私は息子に嘘を吐いている。

「おとうさん、きょうもおしごとなの?」
でも、もう、限界かもしれない。
「そうよ。だからいい子にしてようね」
私の膝に顔を埋めてグズる実生の頭をなでながら、薄暗い天井を見上げる。
こうして、はぐらかすのも何度目か。
「おしごと、しなくていいよぉ」
「お仕事しなくちゃ生きていけないの。仕方ないでしょ?」
「そんなのしらない」

なんて、白々しい。

自分の口から出た言葉に吐き気がする。
吐いたところで、空の胃が楽になる訳でもないのだけれど。
「代わりにおかあさんが、ずうっと実生と一緒にいてあげるから、ね?」
「うん……」
本当のことを言うべきだろうか。
だけど、幼い実生に、死を理解できるのだろうか。
もし、理解できたとしても、それはそれでもっと酷な事ではないのだろうか?
この部屋にあの人が戻ることは、もう二度とない。
実生が父親に頭をなでてもらうことも、二度とない。

結婚してからは、夫の転勤で土地を移ることが多かった。
短いときで三ケ月、長いときでも半年ちょっとで次の土地へと移らなければならなかった。
そのたびに私は、勤務先やご近所との人間関係をリセットさせられてきた。
そんな生活が数年続いて、ようやく落ち着いたのがここだった。
この団地に住んで、もう7年目。
子どもも出来たし、仕事や団地特有のルールにも慣れた。
一昨年、やっと実生を保育園に入れることが出来た。
保育園のママ友との付き合いは正直苦手で、しんどいことも多かったけれど、仕事しながらの育児が少し楽になったことを思えば、たまのママ友イベントも我慢できた。
夫の収入だけで生活できない訳ではなかったので、彼は何度か私に働かなくてもいいよと言った。
彼が私たちの為に、毎日遅くまで働いてくれていることはよく分かっていたし、生活の基盤が安定してることにも感謝していた。
でも。

実生を保育園に通わせるためにはもう少し収入があった方がいいじゃない。
保育園に通うようになると、何かとお金も必要だもの。
実生にお友達も出来ると、お付き合いの幅も広がるし。
みんなで遊びにいくのに、実生だけ行けなかったり、恥ずかしい思いをしたら可哀想。
それに、私と二人で部屋と公園を行き来するだけの毎日より、社会性も身についていいと思う。
私だって、部屋にこもりきりより、働いていた方が……。

色んな理由を付けてはいたが、結局、私のほうが実生と二人きりの生活に耐えられなかったのだ。
夫婦二人きりの頃と違い、お互い自由が利かなくなった上に、家族三人分の生活を支えるために夫が家を空ける時間も増えた。
必然的に私の体は一日の大半を実生と二人でこの部屋に拘束されることになる。
保育園が休みの日は一日中ずっとだ。
けど、仕事をしていれば、外に出る正当な理由が得られる。
実生と離れる口実になれば、なんでもよかった。

そんなことを考えていたから、天罰が下ったのだ。

◇◆◇

「あら、図面で見るより広いのね」
おそらく、この部屋の新しい住人になるであろう若い母親が、声を明るくして言った。
「家具を置いたら前のトコと変わんないだろ」
その夫と見られる若い男が興味なさげに応える。
「同じで家賃が半額になるんだよ? それにスーパーもコンビニも近くていいじゃない。やっと当選したんだし文句言わないの」
家賃の安い公営団地は入居希望も多い。申込者の中から収入や年齢などを審査され、順番が回ってくるのはごく少数の世帯だ。この夫婦はまだ若く収入も少ないのだろう、子どももいることから優先順位は高い方だと思うが、それでも母親の口からやっとという言葉が出るくらいには待たされたらしい。
次の入居者が決まったということは、私たちももうすぐ出ていかなければいけない。

「では、次は棟長さんのところへご挨拶にいきましょうか」
市の職員らしき中年男性が夫婦を部屋から出るように促す。
「はぁ~、私もいよいよ団地妻かぁ。なんか、緊張してきた」
「ん? どうした? 愛未」
父親におんぶされた女の子がこちらに手を振る。
「ばいばい」
「愛未?」
「おにいちゃん、ばいばい」
少女の呼びかけに実生も手を振り返す。
「さ、棟長さんお待ちですよ、行きましょう。すぐ上の階なんで……」
声を強張らせた職員が夫婦を追い立てる。
「あ、見て愛未、公園にパンダさんいるよ、よかったねぇ」
玄関前の廊下から見える公園のパンダの遊具。実生も好きだった。
「なぁ、愛未、誰に手振ってたんだ?」
「さぁ? でも、子どもとか猫って私らに見えないもの見えてたりするっていうじゃない? 座敷童とかいたりして」
「団地にぃ?」
夫婦の声が遠ざかっていく。
ドアを閉める瞬間、職員は手を止め、部屋の奥を見つめた。

「……まさか、な」

(了)

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Y団地児童殺害容疑者逮捕 母親息子追い自殺
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児童殺害容疑で母親の勤務先同僚逮捕
母親、息子後追い自殺…

 O県Y市の公営団地で、この団地に住む野崎実生くん(5)が刺され10日死亡した事件で、母親野崎麻美さん(34)のアルバイト先の同僚・小向(こむかい)日出夫(ひでお)容疑者を殺人などの容疑で本日27日送検した。

【もっと詳しく】

 小向容疑者と母親の関係は勤務していたスーパーの同僚で、母子で買い物に来る際、実生くんとも面識があったため、尋ねてきた小向容疑者を部屋に招き入れてしまったのではないかと勤務先の店長は語る。
 事件当時、母親は勤務中で、父親は出張中であり、部屋には実生くん一人だった。事件発生kら帰宅した母親に発見されるまで2時間あまりが経過しており、病院に搬送されるも10日死亡が確認された。

 病院関係者によると、母親の麻美さんは「大丈夫です」と一人でタクシーに乗り、自宅へ戻ったという。
 11日、実生くんの報道を知った父親が帰宅すると、台所でうずくまるようにして倒れている麻美さんを発見。その後、病院で死亡が確認された。
 床には大量の睡眠薬が散らばっていたことから、実生くんを追っての自殺と見られている。「いつも母子で公園で遊んでいた」「一緒に買い物に行く姿をよく見かけた」など、仲の良い親子だったことが近隣住民の印象に残っている。
 実生くんと麻美さんの葬儀には、実生くんの保育園の友達やその母親が多く参列し、子供たちが折り紙やお菓子を手に次々と別れの言葉を告げて母子を見送った。
 父親は「一刻も早く犯人を捕まえてほしい」と語り、「理由を聞いても二人は帰って来ないが、なぜこんなことをしたのかを知りたい」と悲痛な思いを訴えた。
 現在、取り調べ中の小向容疑者が何を語るのか、今後注目される。

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出典:T○S系(J○N) 8/27(水)


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サークル名:S.Y.S.文学分室(URL
執筆者名:堺屋皆人

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