祭りは続く
『S君へ。
M氏の話はほんとうです。
アナタも早く決断なさいますよう。』
私は、足元から反射する銀色の光に包まれ、割れんばかりの喝采を浴びても、自らの過ちに気づかなかったのです。
ええ、その瞬間まで。
◇
その地に降りた時、私たちは拍手と歓声をもって迎えられました。
長い船旅の末、ようやく辿り着いた新天地。
道中、好くない想像ばかりを巡らせていた私の不安を、彼らの笑顔が軽くしてくれたのです。
私の祖国は今、長引いた戦争の為に、日々食べるものにも困り、夜もよく眠れぬ日々が続いており、私や家族の神経は摩耗し、今日明日にでもプツリと切れてしまいそうでした。
そんな鬱々とした暮らしの中、届いた一通の手紙。
それがM氏からの手紙でした。
M氏は今から半年前に祖国を出てこの地に移った、私の古くからの友人です。
手紙には、私や私の家族を心配する言葉が綴られ、この地へ逃れることを勧められました。
ここには争いはなく、飢えることもなく、静かに眠れる生活が約束されている、そんな風に書かれていました。
私も初めは信じられず、そんな上手い話があるものかと、それとなく断りの返事をしました。
返事を出した後、私は友人の言葉を信じられなかったことが、心のどこかで引っ掛かっていました。
ああ、嘘です。
それは、全くの嘘では無いまでも、私の心の中心にあったものは別の事です。
正直に申しますと、旧友M氏の話の語る、争いの無い国が本当にあったのだとしたら……? そんな想像が断った後になって、猛烈な勢いで肥大化し始めると、自分がその誘いを断ってしまった事への後悔が、私の内側をすっかり支配してしまったのです。
M氏の話を知らなければ、飢えと渇きを耐え忍ぶだけの日々だったところを、私は自らの誤った判断により、希望という名の手紙に火を着け、後悔という油を注ぎ、身を焼かれるような思いをする破目になっていたのです。
それからまたしばらくして、再度、M氏からの手紙が来ました。
二通目の手紙には、M氏の生活風景の写真と新天地での生活の保障など、そのほか細々とした情報が添えられており、移住者受け入れの期限が書かれていました。
その日付が近いことを見て、私はようやく決断したのです。
それでも船の中で、私は友人を心のどこかで信じ切れずにいました。
いえ、むしろその不信は日を追うごとに強くなり、船を降りる直前には最高潮に達しておりました。
ですが、今、彼らの歓迎を受け、その不安の潮は引き、私の心の波は穏やかになりました。
祖国にいた時には考えられない、凪のような心象でした。
彼らの案内を受けて街へ入ると、そこは祭の賑わいで、屋台のような店が立ち並び、人々は船を下りた時と同様に私たちを歓迎し、祝福してくれるのです。
そこで振舞われる料理や酒はどれも、今まで味わったことのない不思議な味でした。私たち家族は、久しく肉を食べていない所為もあって、牛や鶏よりは豚に似たその肉を夢中で頬張りました。酒も祖国の無色透明のものとは違い、深い紅色をした芳醇な香りのする酒で、その酸味と鉄分が肉によく合うのです。
自分の舌に未開拓の部分がまだこんなにもあったのかと、驚きと実感をもって異国へ来たことを実感すると同時に、その一癖ある風味が絶妙な中毒性を持ち、次々と口へ運ぶ私の腹を満たし、酔わせてくれました。
空腹が満たされるということが、こんなにも人の神経の緊張を解すものであることも発見でした。
私はすっかり船の中の不安を忘れ、彼らに誘導されるままに歩みを進めていました。
しばらく歩いて、移民を受け入れているという区画へたどり着くと、M氏が私を迎えてくれました。
私は二度と会えないと思っていた友人と再会し、熱く長い抱擁を交わしました。
そして、船の中でM氏を疑ったことを心から彼に謝罪すると、彼も涙を流しながら私を許しました。
M氏は私に、ここでの生活の法を説明し、他の住人にも紹介してくれました。
この区画の移民は同じ出身の者ばかりで集められており、言葉の壁などの基本的な生活への不安は無さそうで、私と家族は安堵しました。
それから数週間後、次の祭りの準備に人手がいるというので、祭りの前日、私たちの区画の中からもM氏を含む何世帯かが選ばれ、M氏とその家族は私たちの住むこの区画から移動することになりました。
祭りとは、内容としては私たちの祖国でいうところの収穫祭の事であるらしく、それが月に一度の頻度で開かれ、私がこの地に着いた日も、丁度祭りの最中であったことを知りました。
その月の祭りも滞りなく行われ、私たち移民にも祭りの際の特別な料理や酒が振舞われました。
祭りのあと、ふと酔いがさめ、私は海岸へと歩いて行きました。
月あかりに照らされた穏やかな海を見つめていると、その平行な境界の向こうで続いている争いの事を考え、友人のS君の事を思い出しました。
私はこの地に来る前に、S君にM氏からの手紙の相談をしていました。
S君は反対しました。当初の私と同じように、上手い話がある訳がないと、M氏の話を信じませんでした。
しかし、ここへ来て数週間、M氏の話は本当だったことが分かり、私は自分の幸せなこの状況に、急に申し訳ないような罪悪感に苛まれました。
自分だけが平和に暮らしているという事実が、私の幸せな生活に影を落としました。
祭りの夜以降、私はどこか落ち着かないような、誰かに見られているような、ざわついた気持ちになっていました。
おそらくそれは、例の罪悪感から来るもので、友人を置いて自分だけ助かった、という罪を、誰か尊い人に見咎められているという強迫観念でした。
私がもっとM氏の言葉を信頼し、S君を強く説得していれば……。
そんな時でした。先日の祭りの際の移動で区画内に空きが出来たので、移民の追加受け入れをするという話を聞いたのです。
私は、今度こそ同じ過ちを繰り返さないという思いで、紙にペンを走らせました。
『S君へ。
M氏の話はほんとうです。
アナタも早く決断なさいますよう。』
そう書き出し、M氏が私にしたように、ここでの生活の様子を事細やかに知らせ、受け入れの期日を記しました。
どうか、私を信じてくれ。
また数週間後、祭の準備の時期がきました。
今度は私たちの家族も、その手伝いをすることになりました。
前日、移動の為に荷物をまとめていると、S君からの手紙が届きました。
そこには、私の言葉を信じ、祖国を出ると決意したという旨が書かれていました。
ああ、よかった。これでS君にも平穏な生活が訪れるのだ。
街へ移ると、あちらこちらで祭りの準備が行われています。
この祭りを早くS君にも見せてやりたい。
そんなことを想いながら、私は眠りにつきました。
◇
祭りの朝、私の頬には冷たく硬い感触があった。
はて、ちゃんと布団で眠ったはずだが? そう思いながら目を開けると、まばゆい光の中に私はいた。
眩しい。
眩しくて周りがよく見えない。
しかし、周囲の歓声が私の鼓膜を震わす。
祭りが始まっているのか。
まさか、寝過ごしたか?
起きなければ。
私が身を起こそうと地面に手をつくと、そこには、裸の私の姿が。
冷たい感触の原因は、この銀製の床の所為だった。
私が立ち上がると、わぁ、と一際大きな歓声が上がった。
慣れてきた目で周囲を見渡すと、そこには妻の串刺しがあった。
他にも、見たことのある人や見知らぬ人の肉塊があった。
紅い水溜まり。首。手。足。胸。目……
私の理解は追い付くことなく、次の瞬間には私の体は銀色の巨大な何かに貫かれ、天高くあがった。
何とか眼球を地上へ向けると、そこには大きな銀の皿があった。
収穫祭。
ああ、すまない、S君。
そう思うが、もう、どうしようもない……
あと、の、まつ、り……
了
サークル名:S.Y.S.文学分室(URL)
執筆者名:堺屋皆人一言アピール
変化球ミステリ中心サークル。近代文学×ミステリ、ラノベ×ミステリ、などのシリーズを書いております。が、今回もテキレボアンソロに提出したものとは毛色が違いますのでご注意ください。