君に、うまく言えない

 カラン、コロン――耳慣れない音が石畳の上を転がっていく。
 それが足音だとアーエイルは知っていた。何故なら隣の人物の足元を視界に映しながら、つまり俯きながら歩いているからだ。
「売り切れてなくてよかったよ。ね、アーリ、荷物ほとんど持ってくれてるけど重くない?」
 足音の主である少女、ミラがアーエイルにそう問いかける。こちらを覗き込むように見上げる視線につい顔を背けてしまった。そして即座に後悔した。後悔はしたがそのまま、なんとなく顔を合わせられないまま、アーエイルは「ああ」と返事をする。
「そう、重かったら言ってね。アーリは私より腕力ないから心配だよ……」
「さすがにそんなわけないだろ!? 一応これでも剣士やっているんだから」
 思わず顔を上げて反論する。と、待ち構えたように振り返る彼女の、薄紫色の大きな瞳と目が合った。ぱちりと瞬きした瞳が柔らかく細められる。
「えー、でも腕相撲したとき、私勝ったよね?」
「何年前の話だよ……」
 先程の素っ気ない態度を気にする様子もなく、ミラは袖で口元を押さえくすくすと笑っている。そんな見慣れた仕草さえ新鮮に見えるから不思議だ。ただいつもと違う格好をしているだけなのに。
――今、ミラは浴衣という東方の民族衣装を着ていた。鮮やかな朱色の布地に白と桃色の牡丹が咲き、結い上げた蜂蜜色の髪に彩りを添える蝶を模したかんざし。いつもは髪で隠れるうなじが露わになり、つい目が惹きつけられてしまう。
 一つ年上ながらどこかふわふわした雰囲気の彼女を昔からよく知っていた。けれど、今目の前にいる彼女は、服装一つ違うだけで大人びた清楚な色香を漂わせてさえいる。
 軽口の応酬で紛れた羞恥が再び募り、アーエイルは歩を進める。それに遅れて覚束ない小走りの足音がついてくるのを察し、慌てて速度を緩めた。どうにも細かいことに気が回らない。幼馴染と買い物をしている、それだけだというのに。
 アーエイルは薄手のシャツにマントを羽織り、剣士の印である愛剣を帯びている。ありふれた格好だ。だからこそ隣のミラの姿は風変わりであり、旅人の多いこの街でも目立っている。
 今もまたすれ違う男性が彼女を振り返る。それがなんとなく面白くない。
 こちらの気も知らずにミラは、下駄という履物を陽気にカラコロ鳴らしながら歩いている。はぁとため息を漏らしつつ、アーエイルは事の発端を思い返していた。

     * * *

「見て見て、これ浴衣っていうの! どうかな?」
 扉を勢いよく開けて浴衣姿のミラが現れたのは、つい一時間程前のことだ。
 曰く、宿屋の荷物整理をしていた女将を手伝っていたら件の浴衣が出てきて、物珍しさに盛り上がった挙句、髪型から履物まで一式着付けてもらったのだという。
 ちょうどアーエイルは宿屋のロビーで旅の同行者の少年――イグラスと買い出しが必要な物資を書き出していたところだった。
 まるで雰囲気の違うミラを見て言葉に詰まるアーエイルを横目に、イグラスは「かわいい」「よく似合う」「すごくかわいい」「明るい色がとても映えている」「髪を上げているのも新鮮だ」などと臆面もなく……アーエイルが内心思ったことを全部言ってのけ、更に「買い物ついでに街を歩いてきたらどうだ? アーリも一緒に」と追い打ちをかけてきた。
 ミラは二つ返事で了承し、アーエイルは結局「その服、歩きにくくないか?」としか言えないまま、今に至る。

     * * *

 買い物を終え、荷物を手に二人は宿屋への帰路についている。陽が落ち始め、残暑といえど涼しい時間帯だ。寒くないかと尋ねようとしたその時、
「わっ!」
 ミラの体が前のめりに傾ぎ、とっさに荷物を片手に持ち替えて支える。
「ご、ごめん」
「いいって。それより怪我ないか?」
「私は大丈夫だけど……靴、壊れちゃった」
 見ると、確かに下駄の鼻緒が切れている。ミラを道脇の花壇の縁に座らせ、拾い上げた下駄をためつすがめつ考える。複雑な作りではないし応急処置ならできそうだ。細長い布が欲しいが、まあマントの端でも切るか……と、鞄からナイフを取り出そうとした瞬間。視界が何かを捉えた。端布だ。おあつらえ向きな紺色の布が花壇にそっと落ちている。これだけならば運が良かったで済むが、残念ながらアーエイルはこの布に見覚えがあった。ふと、買い物に出る直前に交わした会話を思い出す――

     * * *

「切れた鼻緒をすげてもらったことがきっかけで恋が始まるものらしい」
「……は?」
 買い物の準備のためミラが部屋を出たのを見計らうように、イグラスは話し始めた。訝しげなアーエイルににこりと笑い、続ける。
「東方でよくある恋話だそうだ。国を問わず女性は手を差し伸べてくれる男性に心惹かれるのだろうな」
「いや、というか何? すげる?」
「詳しくは知らないが、差し込む? 文脈からすると多分直す、とかそんな意味か?」
 この少年は肝心なことはすぽんと頭から抜けているくせに、脈絡のない知識を抱えていたりする。彼のペースに巻き込まれない内に立ち去ろうとすると「じゃあ、はい」と何かを差し出された。
「……布」
「大きさも強度もちょうど良い布がここに」
「……なんで、この流れで、布を、渡す?」
「あっははー! わかってるくせにー!」
 ぷくくと悪戯めいた笑みを浮かべるイグラスから布を引ったくり、その顔面に向かって投げつける。が、紺色の縞模様はひらひらと宙を舞い、生意気な顔に届くことなくテーブルに落ちた。
「私は用事があって同行できないが、健闘を祈っているぞ!」
「うっさい、黙れ!」
 茶化す声に背を向け、「先に外出てる!」と奥の部屋のミラへと告げると、アーエイルは逃げるように外へと飛び出した。

     * * *

――で、その投げつけたはずの布が目の前にある。色も柄も完全に一致だ。……そういえば用事があるとは聞いたが行き先は知らない。
 まさかあいつ近くにいるんじゃないだろうな!? と周囲を見渡す。先程の話そのままに鼻緒を直す場面など見られたら、一生単位でからかわれるに決まっている。すっかり狼狽えたアーエイルは元来た道へと足を向けるが、
「……アーリ、何かあったの?」
 控えめに問うミラの声で我に返った。置いて行かれると思ったのか、彼女の顔は少し不安気だ。そうだ、今はイグラスのことよりミラが優先だ。
「ごめん、何でもない」
 端布を掴むとミラの元へ戻り、足元に屈み込んで再び下駄を手に取る。
 細長い布の中央に結び目を作ると下駄の底の穴から通して引っ張り、ちゃんと留まっていることを確認する。それから布と切れた鼻緒をしっかりと結ぶ。これなら帰る間はもつだろう。
「多分これで大丈夫。ちょっと履いてみて」
「うん、ありがとう」
 花壇から腰を上げたミラは下駄の履き心地を確かめている。それとなく見上げると、ふいに目が合った。
 いつもなら目が合う度に笑いかけてくる彼女が、今は静かな、しかし熱の籠った視線で見詰め返してくるのみ。物言いたげなその瞳はアーエイルの知らない表情で、彼女が何を伝えたいのかわからない。もどかしい。
『切れた鼻緒をすげてもらったことがきっかけで恋が――』
 イグラスの声が脳裏に蘇り、どくんと心臓が跳ねる。
 夕日を背に受け、茜色に染まる石造りの街並みの中、異国の衣装を纏ったミラは幻想的でどこか儚く見えた。どれほど逆光が眩しくても目を逸らすことができない。雑踏の中にいるはずなのに全ての音が遠ざかっていく。自分の心臓の音だけがただただうるさい。
「ミ、ミラ、あの……」
 沈黙に耐えかねて絞り出した声は驚くほどかすれていた。ああ、でも、そうだ、アーエイルは思い出した。まだミラの浴衣姿をどう思っているか、伝えていない。
「あの、浴衣、すごく……」
「う、うん」
 ぐっと身を乗り出したミラに一瞬気圧されるが、それでも思いを言葉に乗せ――、
「にゃああ」
「わひゃっ!」
「うぇ!? ちょっ」
 た、ところで花壇からひょこっと顔を出した猫。それに驚いたミラが身を乗り出したまま倒れ込む。そしてそれを受け止め損ねたアーエイルを巻き込み二人は盛大にすっ転んだ。アーエイルはちょっと舌を噛んだ上、後頭部も打った。
「あっ、こら。今行っちゃ駄目だって……」
 少し離れた場所から聞き覚えのある声がする。アーエイルは全てを察した。
「イ、イグラスくん!? どうしてこんなところに……」
「あ、えっと、私はただの通りすがりなので、どうぞお構いなく。さ、続けて続けて」
 歩み寄ってきた猫を抱き上げる少年を視界に捉え、思いつく限りの罵倒を脳内で呟きながら、アーエイルは意識を手放した……。

     * * *

「私の用事? もちろん先回りして君達の様子を見守ることだが?」
 ちなみにこの猫が端布を置いてきてくれたんだ。賢いだろう。そう堂々と白状したイグラスの顔をアーエイルは全身全霊でぶん殴った。いや実際には避けられてしまったのだが、気持ちだけは全力でぶん殴っておいた。
 意識が飛んだのはほんの数秒で、ミラの謝罪と手当てを受けてアーエイルは目を覚ました。今は三人と一匹での帰り道だ。アーエイルは疲れ果てていた。もちろん精神的に、だ。腹いせに荷物はミラの分も含め全てイグラスに押し付けてある。当の本人はそれらを軽々と抱えたままミラと談笑しているのだから、尚更腹立たしい。
「結局アーリからは感想もらえなかったよ。手強かったなあ」
「そうか、まあアーリはへたれだからな」
 何か話し声が聞こえるが、アーエイルの疲弊しきった頭ではもはや意味を理解することはできなかった。
……だから仕方がないのだ。
「今度はまた違った服装に挑戦してみるよ。ね、アーリはどんなのがいい?」
 と聞かれて、思わず、

「いつも通りのミラが一番かわいいよ」

 と、口走ってしまったことも。それを聞いたミラが夕焼けのせいか真っ赤な顔で固まっていたことも。イグラスが今後末永くからかうネタを頂いたとばかりにほくそ笑んでいたことも。
 全部、仕方がないことなのだ。


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サークル名:月兎柑。(URL
執筆者名:○まる

一言アピール
一次創作のサークル『月兎柑。』です。“剣と魔法のファンタジーな世界観”を持つ作品をメインに、小説中心で創作活動をしています。この投稿作品は、テキレボ4にて頒布予定の「戴冠剣士」という個人誌の掌編です。

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