水無月更紗の愚か

 まず、はじめに、机の上のものを全て薙ぎ払った。そうして綺麗になった机の上に今年に入って一度も使っていなかったノートパソコンを置いてスイッチを入れる。パソコンは命をえたように静かにエンジンを鳴らし起動する。机の上のあったものたちは床に落ちて空っぽな音を響かせた。プラスチックのものばかりだから心配ない。焦って買った化粧水や乳液、保湿クリーム、可愛いかたちにつくられている化粧品類。
 今日はコンタクトはやめて、眼鏡で過ごす。パソコンの光が眼鏡に反射して映っている。さて、何をしようかな。久々にゆっくりできる日曜日。けれど午後には用事があるのだから、あまりのんびりもしていられない。
 社会人になって数年が経った。まだまだ考えが甘いところもたくさんあるけれど、とりあえず私はこどもでは居られない年齢になった。学生時代、私はことばをさがすことに夢中になっていた。名前の無いものを見つけて、それにことばを与えて、それを肯定することが好きだった。受け入れることが好きだった。名前を付けることによってかたちの無かったものが輪郭をえて、色付いていく。
 そして名前を与えれば、誰もがそのことばを発することが可能になり、それを表現きるようになってゆくのが好きだった。ことばの力強さに私は恋をしていた。
 発見して名前をつけなければならないもの、たとえば、DV(ドメスティック・バイオレンス)。あたりまえのように行われてきた親密な関係にある人物からの暴力や破壊行為、暴言などの行為。それらにDVという名前を発見して名付けたことにより、それは犯罪だと声をあげ、それらから解放された女性は少なくない。(もちろん女性だけに限らないが)。また、それと同時に生活の一部として日常的にやっていた行為がDVという犯罪なのだと認識を新たにした男性も少なくはないだろう。(もちろんこちらも男性だけに限らないが)。
 そして、これはとても曖昧なものだけれど、目に見ることができないやさしいものに名前を付けることも学生時代によくやっていた。
それはとても単純で簡単で、たとえばふと空を見上げたときのやさしい陽射しだったり、誰かのやさしい笑顔だったり、そんな些細なことだけれど心が熱くなるもの。それらに積極的に名前をつけて、素敵ね、素敵ねと言ってまわっていた。素敵だと思えることに名前をつけて表現することは、常にやさしく、真っ直ぐに生きてはいけない私のなかに溜まった醜く濁ったものを洗い流してくれた。と、当時の私は思っていた。けれど、名付けるということはなんて恐ろしいものなのでしょう。
名付ける、という行為自体はあまりにも簡単なので、気をつけないと私たちは間違えてしまう。DVということばだって、気をつけて使用しなければ、加害者の暴力を助長させてしまう道具にだってなってしまう。名前の無いものに適切な名前をつけること、そしてそれを正しく使うことが、ことばを使う人間の義務なのだ。ことばは、名付けるということは、何かを助けるために、救い出すために、見つけ出すために使って欲しいと思う。
 そう思い願っているけれど、私のまわりには不適切に肯定されたことばたちがたくさん誰かにぶつけられ、使い捨てられているように感じる。誰かの劣等感を笑うために名付けたり、誰かの価値観をおかしいと否定するために名付けられたり、誰かの思いを封じるために名付けられたり。それは社会に出た私のまわりには当たり前のようにあるようにみえる。それらの発言にいたるまでの過程は悪いとは思わない。はじめから悪意をもって名付けられたことばは論外だが、他者との価値観のずれを違いだと認識し、名付けてことばにしようとすることは、お互いを理解するためにとても有効な行為だと思うから。それは素敵で素晴らしいことだと思う。けれど、そこでどうして私たちはうまくことばにできないのだろう。どうして違いを、おまえは違う、と、相手がさも間違っているのだ、と、いうように押し付けてしまうのだろう。どうしてそのようなことばの選び方をしてしまうのだろう。あなたは、そんなに正しいのですか?間違えないのですか?
 私はそのようなかたちで、ことばになってしまったことばたちを聞けば悲しくなるし、自分に言われれば深く傷つく。でも、私はそれら(不適切に肯定されてしまったことばたちや、不適切に使っていると思える人)を変えていく手段を見つけられていない。残念ながら私も自分が正しくことばを使えているとは思えないからだ。
ただただ自分は自分であると、焦ることなくゆっくりと深呼吸をして前をむき、できるだけことばを可哀想なかたちで使用しないように、と、心掛けることしかできない。それしか出来ないけれど、その思いだけはずっと持ち続けていきたい。どんなに悲しくて苦しい日も、嬉しくて笑顔に満ち溢れている日にも。
 さて、もうこんな時間だ。そろそろ出かける準備をしないと。
 私は起動させたまま放置していたパソコンに触れて、終らせる手続きをキーボード上で行う。本当はインターネットでピンクフラミンゴについて調べるつもりだった。この前、スマートフォンで調べたばかりだったから、別にパソコンでもう一度調べる必要はあまりないのだけど、なんとなく。
 群を成して暮らすサーモンピンクの色をしたフラミンゴ。そんなフラミンゴには夏の陽射しがよく似合う。今は梅雨。梅雨が終って夏がきたら、綺麗な綺麗なフラミンゴはまぶしい太陽の下、私にやさしく微笑んでくれるかしら。
 私はエンジン音のしなくなったノートパソコンを閉じると、椅子から立ち上がり出かける準備をはじめる。
 今日は曇り。フラミンゴの、あの、綺麗なサーモンピンクの姿は、まだ見えない。


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サークル名:リコリス畳店の猫(URL
執筆者名:オトヨミ

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