造られた通交

 彼は、井戸茶碗に湯を注ぎ馴れた手つきで茶を点てた。
「どうぞ」
 茶を勧める動作も完璧である。だが、その服装は日本のものではない。漢陽某所で主一人、客一人の茶席が行なわれている。

「倭国では、密談をする際はこのようにするのか?」
 高貴な客が冗談めかして訊ねると
「さあ、どうでしょう。ただ、かの地の人間は他人に聞かれたくない話はこうした場でするようです」
と亭主は答えた。
「さてと、本題に入ろうか」
 賓客が促すと亭主は話を始めた。
「柳川調興が配流になりました」
「柳川というと我が通信使の出迎えを担当している…」
「左様でございます」
「いったい何故?」
「実は…」
 亭主の話は次の通りである。

 柳川調興は対馬藩の家老であった。周知の通り、対馬は日本と朝鮮の中間地点にある島で耕作地が少なく、食糧は朝鮮に依存していた。そのため、日本と朝鮮の関係は、即、藩の状況に影響を及ぼした。
 先の壬辰・丁酉の倭乱(文禄・慶長の役)は、対馬藩にとって最悪の出来事であった。戦乱が終了すると、対馬藩の宗氏は、すぐに時の政権担当者である徳川幕府に、朝鮮との関係修復の仲介を願い出た。
 宗氏及び家臣の柳川氏他の努力によって、朝鮮側の講和を何とか引き出せたものの、その条件が難題だった。
 一つは、王陵を荒らした犯人の引渡し~これはどうにか出来そうである。もう一つは、日本国王から朝鮮国王に宛てた国書の送付である。先に国書を送ることは相手に恭順を示すことになる、時の実力者・徳川家康がこの条件を受け入れるとは到底思えなかった。また朝鮮と対等な関係を意味する“日本国王”という称号も認めないであろう。
 対馬藩としては、一刻も早く講和を結んで朝鮮との往来を再開したい。そこで思いついたのが国書の偽造であった。

「我が国に送られたのは…」
「はい、対馬藩主宗氏と家臣柳川氏が勝手に作ったものであります」
 淡々と話を聞いていた貴人の表情が変わった。
「国書には確かに“日本国王”の印があったはず…」
「戦乱のどさくさに紛れて宗氏の手にその印鑑が渡ったそうです……」
 暫くの間、沈黙が流れた。貴人は目の前に置かれた茶碗を取り口をつけた。茶碗を元に戻しながら訊ねた。
「して、今になって何故、この件が発覚したのだ?」
「柳川調興が公表したのです」
「!」
 貴人の顔に驚愕の表情が浮かんだ。
「自身の首を絞めるような行為ではないか!」
「いえ、柳川はこれによって、より大きな利を得ようとしたようです」

 柳川調興は自他が認めるように頭の切れる男だった。反面、彼の仕える宗義智は凡庸な藩主だった。調興は、このような主人の下にいることを潔しと思わなかった。より高きところ、すなわち国の政に参与することを望むようになったのである。彼は旗本になることを決意した。
 彼は、対馬藩のこれまでの“大罪”を告発することで、自分を高く売り込もうと考えた。

「国政に参与したいのなら科挙を受ければよいではないか?」
 貴人は訝しげに尋ねた。
「倭国には科挙はございません」
 こう答える亭主も、配下の朝鮮人、倭人から、この辺の事情を報告されても今一つ理解出来なかった。要するに朝鮮と日本の政事の仕組が異なっているということなのだろう。

 結局、柳川調興の望みは叶わず、却ってその罪を背負うことになってしまった。一方、片棒を担いでいた対馬藩主宗氏はお咎めなしで引き続き対朝鮮外交を任されることとなった。ただ、これまでの方式は改められた。

「以上が柳川調興配流の顛末でございます」
 亭主の話が終ったが、貴人は何も言わなかった。目を閉じ、思案を巡らしているようである。
「我々は謀れたことになるな」
 貴人は落ち着いた声で言った。
「はい……」
「国の体面を汚されたのだから、本来ならば兵を率いて倭国を討つべきなのであろう」
 亭主は答えなかった。
「だが、今の我が国にそのような余裕はあるか?」
 現在、朝鮮国は力を持ち始めた北方の女真(後金のちの清)の動向に神経を尖らせていた。女真は朝鮮をその勢力下に入れようとしているのである。
「今のところ、倭国は我が国に兵を向けるということは無いであろう」
 貴人の言葉に亭主は頷いた。
「倭については当分このままにしておこう」
 結論を下した貴人は言葉を続けた。
「この件は口外せぬように。父いや主上には余計な気掛かりをなさらぬようにせねばならぬのでな」
 貴人の父である仁祖王は心の弱い方である。北方の件で頭を悩ませているというのに、今回の南の件まで伝えたら、それこそ玉体を損なってしまう。
「それに、大臣たちがなんというか……」
 口だけ達者な朝廷の重鎮たちがこの事を知ったら出来もせぬくせに「無礼な倭を討て」などと言い出しかねない。その光景が貴人の目の前に浮かんでくる。その結果は王の頭痛の種を増やすことになるだろう。
「そろそろ、戻らねば」
 こう言いながら貴人は立ち上がった。
「引き続き倭国の動向を探り、報告してくれ」
「かしこまりました、世子さま」
 亭主は丁寧に平伏した。
 後日、昭顕世子と呼ばれるようになる貴人は、その後、後金に連行され、人質生活を送るようになる。母国に帰った後も王位に就くことなく、悲劇的な最後を迎えるのである。

       *  *  *
 二〇〇五年某月某日 平壌
「五人の日本人及びその家族を返してやった。犯人も処罰してやったというのに何故、倭の奴らは金を寄越さぬのか!」
 親愛なる指導者同志は、居並ぶ人々を怒鳴りつけた。いずれも彼の父親の代から仕えて来た古参の幹部たちである。
「“拉致事件”を解決したら国交を樹立し、南朝鮮と同じように経済支援をするといった。だから、奴らの望み通りにしてやったのではないか」
 幹部連中は相変わらず無言のままである。父親と共に“抗日革命”をしてきた彼らは革命戦士ではあったが、政治家、官僚ではない。今回の日朝交渉にしても実務は担当官吏たちに丸投げの状態である。彼らが具体的に何を行なったか、革命戦士たちは知らない、というより説明されたところで理解出来ないだろう。
 “拉致問題”が取りざたされてから随分経つが、事態は遅々として進まない。その原因の一つに日朝間に“対馬藩”のようなものが存在しているのではないかと時々思うのである。


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サークル名:鶏林書笈(URL
執筆者名:高麗楼

一言アピール
韓国(朝鮮)の歴史&古典文学を扱っています。最近は昔の朝鮮を舞台とした物語も書いています。
今回のお話も昔の韓国(朝鮮)にまつわるもので日本も絡んでいます。ここに登場する昭顕世子と仁祖王は韓流史劇「三銃士」のイメージを拝借しました。

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