委員長な僕と創世記念祭

 長い間、格好良いことがしたかった。弱きを助け強きを挫く、雑に言ってしまえば正義の味方みたいなやつ。派手な演出や壮大な物語はいらない。というか、そんなものがあると僕の手には負えなくなってしまいそうな気がする。もっとささやかで他愛のない、ちょっとした努力で伸ばした手を気軽に摑んでもらうような、そういう場面に憧れていた。

 機会は突然に降って来た。学校からの帰り道、多くの人でごった返す駅ビルの入り口近くで、見知った顔が目に留まった。肩まで自然に流された黒髪に、眼鏡の奥の黒目がちな目。委員長だった。
 委員長というのは僕のクラスの学級委員をしている女子で、そのあだ名の通り学年の学級委員を束ねる学級委員長でもある。成績優秀スポーツ万能、品行方正でありながら性格は明るく誰とでも快活に会話を交わすので、嫌味だったりお堅かったりという雰囲気もない。関わりの多い少ないはともかく、彼女との折り合いが悪い生徒はおよそクラス内に存在しないと思われた。もちろん委員長にも本名はあるが、あまりにも生粋のリーダー然としているからか、特に男子からは委員長と呼ばれることが多い。
「へー、割と可愛いじゃん」
「ね、ほんの少し一緒に来てくれれば良いだけだからさ」
 太い柱を背にした委員長の前に、若い男が二人立っていた。柱に手を突いた男に顔を近付けられ、委員長は硬い表情で身をよじった。
「……やめてください。人を呼びますよ」
「良いよ? でもそうすると、俺らもあんま甘いこと言ってらんなくなっちゃうんだわ」
 駅前を流れる人々の雑多な群れは、委員長と男達をはっきりと見やりながらも無言で通り過ぎて行く。へらへらと笑いながら、片方の男が委員長の袖に手を伸ばした。
「いっ、委員長。お、お待たせ」
「あ? 何だお前?」
 突然割り込んで来た弱々しい声に、二人組は眉を吊り上げて振り向いた。当の委員長はと言えば、僕の小さい声が良く聞こえなかったのか目を丸くしている。
 だが、その辺りのことに構っている暇はなかった。僕は引ったくるように委員長の手を取ると、振り返ることなく大股で歩き出した。背後からは不明瞭な声が未練がましく追い掛けて来たが、次第に雑踏の騒音に紛れて消えていった。
「ちょっと、待って待って! もう大丈夫だよ。あの人達、いなくなったから」
 行き先も決めず闇雲に進んでいた僕は、委員長に肩を叩かれてやっと立ち止まった。
「ご、ごめん」
 摑んでいた手を放し、委員長の方を振り返る。委員長は、乱れた髪を手櫛で整えながら微笑んだ。
「ありがと。しつこくて困ってたんだ。えっと……私のこと分かる? きみ、同じクラスだよね。廊下側の席の――」
 これが、高校一年の初夏にあったことだ。しかし、実際、こんな出来事には何の意味もないのかもしれない。僕が助けなくとも、委員長は通学鞄から取り出した短機関銃であの男達を粉砕することだって出来たし、背中から光り輝く翼を生やして逃げることだって出来たのだから。
 そもそも、全ては現実のことではなかったのだから。

 僕の生まれた一九九九年七月、世界を破滅へと導く恐怖の大王はついに姿を見せず、代わりに現れたのは他の誰でもないこの世界の創造主だった。世界中のテレビやラジオが同時に乗っ取られ、全く同一の放送を流し始めた。この星に住む人間の大部分が、暗記してしまうほどに繰り返し観て、聞いたであろう放送。画面には鼻高天狗の面を被ったスーツ姿の人物が映り、無機的な男の声で短く告げた。この世界は、自分が作った仮想現実である、と。
 僕はまだ小さかったのでもちろん覚えていないが、当時の世界は大混乱に陥ったという。すぐに、あらゆる面から調査が行われた。放送には字幕も副音声も付いていないのに、視聴した人間は皆母国語を聞いたと言った。どの放送局も、電波ジャックの原因の片鱗すら摑むことが出来なかった。こんな芸当が人間業でないことくらい、専門家でなくとも想像が付く。それでもなお、性質の悪いテロだとこき下ろした某国の大統領の寝室には、その日の晩に創造主こと例の天狗リーマンが現れることになった。天狗リーマンが銃弾の雨霰を弾き飛ばしながらただ笑い声を上げ続ける映像は、動画投稿サイトにリークされて今や三十億再生を突破している。
 こうして世界は混沌と化し、創造主との最終戦争へと突き進んでいく……という風にはならなかった。それ以来、創造主からの接触がやんでしまったからだ。某国の大統領の事件でも、創造主は現れただけで誰にも危害を加えなかったらしい。敵か味方かも分からないまま放置されてしまっては、対応のしようがない。それ以前に、出来る対応なんて何もない。一時は変な新興宗教や集団自殺が流行ったりもしたが、段々と深刻さは薄れていった。仮にこの世界が仮想現実だったとしても、転べば痛いし貯金があれば老後も安心なことに変わりはない。日々の生活が忙しくて、世界が本物かを気にしている暇なんてないというのが大勢たいせいの意見だった。僕もまあ同感だ。
「お帰り。掃除当番お疲れさま」
 自分の部屋の扉を開けると、聞き慣れた声が出迎えた。
「ただいま」
 窓から差し込む西日に目をしばたたかせつつ、カーテンを引いて電気を点ける。
「また勝手に入って来てたんだ」
「良いじゃない、私ときみの仲なんだから」
 夏制服姿でベッドに腰掛けた委員長は、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「そういえば、今日ってお祭りでもあるの? 商店街の方、人が多かったけど」
「委員長、それ冗談で言ってる?」
 エアコンの電源を入れながら、溜め息交じりに訊く。
「今日は創世記念日だよ」
「……あ、そっか」
 ちょうど十八年前の今日、創造主が姿を現した。だから、旧約聖書の創世記をもじって創世記念日。僕が物心付く頃には、既に世間一般でこの呼び名が定着していたように思う。厳密に言えばこの日に世界が作られたわけではないけれど、語呂が良ければ細かいことは言いっこなしということだろう。
 記念日と言っても、公的な行事や式典が行われるわけではない。ただ、この時期は夏祭りや花火大会が元から多いので、それらと結び付く形で何となく意識されている。イベントの名目が増えることに否定的な人は少なかった。たとえ誰も本気で創造主を祭ったりしていなくとも、今日という日は小売店にセールを開催させ、ホテルやレストランの予約を急増させ、かなりの規模の市場を作り出しているらしい。
「きみは、縁日行かなくて良いの? 屋台で天狗のお面買って、創造主ごっこー、とか」
「……そんなことしてたの、小学生までだって。この年になったら、もう縁日も何もないよ。そんなことより勉強。高三の夏は受験の天王山とも言うし」
「つまんないの」
 委員長は大袈裟に口を尖らせ、ぷくっと頰を膨らませた。
「委員長こそ、こんなところにいて良いの?」
「え?」
 きょとんとした表情で首を傾げた委員長を見る。この話は去年もしたのだけれど。
「創世記念日に、世界の創造主様が、複アカかつネカマの状態で僕の部屋にいるのはどうなのかな、と」
「そういう意味?」
 僕の話の趣旨を理解したらしい委員長は、考える素振りも見せずにっこりと笑った。
「だったら心配はいらないよ。私、きみといるときが一番楽しいから」
 去年と、一言一句違わない返答。どう反応したものか困り、話を変えることにした。
「最近、学校はどう?」
「こっちでの話? それとも――」
「もちろん、本物の世界の話だよ。こっちの委員長が、学校中の注目を浴びる完璧女子高生だってことはよく知ってる」
「だよね……」
 大きく伸びをした委員長が、そのままベッドに仰向けで寝転んだ。
「相変わらずかな。行かなきゃいけないから、淡々と行ってるだけ」
「味気ないね。あんまり未来に希望が持てなくなるよ」
「本当だよ、もう。……確か、この仮想世界内の技術だと、地球全体を仮想現実で再現するためには地球サイズのコンピュータが必要になるらしいの」
「へえ」
「でも、私のいる世界なら、私みたいな学生が買える玩具おもちゃの装置で、これだけの仮想世界を簡単に作り出せる。そんなに進歩した時代にも、結局は学校が楽しい人とそうじゃない人がいるんだから、困っちゃうよね」
 言ったきり、委員長は黙り込んだ。
「こっちの世界は楽しい?」
「うーん……」
 今度は少し考えるように引き結ばれてから、瑞々しい桜色の唇が動く。
「本当は、この世界にも飽き始めてたんだ。色んな人間になって色んなことをしたし、それこそ気まぐれで天狗にもなってみたし。そろそろ、全然違う世界で遊ぼうかなって。でも、きみが助けてくれたあの日からは、この世界が大好きになったよ」
「男なのに、僕みたいな野暮ったい男に助けられて嬉しいんだ」
 冗談めかした僕の言葉に、委員長は少しだけむっとした調子で返した。
「勇気を出して行動した人なら、誰だってその精神性を賞賛されるべきだよ。むしろ、きみは相手によって評価を変えるの?」
「……もっともな話だね」
「何より、きみに助けてもらったのは偶然だから。私の行動の結果じゃなくて、仮想世界が作り出した偶然。運命だったんだよ。すごいことだと思わない?」
 窓ガラスを通り抜けて来る遠い蟬の声に混じって、祭りか何かを予告する爆竹の音が聞こえる。委員長はベッドから起き上がり、不意に顔を僕の耳元へ寄せて囁いた。
「だから、きみはとっても格好良いんだよ。私がこの世界で遊ぶのをやめないようにしてくれる、正義の味方なの」
「なるほど。これからも頑張るよ」
「じゃあ、私、そろそろ門限だから」
「うん」
 窓が開け放たれ、熱い空気が流れ込む。プリーツスカートが翻ると、もう委員長は飛び降りた後だった。ここはマンションの八階だけれど、こう何度も同じネタを披露されると驚くこともなくなる。やっぱり、予想出来ることはつまらない。
「また明日、委員長」


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サークル名:虚事新社(URL
執筆者名:田畑農耕地

一言アピール
作家・編集・デザイナーの3人組文芸サークルです。今回の作品に何かしら好意的な感想を抱いてくださった方がいらっしゃいましたら、準新刊(テキレボ初出し)の短編集『忘れえぬ生涯』を是非どうぞ。そのほか、既刊として長編小説『袖振り合って現世生活』、短編集『田舎へ旅を』などがあります。

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