三.二秒のブランク

三.二秒のブランク

 移民五周年を祝ってはどうか。
 声はどこからともなく上がってきた。つまり、相当数の意見ということだ。
「まだ『移民』なんて状態には程遠いのにね」
『向こうは喜ぶんじゃないか。こっちでも何かしようって声はある』
 通信タイムラグは平均三.二秒。もどかしくてたまらなかったこの空白が身体になじんで、どのくらい経つだろう。
 職場用のアカウントに新着メッセージ、のポップアップが閃く。右中指で机を叩いて表示された内容があまりにもタイムリーだったので、思わず噴き出した。
 「移民五周年を祝う品を火星に届けませんか」と題された社内同報メッセージは、じきカレルにも届くだろう。
 ふむ、と親指をスライドさせてストリームの新規ウインドウを開く。リアルタイム検索語句は「火星 移民 五周年」。どこかの誰かの発言が滝のようにディスプレイを流れ落ちてゆく。とても追いきれない量だった。視界の端に止まった文言は、祝う、祭り、記念といった前向きなものばかり。
 人類が火星に入植を決め、自律式の作業機械を投入して三年、FASA連邦航空宇宙局のスペシャリスト三〇名と、公募で選ばれた十五名が第一次移民として火星に降りて五年。
 近年稀にみるお祭り騒ぎになりそうだった。

 移民五周年の記念品を火星に送るプロジェクトが、地球と月とで本格的に動き始めた。
 FASAとMSA月領宇宙局が公開したプロジェクト特設サイトには、協賛として世界中の新聞社を筆頭に、工学、食品、衣料に医療、人類の宇宙進出を助けた企業の名がずらりと並ぶ。
 コンテンツも豊富に用意され、火星の基礎知識、火星探査機の紹介と進歩、火星開拓の歴史など学術的なものから、昔の娯楽映画まで幅広く参照することができた。
 結果、火星と名がつけばPVが跳ね上がる、一大ブームが巻き起こった。予想だにしなかった経済効果に、関連企業や当局の広報は狂喜し、その熱量は現場の作業員へプレッシャーという形で降り注ぐこととなった。
 地球・火星間の打ち上げウインドウは七八〇日ごと、約一ヶ月間。五周年記念の話が持ち上がったのはこのウインドウが間もなく、三ヶ月後に迫っているからだった。
 最新型のスクラムジェットエンジン「星火」は大気圏外への輸送コストを大幅に下げたが、宇宙間の輸送となれば金銭面以外にも厳しい条件が重なる。そもそも五周年のうちには火星に着かないのだが、祭りだ記念だと浮かれる中で黙殺された。
 定期補給船に加えて記念品専用の輸送機を打ち上げるなんて話がよくもまあ動いたな。
 こんな時期に話が持ち上がるなんて、プレゼンで負けたプランナーの怨念に違いない。
 そういえば、本社の第三備品倉庫の照明が交換してもすぐに点滅するんだ。それも、モールス信号のパターンでSOS――
 なにそれ、怖っ。
 無責任な噂がストリームを駆けめぐる中、担当者は所属と空間とを越え手に手を取って、死に物狂いで調整と修正と共闘を進めることとなった。
 打ち上げ場所の選定、物品の調達、ロケットと輸送機の移送と調整、通信に用いるアンテナの使用申請とシフト作成、広報、エトセトラエトセトラ。
 セツとカレルにとっても、プロジェクトは他人事ではなかった。
「大変光栄なことに、メンバーに選抜されて……感謝感激雨霰、ってわかる?」
『ありがた迷惑、のキョート方言だろ』
「そこまで言ってないし、キョート方言て」
 カレルとは職場のディスプレイ越しに改めて挨拶を交わした。プライベートでは肌になじんだ通信ブランクが、どうにもこそばゆい。一緒に仕事をするのは初めてではないのに、業務での通信と、ふたりきりのやりとりでは全然違う。
 管制部所属のセツは、既定のフライトの隙間にアニバーサリー号(いつしかそう呼ばれていた)の打ち上げをねじ込み、打ち上げ管制から軌道投入、月スイングバイを経て火星まで無事送り届ける計画の作成を行わねばならない。
 カリブ海に浮かぶヴィロ・アクーニャ宇宙港の使用が早々に、決定したおかげで、周辺地域・海域への通達、ロケット本体と燃料、輸送機の移送スケジュール調整はスムーズに進んだ。誰もが火星祭りに浮かれていて、熱気を妨げようものならそのことでバッシングを受けかねない雰囲気だったのだ。
 地球・火星間の輸送は有人探査の時代から二年ごとに行われ、ノウハウが蓄積されているが、「星火」を搭載したロケットS3の打ち上げ実績がまだ三度しかないのが不安要素だった。管制部のマスターAIが弾き出した軌道計算の結果を技術部と共有してテストプログラムを組み、燃焼や噴射、アニバーサリー号分離後の加減速や姿勢制御など、シミュレーションを繰り返す。どこにもない完璧を追い求める日々が続いた。
 別部署の担当であるがゆえにセツは後になって知ったのだが、意外に紛糾したのが「何を送るか」であった。
 精密機械類は月都市の工場がある、地球から送るのであれば地球ならではのものを、との声があちこちで上がった。どうせなら役立つもの、喜ばれるものがいい、とまでは誰もが考える。それらは易損品であるとか輸送コストが計算に入っていないとか、様々に問題を含んだものであり、かといって無理だと一刀両断できるものでもなかった。プロジェクトへの寄付金が相当額となっていたためである。そして恐らく、最も望まれているものは、おおよそ宇宙間の輸送に向かない――水である。 
 現場が目を回しているのは月も同じだった。月都市は地球に劣るリソース面を機械化、自動化で補っていたが、何を送るか決定しなければ工場を動かすこともできない。
 資材部がコンテナの中身を巡って東奔西走しているのに比べれば、管制部はまだ平穏だった。けれども、通常の打ち上げとは比べるべくもない速度でプロジェクトが進んでいるのに、変わりなく機械的に消化されているタスクリストを眺めていると、ベルトコンベアで運ばれる部品のように、胴上げされたままどことも知れぬ場所へ連れ去られる気分になる。
 資材、開発、技術、航法、通信、櫛の歯を欠くかのごとく発言者が減った社内ストリームには空々しくプロモーションが流れるばかり。一方で、プロジェクトには真摯な応援メッセージが毎日大量に寄せられ、ストリームもフォーラムも華々しく賑やかだ。その差異が重い。
 通信ソフトのウィンドウ越しにも窶れているのが明らかなカレルとのやりとりも頻度が落ちた。セツも同じくらいひどい顔をしているだろうし、仕事の愚痴を言い合うには、プロジェクトメンバー同士というのは少々距離が近すぎる。ままあることだった。
 疲れきって帰宅して、家では目と頭を休めようと思うのに、気づけば流れるストリームをぼんやりと見つめていたりする。意味のない時間だった。
 ――意味のない時間。
 では空白の三.二秒に、意味はあるのだろうか。ひとの心は光の速さに挑み、物理や科学の限界を許容できるのだろうか。
 プライベートモードは沈黙を保っている。待機状態を示すLEDがゆるやかに明滅するジェスチャーリングを投げ捨てた。袖を下ろして手首を覆う。
 どこにでもある職場恋愛だ。付き合いはじめて三年目で、カレルに辞令が出た。異動を受けた彼を責めるつもりはない、自分でもそうしただろうから。
 二年後、任期明けには結婚するのかもしれないが、どちらもはっきりと言葉にはせず、見ないふりをしていた。今回のプロジェクトで消耗して燃え尽きて、実のある話はまた先延ばしになるだろう。
 カレルの体温を、セツはもう覚えていない。
 冷却用ファンが低く唸る端末の熱は、ボタン一つで消し去ることができる。その残酷さに、ささくれた指先を見つめた。

 瞬く間に三ヶ月が過ぎ、打ち上げ当日を迎えた。
 「星火」を両脇に備えたS3は太陽を浴び、銀の巨人のごとく聳え立つ。見学エリアや宇宙港周辺の公園は人混みでごった返していた。
 ブリーフィングを終え、セツはヘッドセットをつけてコンソール前に腰を落ち着けた。モニタを見る限り、異状はない。インカムのテスト後、状況が開始される。
 空は目が眩むような底抜けの青、気象班の判断を待つまでもなく、GOだ。
 ガラス張りの管制室の周囲にも、通常の打ち上げよりも大勢のスタッフが散らばっていた。プレスルームは言わずもがなの大盛況である。
 マニュアルに添って淡々と打ち上げ準備を進めながら、そういえば、と古い記憶に行き当たった。
 ――Starting ignition.
 もう四年近く前、あれはヒューストンだったか、フロリダだったか。秒読みカウントダウンの終了間際、エンジン点火を告げるカレルの声で、セツにも何かが灯ったのだった。懐かしさが胸をあたたかく満たす。
 彼もまた、火星行き輸送機の管制を担当する。月発の機はほとんどが無人機で、宇宙港からの発進は電磁誘導カタパルトが使われるから、派手な噴射炎も、爆発的なカロリーの消費も目にすることはない。けれど管制官の秒読みは形式として残っているのだった。
 今回は大規模な中継が入るだろうから、画質も音質もいまいちなMSAのネット中継に頼らなくてもいい。予約を忘れないようにしなければ。
 マニュアル通りに手順を進める。膨大なチェック項目が緑の文字に置き換わり、光の速さに変換され増幅されたセツの声が、全世界に、月に、火星に向けて送信される。きっとカレルも聞いている。一.六秒の空白をおいて。
 あの日セツに灯った何かが、彼にも届くだろうか。
 ――Starting ignition.
 そう告げてから、轟音と閃光とともにS3が蒼穹に放たれるまで、セツは呼吸をしない。


Webanthcircle
サークル名:灰青(URL
執筆者名:凪野基

一言アピール
宇宙規模遠恋のお話です。「灰青」はこんな具合の文系SFや、理屈系ファンタジー小説を書いている甘さ控えめサークルです。秋の新刊は短編集(「三.二秒のブランク」完全版も収録)とファンタジー長編「インフィニティ第二章」です。ピピピと来たらwebカタログをご覧下さい。

Webanthimp

この作品の感想で一番多いのはしんみり…です!
この作品を読んでどう感じたか押してね♡ 「よいお手紙だった」と思ったら「受取完了!」でお願いします!
  • しんみり… 
  • ロマンチック 
  • 胸熱! 
  • キュン♡ 
  • 受取完了! 
  • ごちそうさまでした 
  • ゾクゾク 
  • 怖い… 
  • この本が欲しい! 
  • そう来たか 
  • 尊い… 
  • しみじみ 
  • エモい~~ 
  • かわゆい! 
  • うきうき♡ 
  • ドキドキ 
  • ほのぼの 
  • 切ない 
  • 泣ける 
  • ほっこり 
  • 笑った 
  • 感動! 
  • 楽しい☆ 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください