就職戦線異形有リ
かすれた祭囃子が背後に漂う。スピーカー越しの音頭は反響して不明瞭だが漁師の町なので下世話な歌詞なのは確かだ。
参道の脇の、細く暗い道をひたすら登る。『ついてこれたら』の意味が違うと気づきつつ、絶え間ない『ヒトでないモノ』の声を無視して。
この町で高校生にはなったが展望はない。ブラック企業にまみれる都会への憧れも薄く、田舎はそもそも職がない。不安はつきまとい、しかし時間は進んでしまう。
更に宗嗣を陰鬱にさせるのが他人には聞こえない『声』だ。それでも目が合う、避けるなど「気づき」を相手に悟られる危険は薄く、見えないだけましだった。
だが最近は靄に似た何かが視界を掠めるようになった。タイムリミットは早晩来るだろう。
外から女性の声、次いで昼時には珍しい車のドアが閉まる音が響く。腰高窓から身を乗り出すと、水色のワンピースを着た
「まこ姉!」
今年は盆休みがとれたのか。真胡都がこちらを見上げたので手を振るとニコリと振り返してきた。
「宗ちゃん、久しぶり。降りておいでよ」
変わらぬ声に鼓動が跳ねる。お隣の、いつも遊んでくれたお姉さん。当然の帰結として初恋。
どうなるわけもない幼い想いだ。ただ淡く熾火が残る。
玄関を飛び出すと門扉に手をかける真胡都が「大きくなったね!」と目を丸くした。
「もう高3だかんな」
「あは、声も低くなってる。へえ」
ひとしきり笑うと真胡都はぐっと身を乗り出し、細い指先で宗嗣のこめかみに触れた。驚きで硬直していると「薄くなってる」と呟く。
「切ったばっかだから!!」
「ん? 髪じゃないよ。でも、そうか」
ふっと指は去り、安堵と寂寥に大きく息を吐いた。
「夏祭りに行くんか」
気を取り直して問うと首を傾げる。
「夕方に顔出すから一緒に行こうか。夜は別の用事あるけど」
「デート?」
「ついてきてもいいよ~」
地味にダメージを食らいながら、ふふと笑う真胡都に戸惑う。こんな冗談を言うタイプだったろうか。部屋に戻ってから首を捻った。
真胡都は長らく『祭の象徴』だった。
毎年夏になると小中学校から
中でも真胡都は格別だった。最初の
昔、宗嗣が『声』に怯えて癇癪をおこすと両のこめかみに唇をよせて『オマジナイ』をしてくれた。宗嗣が高校に上がる年に真胡都の上京が決まり、明日は飛行機という晩の
夕方、真胡都がインターホンを鳴らした。ニヤケを隠しつつ肩を並べて歩くと、真胡都を覚えていたらしい住民がちらほらこちらを指さす。それにほほえんで会釈を返す姿に合点した。そうだ、以前の真胡都はたおやかだった。違和感はそのせいだ。
もう太陽は見えず、夕日の残滓が山越しに届くだけ。町会長に挨拶したあとは夜店を覗いた。やがて時計が19時を告げると「それじゃ」と真胡都が足を止めた。
「宗ちゃんも来る?」
「邪魔じゃねえの」
「大人しくしてればね。ただし、ついてこれたら、だよ」
ついと真胡都が歩き出した。すぐに人波に紛れてしまい、慌てて後を追う。時折こちらを振り返る顔も見えるのにずいぶん走っても追いつかない。気づくと神社があるからと開発を免れている山の参道に入っていた。
そして。
「なんだこれ……」
脇道は山腹で唐突に開けた。空き地には『声』が轟々と渦巻き、松明が四方に焚かれ、中央にそびえる二本の杉には間に円く輪が編まれた網が張り巡らされている。
「君はそこから出ないように」
知らない男の声と同時に上から縄が落ちてきた。見回すと赤いTシャツの男が「出ないように」と足下に落ちた輪を指さして念押しする。わからないまま頷くと男の眉が下がった。
「かわいそうに」
「は?」
ますますわからない。問いかける前に「あれが見たいんだろう」と指先に誘導される。
真胡都が踊っていた。
「なんで!?」
衣装こそ
ふと気づいた。『声』は踊りに呼応して唸っている。真胡都はうっすら笑ってさえいて、奉納舞の神々しさでなく、バレエの清廉さでなく、昂揚に圧倒される。と。
どうぅ、どぉうん。
頭上で空気が震えた。花火に似た重音を見上げると杉に張られた輪からゴツゴツした白い塊が次々と飛び出した。白い龍のくねる腹に見えるそれは町を越え、海へと向かう。木々に阻まれる視界の中、空との境目は月明かりで逆に輝き、白い線はそこへ消えた。
「あれは……」
「山に溜まった澱、かな。ものは流れないと淀むから、吐き出さないとお山が病んじゃう」
いつのまにかワンピース姿に戻った真胡都が隣に立って、宗嗣のリュックから飲みかけのペットボトルを勝手に取り出し飲み始めた。固まっていると「見えたんでしょ」とのぞき込まれる。
「お山ってこの山?」
「どの山も。ここの山神は
「やまがみ?」
「んー、説明すんの大変だからパス。とにかく、山には神様やら妖怪やら妖精やらがいて、でも現代は山への関心が薄いから弱いものは形にならず澱んでしまう。私たちは主様に雇われて、各山の神様格を主様に取り込んでいって、細かい澱みは流して掃除してる」
「主様……?」
「こちらよ」
ふいっと差し伸べるように上げられた手の先には白い靄が見える。
「あれ、見えてない? じゃあ」
手にしていた水を少し零し、泥をこめかみに塗られる。途端に視界が開けた、気がした。
「っ!?」
靄は大きな白銀の狼に変わった。白く輝く、けれど毛並みの中で黒い焔が絶えず燃え上がり巨狼の模様を刻一刻と変える。本能が悲鳴を上げるが声は出ない。
「見えた?」
「見えた……」
かろうじて答えると真胡都がにひっと笑う。そんな顔も初めて見た。
「なんでこんなもの見せるんだよ……」
「あれえ、宗ちゃんはもともと『見える』んだよ。私が隠してたの、こうやって」
ぐいっと首を引っ張られ、昔のようにこめかみに唇が寄せられる。だがその先が違った。右目の瞼をぐるりと嘗められ、血が上る。下瞼やこめかみの泥も丹念に拭われて言葉にならない。
舌が離れて目を開けると、真胡都は「うーザラザラする」と口を濯いでいた。それだけではない。右目を意識すると銀狼が見えない。左目ではこちらを睥睨する青い目玉がハッキリと見えるのに。歪な視界によろめく。
「この術はすぐ取れるし、両目揃った後は自分でどうにかしようね。がんばって宗嗣、お姉ちゃん応援してる」
意地の悪い笑みを浮かべて真胡都が頭を撫でる。
「その気があればウチへおいで。力のある子は常時募集中」
「まこ姉始めからそのつもりだったな」
「力が消えてたら『
言葉のチョイスがいちいち気に障るがワザとだろう。優しい真胡都がどんどん遠のく。
「おい、コト、俺は帰りたいんだが」
存在をすっかり忘れていた男が呆れ顔でこちら睨んでいる。真胡都がひゃっと身を竦め「はあい。さあ主様、お休みください」と手を銀狼に伸ばした。
屈んだ銀狼の濡れた鼻に口づけると、銀狼はひゅるんと吸い込まれた。
「うわ!?」
「私は主様の入れ物なの。巫女で入れ物で従業員」
「最後の違和感ハンパない」
「各種社保完備不定期だけど週休2日制長期休暇も交代制」
「しゃほ……」
「なんといっても主様がステキ」
「えっ、怖えよ」
「ええ~」
「コト、いい加減にしろ」
「はいはーい。宗ちゃん、ここ片付けるから戻って」
「あ、うん、て、ええっ!?」
背中を押されて戻り始めると突然真っ暗になった。振り返ると鬱蒼とした斜面が続いていて空き地も男もきれいさっぱり消えている。
「どうなってんのこれ!?」
「力場を造ってた? もしくは異界に繋いでた、とか」
「うっへ、うさんくさ!」
「ほんとにねえ」
参道を通りまで降りれば祭帰りの親子が笑っており、日常に逆に戸惑う。
「疲れたー。歩くのしんどい。宗ちゃんに自転車出させとけばよかった」
「俺の、2人乗りできねえもん」
「つかえないなー。彼女も出来ずじまいかあ」
「なんでだよ!」
「2人乗りする機会がないんでしょ」
ぐうの音も出ない。
提灯が照らす道で真胡都はくすくすと笑う。佇まいや微笑み方が以前に戻っている。隣の優しいお姉さん。
(この大嘘吐き)
これが『今の』真胡都なのだ。というよりずっと本当はこの真胡都なのだ。
赤面を抑えられなくて水の残りを飲み干した。このまま取り込まれていくのだろう。この意地悪な腹に狼の棲むオカルト女を追いかけていくのだろう。
自分の未来予想にめまいがする。けれど昨日までとの違いは、ワクワクする心が答えだった。
サークル名:博物館リュボーフィ(URL)
執筆者名:まるた曜子一言アピール
《好きな人と見つめ合う、その先へ。生活密着恋愛小説》
家族/恋愛を軸に子供達の成長を描く、スパンの長い1冊完結作を発行。爽やかな読後感をおとどけ。少女小説(日常系)R有/NotTL。ドメスティックSF/Ft有。
今回は書いた本人びっくりのオカルトおねショタ。本編ないし続きません。キミどこから来たの?