星の落ちる町

 新しい服は足がすうすうして気に入らなかった。
 青いスカートの短パン、白いシャツの襟も青くて大きくて、背中にたれるほどだ。白く平べったい帽子を頭に載せられて、髪の毛もいつもと違うように変えられて、自分が自分でないみたいで、自分でなくならされているみたいで、身体中がすうすうする。
 こんな格好は嫌だって、すぐに言うつもりだった。だけど、たまきが、はしゃぐふりをしているのかいないのか分からない父親に合わせてはしゃぐふりをしていた環が、しーっ、って、人差し指を立てたから。こっそり見せたそれがいったいなんなのか気になって、嫌だと言うのを止めてしまった。
 このシヌーグという港町はお祭りの最中で、それも今日で終わる。一週間続く『落ち星祭り』の最終日。海に沈む太陽が海と空をあかくあかく染めても、なんでもぎゅうぎゅう詰めの町は小さな灯りを点々と灯して飲み騒いでいる。
 この服は『落ち星祭り』のお決まりの、子ども用衣装なのだそうだ。流風るか――環の父親――は一目見るなりかわいいと騒ぎ、メイズは小さな眼をちょっと大きくしただけだった。メイズは無口だから。流風と同じ反応でも気味が悪いけれど、でももう少しなにかが欲しかったように思う。
 なにをだろう。そんなことを考えていたことに気がついて、桜花おうかは首を振った。いつもと違って、頭の高い所で一本に纏めた髪がぐるんぐるん揺れる感覚がして、思わず髪の先を後ろ手に掴んだ。背中の中程で捕まえられてほっとする。やっぱりこの格好は気に入らない。
 ずれた帽子を直すと、町行く人が皆こちらを見て見下ろして通り過ぎていくのが見えて、俯いた。手を振られてもどういった意味なのかわからない。なんとなく、悪意は感じられない。
 そんな通りの中へ、一歩踏み出した。こぢんまりとした宿の一階、食事処のがやがやに背を向けて、人波に紛れる。ひとりで人混みの中に入るのは久しぶりだ。ほんの少し前まで、こんなことは全然なんとも思わなかったのに。
 いつも抱えている長刀は置いてきた。この格好では目立ちすぎるから。環を、子どもをこの人混みの中から探すには、不便だから。
人混みの中は影になって、点々と灯る街灯もあまり届かない。暗いと前が見えづらくて、人にぶつかる。空はまだあおくて、あかく照らされているのに。
 切り離されていくみたいだ。このまま、暗い人波の中に紛れたまま、この世から切り落とされてしまいそうだ。
 どん、どん、どんどん人にぶつかって、目の前の隙間を押し広げて押しやって進んだ。
 ぱっ、視界が開ける。朱と橙いろに染まる空と海。みかんのような太陽。鼻につくべたべたとした空気がひんやりとして気持ちいい。息が上がっていた。走っていたなんて。
 夕日を臨む海にはいくつかのボートが浮かんでいるが、みな町へ向かっている。『落ち星祭り』の最終日は、星の出ている間船を出してはいけない習わしなのだという。だから、こんなところで足止めを食っているのだ。
 シヌーグに来た理由はひとつ。この海を越えるため。この海の向こうにあるという、別の世界に行くため。船はシヌーグとの間にある往復便のみ、それも年に一度、『落ち星祭り』の明けた朝。
 桜花とメイズはある女性を追っていて、流風と環はその女性から逃げている。
 父娘の追手は絶えることがないけれど、どれも女性へ繋がりはしない。そういう手口なんだ、流風が言っていた。あいつらは尻尾を出さない。
 尻尾が見つけられないまま、追われるままの中で、逃亡生活を終わらせたい流風との約束の期限が来てしまった。餌になってやるから、期限が来たら安全な場所へ行く。
 この海の向こうに別の世界などあるだろうか。シヌーグは地図に載っていない町だ。あるかもしれない。ないかもしれない。安全だろうか。そうではないかもしれない。
 ぐるぐると不安が渦を巻くのは、未練だろうか。それだから環は、かくれんぼなんて言い出して姿を消してしまったのだろうか。
 振り返って見上げる。小さな建物がぎゅうぎゅう詰めになった、坂道ばかりの町。海に向かって滑り落ちてきそうだ。空はまだ朱い。だけど遠くは黒くなり始めていて、町の隙間は真っ黒い。
 ――桜花は、ここ来たことあるの?
 環のひそひそ声が頭に響く。桜花は首を振った。横に、環にしたのと同じように。
 ――へえ、そうなんだ。
 環の、なんでもなく聞こえる答えにぞわぞわした。知っている。環は、知っているんだ。桜花がここで、環を探し追いかけ殺そうとしたことを、殺し損ねたことを。もうずっと何年も前のことなのに。
 だから、大人には知られちゃいけない。環がいなくなったことを。桜花は朱から黒へ染め変わっていく町の中に踏み出して、進む。
 海沿いを歩いた。海の先はまだ明るいが、いつの間にか太陽は姿を消している。ボートもそこかしこに留まっていて、海には誰もいない。海との間に建物が挟まっても、建物と建物の合間切れ間に波打つ黒い面がある。数軒おきにしか下がっていない街灯の明かりがちらちらと反射した。
 思い出す。何年も前のこと。数ヶ月前のこと。
 言われるがままに人間を叩き斬っていたころのこと。環に、流風に会ったときのこと。
 あのときもこんな時間だった。あれはちょうど昼の列車に乗り過ごしたときだった。
 いくら走っても追いつけなくて、角を曲がる後ろ姿は見えるのに、曲がった先にはいなくて。メイズとはぐれてしまって、流風と一緒に駅の中をぐるぐる歩き回って、探して。
 そして結局、見つけられなかった。メイズを見つけられた、環と一緒に。
 どうしてこんなことを思い出すんだろう。環を追って、取り逃がしたときのことならまだしも、流風と環と出会ったときのことまで。
「嘘をついたからでしょ」
 先の角に、白い帽子を頭に載せた少女が立っている。青いスカート、襟の大きな白いシャツ。桜花と同じ、後ろ頭の高い位置でひとつにまとめた髪。あおい髪。環。
 待って。口を開いて足を早めるけれど、環は唇の前で人差し指を立てて、ぱっと身体を翻した。角を曲がっていく後ろ姿。
「待って」
 唇を動かして、声に出してみて、違うと思う。言いたいことはこれじゃない。これじゃない。追いつくことではなくて、嘘のこと。環は、あなたは、知っているの、わかっているの。どうして、この町に来たことなんてないと言ったのか、流風と環と出会ったとき知らん顔をしたのか。その理由が自分でもわからないのに。
 足を、膝を、前へ。前へ。腕を振って、走る。速く。一秒でも速く、一歩でも多く。いつもより足を前に動かせるのが、ふわふわした心地がして怖い。やっぱりこの格好は嫌いだ。
 街灯の灯る角を曲がる。環は見える範囲にいた。ボート二隻分はある幅広の階段の一番下。建物の間に口を開けた海がちいさなうねりを繰り返している。
「前もここだったね」
 階段の下から、環の声が飛んでくる。一段目を降りようとしていた足が止まった。
 ここは、何年も前に環を追ったとき、彼女を見失ってたどり着いた場所だ。あのとき、環は桜花をまいた。
「ここに、おびき寄せた?」
 あのときのことか、今のことか。どちらなのかは言った桜花にもわからない。だってここに、環がどんな意味を持っているのか知らない。
「桜花はどう思うの?」
 階段の下から環がこちらを見上げる。にたり、弧を描く唇。海みたいなくろい眼。
 どうって。どうってそんなこと。
「わからない」
 わからない。だって自分は環ではないから。環の気持ちなんか、考えていることなんか、わかりっこないから。それを言うだけのことで、鼻が詰まって視界がにじんだ。
 そうだよね。環の声が、ぽちゃん、ぼちゃん、波音の合間に聞こえる。息が苦しい。胸がつかえて、せりあがってくるものがある。吐いてしまう。ここで吐いたら嫌われてしまう。
「あそこにね、住んでたんだ。一週間くらいで出て行かなくちゃいけなかったけど」
 見つかっちゃったからね。呟く環のしろくて細長い腕が上がって、左側の建物を指す。街灯がぼんやりと届く黒焦げの建物。火を点けたのは、当時桜花に指示を出していたうちの一人だったはずだ。
「火を点けたのは桜花だった?」
 問いに、首を振って答えた。横に思い切り。髪が背中で揺れて跳ねてむずがゆい。環の顔を見れない。後ろめたい。この手が火を点けたわけではないのに。でも見ていた。だからだろうか。見ていただけだったから。
 環はこうして責めるつもりでかくれんぼなんて言い出したのか。メイズに知られたくないことを、嘘をついたから、わかってしまって。
メイズに知られたくなかったから。きっとそうだ。嘘をついたことに対するこの理由は、ぴったり胸の中で当てはまった。知られたくない。自分と変わらない年の少女を、殺そうとしていたことなんて。そういう人間だなんて。
「桜花が、そんな顔しなくていいんだよ」
 責めるつもりじゃないよ。環が、びっくりして階段を駆け上がってくる。吐きそうなのに。腹からつっかえつっかえせり上がってくるもので肩まで震えてきた。両手で口を抑えて、桜花は一歩二歩退く。
 首を振るけれど、きょとんとして覗き込んできた環はむしろにやりとして、手を伸ばしてきた。手首を掴まれる。
 た、た、た、階段を駆け下りる環に引かれて、転びそうになりながらされるまま走る。下りて二、三歩、大股に駆けて、踏ん張り、跳ぶ。そこまでは追い切れず、環が跳んだときに桜花はつまづいた。掴まれていないほうの腕を伸ばすが、先は海だ。
「ひっく」
 喉がひきつれて間の抜けた声が出た。意に反して。頭から、くろい海に落ちる。
「秘密にしよう。ふたりだけの秘密」
 頭を出すと、環の声が降ってきた。煌めく星と空を後ろにして、環の人差し指が桜花の震える唇に触れる。


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サークル名:夢想甲殻類(URL
執筆者名:木村凌和

一言アピール
ファンタジーじみた世界での群像劇ばかり書いています。テキレボ5では、この四人のまとめ本を新刊として出す予定です。

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