本の祭典

「ぱぶりっしゅ……れぼりゅーしょん?」
「レボリューション『ズ』」
 旧セァク皇国育ちだから、旧イシャナ王国でしか使われていなかった言葉が馴染まないのだろう。不思議そうに小首を傾げる妻エレの言葉に、インシオンは赤い瞳を細めて冷静にツッコミを入れた。
「そう。またの名を『本の祭典』」
 妻と似た顔をした青年騎士は、こちらには絶対に見せないにこにこ顔で、一枚のチラシをエレに差し出す。
「元々は、イシャナの出版業界が、印刷技術の向上を民に見せる為に、作家に書き下ろしてもらった短編で本を作って売る、っていう即売会だったんだけどね。最近はアマチュア作家が自作を持ち込んで印刷してもらう、ダイヤの原石掘り出しの色が濃くなってきてる」
 青年――カナタから受け取ったチラシをまじまじと見つめる妻の横から、チラシを覗き見る。カラフルに彩られた文字ででかでかと「集え! 本好きの猛者達よ!」と打たれた謳い文句に、マスコットキャラクターである、リボンを首に巻いた黒猫のイラストが目に入り、その脇に、出展者の名前がずらりと並んでいる。正確には数えないが、二十ほどはありそうだ。
「アイドゥールに遷都して初めてのパブレボですからね。面白い本が沢山見られると思います」
 カナタの隣に並ぶ女騎士リエラが、柔らかく笑う。
「インシオン大佐は毎日お仕事で、エレ様もお子様のお世話で、疲れておいででしょう? お子様がたは私とカナタで責任を持ってお預かりしますので、たまには夫婦水入らずで息抜きしてきてください」
 傍らでカナタが「不本意ながらね」と子供っぽく頬を膨らませるが、恋人の提言に逆らうつもりは無いらしい。そもそも、王立騎士団の要であるこの二人が、わざわざこんな報せを持って家を訪ねてきたのも、降嫁した姉の生活を案じる、フェルム統一王国国王ヒョウ・カの思いやりなのだろう。
「わかりました。ありがたく楽しませてもらいますね」
 エレが邪気の全く無いふんわりとした笑みを浮かべると、リエラは満足げに微笑み、カナタは羨望を込めてじろりとインシオンを睨んだ。

 パブリッシュ・レボリューションズは、城下街の大通りを抜けた、記念広場の一角で開催されていた。
 インシオンとエレが会場に着いた時には、既にイベントは始まっていて、多くの人が、即席のテーブルを置いて呼び込みをする売り手の本を見ようと、ひしめき合っている。折しも本日は快晴無風。本が雨で濡れたり風に飛ばされたりする心配も無い。
「これじゃあ、息抜きどころか逆に疲れそうだな」
 予想以上の人出にインシオンは溜息をつくが、「そうですか?」とエレは翠の瞳をきらきら輝かせた。
「セァクにいた頃はよく、創作物語を読んでいたから、昔を思い出して、私は楽しいです」
 そして彼女は、興味深そうに一方向を指差す。
「あっ、ほら、あのお店なんてどうですか? 大きい看板がありますし、人も集まっていて、人気みたいですよ」
 言われてそちらを振り向いたインシオンは、口をへの字に曲げて絶句する羽目になった。
 たしかに大きい看板があって、人が集まっている。だがその内容が問題だ。看板には絵が描かれているのだが、それが申し訳程度の下着のような水着を身にまとって頬を赤らめた、艶めかしい肢体を持つ少女の絵で、金髪青眼にして誤魔化してはいるが、間違い無く、隣で笑顔になっている赤銀髪翠瞳の妻を模している。そしてそこに並んでいる者はほぼ全員が、男性。大体どんな内容なのか、想像がついてしまった。
 元セァクの姫をあられもない姿に描くなど、不敬罪にならないのか。というか、人の妻をあんな姿に描かれて、更にそれに群がる男どもを見て不機嫌にならない夫が、この世界のどこにいるというのだろうか。
 駄目だ。完全にエレには毒だ。
「見るな。忘れろ。他へ行くぞ」
 自分がモデルにされているのも気づかぬままに、どんな本を売っているのかだけが気になるのだろう。何とか売り物が見えないかその場でぴょこぴょこ飛び上がっているエレの頭を抑え込み、腕を引いてその場を離れる。すると。
「あっ、どうぞご覧くださーい!」
 通りかかったテーブルの向こうから、フリフリピンクの衣装を着た娘に声をかけられ、インシオン達は足を止めた。テーブルの上に置かれた本は、きらきら輝く星空の絵が表紙を飾り、先程のような害は無さそうだ。
「どんな内容のお話なのですか?」
 水着の看板の店はもう忘れたかのように、エレが興味津々で訊ねると、売り子の娘は「はい! どうぞ中をご覧になってください!」と、そばかす顔を紅潮させて、本を差し出した。それを受け取ったエレが、ぺらぺらとページをめくる。
「この本の主人公は、旧イシャナの英雄であるインシオン大佐をモデルにしたんです」
「まあ、インシオンを!」
 夫の名前が出てきて嬉しいのだろう、エレが一層顔を輝かせる。『黒の死神』の名を知らない人間は王国にはいないが、正しく容姿を知っている一般市民は少ない。今まさに本物が目の前にいるとも露知らず、娘が続けた説明に、インシオンは「ゴハッ」と噴き出しそうになるのを必死にこらえる羽目になった。曰く。
「大佐が部下に毒を盛られて、抵抗も出来ないままに、あーんな目や、こーんな目に遭う話を書きました!」
 驚愕のあまりに目をむいて、エレの手から本を奪い取る。「あっ」と不服の声をあげる妻に構わず即座にページを閉じようとしたが、なんだかとてもいかがわしい行為を甘んじて受ける自分の名前が、不可抗力で視界に入ってしまった。
「行くぞ。次へ行くぞ」
 最大限の冷静さを保って本を元の位置に戻し、「まだ中を見ていないのに」と不服そうなエレの手をつかんで店を離れる。
 何だこの祭典は。実在人物を妄想の世界に引きずり込む狂った祭か。息抜きのはずが、本当に余計にどっと疲れる羽目になって、深々と息をついた時。
「あ」
 エレが足を止め、少し強い力でこちらの手を引いた。
「あちらを見ても良いですか?」
 その言葉に、インシオンは妻が指差す先を見やる。設営に出遅れて良い場所が確保できなかったのだろう、広葉樹の下にぽつんとテーブルを置いて、インシオンとそう歳の変わらなそうな、若すぎない女性が番をする、客もいない店がひとつ。
「……わかったよ」
 今度はエレが読んでも大丈夫な本でありますように、と祈りながら、インシオンは妻と共にその店へと近づいていった。

 そして、その夜。

 自宅での夕食の後、大人しく留守番をしてくれた双子の姉弟と、今年生まれた赤子、三人の子供達の寝かしつけを終えたエレは、ソファにかけたままうとうとし始め、まどろみに落ちてしまった。
 久しぶりの外出で人波にもまれ、気持ちも昂って、流石にくたびれてしまったのだろう。その膝には、樹の下の店で見出した本が、中途半端にページが開いたまま乗っている。
『これが欲しいです』
 じっくり吟味した後に、まっすぐこちらに視線を向けて言い切った妻の頼みを断れず、買った一冊。ぱらぱらとめくるだけで、話の概要はつかめた。
「ったく」
 苦笑しながら本を閉じて妻の手に戻すと、肩から毛布をかけてやり、前髪をすいて、額に口づける。
「こんな物読まなくたって、お前はヒロインだし、お前の王子様はここにいるだろ?」
 表紙に革が張られた本に綴られた小説は、世間を知らなかった少女が勇ましい王子と出会い、愛を育みながら剣を手に幾多の戦場を渡った末、悪の権化を倒して世界に平穏を取り戻し、王子と満ち足りた人生を送る、冒険物語。
 創作としてはよくある話だろう。だが、同じように戦いの中で愛を育んだ自分達には、親近感を覚える似合いの一冊に違いない。
 夢の中でも、妻は王子と共に幸せな道を歩んでいるだろうか。
「エレ」
 ソファに腰かけ、一緒の毛布にくるまって寄り添うと、温かい重みが肩によりかかってくる。
「愛してる」
 本の中の王子のように耳元で囁けば、妻はむにゃむにゃと何か小さな寝言を発したが、またすぐに穏やかな寝息を立て始める。
 とんだ祭典だったが、エレが満足してくれたなら、それでよしとしよう。
 そう、自分に言い聞かせると、心地良い疲労感が身に訪れ、インシオンも眠りの淵へと降りてゆくのであった。


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サークル名:七月の樹懶(URL
執筆者名:たつみ暁

一言アピール
異世界恋愛ファンタジー『アルテアの魔女』4巻時間軸頃の、幸せな一幕です。何だか見覚えのある猫ちゃんがいる? 他人(猫?)の空似です。(ごめんなさい) 同人誌版はテキレボ6にて完結予定ですので、よろしくお願いいたします。

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