後の祭り

 僕の通っている私立高校は、都内でも有数の超進学校で、普通科のほかに様々な学科が設置されている。幼稚園から大学院まであるが一貫校ではなく、節目の試験では落第する生徒も少なくない。元から優秀な生徒を篩にかけるのだから、進学実績も優秀だ。僕はエリート養成学校とも呼ばれる学園の高等部芸術科美術コースに在籍している。
「また保科と片平か……お前ら、勉強しろよなあ。芸術科の進路担当が嘆いてたぞ」
 そんな学校に、都心まで電車で一時間以上かかるような田舎に住む、エンゲル係数が高い家庭の、たかだか地元の公立中学校の学年一位が太刀打ちできるはずかない。模試偏差値で六十五以上ないと受験も敵わない狭き門に、僕は美術推薦で入学した。そんな背景があり、期末テストで赤点をとり続けるのは当たり前だ。自慢にはならないけど。
「いやあ、私たちに補習受けずに単位とれって言うほうが、無理な話ですよ」
「心外。お前と一緒にしないでくれないかな、片平」
「団栗の背比べだ。おら、始めっぞ」
 いつも補習で一緒になる女生徒・片平日和は音楽コースに籍を置く、僕と同じ音楽推薦で入学してきた生徒で、コイツ将来、一人で生活していけるのだろうか?と思うほど、可哀想な人間だ。実技以外では誰かに寄生して生きていくのだろうか。生活面も含めて。そんな女と補習のプリントを並べるのは非常に屈辱的だ。仕方ないけど。
 一応、片平には恋人がいる。僕の唯一の親友だが、色々と問題を抱えた男でもある。学業も実技も非常に優秀な彼は、僕に一目置いており、補習で片平と一緒の生活を送る権限を得ている。
 ……いらない。

◇◆◇

「保科君。古典の補習、来週の木曜日に補習室でレポート書いて提出だってさ」
「そうか。古典はお前の顔を見なくて済むんだな」
「酷い……」
「ショックを受けるな。皮肉なんだから、そろそろ慣れろ。二年生の秋だぞ、もう」
「はい……」
「よろしい。じゃあ、購買のサンドウィッチ買ってきてくれ。いつもの、一番高い奴、勿論お前もちでな」
「喜んで!!」
 不思議ちゃんと言えば言葉が良すぎる。片平日和は人間ではなく、“カタヒラヒヨリ”という生き物で、理解しようとする方が無理なのだ。
「はいっ、ふんわり玉子のサンドウィッチと、アールグレイシフォン風なんとかって新商品」
「後者はお前の好みだろ。僕は変化形を食べないから、お前が処分しろよ」
「喜んでー!!仕送りまであと一週間で、家計がヒィヒィ言っててさ」
「色々突っ込みどころ満載な日本語だけど、一人暮らし、意外と続いてるな。片平のくせに」
「だって、お姉ちゃんが借りてた部屋だし、寮に入るには時期的にムムムだし」
 片平は上京組である。実家は群馬にあるらしく、東京に住む姉を頼って、一年間は姉妹で生活してた。二年生の春、姉の福岡転勤が決まり、片平は部屋を、僕は片平のお守り役を引き継いだ。
 片平の姉・翼さんは、妹の怠惰から想像もつかないキャリアウーマンで、美しい。ホワホワしている妹を、昔から守ってきたらしい。けなげな人だ。
「ねえ、聞いてる?保科君」
「聞いてない」
「酷いー!!」
「馬鹿、聞いてるよ。来週の木曜日だろ?古典の補習」
 補習後は休憩スペースで遅めの昼食を摂り、片平の恋人が来るのを待つ。これが僕ら三人の関係性が出来上がってからの習慣だ。
「来週の木曜日と言えば、文化祭だよねえ。いやだね、進学校って。補習該当者は問答無用で文化祭参加禁止だよ」
「去年もそうだったんだから、今更言うなよ。ピアノ教室、開くんだろう?」
「将来的にはねー。俊介カレのお金を借りて」
「それを寄生虫というんだ。自立しろよな」
 チューチューとコーヒー牛乳をストローで吸い上げながら、パンをかじる目の前の生き物は、“高等部の歌姫”と言われている。確かに顔は悪くないし、音楽推薦で入学して進級できる実力も認める。姫――には程遠いと思う。少なくとも僕には歌うナマケモノにしか見えない。
 何はともあれ、文化祭が補習でつぶれるのは嬉しい。あまり行事に熱くなるタイプではない僕にとって、体育祭や文化祭は苦痛以外のなにものでもない。ひっそりと絵をかいて、美術教師になれればいいだけで、青春の貴重な時間を美術以外に割きたくない。
「保科君。当日ね、先生の都合で、補習開始が十時なんだって。起こしてね」
「そういうのは彼氏に頼めよ」
「俊介、忙しいんだもん。バンドが壊滅的だからって、相手してくれないの」
「僕はいいのか」
「うん。お姉ちゃんに、保科君には何でも言えって言われているから」
 それを言われると何も言えなくなるし、できなくなる。
 片平の姉・翼さんは、僕にとって、死ぬまで忘れられない女性だからだ。
「起こすは起こす。でも僕は当日、風邪をひく予定だから、あんまり期待せずに自分で這い上がれよ。一応、脳みそついてんだから」
「もうっ。お姉ちゃんには逆らえないくせに」

 片平に紹介されてから、ずっと僕は彼女を――

「うるせっ」

◇◆◇

 文化祭当日は曇天だった。片平がナマケモノの呪いでもかけたのだろうか。うっすら太陽の光が見えるも、山と雲が近い。田舎特有の幻想的な自然を見て、僕は無意識のうちに筆をとっていた。田舎に住んでいると、自然の生み出す奇跡的な美しさに遭遇できる。
 何だかんだで、八時五十分に片平に電話をかけてやった。片平に対してなんの思い入れもないが、翼さんの頼みは断れない。

『保科、私、転勤になったんだ。高校入りたての日和を連れてくわけにもいかないから、お守り役引き受けてくれないかな。週一で報告してもらえると助かる』

 見た目から想像できないハスキーな声を思い出すと、未だに震え上がるほどに血がたぎる。

『保科しか信用できないんだよ。彼氏ができたって騒いでいるけど、彼より保科の方が付き合いも長いしさ。この通り』

 週一の報告は、月一に変更してもらった。週一回のペースで愛しい人の声だけを聴くのは辛すぎるからだ。勿論、そんなことは大人の女性である翼さんは分かっているだろう。彼女は僕の想いを知っていると思う。
 会ったらどうなるだろう。離れてからずっと積まれてきた愛は、どういう爆発を起こすか分からない。そんなことを想いながら、二時間ほど夢中で、写生していた。

『あ、保科君?片平日和だけど』
 スマートフォンの震動で物思いを断ち切ったのはナマケモノだった。時計を見ると午前十時半。ナマケモノの集中力は、お祭り騒ぎの文化祭と一人しかいない部屋でのレポート作成ですでに切れたらしい。実技では放っておいても三時間は勉強するのに、器用な奴だ。人のことは言えないけれど。
「知ってるよ、ナマケモノ」
『本当にサボるんだもん。ビックリだよ』
「あの時間に電話かけるってことは、本当にサボってるってことだ。僕の家から学校まで二時間かかるから」
『あ、そっか』
「分かったら切るぞ。今、絵を描いている途中なんだよ。邪魔するな」
『いいこと教えてあげようと思ったのに』

 追いつけ、追いつけ、追いつけ。未成年というの立場が、非常に辛い。心が成熟していないのが悔しい。でも、昨日の今日で変えられるわけでもないから、今の僕でぶつかるしかない。
 私服のまま、定期だけ持って家を出る。十五分先の最寄り駅まで、珍しく走っている自分が滑稽だ。

『あのね』

 来年は僕も三年生。一年間、勉強で羽交い絞めになるだろう。二年生である今がタイムリミットだ。

『お姉ちゃん、仕事の関係で、こっちに来てるの』

◇◆◇

「片平!」
「あ、保科君も補習受ける気に……」
「なるか馬鹿。それより、電話の内容……」
「ああ、お姉ちゃん?さっき来てたんだけど、もう戻るって。仕送り私ついでに顔を見に来ただけだから……」
「どこにいるんだって聞いてるんだよ」
「わかんないよ……って、保科君!」
「先生には原因不明の病だって言っとけよ、片平!」
 それは恋という名の、病だ。

 学園の敷地は広い。そこから彼女を見つけ出せるかは賭けの範囲だ。校舎を出て、まっすぐ進んで正門に向かう。戻るということは、新幹線に乗るのだろう。
 時間がない。頑張れ、走れ僕の体。その先には、いるはずだから。まだ間に合うはずだから。
 そして、神は恩恵をくれた。
「あ、保科じゃん。サボりじゃなかったの?」
 学校最寄りのバス停で、待っている想い人を見つけた。相変わらず気高いオーラを持ち、狂おしいほど美しく、心を鷲掴みにされたと思うほど動悸が早い。
「翼さん!が、いると、聞いたので……」
「珍しくダッシュしちゃって。毎日毎日ありがとうね、日和のお守り大変でしょ」
「翼さんの頼みだから断れないですよ」
 チン。
 バス到着のベルが鳴る。
「文化祭、戻らないの?楽しいじゃん」
「文化祭以上に大切なことがあるんです。僕の人生においては」
「……補習はいいの」
「いいんです。成績なんて、実技でカバーしてみせる。だから、だから翼さん……」
 いかないでください。
 なんて幼稚な言葉だろう。でも、ずっと言いたかった思いだ。

「ありがとう、保科。電話待ってるね。もう、出ないといけないから」

◇◆◇

「言えなかったか」
「俊介……」
「日和が、保科君が消えたって騒いでたから。まあ、そのうち言えるさ。色恋沙汰に興味がなかった俺でさえ、言えたんだから」
「君と僕は違う」
「そうだな。でも、同じ男子高生だ」
「……言えばよかった。後悔なんてして、後の祭りだよな。分かってるんだ」
 言えば、よかった。引っ越しの日。でも、どうしても勇気が出なくて。
「分かってるんだ……」
「今日、俺の家にこい。酒でも飲んで語り合おう」
 夕陽が顔をのぞかせて、橙色の光が僕と親友を照らす。
「未成年だよ」
「固いこと言うなって」

 頬を伝う熱いものに気づいた。挫折続きの高校生活はまだ続くようだ。
 そのうち、彼女が振り向かざるを得ないような男になれるように――

 なってやる。


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サークル名:【コトノハ】―オフライン(URL
執筆者名:琴木緒都

一言アピール
こんにちは。基本、本は100円均一、お喋り0円でやらさせていただいております。本日新刊あり!SFモノ『ブレイブス』続編です。アンソロは暗くならないに、ちょっと変わった青春を書いてみました。遊びに来てくださいー!

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