先のことは分からないけれど、今は今の約束をしよう

 カレンダーの日付を見て、飯塚双葉いいづかふたははうふふと笑った。その光景を見ていたコイルは、うんざりした様子で彼女から視線を外す。
 彼女がこういう笑い方をした日に限って、彼にとって良いことなど一度もなかった。たいていが、彼女の奔放な道楽に無理やり付き合わされるといった具合だ。過去の経験から学習した、確固たる予測だ。
「コイルくーん」
 上機嫌で彼女がコイルを呼ぶ。──来た。──彼は嫌々顔を彼女の方へと向ける。返事をしなければ、彼女の機嫌が悪くなる。それはそれでまた面倒な問題だった。
「盆踊りだよ、コイルくん! 今夜、盆踊りだよ!」
「……それ何?」
 日本の行事ごと──いや、“人間の”行事ごとに疎い彼は、素直に疑問を口にする。
「お祭り!」
 満面の笑顔で答える彼女の回答に、コイルは人混みの中を双葉に連れ回される自分を想像し、再び顔を背けた。
「僕、行かない」
「行くの!」
「行かない!」
「行くんだからね!」
「行かないって言ってるだろ」
「一緒に行ってくれなきゃ、今ここで大声で泣くからね!」
「……行くよ……行けばいいんだろ……」
 折れた。あっさりと。
 彼女のしつこさは、重々承知しての承諾だった。
「浴衣着て、夜店まわって……浴衣? ……浴衣!」
 悲鳴のように叫び、双葉が突然コイルに詰め寄る。
「コイルくん、浴衣持ってないよねっ?」
「ユ、ユカタ?」
「ああん! コイルくんと浴衣でお揃いって思ってたのに!」
 双葉はバッグを掴み、もう片方の手でコイルの腕を掴んだ。
「今すぐ買いに行こう! 今から行けば間に合うから!」
「何なんだよ、そのユカタって?」
 双葉はバッグとコイルの手を離し、自分の部屋へと駆けていった。そして一枚の長い布を持って来て、目の前で広げた。コイルの見たこともない形の布である。彼女の言い種から、どうやら衣服らしいということは分かったが。
「こんなの! 日本独特の、夏に着る服だよ」
「そんな花柄のヒラヒラしたの、僕は着たくない」
「男性用浴衣はもっとシンプルだから! 大丈夫、わたし、着付けできるし!」
「いらない。大体、今月財布が厳しいんじゃなかったの? 主に電気代」
「うぐ」
 双葉は浴衣を抱え込み、落胆した。具体例を挙げられてはぐうの音も出ない。双葉には諦めるという選択肢しかなかった。
 両親にも友人にも内緒のこの二人暮らし。生活費の全てを双葉の給料でまかなうには、あまり余裕のある無駄買いはできないのである。
 かといって、この生活をやめる事はできない。しないと、約束したのだから。

 鏡の前で浴衣をキチンと着付け、髪もまとめ髪にした。シャクナゲの花を象った簪を挿し、双葉はヨシ、と拳を握り締める。そして居間へと向かい、そこで待つコイルの前でくるりと回って見せた。
「どう? どう? 綺麗?」
「……馬子にも衣装」
「むー」
 興味なさげにコイルは返事をしたが、内心彼女の変身ぶりに驚いていた。驚きすぎて、素っ気ない生意気な言葉が口をついて出てしまったのだ。
『……フタハってこんなに綺麗だっけ? なんか調子狂う』
 浴衣姿の、やや色気のある佇まいに、コイルは内心ドギマギする。
「あーあ。コイルくんの浴衣姿も見てみたかったなぁ」
「無いものは仕方ないじゃん。ほら、行くんでしょ。僕は行きたくないけど」
「あ、待って待って。浴衣だと早歩きできないから、ゆっくり歩いて」
 二人は揃って家を出て、町内会主催の神社での盆踊り大会へと向かった。

「わぁ。夜店、思ったより出てる」
「あの小さい露店のこと?」
「そうだよ。コイルくんはリンゴ飴食べられないから、イカ焼きとかどう?」
「買い食いする気で、今日、晩ご飯作らなかったんだ?」
「そのとおりでーす」
 双葉はペロリと舌を出し、さっそく彼をリンゴ飴の屋台に引っ張っていく。そして一つ買い求め、早速包み紙を剥がして舐め始めた。その間に、イカ焼き屋台にも彼を引きずっていき、彼にイカ焼きを一串、買い与える。
「美味しい?」
「別に」
「じゃあ、楽しい?」
「人が邪魔」
 先ほどから、彼は何度も人にぶつかっては、嫌な顔をしている。彼が他人に身体に触れられることを極端に嫌がることは理解しているが、この混みようでは仕方ないことではある。我慢してもらうしかない。その辺りは彼も理解してくれているはずだ。
「次は何食べようかなー。いきなり甘い物からいっちゃったから、次はおなかに溜まるものがいいなぁ……ってことで焼きそば!」
 下駄をカタカタ鳴らしながら、双葉は焼きそば屋台へと向かう。その途中、隣人の大谷婦人に出くわした。彼女は孫らしき小学生くらいの子供を連れている。
「あら、飯塚さん」
「あ、こんばんは。大谷さん」
 愛想よく挨拶をしてから、コイルの存在を思い出した。
『挨拶させないと、まずいよね……』
 つい先日も、人嫌いなコイルが隣人からの挨拶を無視していると、大谷婦人から指摘されたばかりなのだ。ここは何がなんでも、彼ににこやかに挨拶してもらわなければならない。今後のご町内での噂を悪いものとしないためにも。
「コイルくん。大谷さんに挨拶を……」
「うっわー! 外人だ外人だ! すっげー! 髪真っ白! 目、真っ赤!」
 大谷婦人の連れていた少年が、コイルを見て大はしゃぎする。コイルは面食らい、呆然としている。この少年の大騒ぎっぷりは、滅多にない体験だったらしい。
「こら、健太郎! オホホ、ごめんなさいね飯塚さん。ウチの孫がはしゃいじゃって」
「ハローとかサンキューとか言うの? ねぇ? ねぇ?」
「は? 僕は普通に喋れる……」
「うっわー、日本語喋った! すっげー! 外人の兄ちゃんすっげー!」
「こら健太郎!」
「あはは。元気なお孫さんですね」
 挨拶の件が有耶無耶になり、双葉は内心ホッとする。
「それにしても、あでやかな浴衣姿ね。飯塚さんにとっても似合ってる」
「ありがとうございます」
 浴衣を褒められ、双葉は頬を染める。コイルに褒められなかった分、余計に嬉しいのだ。
「あら、僕ちゃんは浴衣は持ってないの? キッズ用浴衣なんて安いものだし、日本での生活の記念にもなるだろうし、用意してあげれば良かったのに。残念ね」
 コイルはとある理由から、十三歳程度にしか見えない容姿から一切成長しない。中身はすでに成熟した、いや、双葉より遥かに長く生きる不死者に近い精神を持っているため、子供扱いされることを極端に嫌う。
 現に今も、「キッズ用」と、悪意なき言葉をもらってしまい、少々気分を害していた。
「ふん。僕はこんなの、興味ないし」
 大谷婦人から視線を外し、彼は静かに目を閉じる。
「あら、素っ気ないのね。そうだ、飯塚さん。あなた越してきたばかりだから知らないかもしれないけど、ここの町内の盆踊りは、小さいけど花火も上がるのよ。もうすぐだと思うから楽しみにしてなさいね」
「花火ですか? うわー、楽しみだね。コイルくん」
「花火?」
「うん。花火っていうのは……あ、でも見れば分かるから、楽しみに待ってようね」
 双葉は大谷婦人と別れ──健太郎は最後まで、コイルの姿に興奮していたが──目的の焼きそばを買い求めてから、少し人混みから離れた。コイルがはぁとため息を吐く。やはり人混みはどうあっても苦手らしい。
「コイルくん。焼きそば、半分個しようね。やっぱりいきなり甘い物入れたから、おなか膨れちゃって」
「いいけど……キャベツは無理だよ、僕」
 これもまたとある理由からの偏食だが、それはまた別の話で。
「分かってる。わたしが食べるから大丈夫。それにそんなに入ってないし」
 双葉は焼きそばのパックの端にキャベツの切れ端を避けながら、二人でそれを食べる。
「お祭りって、賑やかでしょ?」
「うるさいし、鬱陶しい。変な踊り踊ってる奴もいるし」
「それが盆踊りの本題なんだけどなぁ。わたしもあんまり踊れないけどね」
 焼きそばを食べ終わり、双葉はパックに蓋をして輪ゴムを引っ掛ける。そのまま彼に向ってニコリと微笑みかけた。
「でも、わたしと二人でお出かけだよ。それでもイヤ?」
「……それは……まぁ……別にイヤじゃないけど」
 双葉はふふと笑い、夜空を見上げた。すると、ヒュルルという音と共に、大輪の花が夜空に咲く。
「わ! 花火始まった!」
 双葉は焼きそばのパックを慌てて片付け、コイルの腕に手を添えて夜空を見上げた。一つ、一つと、花火が夜空を照らす。確かに地味ではあるが、コイルと二人で見る花火は印象深く記憶に刻み込まれた。
「来年も来ようね。来年こそ、コイルくんも浴衣を準備して、ね?」
「……フタハ、ちょっと」
 コイルが双葉の浴衣の袖を引く。双葉は腰を屈め、コイルの口元に耳を寄せた。何か内緒話だと思ったのだが──。

 チュッ。

 頬にキスをされた。
 バッと姿勢を戻し、双葉は片手で頬を押さえる。コイルは目を細め、微笑を浮かべて双葉を見つめていた。双葉の頭の中が真っ白になる。
「な、な……」
「不意打ちでごめん。でもさ、フタハが……綺麗だったから」
「え?」
「それ、フタハに似合ってる。来年は僕も着るよ。お揃いになるんでしょ?」
 この少年は、突拍子もなく、恥ずかしいことを平然としてのける。伊達に長く生きてはいないということか。
 双葉は顔が上気してくるのを止められなかった。
「もうっ! もうっ! ほんっとにもうっ! こ、こういうの、いきなりはやめてよっ!」
「いきなりじゃなく、事前に宣言すればいいの? 今からキスするよって?」
「もうっ! そういう問題じゃないのっ!」
 怒りと嬉しさがないまぜになり、双葉はコイルの肩をポコポコと叩いた。
 二人が本物の恋仲になるまであと少し。“未来”を見ることができるコイルは、ふふと笑って彼女の手を握った。
 そんな二人の背後で、夜空に咲く花がまた一つ──


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サークル名:アメシスト(URL
執筆者名:天海六花

一言アピール
既刊「CROSS in the Night」の後日談・外伝的エピソードです。双葉とコイルが一緒に暮らし始めた、最初の夏の出来事。二人に徐々に恋心が芽生え始めた頃のほのきゅんなお話です。

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