Joke

 大衆向けの喫茶店というのは、案外内緒話に向いている。大声で騒ぐと周囲に丸聞こえだが、静かに話せば雑音がかき消してくれる。できれば、複数人で話が盛り上がっているテーブルの傍を選び、1人客の近くは避ける。
そうして選んだ席で、シンシアは1人、アイスコーヒーを飲んでいた。まだ20歳くらいだろう顔立ちだが、瞳には油断のない鋭い光が宿っている。もう、待ち合わせから15分が過ぎていた。
「シーンシーアちゃんっ」
 おどけた呼び方をして、茶髪の男が視界に入ってきた。許可もとらず向かいの席に座り、すぐさまテーブルに頬杖をつく。シンシアを眺めるためだ。目が細いせいで、彼自身の瞳はほとんど見えない。
「あぁ、今日も可愛いね。大好きだよ。」
「冗談はやめて。」
 ピシャリと言葉で打ち据え、シンシアは膝に置いていた資料を差し出した。遅刻を咎めるのは、この男と組んで半年で諦めた。10歳以上は年上のはずだが、どうにもルーズで困る。
「今回の資料。読んで」
「好きだよ、シンシアちゃん」
「冗談言う暇があるなら、仕事。」
 銀の瞳でぎろりと睨みつけると、男は降参とばかり軽く手を挙げ、書類を受け取った。が、それはすぐテーブルに置き、シンシアのセミロングの銀髪をしげしげと眺めている。
「最近切らないよね。もしかして、僕が長い方が好きって言ったから、伸ばしてくれてるとか。」
「切りに行く時間がないだけ。…エイベル。」
 低い声で呼ばれたのは、間違いなく「いい加減にしろ」という意味だ。エイベルはあからさまに笑いを堪えてから、資料を手に取った。
 40ページにも渡る指令は、要約するとこうだ。
 人身売買のブローカー【サイラス】が持つ取引先リストを入手せよ。政財界との繋がりが深く、正式な逮捕・告訴が不可能である。リストさえ入手できれば、対象の生死は問わない。
「あぁ、この人ね。取引した事もあるし、会うのは難しくないよ。」
「そう。最低。」
 買った事はないよ?と、エイベルは笑っている。それが冗談でないとシンシアは知っていた。初めて会った時から、この男は犯罪者だった。

「はい、これプレゼント。」
打ち合わせを終えた頃、エイベルが差し出したのは花束――かと思えば、花がついた木の枝だった。
「そう。」
 興味なさげに言うと、シンシアはレジに向かった。手にした花を眺めようという気が感じられない。あれは帰ったらゴミ箱行きかな、と思いながら、エイベルは後を追った。

 エイベルは殺人犯だ。警察組織と繋がりができたが、そろそろ切って他国へ行こうと思っている。監視役の女を殺したいが、なかなかの手練れで一筋縄ではいかない。お前を捕える作戦のフリをして連れて行くから、手助けしてほしい――…それが今回の作戦だった。
「あなた、本当に殺しそう。」
「愛しいシンシアちゃんにそんな事しないよ!こんなに好きなのにさぁ。」
「冗談はいいから。」
 窓辺で月を仰ぎ見るエイベルに向け、シンシアはロープを放り投げた。それを後ろ手でキャッチし、エイベルは楽しそうに振り返る。これからシンシアを縛るのだ。傍目からはわからないが、自力で縄抜けできるような結び方で。
「心配しなくていいよ。君の上司が僕に何をしたか、知ってるでしょ?どの道僕は、裏切るに裏切れない。死にたくはないからね。」
「あなたは殺人犯だけど、自殺志願者ではない。」
「そういう事。何より大好きな君を傷つけるような真似、僕がするわけ」
「早くして。」
 エイベルの心臓には、爆弾が仕込まれている。犯罪者を仲間にするリスクに対し、警察は盗聴と遠隔爆破という手を取った。シンシアが危険信号を送るか、あるいは会話から裏切りが発覚した瞬間、エイベルは殺される。
『ハイリスクだけど、君を監視役でつけてくれるって言うからさ。まぁ乗ってもいいかなって。裏切らない限り、僕は君を独占できる。代わりに君は、僕から逃げられない。素敵だね、シンシアちゃん。』
 昔聞いた言葉が脳裏に蘇る。エイベルは冗談ばかり言うが、シンシアに対して一種の執着があるのは確かだった。現に以前、シンシアが敵の銃弾を受けた時、彼は激昂した。相手が死んでからも手を緩めなかった。あれは、本物の憎しみを持って行われた殺戮だった。なぜなのか、シンシアにはわからない。エイベルは毎日何十回でも、愛を囁いてくる冗談を言う

 サイラスは10代前半で煙草を吸い始め、40過ぎた今でも毎日2箱空にする。商品に香りがつくのを嫌がる客も多いので、仕事に障りないよう、香りの少ない物をプカプカふかす。自分の事務所なら吸い放題だ。天井は茶色くなっていて、取引先の女によく小言を言われる。
「あと2本吸ったら行くか…」
 一緒に仕事をするのは何年か振りだが、あの男の悪癖は知っている。せっかくだから今日の獲物は殺さずに出荷したかったが、絶対に譲らないだろう。警察を恨む者、権力が嫌いな者、女が好きな者…顧客のニーズは計り知れない。オークションでさぞ高値がついただろうに。勿体ないが、仕方ない。あの男にそういう理由で殺されるのは御免だ。
「チビっこかったガキが、立派になったもんだ…。」

 幼少の頃から、シンシアはあらゆる武術を学んでいた。戦闘に使える知識も学んだ。武器の使い方も薬品の調合も知っていた。全て、犯罪者を捕えるためだ。それでも、この状況は予想していなかった。
「…どうして…」
「どうしてって、そういう作戦だったでしょ?」
 エイベルは笑っている。シンシアの足下には、縄抜けしたロープが落ちている。両腕は動かなかった。縄抜けしたのに、シンシアは縛られたままだった。二重に縛られていた、あんなに近くで見ていたのに気付かなかった。
「あなた、死にたいの…?」
「僕は君と何年一緒にいた?僕はどれだけ自由だった?厄介な爆弾があるって知ってるのに、僕が何もしないと思った?」
「じゃあ、まさか…」
 エイベルは優しい微笑みを浮かべ、ゆっくり頷いた。彼は自由だった。ただ自分の意思で、
「――君を殺すこの時が楽しみで、今まで一緒にいたのさ。」
 花束をくれる時と同じ動きで、エイベルは拳銃を突きつけた。
「大丈夫、売らないよ。君は僕の物だからね。そんな事はさせない。」
 ――私は一体、何を信じていたのだろう。
 安全だと言った上司の言葉か。下手な真似はできないという、自分の安易な推測か。エイベルの性格か。あるいは、この数年共に過ごしたから、きっとエイベルは私を、なんて、
「じゃあね、シンシアちゃん。愛してるよ」
カチリ。実に優雅に、慣れた手つきでエイベルは撃鉄を起こした。銃口を見つめるシンシアには、弾が放つ鈍い光が見える気がした。自分は結局、この男の手のひらの上だったのだろうか。信じていないつもりで、心から信じてしまっていたのだろうか。光が歪む。
「…嘘つき」
揺らぐ視界に耐えきれず瞬くと、目に宿った熱が頬を伝った。唇が微かに震えている。もう何を言う必要もないのに。何も言えなくなるのに。
ほんの数秒、エイベルが驚いた顔をしているのが見えた。常に細目で笑う彼の瞳を、歓喜以外で見るのは珍しい。意外に思う暇もなく、エイベルは元の笑顔を取り戻して、聞き分けのない子を宥めるように僅か、首を傾げた。
破裂音が響き、人の身体が落ちる音がする。赤い液体が床に広がった。
「しかし、警察もよくお前を信じたな。爆弾だっけ?」
「そうそう。大変だったんだよ、闇医者に筆談で相談してさ。」
 エイベルは拳銃をジャケットにしまうと、シンシアの傷口をガーゼと包帯で縛った。下手に血痕をまき散らすと掃除が面倒だ。
「一応ヒントはあげたんだよ?サーシス チネンシスハナズオウの枝を贈ったり。」
「【ユダの木裏切り】か。」
「この子、僕のプレゼントの意味、ぜーんぜん調べないから。」
 拗ねた子供のように肩をすくめ、エイベルはシンシアの身体を持ち上げた。丁寧に、姫を運ぶ騎士のように。
「事務所のソファ貸してよ。僕花買いに行かないと。」
「は?おいおい、人の事務所を死体置き場にするんじゃ…」
 言葉が途切れた。エイベルに抱きかかえられたシンシアが、その腕をまっすぐに伸ばして銃を構えていた。銃弾は既に、発射された後。
「まじ、かよ…」
 麻酔弾を受け、サイラスが倒れた。もう少しだけとねだるエイベルを押しのけ、シンシアは早々に自分の足で立つ。サイラスから事務所の鍵と武器を奪う。念のため、動けないようにロープで縛った。
「この男…随分、あなたを信頼してた。」
「んー、僕が小さい頃からの知り合いだしね。たぶんまだ、僕を面倒見る側のつもりでいてくれてるんでしょ。裏切っちゃったけど。」
「…そう。」
 裏切らせたのは、こちらだ。何を言う権利もないと考え、シンシアは立ち上がった。振り返ると、エイベルがこちらを見つめている。
「さすがに驚いたよ。あそこで君の涙を見れるなんてね。」
「あれは勝手に出てきただけ。別にわざと流したわけではないよ。」
「…冗談でしょ?」
 エイベルが目を見開いた。1日に何度も彼の瞳を見るのは珍しい。一体何をそんなに驚いているのだろうか。
「あなたじゃあるまいし、冗談なんて何の得にもならない。」
「えー…?」
「そろそろ行こう。仲間が着く頃だから。」
 シンシアは一足先に部屋を出た。指令を終えた安堵か、駆け引きの緊張が残っているのか、心臓の鼓動がいつもより早い気がした。
「…ほんと、シンシアちゃんは可愛いなぁ。まったく…」
 エイベルは大げさに溜息をつく。俯いた顔が、腹からこみ上げた笑いでくくっと揺れる。
「殺すのやめにしちゃいそう。」

――昔、この国で連続殺人事件が起きた。
被害者は全員女性で、銀色の髪と瞳を持っていた。遺体は季節折々の花で飾られ、現場はまるで女神の葬儀場のようであったという。
「――…なーんて、ね。」
警察が捕らえた男の名はAlister=Brett=Elias=Laughtonアリスター・ブレット・イライアス・ロートンといい、その罪の重さや遺族らの嘆願書によって、彼は死刑に処された。

――記録上は。


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サークル名:藤墨倶楽部(URL
執筆者名:鉤咲蓮

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