がらんどうの魔女
わたしは姿見に映る自分を見る。
人って、いちばんいい顔をするのは、鏡をのぞいているときなんだって。額から胸までまっすぐ伸びるブロンドをなでながら、でも、と思う。でも、わたしが毎晩のように鏡をのぞく理由は自分を見るためじゃない。ママを見るためなのだ。
あつい唇も、ブルーの瞳も、ぜんぶママからゆずられたもの。まだ大人じゃないけれど、成長期がきてぐんと伸びた身長は、十三歳になって、ついにおばあちゃんをこえた。着実にママに近づいている。
わたしは両手をそっと自分の首に巻きつけると、すこしずつ親指に力をこめて、ぎりぎりのところで呼吸をくりかえした。
「ママ……」
ベビーシッターにわたしをあずけっきりだったママとの記憶はあまりない。どんなハグをするのか、どんなにおいなのかも知らない。ママを感じるのは、こうしているときだけだ。ママはわたしの首を絞めていたから。
両親は五年前に離婚をして、パパには新しい家族がいる。どこに住んでるのか、子どもが何人いるのかも、フェイスブックでわかってる。パパってなんてバカなんだろうって、見つけたときはあきれたものだ。
でもママは、いくら検索しても出てこない。一体どこにいるんだろう。若い彼氏と、家族になれただろうか?
目をひらくと、一羽のカラスが姿見の上にとまっていた。
「なに、きどってるんだ?」
カラスはオレンジの眼をぎょろつかせる。
「きどってなんかない。儀式よ」
「そうかい。きょうは宴だぜ。来るならはやく来い」
羽ばたいたカラスは、そのまま鏡部分を通りぬけていく。
「ちょっと待って!」
わたしはあわててあとを追って、鏡に映りこんだもう一つの世界へとダイブした。
暗いくらい穴のなかを足早にすすむ。
穴は木の根元のうろに通じている。わたしはそこからはいだして、両手をあげてうんと身体を伸ばした。
あいかわらず、どす黒い雲と、なまぬるい風だ。
「さ、ホウキと杖を持て。みんなあつまってるぜ」
納屋の朽ちた軒から見おろすカラスに目をやると、割れた窓に映る自分に気がついた。
「うん……」
窓には、普段、絵本や映画でしか見ないくらいの、みにくい老婆がいる。
腰は曲がり、鼻は鈎のような形をしていて、頬に大きなイボがある。眉は手入れしてない芝生みたいだし、歯もすかすか。ブロンドはつやがなく、唇は青く縦じわが入って、瞳はにごっている。黒いワンピースを腰紐でゆわえたかっこうをしていて、つまり、ハロウィーンでおなじみの魔女である。
あの穴を通ってここへ来ると、魔女になってしまうのである。
もちろん生まれつきじゃない。三ヶ月まえに、自室で例の儀式をしているとき、突然カラスが目のまえにあらわれたのだ。
魔女のうわさは、何度か聞いたことがあった。内容は耳にするたびちがっていたけれど、共通しているのは、魔女の広場が世界のどこかにあり、そこで宴がひらかれている、ということ。中世じゃない、この現世の空の下で。
なれるものなら、魔女になってみたかった。だからわたしは迷うことなくカラスのあとを追いかけ、いま、こうしている。
ママの面影なんかどこにもない、老いた身体を見るのは好きだ。
だれも、わたしをわたしだってわからないだろう。
そう、だれも。パパはもちろん、ママでさえも。
テレビで奇跡の対面とかやってるけど、あんな、ひと目でぜんぶの氷が溶けたみたいになんかなるわけがない。わたしは何度もその様子を頭のなかでシミュレートしている。仮に、ハグをして、においを思い出して、もし仮の仮にテレビのためじゃなく自分のために涙を大量に流したとしても、不純物は残るだろう。
「薬は完成したけど、成功するかしら」
枝ぶりの広い木をふり返る。
ここは、魔法の植物が育つ魔女の庭。その植物でつくられた魔法の薬は、宴の炎にかけると壮大な力を発揮する。
わたしはママを呪いたくってたまらない。
しわだらけで地層みたいな身体は、その意思を抱いた不純物となるのだ。
準備をととのえてホウキにまたがると、空中にうかぶ庭を出て、湖にかこまれた平原へとおりたった。
真ん中には大きなたき火があり、魔女たちがそれをかこってゲームをしている。
「みんな、真打ちがきたよ」
「呪いなんてひさしぶり」
口々にむかえてくれて、わたしは緊張がつよまった。形式ばかりの宴は年八回行われるが、呪いをかける魔女はもういない。かけるふりをするパフォーマンスがはやるくらいだ。
「でも、すこし待ったほうがいいかも」
ひとりの魔女がしめすほうを見ると、何人かがあつまって、ひとりの魔女をなだめていた。彼女が泣いているとわかったとき、わたしはほんとうにおどろいた。だって魔女って、泣くと魔力がうすまるんだもの。
それに、ここは悲しいことなんかない。みんなやさしいし、リアルのことを持ち出さない距離感が、ちょうどいいくらいだ。
「きょう、はじめてここへ来たんだってさ」
はねあがった鼻をもみながら、ひとりの魔女が耳打ちしてきた。
「わたし、こまる。魔女をゆずってもらっても」
泣いている魔女がいう。彼女のとなりでなだめているのは、ここで何十年も魔女をしているという、大ベテランのテスだ。
「ゆずってもらった? だれに?」
「ともだち。いらないからって。わたし、ゆずる子なんか、いない」
魔女はふたたび泣きはじめてしまった。
それにしても、おかしな会話だ。魔女って、ゆずったりできるんだろうか?
テスはぽんぽんと泣き魔女の背をたたく。
「明日、ともだちを責めるのはやめなさいね。その子は魔女のことを忘れているから」
え? 忘れるなんて、聞いたことない。
でも、ここでさえぎるわけにもいかず、じっと耳をすませた。
「あなたにできることは、みっつ。ひとつ、とりあえず魔女を楽しんでみる。ふたつ、魔女のことは棚にあげて、ふつうにすごす。あなたの庭と使い魔のめんどうは、わたしが見てあげる」
庭は、だれかが手入れをしないと朽ちてしまう。するとこの世界をささえる魔力がへるらしい。そこを巣にしている使い魔も死ぬ。ちなみにわたしの使い魔は、カラスね。
「みっつ。てきとうな人を招待する」
テスは、声の調子をかえずにそれを告げたが、わたしはふたたびおどろいた。招待、だって? そんなことが、できるなんて。
「その場合、あなたは魔女のことをぜんぶ忘れる。どんな悪夢も目をさますとさっぱり忘れるようにね」
「わたし、は……」
赤くむくんだ顔で、泣き魔女はもごもごと口をうごかした。
「決めるのは、ずっと先でいいわ。今夜はもう帰りなさい」
うながされて立ちあがった泣き魔女は、テスとふたりでホウキにまたがり、自分の庭へもどっていった。
「ねえ、いまの、どういうこと? 招待って?」
わたしは鼻もみ魔女をつかまえる。すると彼女は、ああと目を大きくしてうなづいた。
「あんたは使い魔に見つけられたクチだっけね。ここはいわば、招待制のSNSみたいなものなんだよ。紹介がないと入れない。増えすぎもよくないから、招待した人は抜けるけどね」
「じゃあ、あなたも?」
「そうさ」
「わたしは? 偶然、使い魔がきたってわけ?」
鼻もみ魔女はうつむいて、手のあぶらを服でふきはじめた。時間かせぎのようすに、わたしはいやな予感をいだいた。
「ねえ」
うながすと、彼女は重そうに顔をあげる。
「そうだねえ……。たとえばあんたが年老いて死ぬでしょう。すると庭は朽ちるしかない」
「たしかに、そうね」
「そういうときは、あんたの姉妹とか、いとこ……。いちばん血縁関係がつよい人のもとへ、使い魔がいくことになってるんだよ」
ざっと、風がふいた。
「さあ、儀式をしよう。どんな呪いか、楽しみだよ」
鼻もみ魔女は切りかえるようにいって、みんなをあつめだした。通りすぎる魔女たちがわたしの肩をぽんぽんとたたいていくけれど、なんだろう、気持ちがゆらゆらして、落ちつかない。
呼吸があらくなっている。杖をにぎりこんだ。背丈よりも大きな炎のまえに立つ。
ううん、ちがう。ぜったい、ちがう。
思いうかんだ想像をかき消すように、薬袋を投げこんだ。杖をふりあげ、まぜっかえす。
まず、ママがどこにいるかを突きとめて、その町から引っこしたりできなくなる呪いをかけるんだ。
頭のなかにたたきこんだ、長ったらしくて発音しづらい魔女のことば。まちがえないように、教わったように、となえあげる。
炎が大きくなった。まわりから、わっと声があがった。
ひたいに汗を感じる。火の手がわたしのほほをなめるようだもの。ああ、老婆の姿でよかった。これがふだんのままだったら、わたしはきっと耐えられない。
でもいくら待っても、なにも変わらなかった。
どうして? 魔法はまちがってないはず。居場所をつきとめられないってことは、つまり……。さきほどうかんだ想像が大きくなって、のみこまれてしまいそう。
わたしはふたたび呪文をさけんだ。杖をふりあげた。でも、つづけられなかった。
だれかがうしろから引っぱっている。
わたしの服をつかんでいる。足が勝手にうしろへとうごく。
やだ、はなれたくない。まだおわってないの。
炎のまえに立ってなくちゃならないの!
「呪ってやるって、決めたんだから。この手で。わたしを何度も殺そうとしたあの人のことを」
なのに、どうして呪わせてくれないの。
町に足止めをしたら、つぎは、ママの家族をしらべあげるんだ。そうして、もしママがおなじことをくりかえしていたら、ひと思いにやってやる。
そう、すっかり計画をしていたのに。
いつのまにか座りこんでいたわたしは、自分の両腕をもちあげると、細く骨のうきあがった首をゆっくりと押さえこんだ。
力が出ない。ふるえている。
胸におちたブロンドが、炎の赤みにきらめいた。
巻きついた指のうえを、つと、つめたいものがながれていった。
サークル名:イチナナ(URL)
執筆者名:だも一言アピール
タイトル未定ですが、この作品を収録した同じ世界観の短編集を準備しています。