逢瀬の凪桜

 人ならざる種族が、人の決めた業と法で駆逐されるとは一体何事だ。人間風情めが。
 白蛇はそう息巻いて、いささか興奮気味に憤る。
 それをまあまあ、と目を細めた白狐が、可笑しそうに笑う。
 空では龍がうすらと笑いをあげて思わず雷鳴を轟かせ、それに猿たちがうるさいと怒鳴ってみせる。
 白鬼はそれを見て、まあ大体そんなものだと静かに笑うのだ。
 桜咲くこの場所は、そうした人ならざる者たちが集う場所であった。
 つい、本当に二百年ほど前までは、そういう場所であったのだ。
 外来種、というものは、別に植物や動物だけのものではない。
 これは信仰、宗教というものにも当てはまる。やがてそれらは既存種を食い荒らすのだ。
 神の御使いと呼ばれた蛇は、大蛇となって人を喰らうものとされたし、狐は人をだまくらかしては貶める象徴とされた。
 龍はいつしか神聖でありながら凶暴なものとみなされ、山の神は人を喰らう者とされた。
 鬼はといえば、元は人を見守る神としてあがめられた存在であった。この和の国では「八百万の神々」の頂点に立つ者であったのだ。
 しかしそれも、地獄の使いのような扱いとされ、人はやがてその心無い噂を信じ、信仰は廃れ、徐々に徐々に彼らは姿を消していった。
 桜の下の会合は、蛇が来なくなり、狐が来なくなり、龍は消え、猿も姿を消し、そうして何も来なくなって、とうとう白の鬼だけがそこに佇むようになった。
 鬼もまた、迫害に晒された。それでも彼は、そこに現れた。
 桜の下には、彼が愛してやまない「民」と「人」が居たから。

「あら、また居るのね」
 声をかけてきたのは、いつもここにやってくる人間の女。名を「セナギ」と言った。
 逢瀬に出会う凪の風よ、と彼女はいつでも俺にそう嘯いてみせる。
 その姿を見て、俺はまたかとため息をつくと、少しだけしかめ面をみせて言葉を返すのだ。
「また来たのか、物好きめ」
 こちらの言葉に、しかしセナギはくすりくすりと笑うだけだ。
 いつものように、麦の握り飯を携えて、はい、と俺に寄越す。
「さあ食べて。美味しいわ」
 人の食べ物など、鬼には味などわかりはしないのだが、それでもそれを受け取る。
「俺になど構わず、お前が食べてしまえばいいのだ。俺に味など分かりはしない」
 俺の毎度のこの言葉も、女には取り合ってもらえない。
「あらだって、放っておいたらあなた消えてしまうでしょう? お供えだもの、これは。信仰に根付くものだから栄養になるでしょう?」
 こともなげにそう言い放つと、自分の分の握り飯を取り出して、よいしょと木の根に座り込む。
「一緒に食べればなお美味しいわ。さあお坐りなさいな、神様」
 そう、セナギは知っている。俺の正体を。
 人に貶められ、神聖である額に伸びる角は悪の象徴とあざ笑われるようになったこの「鬼」を、彼女は慕い、そして祈りを捧げてくれるのだ。
「バカなやつだ。俺に供え物をしても、良いことなぞ何もないぞ」
 俺の呆れ交じりの声にも、セナギはふふふ、と笑って、さあさあ一緒に、と促すだけだ。
 渋々一緒に座って食ってやれば、それでセナギは満足そうに微笑む。
 不思議な女だった。おそらくこの女の父親に似たのであろう。この父親という男もまた、大層な変わり者だった。
 うっかり桜の季節に、花に心奪われてここに佇む俺をみつけた男は、俺を見るなり悲鳴のような快哉をあげた。
 殺されるのかと逃げ出そうとした俺に、彼は待ってくれと追いすがり、ここに住めばよいと俺をこの桜の木の下に「縫い付けた」変わり者。
 おかげさまで、この小さな村では誰に迫害されることもなく、しかも昔のように信仰の対象として、男が桜の木の下に造った祠に住むことが出来ている。
 俺に出来ることと言えば、害獣を追い払ってみたり、日照り続きの折に、少しだけ雨を降らせてもらうように精霊たちに頼むことくらいだ。
 それでも、人々は感謝してくれたし、ここには平穏があった。
 いつかまた、この桜の木の下で、皆で会合という名の酒飲みが出来ると、そう思い込みたくなるほど、ここには信仰が残っていた。

 ある日、ぱたりとセナギが姿を消した。
 数日訪れないことは稀にあったが、七日も訪れないのは初めてだった。
 いつでもそっけなくしていたが、とうとう愛想を尽かされたのかと諦め、しかしそれでも拭えぬ気持ち悪さに、とうとう俺は村に降りた。
 そして、村の古株の老人から聞かされたのだ。セナギは隣の山のそのまた向こうに嫁に行ったのだと。
 青天の霹靂というのはまさにこれであろう。そんなこと、最後に会った時には一言も。
 ただ、少しだけ言いにくそうに、はにかんだように微笑んだ顔だけが胸につかえはしていたが、まさか。
 ここまで来て、ようやく俺は自分が何を思っていたのか知ることになったのだ。
 この桜の木の下に、かつての仲間や信仰が戻ってくるという夢想に囚われたのだと思っていた。
 人の信仰が残る、この小さな祠に、自分は縫い付けられたのだと思っていた。
 違った。
 ただ一人の、人間の女を待ち続けるためだけに、ここに自分は残っていたのだと。
 老人は、俺に小さな紙片を渡してくれた。そこには、セナギの嫁ぎ先への行き方が記されていた。
「行っておやりなさい。わしらは、あんたが何であるのか知っている。あんたがどんな目にあったのかも、セナギの親父さんに聞いている」
 その言葉に、俺の肩はびくりと震えた。
 もう仲間はいない。この近くに鬼もいない。白の鬼の種族は、焼き払われた村ですべて死に絶えた。
 人の放った炎は、俺の全部を飲み込んだ。
 在りし日のモノと共に燃え尽きた里を捨て、この桜の下にたどり着いたのだ。
 懐かしさで耐えきれず、はらはらと舞う桜の下で涙する俺を、セナギの父親が救い上げたのだ。涙ながらに、炎を放った人間たちへの恨みつらみを吐き出す俺に、あの男は手を差し伸べたのだ。
 病でぽっくりと行ってしまったあの男に、俺はこの桜を手向けたのを覚えている。
 そして、その棺の隣で桜を握りしめていたのがセナギだった。
 以降、幼いセナギはその父親の遺志を受け継ぎ、俺のところへ毎日通い、俺を毎日救い上げた。寂しさなど、とうに忘れたと思っていたのに。
 今は、息をするのすら苦しい。
「行っておやり。セナギはあんたを待っている。あんたも、セナギを待っていたはずだ」
 もう一度、その言葉をかけられて、俺は走り出した。
 山を越えるのなど、俺には造作もない。俺は走りに走り続けて、一晩のうちに山の先の村にたどり着いていた。
 老人が教えてくれたことが、もう一つある。
 美しく立派な桜の木が、セナギの嫁いだ先の庭にもあるのだと。
 果たして、セナギはそこに居た。
 何故か一人で、その桜の下に佇んでいた。満開の桜が、はらはらと舞う。その光景に目を奪われた。
 セナギは俺の姿を見つけると、静かにこちらに歩いてきた。動けずにいる俺の目の前で彼女は止まると、いきなりぺしんと頭をひっぱたかれた。
 目を白黒とさせる俺に、セナギはくしゃりと顔を歪めると、泣き笑いの声でこう言ったのだ。
「遅いわ、神様」
 そこでもうダメだった。しっかりとセナギを抱きしめてわあわあと泣いた。
 セナギも泣いた。
 ようやく、ようやく息が出来たと思った。

 後から聞いたら、別にセナギは嫁いでなどいなかった。
 ここは、セナギの母方の実家で、住む者が誰も居なくなったのでその整理をしに来ただけだと言う。
 騙しやがったなあの爺め。
 しかしセナギはけろりとしたもので、どうせ俺と結ばれないなら、しばらくここに住むと告げて出てきたそうで。
 それで行われたおせっかいだったらしい。
 居なくなってから気付くとか、どれだけ鈍いの神様、とむくれるセナギに、仕方ないだろうと俺もふくれっつらだ。
「あんなに毎日、好きでなきゃ通うわけがないじゃないの」
「こんなに毎日、よくぞ飯が続くと感心していたんだ」
 まったくもって、お互いが通じ合っていない。
 だからこそ愛おしかった。彼女を失うくらいならば、俺はこうしてまた走り出してしまうだろう。
「ねえ、添い遂げてもらえるかしら?」
 困ったように尋ねる彼女に、俺は息を吐いた。愛しい民に覚える感情ではない。これは、愛しい人に向ける感情だ。
「セナギ」
 名を呼ぶ。決して音に乗せなかった、その愛おしい名を。言葉と音は、人を絡め取る。名を呼べばそれは束縛となる。
 セナギは、ふふ、と笑った。
「ねえ神様。お名前は?」
 俺はセナギの手を取る。これは契約だ。
「俺はショウキ。聖なる鬼だ」
 桜がざわめく。祝福するように、桜が舞い散る。
「私はセナギ。逢瀬に吹く凪の風よ」
 いつものようにセナギは嘯いて、こうして俺たちは夫婦となった。

 なあ、捨てたものではないよ白蛇。お前がたとえ大蛇に例えられて疎まれようと、それを厭わず、まして神だからというわけでもなく、自分そのものを、在りのままに愛してくれるものが居るのだ。
 狐はきっと、それを知っていたから笑ったのだし、龍もきっとそれを信じていたからこそ、空で笑ったのであろう。
 俺も信じている。知っている。
 そして、こうして愛される喜びも、誰かを愛する喜びも、きっと桜は全部知っているのだ。
「ショウキ」
 名を呼ぶ声がする。俺は笑って桜を見上げた。いつしか、「出会い桜」と呼ばれるようになったこの桜は、幾百年経とうとも、俺の側で花を咲かせ、花を降らせる。
「ありがとう」
 桜に告げると、俺は声の主の元へと駆け出した。
 桜は応えることなく、また、はらはらと舞い落ちて俺たちの逢瀬を祝福した。


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サークル名:猫文社(URL
執筆者名:藤木一帆

一言アピール
完全オリジナルの日本刀擬人化「めいとーでん」、お題付アンソロジー本「言葉遊山」シリーズを主催。二次創作は「ヘタリア」ジャンルでやっています。今回のお話は、アンソロジーでやっている雰囲気で書いてみました。

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