青い氷蜜

 溶け切ったブルーハワイが、プラスチックの器の中で撥ねた。
 春川至門は、こういう時に自分が頭一つ、他よりも背が高くて良かったと思う。地方とはいえそれなりに歴史のあるらしい夏祭りは人の波が凄まじく、見るべき神輿も、山車も、背が高くなくては影さえ見られなかっただろう。
 至門の父親はごく普通の東京に勤めるサラリーマンで、母親はスペイン人だ。中学までを母の国で過ごした至門は、日本語とスペイン語の両方を流暢に喋れるが、日本文化には縁が薄い。来日した年の夏には、地元の盆踊りに行きはしたのだが、盆踊りと夏祭りは違うものらしいと、友人から聞いていた。
 今日はその友人、目黒千鶴が阿波踊りをするというので、見物に来たのだった。
 千鶴とは高校で知り合った。千鶴はいつもグレーか水色のパーカーを目深に被っている無口な少年だったが、一目見て、至門にはそれが演技だとわかった。 ネットの動画投稿サイトで絶大な人気を誇るアマチュアダンサー。それが千鶴の正体だった。
 元々、至門はフラメンコをやっていた。自分で撮影して、同じサイトに投稿していたので、身のこなしや体形で、それが千鶴だとすぐにわかった。今では趣味が共通な事もあって、頻繁に二人で動画を作って投稿している。
周囲には千鶴の正体をばらさないという条件付きではあったが、仕方がない。千鶴のファンは世界中に数万人も居るのだから。
 祭りの範囲は広く、全長三キロにも渡って出店が大通りに続いている。
 T字路の交差点の部分で、五時ごろに山車が止まる。その山車の前で踊ると言っていたので、至門はその人垣の中から首を伸ばして、相棒を探した。
 半月型の笠を被って四人ほどが踊っている。
 なめらかな手の動きを見せながら、小刻みに歩いて立ち位置を変える。相棒はすぐに見つかった。女性に混じって一人だけ、袖と裾の部分を濃い紫色に染めた着物に、金の帯を締めている。周囲を見ると男性は幅の細い帯をしているから、きっとあれで間違いないだろう。
 踊りは数分で終わって、踊り子が道の端に退場した。
 しゃがんで待機していた、山車の引き手が立ち上がる。紺色の法被を着ている老若男女、様々な人が、二本の太い縄を引く。
 山車の前には二つ太鼓が付いていて、鉢巻をした青年が小刻みに調子を打っている。その後ろには二人、お面を付けた男女が乗っていて、ゆっくりとした振りで、ひょうきんな踊りを踊っていた。木の彫刻が成された壁に、出入り口には暖簾がかかっていて、その向こうには二人、若い女性が笛を吹いて軽快な旋律を奏でていた。
 山車が通り過ぎると、人垣はバラバラと崩れていった。
「おい、至門。こっちだ」
「チヅ」
 首に掛けたタオルで首筋の汗を拭いながら、千鶴がやって来た。笠はどこかに置いてきたのだろう。それにしても、暑そうな衣装だ。
「チヅの着物、暑そうだなぁ」
「当たり前だ。客は浴衣でいいが、踊り手は着物だからな。暑い」
「浴衣と着物って、どう違うんだ?」
「あっちはバスローブで、こっちは長袖の普段着」
「ああ」
 成程、確かにそれは暑そうだ。
「バスローブで出歩いて良いのが不思議だ」
「だろうな。まぁ、バスローブよりは肌蹴にくいから、近所までなら良いって感じだったんだろうな。学校のジャージでどこまで買い物に行けるかというのにも似てるかもな」
 安くて大容量の飲み物が欲しいと千鶴が言うので、近くにあったコンビニに入った。中は人で混み合っていたが、千鶴は無事、二リットル入りのスポーツドリンクを入手して戻ってきた。
「肉だ肉。肉を食うぞ。あとは、さっき向かいに明太マヨをご自由にどうぞってじゃがバタ屋があったから、そこだな。至門、お前、金あるか? 交通費結構かかっただろ」
「大丈夫。お母さんが持たせてくれた」
「そういう時は、日本じゃ、親から小遣い貰った、って言えばいいんだ。お母さん、は必要ない」
「わかった」
 ダンサーというのは生きているだけでかなりのカロリーを消費する生き物なので、至門も千鶴もすぐに腹が減るし、かなりの大食いだ。千鶴の宣言通りに、焼き鳥、串焼き、唐揚げ、たこ焼き、焼きそば、じゃがバターに、春巻きの皮でチーズを包んだ揚げ物に、鮎の塩焼きを食べた。そこまでで至門は満腹になったのだが、千鶴はまだ足りないと言って、二回目のじゃがバターにトライしている。
「食い足りないが、帯がきつい」
「まだ食べるの?」
「いや、七時からもう一回、今度は山車に乗って踊るから、その後にする。それが終われば着物を脱ぎ捨てて、ジャージになる」
 準備があるからと、千鶴は大量のバターでとろけたじゃがバタの残りをズルズルと掻き込んで去っていった。千鶴は物凄く顔が整っているが、時々これでもかという程、男らしい。というか、人生の大半をスペインで過ごした至門にとっては、食べ物を啜って食べるというのが、どうしても下品な行為のように思えて仕方がない。だが、千鶴が目の前でそうしているのを見ても、不思議と卑しいとは感じないので、視覚的な違和感が残る。それがおかしくて、いつも笑いたくなった。平たく言えば、似合っていないのだった。
 そういえば、どの山車に乗るのか聞いていなかったな、と思って、至門は屋台の途切れる場所までゆっくりと歩いてみる事にした。
 途中の案内所で渡されたパンフレットによると、この祭りは八台の神輿と八台の山車が出ているらしい。八つ、どういう区分けかはわからないが組と呼ばれる団体があり、それぞれに一台ずつ神輿と山車がある。どちらも組の名前を書いた提灯を幾つも付けていて、今は道の端で、法被を着た老人が神輿の提灯の中にセットした蝋燭に、火を点けているところだった。
 ルートは幾つかあるようだが、山車は決まった道を輪を描くようにぐるぐると回っているようだ。相棒の雄姿を確実に撮影しようと、至門は屋台の列が途切れたその先に陣取った。
 道の脇には小さな朱塗りの祠があって、小さく低い石垣に囲まれている。
 わさわさと生い茂る山吹に背中を埋めるようにして石垣の上に座り、山車を待った。
 辺りは暗くなってきていて、明るい時よりも風情がある。ぬるく湿った夜風が、ザワザワと金色の花と、至門の髪を揺らした。
 すぐ傍の角を曲がって、祭囃子と共に山車がやって来た。
 一台、二台とやって来て、千鶴の姿を探したが乗っていないようだったので、至門はぼうっと、目の前に広がる幻想的な光景を眺めた。
 その後も見ていたが、千鶴は居なかった。八台目にも居なかったので、もしかしたら何か変更があって、乗らない事になったのかも知れない。元々、人手不足が原因で駆り出されたと聞いたから、色々とごたついているのだろう。
 移動しようと腰を上げた時だった。
 もう一台、山車が現れた。
 青い提灯に白抜きで、花氷、と書かれている。山車そのものはとても古そうだった。木が、既に黒に近い。歳月を感じさせる艶があった。彫刻は獅子に牡丹。迫力があって、今にも動き出しそうだった。
 奇妙なのは、山車を引く者も乗っている者も、全員がお面を被っているという所だ。
 だが、山車に乗る踊り子の中で、白狐の面に、歌舞伎役者のような白い鬘を付けた男が乗っているのを見つけた。裾が濃い紫で、金色の帯を締めている。
「おーい」
 手を振ると、山車はぴたりと至門の前で止まった。太鼓と笛も止む。
 山車から身を乗り出すようにして、手が伸ばされた。乗せてくれるらしい。きっと、滅多にできない経験だろう。それに、正直なところ、至門は山車に乗ってみたくてウズウズしていた。
「至門っ!」
 伸ばされた手を取った時だ。ジャージを着た千鶴が、もの凄い勢いで走ってきて、狐面の男の腕を掴んだ。
「乗るな、至門!」
 うっかりした。人違いだった。至門は苦笑して手を引こうとするが、男は手を離そうとしない。
『乗るが良い。お前にはその資格がある』
 いやに鼓膜の奥に響く。明らかに、人間の喉が出せる声ではなかった。
『お前には踊りの才がある。花氷の山車に乗るのに相応しい。もしも一人で来るのが寂しいのなら、仕方ない。そこの百目鬼も乗せていい』
「ああと、うーん、乗りたいは乗りたいんだけどなぁ」
「乗るな!二度と降りれないぞ!」
 うかつな返事をするな、と言いながら、千鶴がまなじりを吊り上げる。激昂する余り、顔に腕に、幾つもの目が開く。この姿を見るのは、三度目だった。千鶴が本気で怒った時の癖だ。
「悪いけど、俺は乗れない。山車に乗るのも楽しそうだけど、まだ千鶴とやりたい踊りが沢山あるんだ」
 ごめんな、と言うと、男はすぐに手を離した。
『鬼の持ち物なら、諦めるほかあるまい。さらばだ』
 溜息をひとつ零して、山車はゆっくりと動き出した。屋台の灯りに近付くにつれ、その姿は透き通ってゆき、見えなくなった。
 至門は手を振って見送ったが、完全に九台目の山車が消えたと同時に、パン、と千鶴に頭をはたかれた。
「日本の妖怪は大まかに二通り。奴らのように気配を殺して、独自に見えない方法を編み出して生き残った奴らと、俺のように人の中で、人に化けて生きる事を選んだ奴らだ」
「あー、じゃあチヅとは大分違うんだな」
「ついでに言うと、俺のような化ける奴らは単純に強い。で、今も生き残ってる、見えないやつらはっていうと、それは本物のバケモノだ。一部では神だったりする」
「……もしかして、危なかった?」
「ガチで危なかった」
 はぁー。千鶴が大きく肩を落とした。
 この人間ではない、百目鬼という種族であるらしい相棒は、随分と心配症で情に厚い。人間ではないものに好かれ易い至門を助けるのは、いつも千鶴だった。
「頼む。いい加減、人とそれ以外のものを見分ける努力をしてくれ」
「千鶴は見てすぐにわかったんだけど」
「もういい。黙れ」
 笑って、至門は青い蜜に染まったカキ氷を千鶴に手渡した。


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サークル名:藤墨倶楽部(URL
執筆者名:桝田珪赤

一言アピール
幻想怪奇、ファンタジー、サスペンスものなどが多め。短編中心サークルです。サークルメンバーがそれぞれ好きな時に好きなものを書き、各々のスキルアップを目標に活動中。

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青い氷蜜” に対して1件のコメントがあります。

  1. 橋本野菊 より:

    お祭りといえば人の織り成す賑やかなイベント……と思いきや!
    もう八月も終わりですが、フラッとどこかのお祭りへ行きたくなりました。
    思いもかけぬ出会いがまっているかも?

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