騎士と守護の誓い

 馬の蹄の音が荒々しく野を駆ける。
 目指すは主の居住する王宮。遠くに見えるそれは周辺の空を赤く照らし、黒煙を高くなびかせていた。気ばかり急いて馬の腹を蹴るも、これ以上は無理だと泣き言のような嘶きが返る。
 進めども一向に近づかない王宮に歯噛みする。こうしている間にも炎は勢いを増す。比例するように胸のざわめきが大きくなっていく。
――何故こんなに遠くへ。自分は主を護るためだけに存在するというのに。
 
   *

「起きてくださいよ、団長」
 焦れたような声を目覚ましに、シャープは瞼をこじ開けた。のそりと半身を起こして重い頭を振る。
「おはようございます。団長が寝坊なんて、珍しいこともあるもんっすね」
 炊事当番の部下がこちらを見下ろしていた。
「……悪ィ、昨日飲み過ぎた」
「そんなに飲んでましたっけ? あ、お水どうぞ」
 グラスに水差しから注がれる、ゆるやかな水流を眺める。汗ばんだ手は熱を持っていて、水温との差で表面に細かな結露を作った。そんなことはどうでもいいと喉が渇きを訴えてきたので一気に飲み干す。
 何だか悪い夢を見ていたような気がする。それも想定しうる最悪の部類の。夢か現か、まだ感覚は曖昧の中を漂っている。
「……なぁ」
「はい?」
 問いかけてみたものの、少し逡巡して、結局やめた。緊急の伝令が入っていたら、こんな暢気な起こされ方などしないはずだ。
「いや、何でもねェ」
 部下は首を傾げたものの、深くは追求してこなかった。
「飯、できてますから。早く来てくださいね」
「おう。ありがとな」
 グラスを回収した彼は笑みを浮かべて退出していった。
 ひとり残されたシャープは、眉間を押さえて深く息を吐く。着替えるために簡易ベッドから立ち上がるも、何故だか全身が気怠い。
 確かに昨夜は言うほど深酒をしたわけではない。きっと夢見が悪かったせいだろう、両頬を叩いて気合いを入れ直す。
「……これしきでホームシックとか、笑い話にも程があんだろ」
 自嘲するように笑って、身支度を始めた。

 ムジーク王国は小さな国だが、それでも他国から蹂躙されたりしないのはひとえに恵まれた地形と、歴代国王の外交手腕、そして防衛に特化した戦力を有しているからである。
 その要の一つであるムジーク王国騎士団。シャープ=リード=ムジークは現国王の弟という身分で入団しながら、闘技大会で優勝し、騎士団長の地位に昇り詰めた実力の持ち主だった。
 幼少の頃、双子の片割れであるフラットと共に、兄を側で支えると誓った。
『国で一番強い騎士になって、王様になった兄貴を護ってやる』
 その言葉で兄が嬉しそうに笑ってくれたのを、シャープは今でも覚えている。

 ふた月に一度、国境付近に駐屯する人員を交代させるための行軍がある。シャープは交代要員の騎士たちを率いて駐屯地に滞在していた。
 隣国と商売する行商団や両国を行き来する民の送迎もついでに任されて、隊列は自然と長く、遅くなる。移動距離こそ短いものの、交代を終えて帰還するまで約三日。――それが、シャープが唯一、主である国王の側を離れる期間だった。
 この三日間だけ、王都の護りが薄くなることに不安がないと言ったら嘘になる。優秀な近衛騎士隊がいるとはいえ、あと残っている戦力は見習い騎士のみ。凶行から主君を護るには国境と王都は遠すぎる。そんな不安が顕在化してあのような夢を見たのだろう。シャープは焼け落ちる王宮を思い出して身震いし、情けない気分で馬に跨った。
 任を終えた騎士たちと民を引き連れて出発し、やがてムジーク城下町の門をくぐる。
 騎士の家族たち、また行商人が運び入れた他国からの土産や訪れた旅人を迎え入れる群衆で、騎士隊の帰還は毎回ささやかなパレードの様相を呈す。そして中心地に近づくにつれ、騎士以外の者が徐々に列を離れていった。彼らはこれからムジークでの日常に溶け込んでいくのだろう。最後の商人が去っていくのを見送って、シャープは王宮へと馬首を巡らした。
 身軽になった隊列は、王宮の正門を通らずに外壁を回って騎士団訓練所へと向かう。
「おぉ、シャープ。戻ったか」
 その時、正門の影から顔を覗かせた人物に声をかけられた。
「兄貴」
 トーン=スコア=ムジーク。ムジーク王国君主であり、シャープの兄。唯一絶対の護るべき存在。背後の騎士たちが一斉に姿勢を正して敬礼する。
「皆もご苦労だった。この後休暇に出る者はゆっくり羽を伸ばしてくれ」
 はっ、と短く揃った騎士の返答に、トーンは満足そうに頷いた。
 シャープは地面に降りると馬を部下に預け、先に訓練所へと戻るよう伝える。鎧の擦れ合う音を響かせて、隊列は外壁の角へと消えていった。
「どっか行くのか?」
 兄に問う。トーンの服装が公務で着用する正装ではなく、私事で外に出る時の質素なものだったからだ。近衛騎士を二人連れているようだが、国王の外出としては些か心許ない。
 トーンはシャープの顔をじっと見つめ、何か考えるようにした後、頷いた。
「城下の視察にな。シドが『今年はカボチャが豊作だ』と言うから、農家を労ってくる。――あぁ、お前はついてこなくていいぞ。馬車で行くし、危険なこともないさ」
 護衛を買って出ようとしたところに先手を打たれ、シャープは苦笑する。
「カボチャか……甘くなかったらオレも食えるんだけどな」
「甘くないカボチャなんて、辛くない唐辛子みたいなものだぞ?」
 呆れた口調でトーンが言う。確かに、とは思うが、甘いものは舌に合わないのだ。
「あんまり遠くまで行くんじゃねェぞ」
「お前までフラットみたいなことを言うのか。……あ、フラットといえば」
 馬車に乗り込みながら、トーンは振り返った。
「お前が帰ったら伝えたいことがあると言っていたぞ。今は自室にいるようだから、後は他の者に任せて行ってこい」
「ん、了解」
 シャープが了承の意を伝えると、トーンはひとつ頷いて客車の奥に引っ込んだ。近衛騎士も乗り込んで、馬車はゆっくりと走り出す。
 一人残されたシャープは少しだけ心細くなった。それもこれも全てあの夢見のせいだ。自分の優秀な部下がついている、大丈夫だと心に言い聞かせる。馬車が小さくなるまで見送ると、踵を返して王宮の門をくぐった。

「シャープ、おかえりなさい」
 兄に言われた通りまっすぐに自室へ戻ると、フラットが出迎えてくれた。帰ってきたという安堵感からか、ただいまと言う声がかすれる。それを聞いて、フラットが顔色を変えた。
「よくここまで歩いてきましたね。さ、早く」
「は? ……ちょ、何す」
 荷物を奪い、上着を半ば剥ぎ取るようにして奥へとシャープを促す。意味が分からないまま歩き、ベッドの側に来たところで自分でも驚くほど簡単に膝が折れて、ぼすんと腰掛ける格好になった。
「お?」
「お、じゃないです。……嘘でしょ、まさか自覚なかったんですか?」
 フラットの手が額に当てられる。ひやりと冷たくて気持ちがいい。
「やっぱり、熱がありますよ。薬を持ってきますから、とにかく身体を休めてください」
 はっきりと言葉にされて改めて認識する。そういえば、あの悪夢から覚めた後ずっと謎の倦怠感がつきまとっていた。怖気立ったのも、夢への恐怖ではなくて熱が上がる予兆の寒気だったのかもしれない。
 一度そう自覚してしまうと、身体を支えておくのは困難を極めた。崩れるようにベッドへ倒れ込む。身体の内側から燃えているようで、シャープは熱い息を吐き出した。
「もう。『馬鹿は風邪引かない』っていうのは、引いてることに気づかないって意味なんですね」
 水と薬を持って戻ってきたフラットは露骨に呆れた顔をした。
「……うるせェな」
 口答えしても、覇気が乗らずに消沈していく。いつの間にこんなに弱っていたのかと戦慄しつつ、少しだけ身体を起こして薬を一気に飲み下した。
「そういや……フラットがオレに伝えたいことがある、って、兄貴が言ってたんだけど」
「私が?」
 口元を拭いながら尋ねるも、返ってきたのは疑問符。
「違うのか?」
「うーん……ここに来る前に兄さんにお会いしたんですね?」
 頷くと、フラットは少し考えて、苦笑した。
「それなら多分……兄さんの嘘だと思いますよ」
「嘘?」
 えぇ、とシャープの額に濡らした布を乗せながら続ける。
「兄さんが出かける場面に出くわした、明らかに具合の悪そうな貴方に、ついていくって言わせないために。――まっすぐ部屋に帰ってもらうために、同じ自室にいる私をダシに使ったんですよ」
 シャープは愕然とした。トーンはもしかしたら自分の帰還を正門で待っていたのではないだろうか。三日かかるとはいえ行って帰ってくるだけの任務、いつもなら帰還後も訓練指導をするほど力が有り余っている。本当は、ついてきてくれと言いたかったのかもしれない。
 兄が自分を気遣ってくれたことが嬉しくて、恥ずかしくて、悔しくて、――情けない。
「……くそ……」
 どんな顔をしているのか分からなくて、隠すため目元に腕を乗せる。フラットが小さく笑う音が聞こえて、布団をそっとかけてくれた。
「今、食事をもらってきますからね。ちゃんと寝ててくださいよ」
「……あぁ」
 優しい音を残して扉が閉まる。フラットの言いつけを早速無視して起き上がろうとしたが、自らの身体に拒否された。少し動くだけで息が上がる。静寂の中で心臓の音がやけに大きく聞こえる。全身が休めと叫んでいた。
 この胸騒ぎは熱のせいか。あの夢が現実になり得る状況を自ら作り出してしまった不甲斐なさ。むくむくと不安が頭をもたげる。
「……過保護かな、オレ」
 シャープは大きく息を吐いて呟き、ゆっくりと瞼を落とした。


Webanthcircle
サークル名:月兎柑。(URL
執筆者名:卯月慧

一言アピール
月兎柑。は創作ファンタジー系の4人サークルです。世界観共通作品や主従関係アンソロジー等を頒布しております。
卯月個人では、剣と魔法と相棒モノの長編小説や、7人兄弟+αのほのぼのファンタジーを書いています。この投稿作品は、テキレボ5合わせの新刊に収録予定です。

Webanthimp

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください