霧の中、祭は終わった

 ――ザッザザザ、――ーランドで、ハロウィーンを楽しみませんか? 仮装大会は――月……日開催……ザッザザ――
 底抜けに明るい女の声が、どうしようもなくノイズがかって通信機から聞こえてくる。
 冷えた湿気が籠った操縦棺の中で、俺はうんざりと唇を歪めた。いったいぜんたい、誰がこんな戦場でコマーシャルなんてぶつって言うんだ? しかもこんなに、壊れたみたいに繰り返し、繰り返し。
 操縦盤へ指を走らせ、ウォーハイドラの腕を目の前に伸ばすと、肘から先がとっぷりとミルクのような霧の中に飲み込まれた。画面には今日の霧と電磁波の濃度が表示されてはいるが、こうして自分で確かめてみないと気が落ち着かなかった。どれぐらいの距離を俺は見通すことができるか、あるいは、ちっとも見通すことができないのか。
 多少の濃い薄いの差はあっても、残像領域はいつもこうして深い霧に覆われている。
 残像領域、残像領域。俺たちにとって唯一のこの戦場がそんな名前で呼ばれているのは、まさにこの霧の向こうから、隔たれた別の世界の連中がやって来るからだ。
 この霧の中にはきっと、どこか知らない、霧に覆われていない場所からやってきて、それでも俺たちと同じようにこうしてハイドラに乗っている奴らがいるはずだった。
 この能天気なラジオ放送も、あるいはそうなのかも知れない。繰り返し、繰り返し、繰り返し。ハロウィーンを――ランドで――楽しみませんか? ザッザザザ――もしかしたら、ハロウィーンってのが何なのか知っている奴も、探せばいるかも知れないな。残念ながら俺は、そんなものは聞いたことも見たこともないけれど。
 俺の機体を跨ぐように、巨大な多脚式のウォーハイドラが霧の中からぬっと顔を出し、ゆっくりと通り過ぎて行こうとする。胴体に対してその脚は細く、アメンボを思わせる。踏みつぶされないように息をひそめ身を屈めながら、俺はその巨体と自分の機体の歩調を合わせた。
 恐らく、向こうは足下に機体があることに気付いてやしないだろう。俺のハイドラは人型を模した小さな二脚の機体で、相手の半分以下のサイズだし、辺りは真っ白で何も見えない。俺はソケットにつながった榴弾砲をハイドラに取り出させ、その黒々とした腹へ向けて引鉄を引いた。
 霧の向こうで起こった爆発は、花火というには何ともしょぼかった。アメンボがバランスを崩して脚を折るのから走って逃げつつ、俺は口笛を吹き鳴らす。通信機からは相変わらずのノイズ、ザザザ――仮装大会は……
 ラジオは絶好調だった。もしかすると、近くに霊場ができているのかも知れない。幽霊だか、残留思念だか、残留電波だか、とにかく人間の残り滓は戦場と、何よりこの霧と相性が良くって、霊障としてハイドラに牙を剥くことさえある。特にこういう霧の深い日には。こうして意味の通らないことをいうぐらいなら可愛いものだ。
 動きを止めたアメンボに、これ幸いとばかりに群がってくる影たちが霧の中にぼんやりと認められた。俺の獲物だ、と通信機にがなり立てるのは、およそナンセンスな行為だろう。残像領域ではいつだって、獲物にとどめを刺すのは早い者勝ちだった。
 電磁ブレードに切り裂かれ、杭を突き立てられて削られて行くアメンボから顔を背ける。ハロウィーンを――で、楽しんで――楽し、――ザザザ、仮装大会――この甲高い声の女に声が届くなら、仮装大会などわざわざ開く必要などない、と教えてやっただろう。残像領域のウォーハイドラにはひとつとして同じものはなく、九つの首に思い思いに九つのパーツが接続されている。この戦場を跋扈するハイドラたちの姿を並べてみるだけで、ちょっとした仮装の博覧会になるに違いないからだ。
 もっとも、今は何もかもがこの霧に覆われて見えやしない。かかった影にカメラを上に向けると、機械の翼をこれ見よがしにはばたかせて、鳥のような形態のハイドラが低空を旋回するのが見えた。間をおかず、計器がアラートを発して、こちらがロックオンされたことを告げる。そういう時にも、ラジオめいた音声はまったく鳴りやむことがない。ハロウィーン……
 こっちがばら撒いた豆鉄砲みたいな弾が、放たれたミサイルにぶち当たる。慌てて、俺はハイドラを走り出させた。
 しかし、ハロウィーンっていうのは一体何なんだろう? 遊園地で仮装大会をするような何か? まったく見当もつかない。
 ハイドラが走るのに合わせて上下にわずかに揺れながら、俺はレーダーが走査スキャンした戦場をあらためて眺めた。敵も味方も入り乱れて、好き勝手に動いている。外から聞こえる音はもう渾然となって、何が何だかよく分からなかった。爆発、射撃、そしてまた爆発だ。ちょっとしたお祭り騒ぎだった。それをぜんぶ塗りつぶすように、ラジオの音が流れてくる。
 こうして戦っている理由を、俺は実のところよく覚えていない。残像領域ではほんの些細なことで諍いが発生して、いつでもこうしてハイドラライダーたちが駆り出される。
 物資の輸送、カルト教団の調査、地下空間の捜索、植物園の見学、パーツの性能試験、それから企業同士の戦争。ハイドラ同士の戦い自体が、賭け事の対象になることもある。殺し合いのエンタメだ。
 それで、俺みたいなフリーのハイドラライダーときたらどこにでも顔を出して、どこでもこうして逃げ回ったり、走ったり、殺したりする羽目になる。ザザザ、ハロウィーンを……そうだな、聞いたこともないが、ハロウィーンで殺し合うこともあるかも。何も言われなくても、仮装めいた武装をしている連中ばっかりだ。
 目に付いた敵機に片っ端から弾を撃ち込みながら、俺は霧の中を駆け抜けて行く。瓦礫ばかりの不毛の荒野に、次々と破壊されたハイドラの残骸が加わった。
 もちろん俺の機体も無事というわけにはいかない。斬りかかられ、撃ち抜かれ、装甲は削られていた。
 帰った後の整備費のことを考えるのは気が重いことだ。戦場での評価を追い求め、ギリギリまで装甲を削り、安くはない銃弾をばら撒いて、報酬よりも整備費の方が高く付いたってやつもいる。今日の俺はどうだろう。結構やられたし、弾も打ってしまった。
 こうして戦場でやらかした後に、組んでいる整備士のところに帰ると、すぐさま金の勘定をはじめて、これ見よがしにため息をつく。その顔を見ると、俺はしまったというよりはおかしい気持ちになる。生きて帰ってきたんだからいいだろ、と。俺よりも金のことを気にする薄情さを責めてるのでも怒ってるのでもなくて、本当に、なんだかたまらなくおかしいのだ。少なくとも、この繰り返されるわけのわからないコマーシャルよりはずっと。それにしたって、金がかかるのはよくないのだが。首が回らなくなったらハイドラにだって乗れやしないのだ。ハロウィーンを楽しみませんか…ザザザ……ああ、考え事をしていたから聞こえていなかったのに。それにしても、何でこんなにはっきり聞こえるのだろう。霊障はまだ見ていない。
 濃い霧の中で、少しずつ、少しずつハイドラの数が減っていく。それは出くわす影が少なくなっていくことからも、レーダーの反応がちょっとずつ失せていることからも、耳に届く音がだんだんと聞き分けられるほど減っていることからもよく分かった。元気なのは、この甲高い声だけだ。仮装大会は……ザザッ、どうやら、こちらの分が悪いようだ。
 これ以上金がかからないといい、という俺の願いは、どうやら叶いそうになかった。まっすぐこっちに向かってくる機体がある。俺は速射砲の残弾を確かめて、レーダーの反応を見ながら、霧の中で相手を見極めようとした。
 そこで、ギョッとする。いくら何でも、近づく速度が速すぎる。ブースターを一体何基積んでいるんだ?
 俺が毒づく間も無く銃口を霧の向こうへ向けた時には、相手はほとんど目の前にいた。大振りの電磁ブレードを構えて突っ込んできたその機体は、霧の中に溶けそうな真っ白な装甲をしていた。その頭部は、スズメバチを思わせる。……仮装大会だ。
 避けることも迎え撃つこともできなかった。
 真っ向からブレードで頭部をすっ飛ばされて、レーダーの表示がブラックアウトする。俺は息を詰めた。生きて帰ってきたんだからいいだろと、言ったのは、最後に呆れ混じりにため息をつかれたのはいつだったか。
 ようやく引鉄を引いたが、恐らく弾は当たらなかった。恐らくと注意書きがつくのは、再び振るわれたブレードが操縦棺を直撃したからだ。そこからは、すべてが真っ赤、それから真っ白だ。
 ザザザッ、ハロウィーンを楽しみませんか……電磁ブレードがいやにゆっくり俺の操縦棺を切り裂く間にも、コマーシャルの声だけがいやに鮮明に聞こえてくる。何も見えない。仮装大会……そういえば、あのハイドラのこと、どこかで見たことがある。……ランドで、ハロウィーンを……ザザッ、スズメバチみたいな頭の……仮装大会……ザザザ……
《――偽りの幸運ライズラック!》
 喉から迸った俺の声は、さっきから聞こえていたコマーシャルよろしくノイズがかっていた。電磁ブレードがようやく、操縦棺を真っ二つにしながら振り抜けていった。それが分かる。その操縦棺に、誰も乗っていないことも。
 俺は思い出していた。
 俺はどうやらとっくに死んでいて、整備士はしばらく顔を真っ赤にして泣いていて、ハイドラだけがここにある。ハロウィーンを楽しみませんか、仮装大会……こんなにずっと聞こえるわけだ。ザザザッ、でも、もうそれも終わりだ……ザザザザザ……
 残像領域では、時折こういうことが起こる。どうしてかは分からない。ひとつだけ言えるのは、もう金なんかの心配をする必要はないということ。
 コマーシャルはもう聞こえなかった。
 祭は、もうおしまいだ。


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サークル名:イヌノフグリ(URL
執筆者名:ω

一言アピール
ハロウィーンは死霊に関わるお祭りということで、死者の話です。あと、モブ視点で主役を敵に回して書く話が好きなので、そのようにしました。
ライズラックを駆るハイドライダーのお話は『アルファベットの境界線』でお読みいただけます。
他にも、探偵がバラバラになる小説を置く予定です。

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