魔法少女の掟

「自分が世界に残された最後の人間になったらどうする?」
 小学生の頃、友達とそんな話をしたことがあったと、最近よく思い出す。あの時なんと答えたか、たった数年前のことなのに思い出せない。
 こんなことを思い出しているのも、たぶん今の自分がそんな状況に陥っているからだろう。
 歩道脇に設置されているガードレールに腰掛けながら通りゆく人波を眺め、少女はぼんやりと考えていた。
 秋も深まり肌寒くなってきた。
 ベビーカーの中ですやすやと眠っている赤ちゃんにブランケットをかける女性は優しく微笑んでいる。
 ランドセルを背負った少年たちは半袖姿なのに、寒さを物ともしないのか、子犬のようにじゃれあいながら走っている。
 スーツをビシッと着こなしている中年の男性は、姿の見えぬ電話相手にペコペコとお辞儀をしている。
 ここにいる人達は皆、他人を通じて世界と繋がっているんだな。そう考えるだけで、胸がぎゅっと痛んだ。
 その痛みに耐えられなくて、反射的に立ち上がると辺りに響きわたるように大声で叫んだ。
「皆さん聞いてください! 私が、今話題の、魔法少女なんですよー!」
 途端、周囲の視線が一斉に集まってきた。なんだコイツはという疑いの目。変人が現れたぞとあざける目。好意的な目など一つもなかったけれど、少女自身を見てくれることが嬉しかった。
 その喜びが、胸の痛みを鈍らせてくれる。一時的なことだと分かっていても、何度も繰り返してしまう。
 我ながら、愚かなことをしている。
 頭では分かっていても、心がついて行かないのだから仕方がない。
 誰かに咎められることもないのに、つい言い訳をしてしまう。
 そんな言い分を一蹴するかのように、低音重厚な咆哮が地を震わせた。
 その刹那、携帯電話が着信を告げる。
「わかっているだろう、現れたぞ」
 電話相手は冷たい声で一言だけ伝えると、少女の反応も待たずに電話を切ってしまった。
 えぇ、分かっていますよ? 私の存在意義はこれだけなのだから。
 ぎゅっと固く唇を結んで、高層ビルよりもずっとずっと大きい怪物に焦点を合わせた。そして口の中でもごもごと呟くと、まばゆい光に包まれ出した。
 周囲の人々はあまりの眩しさに目を開けてはいられなかった。けれど目を閉じていても分かる程の強烈な光を感じなくなった頃、そこにはシフォン生地を幾重にも重ねたふわふわしたミニスカートと、それと反比例するかのように体のラインにぴったりと沿わせた厚く固い生地で上半身を包んだ少女がいた。
 ショートブーツの後ろにはリボンが飾りたてられ、右手には同じ印象のリボンをモチーフにしたステッキを持っており、マンガやアニメで見たことあるような魔法少女を体現していた。
 少女は周囲に向かって何か言いたげな目をしていたが、何も言わぬまま、力強く地面を蹴って空高くへと飛び出していった。
「本当に魔法少女だったんだな……」
 すでに小さくなっている後ろ姿を見つめながら、観衆の一人がぽつりと呟いた。
 その男の隣にいた男も、興奮を隠せない様子で何度も頷いた。けれどもすぐに曇った顔をして首を傾げた。
「でも、どんな子だっけ?」

 校門近くの花壇に腰掛けながら、少女は連れだって楽しそうに学校を後にする人々を見送っていた。
 怪物を倒すこと以外は自由に過ごして良いことになっている。だから毎日時間が合えば、制服に身を包み、魔法少女になるまで通っていた学校へと足を運んだ。
 ついこの間までは自分もあそこの人達の一員だったのに。退屈だけど時々楽しい、そんな毎日が続いていくのだと信じていた。
 あの日を迎えるまでは。
「怪物を倒すには特別な力が必要だ。その力を持っているのが、君だ」
 日曜日の午後、空は雲一つなく晴れ、時折心地よい風が吹いていた。それなのに目の前には突然怪物が現れ辺りはパニックを起こしているし、シルバーグレイの髪を肩まで伸ばした見知らぬ大男は訳の分からないことを語り出すし。
「簡単な話だ。君の選択肢は二つ。このまま何もせずに皆と一緒に死ぬか、魔法少女になって皆を救うか。さぁ、好きな方を選べ」
 魔法少女って何? そんなものが実在するはずない。そもそも、私にあの怪物を倒す力なんかない。立ち向かいたくもない。怖いよ。
 ――でも、死にたくもない。
 大男はニヤリと口元を歪ませると、決めたか、とだけ呟いた。
 まるで心の中を見透かされたみたいで、弾かれたように顔を上げた時にはもう、まばゆい光に体が包まれていた。
 あの日、あの時、魔法少女は誕生した。
 確かに大男が言った通り怪物は簡単に倒せた。けれど問題が発生した。皆が少女のことを忘れてしまった。家族も、友達も、たった今すれ違った人までも、皆が少女を忘れてしまった。少女の存在を認識しても、ふと他事に意識がいった瞬間、忘れてしまう。人だけではない。記録からも忘れ去られた。どれだけ過去を調べても、どんなことをしたとしても、紙面上にも電子機器上にも記録は残っていなかった。
「それが魔法少女になる代償だ」
 なぜか大男だけは少女のことを忘れなかった。けれど少女に対する態度はとても冷たかった。
 どうしてこんなことになったのかという問いかけにすら答えてくれず、唯一教えてくれたのが代償として忘れられてしまうということだけだった。
 自分の居場所だと思っていたのに、学校にも、家族が住む家にも、もうどこにも居場所なんてなくなってしまった。
 いままで過ごしてきた毎日は嘘まぼろしだったのかと考えると足下が崩れていくようで、それは怪物に立ち向かっていくよりも恐ろしかった。受け入れ難い現実に刃向かい、誰か一人だけでも自分を覚えていてくれないかと少女は街中をさまよった。
 ささやかな過去が愛しくて、何度も学校へ向かった。
 まるでストーカーね。
 少女は自嘲気味につぶやいた。何度繰り返したところで誰も少女のことを認識しないのだから、ストーカーとしても認識はされないのだが。
 ふと視線を感じ、顔を上げた。
 視線の先には同じクラスだった男の子が立っていた。
 自分という存在に気がついてくれたことが嬉しくて声をかけようとしたが、先に男の子が声を上げた。
「どこかで会ったことありませんか?」
 予想外の言葉に、少女が言葉を紡ぐよりも早く、大きな眼からぽろぽろと涙がこぼれた。
「ナンパかよ」
「何泣かせてんだよ」
 周りの揶揄に少年は慌てた様子で言い繕っていたが、そんなこと、少女にはどうでもよかった。
 どんな理由があったにせよ、自分を知っているという気持ちになってくれたことが嬉しかった。まるでここにいることを許されたような、救われた気持ちになった。
 大丈夫、きっと自分の選択は間違っていなかった。これからも守ってみせるから、だから、どうか、少しでいいから自分のことを覚えていてください。
 少女は頬を伝う涙を拭わぬまま、にっこりと笑った。

「まだこんなことをしているのか」
 少女の周りを飛び交うカメラから送られてくる映像を見ながら、大男はため息をついた。
 二階分ほど吹き抜けになっている空間の天井まで設置された大型モニターには、様々な角度から撮影された少女の画像が映し出されている。
 カメラも、この空間も、大男が持つ高度な技術によって作られたものだから、地球人に気づかれることはない。ここは大男だけのもの。その中で心ゆくまで少女のことを眺めれば、心は幸福感で満たされていく。
 魔法少女になることの代償が記憶にも記録にも残らないこと。それは嘘だ。
 もともとこの地球に来たのは、新しく作った生物を試す相手として、多少の知性を持った地球が適していたからだ。
 地球人という下等なものに興味はない。ただの実験装置だ。
 そう思っていたが、地球を下見に来た日、少女を見つけた。特別顔が整っているわけでもなく、魅力的な体つきというわけでもない。けれどどうしようもなく、少女のことが欲しいと思った。
 どんな手段を使ってでも。
 自分を認識する者が一人しかいないと分かれば、必ずその者のことを必要とするだろう。欲さずにはいられないだろう。
 だから記憶も記録も残らないようにした。
 自分の知らない少女を他の誰かが知っているということも許し難いことだったから、都合がよかった。
 そのために、行為の正当性を持たせるために、少女を魔法少女へと仕立て上げた。
 新生物を制作するにはお金も時間もかかった。魔法少女によって倒されてしまうからデータ収集も出来ない。それでもかまわない。少女が手に入るのならば。
 もしこの事実を少女が知ったら、どんな顔をするだろうか。泣き叫び、絶望の色を浮かばせながら、ありとあらゆる罵詈雑言を浴びせてくるかもしれない。
 そんな姿を想像し、大男は身を震わせた。
 ぜひ見てみたい。
 興奮して、舌なめずりをした。
 後からその部分だけ記憶を消してしまえば問題ないだろう。さっそく今度試してみよう。
 もう一度モニターに目を移せば、まだ少女は泣きながら笑っていた。
 さっさと少女の記憶を改変し自分のものにしてしまうことは容易だが、案外自分のものになるまでを待つのも心躍ることだと知った。
 だから今は待ってやる。
 けれど、さっさと落ちてこい。あまり気の長い男ではないのでな。
 男の高笑いが部屋中にこだました。


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サークル名:ふりるふる(URL
執筆者名:橙河さゆ

一言アピール
一途な恋から狂気を孕んだ愛まで、各種様々なオリジナル恋愛小説を書いています。架空世界を舞台にした、おてんば姫様ほのぼの冒険活劇『世界はすべて君のもの』を中心に、十代の少女を主軸とした短編や中編などを執筆中です。

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