カヨコのタイムラインに肉の画像が流れてきた。キャプションにはフランス産仔羊入荷しました、とある。フランス産仔羊?
 気になりながらも仔細がわからずユリコにメッセージを投げてみた。ただ
「フランス産仔羊」
 とだけ。通知に反応したのかすぐに返信があった。
「ひつじー! メェ~、ひつじ食べたいアニョーン」
 テンションが高いのは仕方がない。ユリコはアニョー(羊)バカなのだ。そのままやり取りが続いてなんとなく曖昧な約束だけ取り付けた。ユリコの誕生日が近いから羊会でお祝いすればいい。
「ユリコは何も言わなかったな、フランス産について。なんだっけ」
 何かあるとは思いながら躍起になって調べるほどでもなくただムズムズすること二日と一眠り、流れてきた答えにスクロールの指を止める。
「十六年ぶりの解禁です!」
「あー!」
 思わず声をあげた。と同時にカヨコは春眠暁を覚えない寝スマホから布団を蹴って飛び起きた。お腹の上で香箱になって寝ていたシャム猫のピッピが青い目をひん剥いて垂直に、飛び上がったかと思うとツルッと部屋のどこかへ潜んでしまった。
 計算はぴったり合う。西嶋亭で栗林さんとしほちゃんとで食べた塩包み焼きの像が浮かんだ。切り分ける前の焼けた塩の塊は今でも語りぐさだ。当時の恋人も同席していたが黒歴史なのでカウントしない。
 春は羊の季節です。春じゃなくてもいつでも美味しいのだが、春は乳飲みが入る季節。料理王国や料理通信、ダンチュウなどはこぞって羊を取り上げる。「春は羊」の文言はたびたびコピーに使われるものだ。移り変わる季節ごとに旬が巡り食べるものはいくらでもありすぎるのだが、この春の仔羊には固執しないと人生に悔いを残してしまう気がした。この勘が当たろうが外れようが食べれば負けることはない。
 今年の羊は、祭りだ。
「ユリコはどこで食べたい?」
 何を、と言う必要はない。
「カヨたんの行きたいところでいいよー」
 夜にモリモリ食べるよりはランチにしようとカヨコが提案するとユリコは宿を尋ねた。飛行機の距離だから泊まることは確定している。
「なんなら前の夜に佐川さんとこ行って泊まってもいい」
 佐川さんはワインバー、キャトル・プレジールのオーナーソムリエだ。カヨコのいつもの宿は最寄駅をバーと共有している。
「なんなら有給とってもいい、月末以外なら」
「じゃあ十五・十六に行かない? お祝いしようよ」
 カヨコが提案すると、ユリコは「てへ」と照れてみせる。そんなユリコをかわいいと思った。そうして金曜の夜にはキャトル、土曜のランチは羊の予約を入れた。ユリコの誕生日は十五日。当日に会える。
 羊に限らず肉料理が出てくるとまず色が目に飛び込んでくる。きれいなロゼ。
 説明を聞くのも楽しみの一つ。理解のために伝えるべきことは何か、一歩進んで何を知れば楽しみとなるのかを察している。プロはすごい。
 テーブルに置かれたら香り。お行儀が悪いと思いながらも料理に鼻を近づける。髪が触れないように指にかけて匂いを嗅ぎ思わず目を細める。鼻腔に入った香り成分を胸に吸い込めば自然に顎が上がる。
 そして肉肌の肌理を目で楽しみ、ナイフを入れ筋肉の形や弾力を確かめる。力を入れるとうっかり音を立ててしまう。肉の線維にうまく沿えばよいのだが食べやすい大きさ等条件を増やすと簡単でなくなる。エレガントではないが切れなければ突けとばかりに刃先を縦に入れることもある。「引いて切るといいんだよ」と外科医が言った。生々しいにもほどがある。
 口に含む。とろけない。それがいい。タンパク質がギュウギュウしている。霜降り肉は好みでない。アブラが嫌なのではない。良質のアブラは甘くておいしい。それだけ食べろと言われると厳しいが、肉も脂も間をつなぐ膠原質も、それぞれおいしい。もぐもぐぐにぐに咀嚼するのが楽しい。高原質が欲しいのだ。
 羊の肉は美しい。美の文字は大きな羊から成るのだから主観でもあるまい。牛や豚よりも若々しさを感じる。鹿や馬は繊細できれいな肉だが、羊の方がザ・肉という感じがする。
 羊は国産肉の流通があまりにも少ない。オセアニアやヨーロッパからの輸入が頼りだ。牧羊に適した場所で遊牧するほうが飼料を与えるよりも理にかなっているから、結果的に安定して高品質が保たれるだろう。
 脂の匂いもいい。オレイン酸なのもいい。身体が楽な脂である。(正岡しらべ)
 骨付きで出てくるのもいい。火入れのストレスから肉を守ってくれる。ナイフで外せる場所を食べたら今度は骨を手に持ち噛みつく。肉を食べている実感がある。
 骨から外してあってもいい。鞍下肉には貴重なフィレが含まれる。フィレに骨は付いてこない。どの部位を食べてもおいしいと思うが、フィレの筋繊維は絹の口当たり。乳飲みならなおさらである。
 拙著bonologue(の一冊目)に載せた仔羊のロティはおそらくフィレだった。ただし確認はしていない。調べるなりレストランで聞けば忘れない措置をとらねばと反省するがあまり生かされてはいない。おいしく食べることが第一義だが第三者へ伝えるには具体的な言葉が必要だ。
 さて四月十五日、ユリコは有給が取れなかった。採用した新人があっさり辞めてしまったのだそうだ。佐川さんへは予約通りに行けるし一緒に泊まるに問題はない。
 とにかく夕方までカヨコは単独行動だ。大阪は伏見町のレストランへ行くべく予約を入れた。やはりbonologueで紹介しているユニックである。通されたのはカウンター席の一番奥、キッチンかぶりつきの特等席だ。アミューズにはうすい豆のスープとうすい豆のマカロン、薄氷のような繊細なグラスに身が引き締まる。前菜二皿スープお魚お口直しを挟みメイにフランス産の仔羊を頂いた。乳飲みで有名な産地がいくつかある中でロゼール産、大まかに言えばラングドック地方の羊が供された。シンプルにロティで、骨は外してある。色彩豊かなプチトマトの類いやハーブ、薄くスライスされたずいき、シンプルに飾り切りされたラディッシュなどが奥ゆかしく添えられて、肉料理でありながら前菜のような可憐さを湛えていた。
 十六年ぶりの対面は感慨深かった。口に含む。ひと噛みすると肉質は繊細で柔らかく乳の匂いが立ち上る。羊の乳について、チーズならリコッタにペコリーノ・ロマーノ等カジュアルなものがいくつか在るが生乳にお目にかかることはない。なのに薔薇色の火入れがなされた肉に感じるミルク感覚は知りもしない生の乳だった。味わいと希少さは個別に扱いたいとカヨコは常々考えている。もちろん「特別な感じ」は楽しいものだが、珍しいことよりも美味しい方が特別であり、当然楽しく嬉しい。肉を一口飲み下すと、機会の多少にジャッジが泳ぐ恐れは拭われた。計るのは料理の善し悪しではなく、どう向き合ってよき食事の機会にするか、姿勢を自問した答えである。いのちが料理となり運ばれてカヨコが食べる。カヨコを生かすいのちをカヨコが生かすには、美味しく食べて闊達に生きるのが何よりだ。
「そのかわり意地でも定時にあがってやる」の予告通り、ユリコはホテルへ駆けつけた。現地集合するには余裕がある。フロントでキーをもらって上がったようで、バスルームをノックし「ちーっす、荷物置きにきた」と声をかけた。ドライヤーの音にかき消されてカヨコには聞き取れなかったが意味は通じていた。
 佐川さんの選ぶワインはおいしい。高くない。実力ある無名のものも正当に評価し自信を持って買い付けるのだろう。一方、名前や希少性で楽しませることも忘れない。たとえばボジョレーヌーヴォーは空輸代で割高な普通のワインだが、解禁のお祭りを楽しむ一夜があってもいい。いつでも美味しいワインなら乾杯の後で十分に楽しめる。そう思わせるのも佐川さんの実力だ。
「狙って書けないの。偶然こうなりましたっていう結果の排泄よ」
「のびのび書いててリズム感あるやつがカヨたんっぽいよ」
「鳥散歩口上集のこと?」
「うん、げらげら面白いんじゃないけどクスってなる。あ、でもボノログ? おいしい本は次も楽しみ」
 ホテル・道中・入店後と喋り通しの二人の間に赤いTシャツが割り込んできた。
「ええからちょっと話聞きや」
 赤Tはシャンパーニュのフォイルにナイフを入れ始める。
「え、なんで? 私何か言いました?」
 ボトルでシャンパーニュを頼む時には予約時に冷やしておいてくださいとカヨコは伝えている。狼狽するカヨコを尻目にグラスを並べる佐川さんの手つきは美しくて胸がすく。
カ「ユリコの誕生日って、言ってませんよね」
佐「ええから」
ユ「わー、なにこれはじめて見るー」
佐「ええから!」
 気取らないバーに人が三人以上いるとうるさい。ここは大阪、中央区。
カ「覚えてたんですか、さーすーがー」
佐「ダム・ノワールいうてな」
ユ「去年も来たもんな、一昨年もや!」
佐「ええから話聞きって言うてるやろ!」
 一方シェフは淡々と、口よりも手を動かす寡黙な清い料理人だが耳は開いていて
「キャー何このポテ(ト)サラ(ダ)おいしい!」
とはしゃげば
「トリュフ入ってますからね」
と冷静に返す。要所で佐川さんに突っ込むのが定番のスタイルだ。(正岡しらべ)
 ボトルを持て余すのはつまらない。足りないくらいがちょうどいい。
「グラスの数、少のおない?」
「そうかなあ? ええの?」
「二脚足りてないですよね」
「ほんまや、足りてへん! ありがとう、いただきます」
 お祝いの言葉は祭りを始める合図。佐川さんもシェフも一緒に出してくれる。
「かんぱーい」

 bonologue vol.2に最も好きなソムリエとして紹介したS川さんを佐川さんのモデルとしました。エッセイの他は概ね半フィクションを書いています。


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サークル名:ペーパーカンパニー(URL
執筆者名:正岡紗季

一言アピール
正岡紗季の個人サークルです。おいしい(bon)つぶやき(monologue)であるエッセイ、bonologueシリーズは煩悩のログでもあります。半フィクション小説や鳥散歩口上集なども出しています。座右の銘は「うまいものから先に食え」

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