蜜月睦言

 笑えない夜が続いている。

 港町にある、安普請の木賃宿。寝心地の悪い硬いベットに、今日も少女は俺を誘い込む。
「このお布団より、貴方の胸の方が心地よいですから」
 そう言って俺に腕枕を強要し、ピタリと身体をすり寄せてくる。
 そして一頻り、他愛のないおしゃべりを始める。
 それは過去のことであったり、今日の出来事であったり、未来の世界であったりと様々だが、少女はいつも真面目で本気で……対する俺は、いつも適当な相槌を返す。
「今日、宿のお子さんの勉強を見てあげました。十歳ぐらいの子供って、あの程度の勉強をしてるのですね。私が五歳ぐらいの時に終了したような、すごく懐かしい問題もありました」
「そうか」
 答えながら、「お前も大して変わらない歳だろう」と心の中で突っ込む。まだ成長を止めていない少女は、見た目通りの年齢だ。宿の主人は俺達を親子だと思っているし、こちらも面倒だからそれを否定していない。
「あと、図書館で本を読みました。『恋愛』というジャンルだけで、あんなに沢山の本があるのですね。研究所には学術書しかありませんでしたから、とても新鮮でした」
「まぁそうだろうな」
 関心無さ気に、瞼を閉じる。生まれてからずっと研究所はこにわ育ちの少女にとって、外の世界は新しい驚きや発見の連続なのだろう。だが生憎、この世界でずっと生きてきた俺にとってそれは、小さい子供があれこれ日常の報告してしくるのと変わらない。しかも元来愛想の良い人間でもないので、関心無さ気な生返事しか出来ないのだ。

 少女と初めて出会ったのは、客船の中だった。いや、姿形だけだったら写真で何度も見て、脳裏に焼き付けていた。この『新人類の魔女』と呼ばれた少女を殺す為に。
 だが、それを実行する前に、船が座礁して沈没。俺は迂闊にもこの少女を助けてしまい、救命ボート上での殺害も失敗してしまった。そしてそのまま丸一日漂流。辿り付いたこの町で、俺は港湾作業で日銭を稼ぎ、少女は外の世界を楽しんでいる。
 幸福な世捨て人――そう少女が表現したこの生活は、いつ終わるか分からない刹那を含んでいる。

「今夜は十六夜の月が綺麗ですね」
 少しカーテンを引き、少女が呟く。
「月は心を映す鏡と言いますが、私は貴方と出会って、それが真実だと知りました。どんなに綺麗に輝いていても、少し前の私には地球の衛星という認識以上の価値はありませんでした。たとえ外の世界に出ても、心が荒んでいたら、綺麗とは思わないでしょう。貴方のお陰ですね」
 目を閉じたままの俺の頬に、少女の指先が触れる。そして少し伸びた髭を、感触を楽しむように撫で回す。
「貴方には感謝しています。私を殺そうとしてくれた事、私を助けてくれた事、私を抱き締めてくれた事、全てに」
「買い被り過ぎだ」
 そのまま寝たふりをするのは許さない、といわんばかりの少女の指先に耐えきれず、俺は少し上体を起こすと、サイドテーブルに置いてある煙草に手を延ばした。火を点け、紫煙を吐き出し……胸元から自分を見上げる少女と目が合う。
 相変わらずの、喜怒哀楽を映さない無表情。なのに眼差しだけは熱く、こちらをじっと見つめている。
 何を、期待しているというのだろう? こんな草臥れたオヤジに、こんな旧人類の殺し屋に。
「……身体に悪いのになんで? って思ってるんだろう」
 肩透かしのような問いに、しかし少女は小さく首を振った。
「非合理も人間の常なのでしょう。私が貴方と一緒に居るように、貴方が私を今も殺さないように」
 そして、「でも」と少女が続ける。
「私はその煙の香りも、貴方の指先に残るヤニの匂いも、嫌いではありません。もし健康の為を考えるのならば、貴方の嗜好を害さず、且つ最適に体内細胞を活性化させる新薬を私が作ります」
「いや、それだけは勘弁してくれ」
 心底迷惑そうな表情で、紫煙を吐き出す。俺のそれ、、が分かっている少女は、やはり微動だにせずこちらを見つめていた。この真っ直ぐな視線に毎度耐えられない俺は、灰を落とす振りをして顔を背ける。ここまでがいつもの定型パターンだ。

 この世界には、二種類の人間が存在する。再生ナノ細胞を投与された新人類と、生まれながらの寿命を全うする旧人類。両者は当初こそ激しく対立していたが、様々な新薬が開発され、庶民でも長く・若く・優秀に生きられるようになると、あっという間に旧人類は歴史の隅に追いやられてしまった。その僅かな残党が俺で、次々と新薬を開発している『新人類最高峰の頭脳』がこの少女なのだ。
 もし少女が生きていると知ったら、各機関や国家レベルで、保護という名の捕縛に懸命になるだろう。それを少女が自分の意志で拒否している以上、情にほだされて助けてしまった俺は、この逃亡者みたいな生活が長く続くようにするしかない。

 俺の煙草が吸い終わるのを待ち、少女がその細い腕を俺の首に巻き付けてきた。鼻先で頬をひと撫でし、耳元で囁く。
「どうして、私を利用しないのですか? どうして、あの日の続きをしてくれないのですか?」
 夜ごとの問答に、俺はいつもの様に答える。
「お前が望んでないし、俺が望んでないから」
「私が子供だからですか?」
「それもあるが、それだけじゃない」
「こんな事なら、成長細胞を投与しておけば良かった」
「いや、そういう問題じゃねぇだろ」
 問1は、俺がナノ細胞で身体をどうこうするのに否定的だからだ。しかも必要以上の贅沢がしたい訳じゃない。少女の庇護下に入ってのうのうと生きる安定なんて、クソ食らえだ。
 問2は、絶対に少女には答えたくはない。でないと彼女がこの選択に後悔した時、取り返しがつかなくなるからだ。
「本当に不合理な生き物ですね。男と女がベッドで二人きりなんて、する事は一つじゃないですか」
「お前それ、どんな本読んできたんだよ」
「最初にキスしてきたのは、貴方ですよ?」
「いやまぁそれはだから、ああいう状況だったから……」
 だんだんと追い詰められ、逃げ場がなくなっていく俺の顔を、無表情のまま少女が両手で掴む。
「ではこれは、合意の上ですから」
 そう言って、少女の柔らかい口唇が、俺の口を塞ぐ。探究心旺盛なその口唇は、角度を変えて何度か俺をついばむと、少し強引に舌を差し入れてきた。どこで覚えてきた知識なのかは知らないが、必死になって舌先を俺の口腔で動かしている。
 心の中で小さく溜息を吐き、俺は彼女の舌先に応え、後頭部を押さえ口吻を深くした。少し驚く彼女をよそに、何度も快楽に繋がる刺激を与えてやる。
 しばらくして口唇を離すと、少し頬を赤らめた彼女は、ぽすんと俺の胸に収まった。また一つ、俺の中に後悔の染みが広がる。
 こういう事をするから、快楽を覚えようとする少女の探究心を刺激するのだ。そして俺の理性や道徳心がいつまでもつのか……正直自信がなくなってきている。
 ただいつか、少女の笑顔は見てみたいと思っている。感情表現を置き忘れてきた彼女が、泣いたり笑ったり怒ったり出来るようになったら、俺のこの役目も終わるような気がするからだ。
「俺は明日も早いから、もう寝るぞ」
 面倒な感情に蓋をして、少女を抱えたまま横になり、布団をかけてやる。
「本当にずるい人ですね」
 その言葉に否定も肯定もぜず、俺は少女の頭を撫でた。
「だいぶ金も貯まってきたから、そろそろ別の町に移動しないとな」
 ややあって、少女が頷き、呟く。
「この穏やかで平和な時間が、いつまでも続けば良いのに」
 それが一番困難な願いだと分かってる俺は、それでも少女を安心させるように、少し強く肩を抱いた。
 窓から、細い光の筋が、二人に延びる。
「……月が綺麗ですね、か」
 
 笑えない夜が、今日も更けていく。


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サークル名:BRADDY VOICE(URL
執筆者名:白河紫苑

一言アピール
兎角毒苺團さま発行のアンソロジー「夜と船」に寄稿させていただいた「夜想戯曲」の続きにあたるお話です。(単作読切でも大丈夫です)
だんだんこの二人に愛着が湧いてきたので、いつか続きを書いてみたいかも……。

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