盆踊りの裏側で

相次いで私の両親が亡くなり、私たち家族は実家へ住む事となった。私が生まれた年に建て築四十年とはいえ、町で名を馳せた大工の手で建てられた、青森ひばの家はリフォームも数年前に済ませており、親子三人で住むには十分だった。
「回覧板だよ」
夕方にピンポーンとインターホンが鳴り玄関へ出ると、婿をとった幼馴染である隣家の幸子ことさっちゃんだった。さっちゃんの家は、お婿さんが入る時に、大手建築メーカーの二世帯住宅へ建て替えをしていた。さっちゃんのご両親は健在で、老後はそれぞれ趣味に勤しんでいる。中学校へ上がったばかりの女の子が一人おり、テニスの部活三昧の日々らしい。
私たち二人は専業主婦をしており、頻繁に顔を合わせている。
「旦那さんの会社がこの近くで良かったね。良かったね、は不謹慎かもしれないけど」
名前の通り幸せそうな彼女と、とりとめのない話をしばらくしているうちに、夕立が降ってきたので、さっちゃんは洗濯物を取り込みに慌てて家へ戻った。
私は洗濯物を干していなかったので、居間(ダイニングなどという呼び方は似合わない)で回覧板へ目を通す。
「〇〇町盆踊り大会のお知らせ」
その文字が目に飛び込んできた時に、あの夏の情景が目に浮かんだ。かつて新興住宅だった地域は代替わりが激しく、年取って坂ばかりの不便な町にある家を売却し引っ越しをする人が多く、新しい家と見知らぬ人ばかりとなった、この町と同じ区の隣町も事情は変わらない。だが、盆踊りは今も続けられているらしい。
家から歩いて数分のスイミングクラブから帰って来た、小学一年生になる娘のさくらへ
「今夜に盆踊りへ行くわよ」
と告げた。
「わぁい!」
大はしゃぎをする娘をよそに、母の形見である古い和箪笥から浴衣を探した。
                    ●
あれはもう三十三年前になる。
月が雲に覆われ暗い夜だった事を覚えている。
父方の祖母から贈られた、ピンクの木綿に金魚柄の浴衣を着て赤い兵児帯を巻いた私と、本伝中村流の黒い二つ紋を散りばめた水色の浴衣を着た母は、盆踊りの会場へと向かった。会場は自宅から歩いて三十分はかかる隣町の公園で、円形の広場に櫓が組んであり、広場を取り囲む歩道にぐるっと屋台が並んでいた。
母と同じ浴衣を着たおばさんらが
「先生、こんばんは」
と挨拶をしてから
「お嬢さん、可愛い浴衣ですね」
ついでのように言って通り過ぎて行った。
五時の盆踊りが始まるまで三十分はあるが、既に屋台が出店しており
「お小遣いよ」
と母から渡された千円札を握りしめ、私は屋台の群れへ突進した。
あんず飴・いか焼き・射的・おめん・かき氷・かたぬき・金魚すくい・こんぺい糖・スーパーボールすくい・ソースせんべい・たこ焼き・飲み物・ハッカあめ・ヨーヨーつり・わたあめ……
一ダースはある屋台から、どれにしようか少し考えていると大好きな、あんず飴がある屋台がまず目に止まった。
「おじさんとじゃんけんだ」
屋台のおじさんとじゃんけんをして、勝てばあんず飴がもう一つ貰える。
「せーの、じゃんけんぽんっ!」
やった♪今日はついている。勝った私は喜々として、あんず飴を二つ受け取ると屋台を後にした。両手に持った、あんず飴を代わる代わる舐めながら、屋台を一つ一つ見ていく。一つの屋台を見ながら、アレは食べちゃいけないんだよね、と目でチラッっと確認をする。「お腹を壊すから」と母に禁じられた、魚介類を扱っている屋台だ。お小遣いの千円のうち、百五十円はあんず飴に使ってしまった。後は何にしようかな?考えながら屋台を一周すると、あんず飴は一つなくなってしまった。会場のあちらこちらに設けられた、黒い大きなビニールを被せてある、ダンボールで作られた臨時のゴミ箱へ、あんず飴の割り箸を放り込んだ。
「ゆうちゃん」
名前を呼ばれて振り向くと、陽子ことよっちゃんと呼ばれている同級生だった。特に親しくはなく、たまに話をする程度の子だ。白いノースリーブの膝上ワンピースを着て、弟らしき幼稚園ぐらいの子と、授業参観で見かけた事がある、二十代後半の女性と一緒にいる。私は母親が三十代後半なので、若いお母さんでいいな、とぼんやり思った。自分の住む町でも盆踊りは開かれているので、隣町の盆踊りで同級生に会い少し驚いた。
「ゆうちゃんもお母さんと来ているの?私はすぐそこのおばあちゃんちに泊まっているの。ゆうちゃんのお母さんはどこ?」
名前の通り陽気によっちゃんがまくしたてる。
私はあっち、と町内会本部の屋根を差した。母には何かあればお屋根のある所へ来なさい、と言われていた。
「トイレなのね」
よっちゃんは一人で勝手に納得すると、弟がぐずり始めたので
「じゃあね」
と手を振り親子三人で去って行った。その後ろ姿を見送ってから、私は再び屋台の物色にとりかかった。三百円のたこ焼きを食べて、しょっぱかったのと喉が渇いたのと暑いのとで、百五十円のかき氷を買った。青・赤・黄……色とりどりのシロップの中からレモンを選ぶ。あんず飴といい、私は酸っぱい物が大好物なのだ。
トイレに行きたくなったので、公園に設置されたトイレへ向かうと行列ができていた。げんなりしながら並びやっと用を足せた。
屋台はあらかた堪能したので、櫓へ行き下で地面を蹴り踊っている列に加わってみた。東京音頭と炭坑節なら、春に行われる小学校の運動会でも踊るので、列を乱す事はなかった。
それからちょっと経って、公園の片隅に立ったおじさんに、子供らが群がり始めた。盆踊りは八時まで行われるが、子供は七時で帰るように町内会で決められていた。その代わり子供らには、ビニール袋に入った駄菓子が手渡される。私も列に並び受け取った。ガヤガヤと騒ぎながら子供らやその親らがが帰って行き、会場は一気に静かになった。残ったのは植え込みの陰へ座り込み、ビールとたこ焼きやソースせんべいで、酒盛りをしている数人のおじさんたちだけだ。
しばらくして、二百五十円の金魚の袋を手にぶら下げた私は櫓を見上げていた。手に持つと邪魔な袋は最後にしようと決めていた。金魚すくいは難しく、一度だけすくうと紙が破れ、がっかりしていると「参加賞だ」と一匹だけ、赤い小さな金魚を屋台のおじさんがくれた。手持ちのお金は残すところ百五十円となった。
櫓では男の人が太鼓を力強く叩き、東京音頭が流れていた。東京音頭は母の踊りの会と別の踊りの会と婦人会とが交互に踊る。アラレちゃん音頭が流れれば母の会だが、子供は帰された時間帯なので流れなくなった。櫓の下で踊っている人らは、数えるほどになっていた。東京音頭の次にズンドコ節が流れ、ドリフは別の会だと判断し、最後の百五十円で瓶詰めのラムネを買った。飲み干して瓶のビー玉が取れないか、悪戦死闘していたが無理だと諦めて、瓶を屋台へ返しに行った。返すと五十円が戻ってくるのだ。小銭を大事に袂へ入れた。
炭坑節に変わった曲を聴きながら、私は母の踊る姿を脳裏に描いた。別の会は知らないが、母の会と婦人会の中では、母の踊りが一番に上手い事を私は知っていた。公民館で婦人会へ盆踊りを教えに行くのに、一人で留守番をさせるのは不安だから、と母に連れて行かれていたからだ。夜の七時半に始まり八時半に終わる稽古は一か月間、週に一度だけ行われた。今から思えば、日舞の師範代である教える立場の母が、一番に上手いのは当たり前だが。母の優美な手の仕草・滑るような足さばきの仕草……
ふいに周りが静かになった。
「えー。町内会長から締めのご挨拶を」
アナウンスが会場へ響き、盆踊りは終わったのだと気づく。
屋台は店じまいを始めており、酒盛りをしていたおじさん達の姿も消えていた。
本部へ駆け寄りたい気持ちを抑えつつ、じっと難しい言葉の羅列を聞く。
そのうちに櫓の明かりも屋台の明かりも消えた。
暗闇の中で急に何とも言えない気持ちに駆られた。
立ち尽くしていると、
「優子!」
と母の声がした。あんたはどこをほっつき歩いているのよ、などと小言を聞かされる。
母と同じ浴衣を着たおばさんらが
「先生、お疲れ様でした」
と挨拶をしてから
「お嬢さん待っていたの、偉いわね」
ついでのように言って通り過ぎて行った。
「帰るわよ」
疲れた顔をして早足で歩く母の後を追いながら、盆踊り会場を後にした。帰り道の三十分間は、二人とも無言のままだった。
家へ帰ってからバケツに水を張って入れた金魚は、しばらくして小さなプラスチックの水槽の中で、プカプカと仰向けに浮いていた。
                    ●
「可愛い」
娘の声にはっと我に帰る。取り出した浴衣は、当時の私が着ていたものだ。母の着ていた家元の紋がついた浴衣は、日舞を習わなかった私には着られない。踊り一筋に生きる母と私は距離を置き、日本伝統などとは全く無関係の大学を出ると、規模は小さいがしっかりした会社へ入り、職場で知り合った同期の夫と結婚をした。
あの日はお盆も関係のない仕事をしていた父の帰りが遅く、預ける相手がいなかった為に、やむをえず母は盆踊りへ私を連れて行ったらしい。次の年も連れていかれたが、小学校の中学年に上がると、隣町の盆踊りの日は家で留守番をさせられた。一人娘なので、仕事で帰りの遅い父を待つ、私の淋しさは変わらなかったが。
「お昼寝をしている、直樹パパも起こして一緒に行こうね」
と言うと娘は嬉しそうな顔でコクッと頷いた。私は娘には盆踊りから笑顔で帰って欲しいと、心の底から願った。-End.-
2017.8.15.(火)お盆の日に、町内のお盆祭りを自宅で聞きながら。


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サークル名:アテナ戦記(URL
執筆者名:橋本野菊

一言アピール
皆で輪になって♪盆踊り楽しいですよね!でも、その裏側では色々あるのです……それを書きました。
日舞の師匠であり会を主宰する母を持つと豊富な体験が出来ます(笑)母娘の葛藤も激しく、今までの本は娘の視点から様々な葛藤を書きました。無料配布本と聖闘士☆矢の二次創作もありますのでお越し下されば幸いです。

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