巫女の祭り
トーマは村の中でも、大きな家に暮らしていた。
トーマの祖父が村で重要な地位についていたからだ。父と母はすでに他界している。女中たちや祖父の弟子たちが一緒に暮らしている大きな家だった。
下っ端のトーマの仕事は早朝から始まる。川に出て、壺に水をくむ。それを家のかめに移すのだ。かめがいっぱいになるまで何度もくりかえす。この水は煮炊きをしたり薬を作ったりするのに使う大切な水だ。
四、五往復もすれば、汗が噴きでる。その時は川の水で汗を洗い流す。水をふき取った後、つぎあての多いボロに着がえる。言いつけられている仕事は終わった。さあ、山へ行こう。
「トーマ兄様、お待ちください!」
家で妹のように可愛がっているミナが、懸命に追いかけてくる。ミナは何かというとついてくる。ミナも数年前の大飢饉で両親を亡くしているから、その寂しさがそうさせるのかもしれない。
春の山には、花が咲き乱れている。……黄緑色やもも色や白い花々に抱かれて、トーマとミナはでこぼこ道を歩いている。山の中に入り、山と一つになる時、じわりと心地よい喜びがある。それはまだ自分と他人の境があいまいな赤子の世界のような気がしていた。親を失った時できたうつろな穴が埋まるような安心感。ミナもなにかを感じとるように目をつむっていた。
家に帰ると、家の者が起きだしている。女中たちが、朝飯をつくっているのだ。ミナは手伝うため女たちのもとに駆けていく。炊事と薬草の匂いが混じり、独特の香りが家の中にあふれていた。トーマの兄弟子たちも飯の匂いに起きだしていた。
広間には、箱台が並べられ、その上に飯が乗っている。今日はちりめんじゃこを炒って、刻んだオオバコとまぜた飯と、タンポポの根のきんぴらだった。トーマたち、草木師の食事は、自ら野山でつんできた薬草が中心になる。
広間の奥には、祖父がすでに座っていた。祖父は、コナラの木のように深くしわが刻まれ、小麦色に焼けた肌をしている。草木師の長として堂々たる風格があった。
トーマは、祖父の前に正座して、礼をする。朝のあいさつだ。
「おじい様、おはようございます。水くみは終わりました」
「うむ、ご苦労」
そこでいつもは終わる会話が、今日は続きがあった。
「トーマ、朝飯がすんだら、わしの部屋に来い」
「はい」
トーマは内心疑問に思いながらも、返事をする。他の者の気配を後ろに察して、自分の箱台の前に戻った。
祖父の部屋は広間から縁側に出て、奥の庵にある。トーマは孫ではあるが、弟子でもある。勝手に祖父の部屋に入ることは禁じられていた。
縁側の床板をふみしめる。日に焼けて白くあたたかい。よく兄弟子たちに遊んでもらっていた縁側だ。その先の木陰に庵はあった。
「おじい様、トーマが参りました」
祖父が振り向く。そして、体を向きなおしてあぐらをかいた。トーマは中に入り正座をして礼をする。
「トーマ、そろそろ巫女の祭りがあるのは知っているな?」
「はい」
この村には、トーマたち薬草を扱う草木師の他にも四つの家系がある。田んぼや畑で稲や野菜を育てる農耕師。布を織る機織師。イノシシやシカを狩る狩猟師。農耕や狩猟に必要な鉄器をつくる鋳物師。村で生まれた者は、五つの家系のどこかで働くか、あるいは村長の傘下に入る。
村では、毎年春に祭りが開かれていた。そこで、それぞれの家系の若者が出て儀式を行い、「巫女」が一年の吉凶を占うことになっている。
「数年前の大飢饉で巫女になれる幼い女子はミナしか残らなかった。ミナが次の巫女に決まった。そして、今年の祭りでは、お前が草木師を代表して、儀式を行う。心して準備せよ」
「はい」
トーマは礼をした。
その日から、祭りの稽古が始まった。ミナとともに村の広場に向かう。ミナはまだ何もしていないのにぎこちない。緊張すると固まってしまうたちなのだ。これでは、巫女としての舞を習うどころではない。トーマは考える。親がわりにこの妹分を守りたい。
「……ミナ」
「な、なんでしょうか、トーマ兄様」
「あのおじい様の若いころの失敗談を知っているか?」
「え?」
「なんと大事な儀式本番で緊張しすぎて舞台から落ちてしまったのだ。ところがな、おじい様はすました顔でまた舞台にあがり、務めを果たした。だから、ミナもすました顔で乗り切ってしまえばいいのだ」
「……そうですね」
ミナの顔がだいぶ和らいだ。トーマは少し安心する。
けれども、そう簡単にことは運ばなかった。
広場にある舞台で、村長の家の者がトーマやミナたちの稽古にあたる。トーマは、ちらちらとミナの様子をうかがっていた。指導者はしかめつらをしている。ミナがおろおろするたびに怒鳴った。ミナはそのたびに目をぬぐっていた。見かねて、トーマが間に入ろうとするとほかの家の者に止められた。
「おい、お前は自分の務めを果たせ。あの子はあの子の務めを果たそうとしているじゃないか」
「お前の言いたいことは分かる。でも、ミナはまだ子供だ。親の顔もろくに覚えていない。俺が代わりに守らねば」
「それなら稽古が終わってから励ましてやれ」
トーマは唇を噛んで、うつむいた。
薄暮の中、トーマはミナを背負って家へと向かっていた。ミナは何も言わない。ただぎゅっとトーマにしがみついていた。トーマはミナに言った。
「ミナはよくがんばった。俺なんか不真面目だから、一つも覚えられなかった」
「……トーマ兄様、ミナにはトーマ兄様がいてくれます。でも」
「でも?」
「トーマ兄様には……いえ、なんでもありません」
それきり二人は黙った。明日も稽古が待っている。でも、大きな困難は過去にもあった。大飢饉。それを乗り越えられたのだ。それなら、未来の困難も乗り越えられるはずだ。
すがすがしい風が山の上から吹きおろしてくる。村の広場では、早朝から太鼓や笛の音が、天に向かって響いていた。ついに祭りが来たのだ。
村の者は皆、広場に集まっている。広場の北側には高い座敷が設けられていた。そこに村長や村長の親戚たち、そして、ミナがいる。高い座敷には、村長の料理人が特別に料理をふるまっていた。
そこに入れない村人たちは、下の方で草木師や農耕師の料理に舌鼓を打ち、楽士たちの音楽を楽しんでいる。狩猟師や機織師、鋳物師はなんとかやりくりして作った品をほそぼそとふるまっている。
予言は、日が暮れて、夕闇の中で、行われる。トーマは、正直に言うとミナのことが気がかりだった。うまく大役を務められるだろうか。
かがり火が煌々とあたりを照らしていた。夕闇の中、ついに巫女の予言の儀式が始まった。まずは、舞台の下で、農耕師が舞いながら、米のもみがらをまいていく。大地へと穀物を返し、感謝の念を神に伝えるためだ。光の粒が、まわりできらきらと輝いているようだ。
それが終わると、今度は狩猟師と鋳物師が出てくる。鋳物師が脂のしみこんだ矢を狩猟師に捧げる。鋳物師は矢じりを作る。道具を作る喜びをここで表現するのだ。鋳物師は自分の利益だけでなく、相手の利益に奉仕すること誓う。
矢をもらった狩猟師は、広場の舞台の手前にあるもっとも大きなかがり火に向かって弓を構える。この鋭い目は幾多の獣の命を狙ってきた。殺生をする者の強い覚悟と、技を究めようとする狩猟師としての矜持を持っていた。矢が放たれる。かがり火は、脂が入りぼうと勢いよく燃えあがる。
舞台の上にはミナと機織師とトーマがいる。機織師がミナに羽織を着せかける。紅い羽織には鶴の模様が型染され、銀糸が縫いこんである。機織師は、目立たなくとも努力を重ね、織物をする。その忍耐と創意工夫の知恵を授かることを感謝するのだ。
トーマは薬草をミナに持っていく。草木師は草木を神の授かりものと感謝する。そして、村の者の無病息災を祈る。トーマは、薬草をミナに捧げ、ミナはそれを口に運んだ。
トーマと機織師は舞台を降りる。舞台に残ったミナは、目をつむり楽士の音楽に合わせて舞い始めた。ゆったりと。蝶が舞うように。
人々が息をひそめて、それを見守っている。そして、その時が来た。
ミナが目を開く。その瞳は夜空のように黒い。ミナの口を通して朗々とした男の声が広場全体に行きわたる。
「今年は天候にも恵まれ多くの実りが得られるだろう」
ミナが目をつむり、ふっと意識を失う。それを村長の家の者が助けおこした。
村人には、そこかしこから喜びの声が上がっていた。今年は飢えずにすむ。大切な家族を失わなくてすむ。
華やいだ空気の中、トーマは、ミナの元へと駆けつけた。舞台の裏で、村長の家の者に手当されている。
ミナがうっすらと目を開けた。
「……トーマ兄様、ミナは不思議な夢を見ました。父様と母様が、ミナに手を振っているのです。もう、ミナは大丈夫だと。元の世界に戻りなさいと」
「さみしがりのミナを心配しておられたのだろう。でも、俺もミナは大丈夫だと思うぞ」
「はい。ミナは今、心の中が温かい気持ちでいっぱいです。でも」
「でも?」
「……トーマ兄様は、どうですか?」
トーマはうつむいた。見破られたと思った。両親のことを引きずっていたのは、本当はトーマも同じなのだろうと。しかし、トーマとてミナを通して立ち直ってきたのだ。トーマは顔をあげた。しっかりとミナを見る。
「俺も大丈夫だ。いつまでも弱気でいては父様と母様に申し訳ない。前を見て一歩一歩歩いていくさ」
トーマとミナは笑いあった。飢饉のあと数年経ち、やっと心の底から笑えた瞬間だった。
サークル名:三日月パンと星降るふくろう(URL)
執筆者名:星野真奈美一言アピール
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