うつくしい野球

　少女は十五歳から十七歳の間にゾンビ化する。165片の肉塊にするまで叩き切らないと再殺は不可能。人はそれをステーシーと呼んだ。
　大槻ケンヂの小説の話である。
　ゾンビは油断をすると現れる。元はブードゥー教における死者の蘇生にまつわる概念がモチーフらしいらしいが最近は別に関係ない。ゾンビはゾンビであり、もはやそれ以上でもそれ以下でもありえない。そういえばこの間、ロメロが死んだ。

　ところで甲子園というのは高校球児のお祭りだ。
　ゾンビにとってもそれは同じらしい。
　いや祭りというよりはもっと神聖なものかもしれないが、はっきり言ってどうでもいい。僕は文科系だ。体育会系の精神論など滅べばいいと思っている。
「プレイボール！」
　投手の腐った腕が振りかぶられ、白球が放られる。べちょっと肉塊が落ちるが別に誰も気にしない。脳にも腕にも血流はなく運動に関する指令系統は完全にいかれているはずだが、それでもそこそこの球が飛んでくる。球速90くらいは出ているはずだ。
「ストライーク！」
　大槻ケンヂのアレは予言の書だった。
　現代日本では、15歳から18歳までの男子がゾンビ化する。ただし野球部員に限る、という条件つきだが。
　そして別に、165個の肉片になるまで切り刻む必要はない。こいつらは心行くまで野球をさせてやると、満足して勝手に死ぬ。
　ボールは友達、あれはサッカーだったが、野球と少年も永遠にトモダチなのかもしれない。
　バシッと音を立てて、もう1球投げこまれる。
　ゾンビ・ザ・バッターは思いっきりスイングしたが、空振りだった。
　ゾンビの野球はテンポが悪い。
　バッターボックスに入るのも、1球投げるのも、打って塁に出るのも、捕球をするのも、すべてがヨタヨタしている。
　「ストライッ」
　僕はゾンビではなく審判だ。ついでに言えば、ぴちぴちの生きた人間だ。
　ゾンビになった元野球部員は、監督や審判の役を担う相手に限っては、生身の人間であっても噛みつかない。『上』の人間には絶対服従。まったく体育会系って、バカじゃないのか。
　死にきった脳が一体どうやってそれらのを人間を区別しているのだろう。
　こう言っちゃなんだが、もともと男子高校生なんて、たいして頭など使ってなかったのかもしれない
「おい何してんだ西野ー！　打てー！」
　特殊な強化ガラスで覆われたドームの外で、観客がヤジを飛ばした。
　腐っても（文字通りに腐敗をしてるわけで）、それは球児の競演、甲子園だ。
　死んでもなお、ひたむきに野球をする丸坊主の少年たち。近所の野球部の練習を勝手に指導するクソジジイの類、あの連中にはたまらない見世物らしい。
「ストライッ！　バッターアウト！」
　僕はおもいっきり声を張った。
　畜生。こう見えても僕はインテリだ。憧れだった国立の脳化学研究所に入局したのに、なんで大嫌いな体育会系の仕事をさせられるんだろう。
　だが仕方が無い。野球ゾンビに関する研究を進めるためには、こうしてある程度、試合を消化してデータを集める必要がある。
　暑くて死にそうだ。夏なんて早く終わればいい。
　ゾンビは幸せそうな顔で野球をしている。
　きっと生きてた頃も童貞だったのだろう。本能のまま女をおそわないだけ可愛らしいとも言える。
「こいつら……バカだな……」
　日本全国で、男子高校生はゾンビになり続けている。
　まだ極秘だが、ゲーマー男子がマリオカートをし続けるゾンビになるという事例も報告されている。どうせならまだ、そっちを担当したい。ゲームの腕には自信がある。
「ボール！」
　交代したバッターの後ろで、僕はやけくそのように叫んだ。
　そんな僕の姿を強化ガラスの向こうから観察しデータを収集している、出世組の研究員たち。ああまったく羨ましい、妬ましい。
　このままたいした成果も出せないと、僕は遠からず閑職に追いやられるだろう。研究の世界はシビアなのだ。案外と、体育関係のピラミッド社会とも大差ないのかもしれない。
「ストラーーーーーイク！！！」
　炎天下の元で、楽しそうに野球をするゾンビどもの球を見極めていく。
　ああもう、バカは羨ましいよ。そんな風に思いながら。僕の夏はそうやって過ぎていく。