と言う訳か。酒と塩辛い肴には飽きていた名月は、ありがとうございます、と素直に団子を一本手にした。甘塩っぱい団子を一つ口にして、その柔らかさを堪能していると荻野が空の酒瓶を手にして呆れたように言った。
「若を酒で潰すなんて、大したモンですね」
「そうですか?」
「少なくとも、俺は勝てた事ないですから。言っときますけど、俺も弱くはないんで」
「僕、あまり酔った事ないんですよ。強いって言う自覚は、あんまりないんですけど……」
「いや、酒豪って言っていいレベルです。若のためにも、酔ったフリくらいして欲しいですね」
「す、すみません……」
 辰臣の目論見は、正直見えていた。彼はきっと色っぽい状況に持ち込みたかったのだろうが、何となく意地を張ってしまった。潰してやろう、なんて攻撃的な意図はなかったものの、いつも自分を様々な意味で翻弄している辰臣の、違う一面が見たかった事だけは確かだ。
 しかし、荻野の言葉には何となく肩を竦めてしまう。確かに、慕っている者の面子が潰される様を見るのは、部下として気持ちのいい事ではないだろう。相手を立てる、と言う心遣いを忘れていた名月としては、謝るしかない。
 団子を二本いただき、傍らに置いた本を手にする。荻野が目を光らせているため、表紙を開く事はできない。どうして、こんな身動きができない状態の時に……と歯痒く思う。すると、しばらく黙っていた荻野が「その本」と口を開いた。
「若からいただいたんですか?」
「いえ、いただいた訳じゃ……辰臣さんが寝てしまったので、何となく読んでいるだけです」
「偶然ですかね。それは若も好きな本です」
「僕はよく分からず読んでるんですけど、辰臣さんは読めるんでしょうか」
「さぁ、俺はあんたと違って学がないもんで、そう言う話はあまりしないんですよ」
「そ、そうですか……」
 また二人の間に沈黙が落ちる。せっかく本を介して話しかけてもらえたのに、上手く話を広げられない事が悔やまれた。何と言えばいいだろう、と悩んでいる名月に、荻野が居住まいを正した。胡坐ではなくきちんと正座をし、改まった様子で名月を真っ直ぐ見つめてくる。その瞳に、いつものような険悪な光はない。
「若は、本気ですよ」
「え?」
「あんたに」
「え……っ……」
 その言葉に、思わず頬を熱くしてしまう。しかし、続いた言葉は実に物騒な物だった。
「ですから、逃げ場はないと思ってください」
「逃げ場……?」
「若が本気である以上、俺も本気です。若から逃げようとした時は、覚悟してくださいね」
 荻野の瞳に、再び険が含まれる。憎しみすら感じる睨みに気圧されない、と言ったら嘘になってしまう。けれど、名月は震えてしまいそうになる唇を敢えて綻ばせると、穏やかに答えた。
「僕も、本気ですよ。荻野さんに信じてもらえるかは、分かりませんけど……」
「俺が信じるかどうかじゃありません。若が信じる、と言うなら俺も信じます。どうです、若」
 眠っている人に尋ねても、と思った瞬間。
「……なら、名月さんを信じるんだな。荻野」
 寝ている、とばかり思っていた辰臣が、静かに起き上がる。聞いていないと思ったから、恥ずかしげもなく「本気です」と言ったのに。急に羞恥心が膨れ上がってきて、名月は本で顔を隠した。
「名月さん、荻野が失礼な事を……すみません」
「い、いい、いえいえ! 僕こそ、何だか……その、酔えなくてすみませんっ!」
 頬が紅潮していくのが分かる。それを本で隠し続けている手を取られた途端、体が辰臣の腕の中に収まっていた。驚いている名月の背中を慰めるように撫でる辰臣の手が、酒のせいか熱い。
「荻野」
 辰臣の重い呼び掛けに、荻野がニッと笑う。
「はい。これをもって、和解って事で一つ」
「すみませんね、こいつも物分かりが悪くて」
 名月を抱き締める辰臣が、肩を揺らして笑っている。荻野も楽しそうに笑ったままだ。
 罠にかかった、獲物のような気持ちになる。この二人のいいようにされてしまった事は恥ずかしかったが、名月も諦めて差し出された荻野の手を握り返す事しかできなかった。


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サークル名:be*be(URL
執筆者名:きと

一言アピール
BLを中心に活動中。がっつりエロい物を書く傾向が多々あり。お好きな方は是非おいでませ。今回の作品は新刊予定の本を元に、こうなっていたらいいな、と言うその後の部分を書かせていただきました。辰臣と名月、荻野の馴れ初めは新刊でよろしくお願いいたします。

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