青い花を、どうか

 青い花を、待っている。

 花歓の儀。それは毎年執り行われている、集落の神事。
 用意された舞台で、巫女が舞う。奧には、特別な一席が設けられていた。それは、神のための空席。
 傍らに、花差しがひとつ置かれている。その花差しに、いつの間にか青い花が飾られるのだ。神が降りた証として。
 その花が、去年はすぐに、枯れてしまった。
 今年は日照りが続き、集落は水の心配をしている。神の不興を買ったのだと、密やかに、大人たちは噂した。
 そしてまた、花歓の儀はやって来る。巫女が舞台で、美しく舞いを納めていた。
 舞台袖で少女が、それを見つめている。舞いを目に焼き付けると、少女は静かに離れていった。

 * * * *

 少女が舞うのに合わせて、衣装の布がひらひらと踊る。それはもう一人の、巫女の姿。
 彼女の舞を見つめるのは、ただ一人。簡素な舞台の前で、席とも呼べぬ平たい石の上に座っているのは、水を司る男神だった。周囲に咲く青い花だけが、舞台に華を添えている。

 慎ましく思えていた集落の舞台だが、ここと比べれば、十分に華やかだろう。少女は緊張した面持ちで、そんなことを考える。じっと己を見つめてくる水神は、仮面のせいで表情が窺えなかった。
 緊張は募るばかりで、彼女は、手にした長布の繰りを間違えた。布先の飾りが、衣装の飾りと絡み、弾けて飛んでいく。水神がそれを拾い上げるのを見て、少女は身体を強張らせた。
 やはり自分が巫女を務めるなど、無理だったのだ。急拵えの巫女装束。そして自分の舞は、本来の巫女である姉の足元にも及ばない。だけど。

 水神は座り直し、飾りをしばらく弄ると、青ざめて立ち尽くす少女を手招きした。恐る恐る少女が近づくと、長布の先に飾りを取り付ける。
 それが終わると、水神の手は静かに離れた。
「あ、の……」
 困惑する少女が身じろぎすると、飾りから澄んだ音が響いた。今までどれだけ舞っていても、寸とも鳴らなかったものが。
 驚いた少女が腕を引くと、再び飾りが鳴る。舞いと同じ指の動きで、布を揺らすと、音階が変わった。少女の様子に、水神はそっと呟く。
「器用なものだな。そんな風に鳴らせるとは、思わなかった」
 少女は首を傾げる。彼女にとっては、ごく自然光景だった。飾りは巫女のものであり、上手く鳴らせるここが、良き巫女の証になる。
 飾りの音に後押しされて、少女は舞台に戻る。舞うと飾りの音が連なって、楽になる。それでも、と少女は思った。姉には到底敵わない。憧れて密かに、練習を重ねても。
 舞を終えると少女は、水神の前で一礼する。
「申し訳ありません」
 少女の声は、震えていた。
「私は、あなた様に相応しい巫女ではありません。それでもどうか、許して頂きたいのです」
 その言葉に、水神が立ち上がると、少女はびくりと肩を震わせる。少女へ近付いた水神は、長布を引き寄せ、飾りを指に引っ掛けた。水神と、少女の手が重なる。
「踊れるか?」
 水神の思わぬ一言に、少女は呆けた。そのまま頭上に、疑問符を浮かべる。
「自分は、踊ったことがない。……今日は祭りの夜であろう?」
 遠くから、祭り囃しが聞こえてくる。花歓の儀が終わったのだろう。姉に全て、伝わる頃だ。
 少女は、水神の手を握り返した。
「私は、こちらの方が得意です」
 決まり事なんてない。気の向くままに、踊れば良いだけ。微かな祭り囃しに合わせて、少女は足を引くと、水神を引き寄せた。同時に飾りが鳴り響く。くるりと回れば、音は楽に変化し、足使いが軽くなった。
 仮面の隙間から覗く、水神の口先が上がっていて、少女も顔を綻ばせる。常に姉と比較されて、踊るのが楽しいと思えたのは、実はこれが初めてだった。
 息が切れるまで踊って、自然と二人の手が離れる。少女が息を整えていると、目の前に青い花が差し出された。
「さぁ、お前は帰りなさい」
「え」
 少女は青ざめた。彼が笑ったことが、とても嬉しかったのに。私はここでも、必要とされないのだろうか。
「私では、姉様の代わりにはなれませんか」
「違う。自分は見守るものだ。見守るだけだ。元より贄など必要ない」
「でも」
「戻れないのなら、南の集落へ。かつての巫女たちが、そこにいる」
「でも、あなたは?」
 水神は何も言わない。だけど顔を隠す、その訳は。

 ふと、少女は気配を感じて、後ろを振り向いた。光の反射なのか、岩壁に揺れる景色が映っている。泉の畔。そこにいるのは。
「姉様」
 姉が、泉の中に入ろうとしている。自分と同じ道を、辿ろうとしているのか。そんな彼女の腹に、不思議な光を見た。
 水神の手が、少女の肩に触れる。
「分かるのか。自分と少し、繋がってしまったのだな」
 少女は息を飲む。水神は、少女の背を押した。
「今なら、まだ間に合う。彼女も君も。……行きなさい」
 少女は何か言いた気に、口を開閉する。しかし何も言えずに口を閉じると、ひとつ頷いて、水神の元から駆け出した。水神は、その小さな背を見送る。
「私は見守るものだ。これからも、ずっと、ひとりで」
 静かな声は、水底に儚く響いて、消えていった。

『贄は、あの子に決まったよ』
 それを聞いて、女性は居ても立ってもいられずに、水神の祠が沈む泉へ向かった。そして躊躇することなく、身を沈める。
「姉様」
 すると水面に映っていた女性の姿が、少女のものに変化した。
「姉様、泉から離れて」
 泉から少女の両手が現れる。それは女性の肩を押した。同時に少女の身体も、泉から出てくる。地面に座り込んだ女性は、泉の上に座る少女を見た。
「どうして、あなたが」
 少女の家系は、代々巫女を努めている。両親が亡くなって、女性は早々と役目をこなした。自分より小さな妹を、守るために。
 それなのに、どうして。
「姉様は、幸せになるべきなの」
 水の上に立ち上がった少女は、微笑んだ。
「私もずっと、姉様のために、何かしたかった」
 少女が歩く足元から、光が生まれる。それは水面から地面に伝わって、女性の身体を照らした。そして、彼女の胎内に生まれた命も。
「姉様は、大切な人と幸せになって」
「そんな」
 彼女にとって、一番大切なものは、妹だった。そうでなくてはならなかった。そのために、ずっと頑張ってきたのに。
「姉様、私を行かせて」
 女性は答えられない。少女は言葉を重ねた。
「傍にいたい人が出来たの。姉様に、よく似た人。ずっと孤独に耐えている。この水の底で」
 女性は瞠目した。少女のこんな表情は、今までに見たことがない。しかし彼女は、この表情をよく知っていた。
「どうか、行かせて」
 妹には、大切な相手が出来たのだ。自分のように。自分は、それを切り捨てるつもりでいたけれど。
 妹を連れ戻すことは、あの身を切るような想いを、味わせることになるのだろうか。だけど妹を失うことも、こんなにも辛い。
 ほろほろと女性は、涙を落とした。
「姉様」
 少女の手が、頬に触れる。その手は、ひやりと冷たかった。神の立場に近付いている証に、涙が止まらない。
 少女は女性を抱きしめた。何度も彼女が、少女にそうしたように。
「姉様、幸せになって。新しい家族と一緒に」
 びくりと震えた女性の腕を、宥めるように少女が撫でる。
「どうか、生かして」
 微笑む少女の顔は、とても美しかった。

 少女は、持っていた青い花を女性に渡すと、立ち上がった。そして水面を歩き、泉の中央へ向かっていく。その先にいつの間にか、仮面を被った男が立っていた。
 少女は、男へと手を伸ばす。耳元で何かを囁くと、少女は微笑んだ。
 彼女が行ってしまう。分かっていても女性には、手を伸ばすことも、止めることも出来なかった。その顔を見れば、泣くことさえも。
 せめてと、女性は深く頭を下げた。そして自身の腹を、そっと撫でる。
 顔を上げる頃には、少女も男の姿も、消えてしまっていた。

 * * * *

 遠くから、祭り囃しが聞こえてくる。
 泉の畔に立っていた少女は、自分を呼ぶ声に、後ろを振り返った。その手には、青い花が握られている。
 近付いてくる女性に向かって、少女は微笑んだ。
「母様」
 少女もまた、母親に向かって歩き出す。そして青い花を差し出した。
「御遣い様に、頂きました」
「お努め、ご苦労様です」
 少女の頭を撫でると、彼女は嬉しそうに破顔する。二人は手を繋ぐと、集落へ帰るために歩き出した。
「皆のお話しをしたら、御遣い様も嬉しそうになさっていました」
「そうですか」
 少女の報告に、女性は一つずつ相槌を打つ。そして少女の手に握られた花が揺れるのを、眼を細めて見つめた。
「私は、もう逢えないけれど……。笑っていて、くれるのですね」
「母様」
 少女は足を止めると、母を手招きする。女性が身体を屈めると、少女は彼女の首に腕を回し、抱きついた。
「御遣い様が、こうして下さいました。私に託すと、言って下さいました」
 この小さな少女が、どこまで理解をしているのか。それでも自分なりに考えた行動を、嬉しく感じて女性は少女を抱き返す。少女は、くすぐったそうに笑った。
「母様の気持ちは、私があの方に届けます」
 その言葉に、女性の目から涙が溢れ出す。あの子が道を示し、生まれてきた子供。その温かさが、何よりも愛おしく、宝物になった。その想いは、年を重ねる毎に、積み重なっていく。
「あなたの姿だけで、それは十分に伝わりますよ」
 身体を離すと少女は、きょとんと目を丸くする。そんな少女の頬を、両手で包むと、彼女はへにゃりと相好を崩した。

 * * * *

 少女が、舞うような軽やかさで、水底の祠に帰ってくる。
 巫女の役目は変わった。舞を納めた後、花を受け取る。贄だった少女は、花を渡す役目を得て、御遣いと呼ばれるようになった。

 水神が出迎えて、少女は隣に降り立つ。そして彼の手を取ると、破顔した。
「祭り囃しが聞こえます。一緒に踊りませんか?」
 少女が誘う。水神は頷いて、微笑んだ。


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サークル名:ハーヴェストムーンの丘(URL
執筆者名:乙葉 蒼

一言アピール
ファンタジーを主軸に書いています。魔導士を失った、魔法技術の世界。精霊魔法の研究が盛んな国。永遠の夜の世界。それぞれの環境で、仄かな(あるいは未確定な)恋愛感情を交えつつ、少年少女が成長していくのを……綴るのが、好きです。

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