君の言葉を信じれば

夜風が穏やかに吹く今は、戌の刻が来たばかりの頃である。
山奥にある所々が穴が空いているが修復の様子も伺える平屋の前に、身の丈が六尺六寸はあって背に白い巨大な翼がある男が降り立つ。
その男は平屋の引き戸を開けると、「紫亜しあ、いるか」と声をかけながら我が物顔で中に入って戸を閉める。
中のやや右寄りの中央には囲炉裏があり、奥で紫紺の着物を着ている女盛りの娘が足を崩して座っている。
その女は白い巨大な翼がある男を冷たい眼差しで一瞥すると、鍋がかかっている囲炉裏に視軸を戻す。
紫紺の着物を着た女の反応を白い巨大な翼がある男は当然として、草履を脱いで上がると囲炉裏の前であぐらをかいた。
白い巨大な翼がある男は羽人うじんと言う種族である。
羽人は成人になる二十歳を迎えると人間の村から年頃の女をめとり、書き入れと呼ばれる結納に当たる儀式を経て結婚を迎える。
しかし、このぼろの平屋の主である紫亜の名を持つ女は、書き入れの時に強く反発して去るとそのまま村を出ていく。
そして山奥に誰も住んでいないぼろの平屋を見つけ、そこの修復をしながら一人暮らしを勝手に始めてしまった。
人間の村の村長は新しい女を紹介すると提案したが、その羽人は紫亜をいたく気に入り、必ず彼女を嫁にすると決めてそれを蹴る。
それから時刻は様々であるが、羽人は紫亜を毎日と訪ねては距離を縮めようと努力を重ねている。
羽人は穴だらけの天井を見上げて今日の修復の度合いを探ると、首はそのままに浮かんだ疑問を紫亜に話す。
「今日は直さんかったんか?」
「具合、悪くて。風邪、ひいたみたい」
紫亜の返答に羽人は驚駭して彼女を見ると、鍋の蓋を取ってお玉で中を掻き回す彼女へ更に質問を飛ばす。
「医者には行ったんだべか?」
「行ってない、行くほどじゃないし」
羽人の思いやりを紫亜は冷酷に突き返し、彼女は傍らの椀を拾ってキノコ汁を鍋からお玉ですくうとぶっきらぼうに彼へ箸と共に渡す。
具材のしめじを箸でつかんで食べようとしつつ、羽人は入った時から自分を見ようとしない紫亜に注意を言う。
「それは駄目だべ。明日、医者に行くべ」
「そんなんじゃない! 絶対に行かない!」
声を怒りに近い感情で荒げたもののやっと紫亜が羽人をしかと見た時に、彼は彼女の傍らに椀と箸がない事に気づいた。
食べられないほど体調が悪いのかと、羽人は紫亜を案じつつ箸でつかんでいたしめじを口に入れると、彼女は少しふらつきながら立つ。
「もう寝るから、食べたら帰って」
「心配だから今日は泊まるべ」
つららを飛ばすように冷たく言い放った紫亜に、羽人は決定を穏やかに告げる。
だが、紫亜は猛獣が獲物をとらえる前のように犬歯を見せつけて、キノコ汁をすする羽人をきつく睨んだ。
それから、唸り声に近いそれで紫亜は羽人に言葉を叩きつける。
「帰って」
紫亜の言動に疑問を抱いた羽人の視線を浴びながら彼女は目の前にある引き戸に向かい、開けると何者も拒むかのように強く音をたてて閉める。
囲炉裏の部屋に一人きりになった羽人は手持ちの椀の汁を箸で掻きこむと、鍋を覗いて中を確認すればもう一杯ぐらいしかないと知る。
一人分しか作っていなかったのかと羽人は更に心配を募らすと、椀を片手に鍋を傾けて残りを全て入れれば箸を拾う。
最後のキノコ汁を食べ終わると、羽人は箸と椀を入れた囲炉裏から鍋を外して立ち上がり、左にある流し台に行く。
流し台に手持ちの物を置けば蛇口を捻って水を出し、眼前の手拭いを手にすれば箸から洗う。
「紫亜、どうしたんだべな」
誰に聞かせるでない一人言を呟きながら羽人は洗い物を箸へと移すと、手を止めて後ろを振り向いて引き戸を見つめる。
羽人は流し台に視線を戻して、洗い物を再開すれば手早く全てを洗い終える。
洗い終わった物を左側の空き地に無造作に置き、手拭いを元の場所に戻して蛇口を捻る。
踵を返して羽人は引き戸に大股で近寄ると、静かに開けて薄暗い中を覗けば右の隅にある布団で白装束の紫亜が背を見せて眠っている。
羽人は紫亜に近寄ると横になって背中から彼女を抱き、温もりを体中に流してから目を閉じて寝息をたてた。
翌朝、目が覚めた羽人は紫亜が自分の腕から出ていると知ると、起きて布団を畳んで押し入れにしまって囲炉裏の部屋に向かう。
そこでは紫亜が流し台の縁に両手をかけてしゃがんでいて、苦しそうに肩で息をしながら俯いている。
羽人は駆け寄って紫亜の右隣にしゃがんで彼女の表情を伺おうとすれば、相手は更に深く頭を下げて顔を隠すと彼は心配げに声をかける。
「紫亜、医者に行くべ」
だが、紫亜は弱々しく首を横に振ると、羽人は激しく頭を掻きながら唸って彼女に両手を伸ばして流し台から引き剥がす。
羽人は観念したようにため息を吐いた紫亜を抱えたまま、引き戸に近寄って開ければ平屋を出る。
顔をあげて羽人は風の流れを確認すると、飛び上がって翼をはためかせて右に進路を取る。
四半刻は飛んで羽人は村の上空に着くと更に少しばかり飛んで、長屋の一番右にある戸の前に降り立つ。
羽人は紫亜を抱えたままで、目の前の戸を叩く事もせずにいきなり豪放に開ける。
その中で畳に敷いた座布団に座って湯飲みに口をつけていた羽人と老婆が、突然の来客に驚愕した目でこちらを見る。
紫亜を抱えている羽人は湯飲みを持っている羽人に近寄ると、息巻いて昨日の彼女の症状を伝える。
「昨日の戌の刻に俺が紫亜の家に行ったら具合が悪そうにしてて、何も食べずに寝ちまったんだべ。紫亜は風邪だって言ってるけんど、さっきも流し台の下で苦しそうにうずくまってたんだべ」
「……それ、つわりだべ」
湯飲みを持っている羽人は呆れたように言い渡すと、紫亜を抱えている羽人は鳩が豆鉄砲を食らったように口を開けて静止している。
「あれお前、何も聞いてないんだべか。その女、妊娠してるべよ」
今度は別の意味で湯飲みを持っている羽人は驚き、紫亜を抱えたままでいる羽人は危うく彼女を落としそうになった。
「で、でも、羽人と人間は子を成せないって言うべ!?」
「お前、知らないんだべか。その女、羽人腹うじんばらだべよ」
羽人腹とは、羽人の子を身籠る事ができる人間の女を指す言葉だ。
普通なら人間は羽人の子を孕まないがごく稀にできる女がいて、その人間と結婚ができた羽人は村をあげて羨ましがられる。
それを聞いた紫亜を抱えている羽人は狐に摘ままれた顔をしていると、湯飲みを持っている羽人はほこりを払うように手を振って二人を帰す。
呆然としながらも紫亜を抱えている羽人は踵を返して部屋を出て、飛び上がって翼をはためかせる。
紫亜の平屋に戻る四半刻の間に羽人は段々と冷静になると、驚愕が怒りに変わっていく。
その怒りを煮えたぎらせた状態で紫亜の平屋に着くと、閉めてなかった戸から入って囲炉裏の前に彼女を寝かせる。
起き上がった紫亜は昨日の夜に寝ていた隣に行こうとすると、「何で風邪って嘘を吐いたべか」と言う羽人の尖った言葉が止めた。
「言えるわけないでしょ」
紫亜の吹雪のように冷たい切り返しが癪に触り、羽人は語気を強めて更に言い返す。
「その腹の子は俺の子だべ!! 一人で産む気だべか!!」
「帰って、もう来ないで」
きつく冷たく吐き捨てて紫亜は隣の部屋の引き戸を開けて入れば大きな音をたてて閉めると、羽人は心にまだ怒りが残っているため息を吐いて立つ。
羽人は平屋を出て飛び立つとまた四半刻をかけて村に戻り、今度は長屋の最初にある戸の前に降りる。
開けて中に入ると迷わず押し入れに近づいて開ければ布団の一式を出すと、押し入れを閉めて何かを確認するように辺りを見渡す。
何もないと判断を下せば部屋を出て引き戸を閉めて、一式の布団を持つ羽人は翼をはためかせて飛び立つと右に曲がって四半刻を飛行に費やした。
紫亜の平屋に降り立って引き戸を開けて中に入ると、誰もいない囲炉裏の部屋を横切って戸を開けて隣に入る。
もう来ないと思っていた羽人の登場に、布団で横たわっていた紫亜は驚いて嫌な顔をすると、押し入れに近づいて布団を勝手にしまった彼に激昂をする。
「もう来ないでって言ったでしょ!?」
「紫亜がそんななのに、放っとけるわけないべさ」
「だからって書き入れはしない!!」
「それでいいべよ」
羽人の落ち着いた反論に紫亜は嫌そうにため息を吐いて黙りこみ、押し入れを静かに閉めた彼はこの部屋を出る。
囲炉裏を横切って台所に向かうと、羽人は右の隅に置いてある、上に氷を入れて使う仕様の冷蔵庫の下を開けて中を物色する。
そこから、卵を一個と茶碗で一杯の冷えた白飯と醤油とみりんを出すと、戸を閉めて囲炉裏に行く。
あぐらで座って傍らに持ってきた物を置けば、また立って流し台に近寄って左から鍋とお玉を取って戻ると、近くにあった火打ち石で囲炉裏に火をおこす。
醤油とみりんを適当に流して煮立てばご飯を入れ、汁気が無くなるまでお玉で混ぜながらしばらく待つ。
汁気が無くなれば卵を割り入れて荒めにお玉で混ぜ、一口だけすくい取って羽人は味見をする。
味に納得してお玉を鍋に戻すと火を吹き消して立ち、流し台の左から椀と箸を持って戻る。
箸を傍らに置いてお玉を取って、できたばかりのおじやを全て椀にすくう。
おじやが入った椀と箸を持って立ち上がり、隣の部屋に行くと背中を自分に向けて寝ている紫亜に近寄る。
羽人はその場にあぐらをかいて椀と箸を前に置いて、「少しでも食べるべ」と紫亜に声をかける。
紫亜は起きて何も言わずに椀と箸を持って急ぎ目に食べ始めると、一息もつかずに夢中で完食をした。
椀と箸を羽人の前に置けば心底と悔しそうにため息を吐いて、紫亜は一呼吸を置いてからそっぽを向いて開口する。
「……もう、勝手にして」
ふてくされた様子で紫亜が言葉を投げれば、羽人は上等の宝物を見つけた子供のように口角を上げた。
こうして、羽人と紫亜の同棲は始まった。


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サークル名:夢紫乃書(URL
執筆者名:夢美夜紅々

一言アピール
夢紫乃書の夢美夜紅々です。
普段は二次創作をしていますが、このアンソロジーではオリジナルです。
もし書けたら、いつかはこの続きを書きたいです。

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