詐病症候群
「詐病、ですね……」
確かに医者は、そういった。この耳ではっきり聞いた。
そこからはっきりと覚えていない。気がついたら、俺は自分の部屋のベッドに寝転んでいた。机の上には、その病院の名が刻まれたピカピカの診察券と、幾ばくかの小銭。一応金を払ってから帰ったらしい。全く覚えていないけれど。
ここ一ヶ月程度、体調が悪かった。頭は石でもくくりつけられているかのように重く、その思考はさっぱり働かない。手足も思うように動かせず、食事を作る気力も湧かない。だが、ファミレスなどに行けばちゃんと食べられるし、食欲も減っているわけではない。更にいうと、睡眠不足というわけでもない。
という話を会社の同僚にすると、決まって言われるのだ。
「どこが? 仕事から逃げてるだけじゃねーの?」
そう言われるとそうかもしれない、と思う程度には、今の仕事に面白さを感じていないのも事実ではあるが。
「顔色とかいいし。病気って感じでもないしー」
「まあ、そういうこともあるさ。それより頼まれた仕事、どうなってる?」
「嘘ついてまで仕事サボろうとするなよー。どう見ても健康そうじゃねえか」
万事がこの調子であり、俺もそういうものだと思い込もうとしていた。
だが、そうは言っても頭は重いのだ。物理的に。
そんなある日、たまたま帰路ですれ違った友人にこんなことを言われた。
「……お前、顔色悪いな」
「そう、か?」
「うん、なんか体調悪そうというか、その」
友人は病院に行けと俺に言った。そして、ここがいいよと教えてくれた病院に。
行った結果がこのザマだ。
医者にまで嘘扱いされるとは。むかつきと同時に、身体から発せられる苦痛は本当に何でもないもので、普通にあるものなのかもしれないと絶望した。
しかし、たまたま行った医者が悪かったのかもしれないと少しだけ前向きに考えた俺は、ネットで検索し、他の病院にも行ってみることにした。だが、そこでも結果は「特に異常なし」である。意地になってもう二箇所ほど行ってみたのだが、結果はどこも紋切型な「異常なし」。
本当に、なんでもないんだ。
たとえ頭が重かろうと、身体が動かなかろうと。
病気でないのなら、こんな嘘の症状など消えてしまえ。
それからさらに二ヶ月。願いも虚しく、頭は更に重くなり、手足どころか体を動かすのもやっとの状態にまで悪化していった。食事に至ってはファミレスに行く元気もなければ、コンビニ飯ですら「コンビニに行くのが物理的にきつい」という理由で足が遠のき、時々様子を見に来てくれる友人が買ってきてくれるカップラーメンですらお湯を沸かすために起きるのが辛いという有様である。
「病院にいけよ」
「行ったよ」
俺は友人に告げる。
「けど、どこも異常はないってさ」
「……そうは見えないけど、なあ」
「職場だって、どこからどう見ても健康そうだって」
「うーん……」
「ズル休みしたいだけだろって! 俺だって仕事できる、し!」
友人に言っても仕方ないことではあるが、俺はこの理不尽さを彼にぶつけることしか出来ない。なんでこんなに動かないんだ。なんでこんなに重たいんだ。
なんで、誰も信じちゃくれないんだ。
「お前だって! 本当は信じちゃいないんだろ!」
「なにが?」
「俺が、体調おかしいってこと」
「信じてるから、ここにいるだろうが」
友人はでかい図体を窮屈そうにしながら、頭を掻き苦笑する。そして冷えたサイダー缶を一本、俺の頬に押し付けた。ヒヤッとする感触が、ヒートアップした頭をすっと軽くする。が、次の瞬間、いつもの重さが戻ってきて、俺は自分から缶の感触から逃げるように顔を背けた。
なんとかしないといかんねえとぼやきながら、友人はコンビニの弁当ガラの散らかる机の上を片付け始めた。一瞬、机の上の何かを凝視しているようにも見えたが、俺はそこに興味を持たなかった。だって、頭だけでなく、全身が鉛の服で覆われたかのように重くなっていったのだから。
翌日。目が冷めたら何故か友人がいて。
「うら、頑張って着替えろ」
「へ、あ?」
「病院、連れてくから」
仕事は休みなのだと本人は言う。そんなことはあるまい。彼とて普通のサラリーマン、実際のところは有給か何かを使ってくれたのだろう。だが、あまりの身体の不調っぷりに俺も心までおかしくなりそうだったから、それ以上は聞かず、黙って彼の好意に甘えることにする。
家を出たところで目に留まるのは、鮮やかなオレンジ色の大きなバイク。サイドカー付きのそれは友人の愛車。定位置のサイドカーに座ったところで、俺の意識はストンと落ちたらしく。
次の瞬間、目の前に広がる風景はどこかの診察室の中だった。
そして。
「そろそろお話は聞けそうでしょうか?」
目の前に現れた医者は、いつぞやの『詐病』といい切ったアイツだったのだ。
「良いお友達を持ちましたね。彼はあなたのことを心配してますよ」
「……」
なぜか、声が出ない。
「前回、あなたは私の説明を最後まで聞かずに出ていってしまった」
身体も動かない。
「その結果、さらに病状を悪化させることになってしまったようで。医師として力不足を感じます」
「……!」
俺は叫んだつもりだった。だが、目の前の医者は眉一つ動かさない。そして、俺の耳に俺の声は聞こえない。
医者は一つ、息を吐いた。
「よく聞いてくださいね」
静かな声。
「あなたは今、身体がいうことをきかないくらい重かったりだるかったりしていると思います」
俺は頷く。というか、それは前にも言ったはずだ。
「それを、誰かに伝えようとしていたはずです」
うん、だから病院に来たんじゃないか。
「ですが」
ここで医者は一つ、息を吐く。
「それを伝えることが出来なくなっています」
「……?」
「むしろ、伝えたことが嘘とみなされ、詐病とされる状態に陥っています」
「……は、い?」
何故か声が出るようになったのだが、目の前の白衣を着た医者を名乗る胡散臭いおっさんの言っていることが意味不明である。
俺はキョロキョロと周囲を振り返る。後ろには友人がいた。目が合った友人は、何故か大きく頷く。
「少し混乱してると思いますし、何を言ってるか理解できないかと思いますが……」
いや、お前の言ってることのほうが何を言ってるか理解できないぞ。そう思ってもう一度友人の顔を見たが、何故か彼まで深い溜め息をついている始末。
「今のところ、脳内での発言と実際の発声に食い違いがあるのではないかと思われます。どこでそのようなことが起きるのかは精密検査を要しますが」
「……」
「かなりレアケースな症例ではありますが『詐病症候群』と呼ばれております」
「病名? 詐病って……」
「詐病症候群。病気といいますか、何らかの障害が発生しています」
そうか、俺はやっぱり病気だったんだ。そして、俺の病気が病気だと他人に理解されないのが病気なのか……。
ということはちょっと待ってくれ。
「この身体が重いのは?」
肝心なことを聞き忘れた。そもそもの問題は全身の重さやだるさである。
医者は軽く微笑むとあっさりこう言った。
「それは認知や世界と自己意識の歪みによるものです。端的に言うと『ストレス』ですね」
そして、通院しながら精密検査をするか、一旦入院をするかの説明があった。家にいても何も出来ない俺は入院を選択する。会社に対しては病院で連絡の上、診断書を発送してくれるそうだ。よくわからないが、そういうものらしい。
友人が着替えなどを俺の家まで取りに行ってくれるそうで。
「ほんと、ありがとうな、三鷹。お前のおかげでなんとかなりそうだ」
俺の感謝の言葉に、友人はにっと白い歯を見せて笑ったのだった。
= ■ =
「しかし、よくもまあ次から次へと見つけてこれますね、三鷹くん」
深夜の診察室。部屋には、医者と『三鷹』と呼ばれた友人の二人だけ。
「別に僕は何も」
「何も、の割に、ここ半年で何人、いや何匹捕まえてきたんでしたっけ」
呆れたような医者の口調に、ふうというため息が返事をする。
「仕事ですから。これが僕の」
チャリンという音。誰かの財布と、どこかの部屋の鍵。
「彼の痕跡は処分済です。後は、そいつだけ」
「明日には存在データも消えるはずだ。おつかれさま」
医者が机に投げ出された財布と鍵を拾い上げ、銀色の袋にしまう。それを宙に放り投げたかと思った次の瞬間、袋にノイズがかかりそのまま消えた。
「しっかし」
三鷹が口を開く。
「あと、どのくらいいるんでしょうね。『人間であるという嘘のデータを植え付けられたクリーチャー』どもは」
「さあ。私にもわからん」
「いつになったら、安心して同じ人間とお付き合いできるのか、僕は」
三鷹の独り言を聞き流し、医者は短いストローのようなパイプを口に咥える。そしてポツリとこう言った。
「人間の言うところの『医者』でも『科学者』でもないからなあ、私も」
サークル名:R.B.SELECTION(URL)
執筆者名:濱澤更紗一言アピール
公共交通にまつわる路線や車両を人に擬人化し物語を紡ぐサークル…なのですが、テーマアンソロはそれとは全く無縁のものを。こういう作風じゃない物語もたくさんあります。