嘘に混ぜた本当の

 それはいつものように、街で買い物をした後。
 エレは日用品の入った袋を抱え、きょろきょろと周囲を見渡していた。仲間達との待ち合わせを約束した広場に来たのだが、合流できないどころか、一緒にいた連れまでをも見失ってしまったのだ。
 いつも誰かと一緒にいるので、独りは心細い。太めの眉を垂れ、翠の瞳を細めて、ひとつ、溜息をついた時。
「やあ彼女、一人ー?」
「それとも迷子になっちゃったのかなあ?」
 背後から軽薄な声が聴こえて、エレは赤銀の髪を揺らしながらそちらを振り返った。
 エレより四つか五つほど年上の、二十代前半と思しき、ひょろひょろとした青年と中肉中背の青年の二人組が、声に違わぬにやにやとした笑みを顔に浮かべて立っていた。
「買い物してたの? 女の子がそんなに重そうなの持って、大変じゃない?」
「オレ達が持ってあげるからさあ、一緒にお茶でもどう?」
 そう言うが早いか、ひょろひょろした方の腕が伸びて来て、エレの抱えた荷物を奪い取ろうとする。
「いっ、いいえ!」即座に危機感を覚えて、エレは袋を両腕でぎゅっと抱え込んだ。「人を待っていますので!」
「えー、君みたいな可愛い女の子を待たせるなんて、ろくでもない奴だよ」
「そんな奴の事なんか忘れて、さ。楽しくお話しでもしようぜ?」
 ぞわっ、と。
 下卑た笑みを見て、エレの背筋に怖気が走る。いくら世間知らずのお姫様だったエレでも、数ヶ月の旅の間に、善意のある人間と下心のある人間を見分ける目は多少ついた。彼らは後者だ。本能が危険を告げている。
(どうしよう)
 エレの行く手と退路を塞ぐように回り込む男達に挟まれ、うつむいてかたかたと小さく震え出した時。
「おい」
 耳に滑り込んだ心地良い低い声に、エレははっと顔を上げて声の方向を向き、心底からの安堵の息を洩らした。
 見慣れた黒装束。短い黒髪。赤い瞳は不機嫌に細められているが、その敵意が向いているのが自分ではないとわかる事が、何よりも頼もしい。
「俺の連れに何か用か」
『黒の死神』の異名を持つイシャナ王国の英雄インシオンは、より一層声を低めて、エレの後ろを塞いでいた青年の前に立つ。標準的な男性の身長より背が高い彼だ、身体を鍛えていて適度に筋肉がついている事もあいまって、見下ろされた者はかなりの恐怖を覚えるだろう。
「いっ、いえ!」
「何でもないですうー!」
 青年達はインシオンの迫力に怯み、後ずさったかと思うと、踵を返して走り出した。
「ちぇっ、野郎連れかよ……」
 そう小さくごちりながら。
 その背を見送っていたインシオンは、ひとつ深々と息を吐くと、「悪い」と、不遜な彼にしては珍しく謝罪の言葉をエレに述べてきた。
「少しなら離れても大丈夫だと思ってた俺が悪かった」
 言の葉であらゆる現象を起こす力『アルテア』を用いるエレは、大国セァクの姫君、『アルテアの魔女』として世間一般に認識されている。そうと知られれば、彼女を利用しようとする者や、長年冷戦状態だったセァクにいまだ報復しようとするイシャナの不届き者に、どんな目に遭わされるかわかったものではない。
 それに、エレ自身に自覚は無いが、整った顔立ちと大きめの胸を持つ彼女の容姿は、単純に、「可愛い女の子」として男を惹きつけてやまない。本人の与り知らぬ所で、インシオンや仲間達がそういった連中を牽制し、悪い虫が近づかないように注意を払っていたのだ。
 だが。
「あいつら」
 エレの顔を越えて、その背後へ視線を送るインシオンが舌打ちし、赤い瞳が鬱陶しそうに細まる。彼の目線を辿って肩越しにちらと振り返れば、先程の青年達が、一定の距離を置いた向こうで、ぶらぶらと所在無く歩き回る振りをしながら、こちらの様子を油断無くうかがっている。まだエレの事を諦めてきっていないようだ。
 先程の前後を挟まれた恐怖を思い出し、エレが縮こまると、その肩を、すっと力強い腕が抱き、引き寄せられた。
(……え)
 ぽふん、と。
 逞しい胸板に顔をうずめる形になる。
(ええええええええええ!)
 驚きのあまり、ばさっと音を立てて日用品の入った袋が地面に落ちる。エレは今、インシオンの腕に抱き締められる形になっていた。
「ああああのイン」「しっ」
 大きな声をあげそうになりつつ身をよじると、小声で叱咤される。耳元に彼の顔が近づいて、吐息交じりの囁きが耳朶をくすぐった。
「あいつらを追い払う為だ。しばらく俺に合わせろ」
 そう言うが早いか、近くの木に背を預ける形で追い詰められる。完全に逃げ場を失ってしどもどするエレの髪に大きな手が触れ、ゆっくりと撫ぜる。赤の両眼がじっとエレの顔を見つめている。
(近い近い近い顔近いです!)
 エレの動揺もどこ吹く風、インシオンは近い顔を更に近づけて来たかと思うと、額に軽く口づけ、その唇が下りてきて、頬に触れ、首筋に熱を刻んだ。
(ぎゃあああああ! ちょっとこれ以上はまずいですまずいです!)
 顔から火を噴きそうな程に真っ赤になるエレとは対照的に、インシオンは平然とした態で、今度はエレの耳を甘噛みする。恋人でもない男女が慎み無く行う行為ではない。いや、恋人同士でも、真っ昼間に公衆の面前でこんな事をすれば、憲兵に見つかったら「君達、ちょっといいかな?」と渋い顔をして詰め所に連れて行かれ、お茶を飲みながら、お茶請け代わりに小一時間ほどお説教を食らう羽目になるに違いない。
 だが、インシオンのこの大胆過ぎる『嘘』の行為は、青年達を追い払うには充分だったらしい。至近距離の相手の顔から少しだけ目線を逸らして見やれば、彼らはズボンのポケットに手を突っ込み、足元の石を蹴り飛ばして、つまらなそうに立ち去ってゆく所であった。
 本日最大の脅威が去った事に肩から力が抜けかける。が、いまだインシオンの腕の中にいる事を思い出して、再び頭に血がのぼる。
「あ、あの、インシオン! もういいです! もういいですから!」
 まだ間近にある顔を両手で押し返しつつ、もぞもぞと身じろぎすると。
「そうか?」赤い瞳が悪戯っぽい光を宿して、彼はにやりと笑った。
「もう少し、こうしていてもいいんだぜ?」
(もうだめですたましいぬけそう……)
 とてつもない殺し文句に、とうとう意識が遠ざかりかける。しかし、エレはなんとか自分を取り戻すと、「冗談は無しにしてください!」と、インシオンの腕を振り払って、一歩距離を取った。
「危ない所を助けてくださったのは感謝しますが、これはやりすぎです。そもそもあなたがいなくなったのがいけないんですからね!」
 そう言われたインシオンはしばし目をみはって立ち尽くしていたが、
「ああ……」
 がりがり頭をかくと、「ほら」とエレの眼前に、瓶に入った炭酸飲料を差し出した。
「お前が喉が渇いてるだろうと思って、これを買いに行ってたんだよ。悪かった」
 こんな物だけで騙されませんよ、と返そうと思ったが、火照った身体は素直に飲み物を欲した。瓶を受け取り、蓋を開けると、ぽん、と威勢の良い音が弾ける。口元で瓶を傾ければ、しゅわっとした感触と飲料の冷たさが喉を滑り落ちてゆく。
 ぷはっ、と大きく息をつくエレを、手を焼く子供を見守るような表情で見つめていたインシオンは、不意に視線を逸らし、
「もう、こんな事はしねえから、安心しろ」
 と背を向けて、エレが取り落した日用品の袋を拾い上げる。その言葉に、エレの胸は、ちくりと針で刺されたような痛みを覚えた。
 そうだ。彼にとって自分は、娘か妹のようなもの。彼があんな事をしたのは真っ赤な『嘘』によるもので、本気でする相手は、きっと、遙か年上の彼にもっと釣り合う誰かだ。
 そう思うと、首筋に刻まれた熱が、今更じくじくとうずき出す。冷たい瓶を押し当てても、そのうずきは治まる事を知らなかった。

 少女は知らない。
 彼が『嘘』の中に混ぜ込んだ、『本当』の想いを。
 伝えてはいけない、と彼が思っている、嘘偽りない気持ちを。


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サークル名:七月の樹懶(URL
執筆者名:たつみ暁
一言アピール
異世界恋愛ファンタジー『アルテアの魔女』の番外編です。1巻と2巻の間あたりの時間軸になっていますが、本編ではこの時点では、こんなに甘々では あ り ま せ ん !(すいません!)
それでもこの話の二人がどうなるか、興味をお持ちくださったら、遊びに来てくださると幸いです。よろしくお願いいたします。

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嘘に混ぜた本当の” に対して2件のコメントがあります。

  1. 世津路章 より:

    >整った顔立ちと大きめの胸

    >大 き め の 胸

    これテストに出るヤツだ……!

    1. たつみ暁 より:

      世津路さん、コメントありがとうございます~。
      そうですここ、テストに出ます!
      本編の表紙描いてくださった方に、想定していた胸のサイズ知らせたら、
      「それは普通です!」
      って怒られましたので!(笑)

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