はすのね

 全て、分かった上で祝言を挙げたつもりだった。
 二鏡村ふたかがみむらという、狭い集落で想い人と添い遂げることは思いの外難しい。
 殊更、村の神社を仕切っている山背家やましろけの人間と祝言を挙げるということは、ただの農家の出では許されないものだとも思っていたのだ。
 随分前の時代のように身分の差があるわけではない。ただ、二鏡村にとっての山背家は重要な立ち位置であって、農業、酪農を営む古めかしい人間の多いこの場所では、星読みの一族とされたかの血筋が強く権力を握っていた。
 だから、山背時子やましろときこにとって幼馴染であり、かねてからの想い人であった山背家の次男、山背聡二郎やましろそうじろうと祝言を挙げるという出来事は人生の中でも一番の幸せと表現しても良いのだ。

 夫と住む、山背家の離れでは茶の芳ばしい香りと時子、そして友人という女同士の言葉遊びが華やかに舞っている。
「時子さんのお陰よ、この村に馴染んで。明日はまもるさんと祝言を上げて。私は本当にこの村の一員になれる」
 白い肌に厚い唇、黒い髪は後ろで結って。穏やかに口にした美しい友人は微笑む。
「こんな村の一員になって美里みさとさんはそれで良いの? 村の外は沢山の面白いことがあると聞いているのに」
「そうね、見る人が見たらそうなのかもしれない。けれど、面白いことなんてどこにでもあるものよ。ここだってそう、悪くないもの」
「外から来た人がそういうこと言うなんて、わたしには考えられない」
 美里は村のことを良く言ってくれる。
 ここで育ち、生きてきた時子にとって嬉しい言葉だが、耳に聞く都会のような華やかさの無いこの場所を相手が本当に良く思っているとは思い難く、茶化したように鼻を鳴らして首を逸らす。
「あら、外からこの村まで来る人ってそんなに多い?」
 次に来た友人の問いかけには「あはは、居なかった! 外の人なんてめったに来ない!」返して、畳の上に並んだ饅頭を二人で口にして笑った。
 立冬(十一月上旬頃)の寒さが木戸をすり抜け障子を通り、骨から冷える。
 囲炉裏は女二人の中央で小さな炎を見せて、互いの絆のように揺れ動いた。
「美里さんが決めたことならわたしは良いと思う。ただ、わたしなんてこの村から出たことなんてないから、やっぱり村の外の人はそっちがいいんじゃないかなってね。自由って良いものだから」
 眼前の美しい友人は村の出身ではなく、都会からやってきた。よそ者だ。
 村の内部は排他的で、特に山背の家を中心とした考え方が主流であり、一族のお墨付きが無ければ村の人間はよそ者に近寄ろうとは考えない。村八分、とまでは行かぬもののこの場所で美里のように祝言まで上げて暮らそうという覚悟のある者は見たことがない。
 美里曰く、山背の家からお墨付きをもらう以前に話すようになった、自分の存在は大きいそうだが彼女の気持ちは時子からして理解に苦しむものがあった。
「都会のこと? ……この村と違って血筋どうのとは言われないし、服だって着物ばかりじゃないけれど、それが自由ということにはならないわ。仕事や私たち女が社会に出る上での自由なら、どうかしらね」
 よそ者の考え方は難しい。時子は美里と友人であったが、こういった話になるとついてはゆけず曖昧な笑みを零して首を振る。
「美里さんが言うような話じゃないよ。わたしの言う自由っていうのは、ええと……」
 友達同士で集まって申上刻(十五時過)から酉上刻(十七時過頃)になっていた。
 夕暮れから藍色の空へ。季節柄、仄暗い視界を囲炉裏の炎が小さく照らし出す。
 頬は桃色、唇の紅は艶があり、おとがいから首筋の線は時子という女から見ても惚れてしまいそうなほど、美里はどんな景色にも良く映える女であった。
 性格は柔らかく、器量も自分よりずっと良い。村から遠巻きに見られていても彼女の魅力は男衆に伝わって、ちょっかいを出したがる者が影に潜んでいることも知っている。
 山背家の現家長、山背栄治やましろえいじもその一人であり、明日行われる山白守やましろまもると美里の祝言には悪態をついてまわるほどの執着ぶりだ。
 山背家を本家とするならば山白家やましろけは『白の家しろのいえ』と言われる分家であり、栄治からすれば彼女の夫になる守という存在は邪魔者以外の何者でもない。
 元々、現家長は少々横暴な性格であり、彼が美里を好いたからお墨付きが得られたのであって、祝言を挙げることにより白の家はどれくらいの間か、分家の分際でとうるさく言われるのだろう。
 嫁ぎ先で立場が悪くなるのを知っていて、尚この村の一員になれたことが嬉しいと言うのか。時子はこれを口にしたかった。
「時子さん」
「なに?」
 「私はこれで良いの」まるで時子の心を読んだような美里の言葉に、喉から出かけた吐息を飲み込んでしまう。
 この友人が村に来て少し、想っていた聡二郎と夫婦になることが叶って、明日は彼女が分家に嫁いでゆく。美里と自分は、これで遠い親戚のようなものになるのだと薄ら思った。
「さ、もうこんな時間。お夕食の支度をしなくちゃ、聡二郎さんお腹を空かせてしまうわね」
「えっ、ええ」
 美里が外へ視線を向けて「お邪魔してごめんなさい」と肩を竦めて子供のように笑う。
「いいけども、美里さんだって明日の祝言……」
「時子さんも来てね、絶対よ。山背の家長さんは来ないでしょうから、せめて時子さんには祝ってもらいたいの」
 恋敵の祝言へ、村一番の権力者が来るとは思えない。友へ濁った返事をして、美里の帰り支度を見送る。
 彼女の臙脂の着物も、紺の風呂敷も、決して良い物ではない。
 美里は彼女自身が輝いており、自分はそういった友人の光に対して、時折、苦い気持ちになってしまうのだ。

 美里と違って時子は女として美しくはなかった。
 顔は丸顔で肌の色は日に焼け、褐色じみている。髪の色こそ同じだが、艶のあまりないくすんだ黒に癖のあるそれは、結うと田舎娘を連想させる。
 村の暮らしというものは、自然と日に焼ける仕事もするし、水仕事も多くあって、手などは冬にひび割れを起こす。
 どう足掻いても勝てぬ相手だからか、友人がどう美しかろうと自分にとってそれは珍しい宝石を身近に感じるようなものだ。
 星読みの一族となる、山背家、家長の栄治はあの友の傍に立つのに丁度良い、凛々しくも雄々しい男だが。分家、山白の守は優美な空気と洗練された優男である。
 どちらを取っても、みてくれは良い夫婦となったろう。何故、分家を選んだのかという話は彼女にするのも野暮ではあるが、村の人間として思うところが多くあった。
 同じ山背家でも、夫である聡二郎は四角い顔にしっかりとした身体の作りをした、お世辞にも容姿端麗とは言い難い人物だ。けれども性格の良い男であって、時子はつまるところ、お似合いだと美里にしても自分にしても感じている。
 村の男が群がりたがった、宝石の一番近くに居るのが自分であるのだと思えば、奇妙な優越感すら沸いた。

 山背家の離れ。御料理間は狭いが、かえって必要な物が近くにあり飯の支度をするのに丁度良い。
 友人が帰ってすぐこしらえた、味噌汁の味にもう夫は慣れてくれただろうか。酉下刻(十八時半過頃)聡二郎の帰らぬ茶の間で一人、食事の用意をして待つ。
 息を吐けば、白い想いが時子の唇から出て、消えてゆく。
 聡二郎との付き合いは長い。村の中で権力のある一族、その次男としての相手は時子からして遠い存在であったが、この狭い二鏡村の住人としては身近で、昔から子供の少ない遊び相手として顔を合わせていた。
 山背家長男の栄治が利発で隙の無い子供だとすれば、聡二郎は穏やかでどこか抜けたところのある大人しい子供であり。活発な時子はそんな彼を引っ張りまわして遊んだものだ。
「帰った」
 硝子障子の音がして、聡二郎の声が低く響いた。
 昔は夫の兄と一緒になって聡二郎を振り回したものだが。今ではそれも一転して、彼の帰りや身の支度に忙しい。茶の間から出て行き、彼の姿を確かめては心の底から微笑んだ。
「おかえりなさい。うん? 外、雪でも降った?」
 長着は濡れていないが、聡二郎のとんびには雫が落ちている。
 夫の肩を見て一言漏らし、両手を出して彼のとんびを受け取った。
「ああ、少し前に軽くな」
「そう。――ねえ、じゃあ美里さんには会った?」
 外気に触れていたとんびは冷たく、聡二郎が纏っていた内側だけほんのり温かい。
 手のひらで確かめるこの温もりとは別に、夫が持っている紺の風呂敷が視界に入り、心の奥底が冷めていく。
「帰りにな。傘が無いからと押し付けられただけだ」
「美里さん、明日祝言なのに……自分で使わずに、あなたに押し付けたの」
「断ったんだがな。時子、明日お前が返してきてくれ」
 「明日の祝言は一緒に行くでしょう」聡二郎の言葉にすぐ声を上げ、自分で返せと言ってみたつもりだったが。ぶっきらぼうにとんびの上へ風呂敷を置いて、夫は再び手に取ることはなかった。
「祝言にはお前一人で行ってくれ」
 背中を向けたまま、廊下の途中で止まった聡二郎の声音が重く耳に入ってくる。
「栄治さんに言われたの? もう、いつものことじゃない。わたしたちだけでも祝ってあげようよ」
 違う。自分はこんな建前を言いたいわけではない。
 風呂敷に手のひらを置くと、夫の温もりがとんびの内側以上に伝わって胸が痛かった。
 立冬の寒い中を聡二郎は傘代わりに渡された風呂敷を使わずに、仕舞って帰って来たのだ。
「……いや、悪いが。お前一人で行ってくれ」
 時子の言葉から沈黙して、絞り出すように言って去る。夫の心は自らの祝言より以前に分かり切ったことである。

 狭い村に美しい女がやってきた。
 彼女に恋をした山背と白の家の家長たち、見目の良い二人に聡二郎が敵う筈もない。だから、時子はこれを見越して祝言を持ち掛けたつもりであったのだ。 
 美里に敵う自分ではない。それでも良いとむしりとった、これが時子の幸福である。


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サークル名:貝文庫(URL
執筆者名:唄

一言アピール
普段は創作BL小説で活動しております。
今回の短編は「ひとまちばな」「ひとこいばな」のスピンオフとなりました。
どこまでが嘘か、読者様に見破って頂けたら幸いです。

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