写影

 赤い浴衣姿の、十六歳位の少女がこちらを振り返りつつある。伏せられた目に被さる長い睫毛と、肩に届かない、女にしては短めの黒髪、結ばれた口が印象的だ。手に持っているのは一輪の彼岸花のようだと錯覚したが、よくよく見ると紅の風車だと分かる。
 暗いのだ。
 宵闇が迫る、誰彼時だ。
 釣り下げられた提灯の列が淡い橙色で彼女の頭上を照らしている以外の光源はなく、その背景は判別が出来ない。
 だが、彼女が僕のよく知る彼女であるということだけは分かる。
「やっぱり、何か感じますか」
「え?」
 間近で囁き声がしたので反射的にその写真から目を離して、そして僕は久しぶりに呼吸を思い出した。
「だ、大丈夫ですか」
 咳き込んだ僕の背中を摩るので驚く。最近の高校生は初対面の怪しげな男に躊躇なく触れることが出来るのか。と、相手の顔をまじまじと見つめて、そしてその人が男子ではなく女子であるということに初めて気が付いた。制服であるセーラーのスカート姿ならば一目瞭然であったかもしれないが、彼女の纏っている学校指定のジャージは男女で同じ色なのだ。男子にしては少し長髪だとは思ったが、僅かに茶色がかった丸い瞳、化粧を施していない肌、細身の体と肩のラインを、見れば見るほど確信が持てる。
「あの、やばかったら保健室行きますか?あ、でも今日は空いてないかも」
 彼女に言われて初めて、自分の額を流れ落ちる汗に気が付いた。今日は秋口にしても涼しい日和だ。上着を羽織って来たのが間違いだっただろうか。いや、これは冷や汗なので関係ない。取り繕おうとして眼鏡をずり上げた手も震えている。
「大丈夫、大丈夫だ」
 と、言ってはみたものの、説得力のない「大丈夫」だ。これ以上迷惑を掛けまいとして踏み出した足もよろめいた。十近く歳下の女性に寄り掛かる訳にはいかないと、及び腰になりながら後ずさりする。
「とりあえず椅子使ってください」
 と、挙動不審になった僕を宥めるように言って、彼女は自身が先刻まで受付として使っていた椅子を差し出した。

 顔見知りがいる訳でもないのに出身高校の文化祭に顔を出す、という、内気な僕の常識の範囲からすると中々の暴挙に及んだのは、僕が実家で何もせずに過ごしていたからであり、何故実家で何もせずにいたかと言えば、休職して帰郷したためであった。母親はそれなりに心配をしてくれたが、変に気を回したようなことも度々言ってきた。今朝の言葉もそうだった。
「丁度あんたの卒業した高校で文化祭やってるから行ってきなさい」と。
 家で視線を背に感じ続けるのも居心地が悪かったので僕はのろのろと玄関を出て、どこかで時間を潰せばいいかとぶらつき始めて直後、ここはつい数ヶ月前まで暮らしていた都会とは違うのだと思い知らされる。
 薄曇りの空の下に広がる、稲を刈り終わった狐色の平らな田圃と、遠くに目視出来る県立高校の白い校舎以外には民家がぽつぽつとあるだけで、本当に何もない田舎なのだ。家の車を借りれば一時間弱でショッピングモールに到着するが、何しろ高校が徒歩圏内にあるので、借りる時の言い訳が出来ない。
 仕方なく本当に母校へと向かってみると、思いの外、人で賑わっていた。他校生、この高校を志望しているであろう中学生から、父兄や地元の老人らしい姿まで見える。在学中は文化祭などの学校行事には疎い人種だったため忘れていたが、そう言えばこの高校の文化祭は、県下一の盛況ぶりを誇っていたのだったか。
 受付でパンフレットを取って直ぐ、現役の生徒による熱烈な歓迎を受けた。クラス劇、お化け屋敷、焼きそばなどの勧誘を全て薄ら笑いと共に躱して逃げてから、怪しい人物に思われてしまったのではないかと後悔する。普段から言葉を発していなかったため、上手く喋れなかったのだ。
 懐かしい廊下をあてもなく進んでいると、他校の制服姿の男女の集団が体育館へ向かっているところにかち合った。どうやら全国大会行きを果たした演劇部の公演があるらしいと、パンフレットを見て初めて分かる。
 見るともなしに集団を眺めていると、目眩がした。
 最初は不調にも気づかず、地震かと思った程だ。辺りを見回して、そうか、揺れているのは自分の視界だったのかと自覚した。
 気分が悪くなってしまったのは彼らを見たせいなのかもしれない。
 人ごみに酔ったと言えば大したことのない症状だが、僕はこれに苦しめられたために実家に戻らざるを得なくなったのだ。
 嫌だ。気持ち悪い。どこか人の少ない教室はないのか。
 そうして飛び込んだのが、受付が一人座っているきりの写真部の展示だった。

「いいですよ、存分に休んでいってください。人は来ませんから寝てもいいですよ」
 軽口を言いながら僕を受付の椅子に座らせた彼女は、教室の隅からもう一つ椅子を運んできて僕の目の前に腰掛けた。そうして僕を観察しているので何やら居心地が悪くなる。
「あの…」
「あ、すみません。聞きたいことがあるんですけど、顔色も悪いので声を掛けていいものかどうか分からなかったので」
「…」
 僕は迷いながら視線を移した。壁面と、疎らに置かれたパーテーションには部員が撮ったらしい写真が貼られている。カーテンをひいていない窓の外は未だ雲が立ち込めていた。
「構わないけど」
「あの写真、さっき見た時から調子が悪くなったようでしたけど」
 そうだった。写真部の展示を眺めることで一旦気を落ち着けられた僕だったが、知っている少女の写真を目にして、再び異常をきたしてしまったのだ。
 僕はどれだけ繊細になってしまったのだろう。
「浴衣姿の女性が振り返ってるやつですよね。あれ、実は心霊写真なんです」
「え」
「地元の夏祭りでうちの部長が撮った写真なんですけど。部長は人物を撮るのが本当に苦手で、風景写真が好きで」
 そう言えば。
 写真はほぼ全て風景を撮ったものだった気がする。人が居ても、どちらかといえば写りこんだという印象だった。校庭で運動部の生徒が遠く練習しているさまを高いところから撮影したものなどあったが、校庭自体が夕焼けの空を写すための添え物のようだった。
 人物が中心に据えられている写真は、赤い浴衣の少女の一枚以外にはなかった気がする。
「それにしても、心霊写真って…まさか」
 背筋が凍った。頭を殴られたような、衝撃を受けた。
「そうなんです。部長は提灯の並ぶ風景を撮影したのに、現像したらこの人が写りこんでいたんですよ。何か余程の未練がこの世にあるんでしょうね」
「適当なこと言うなよ」
 新たな声が加わった。見遣ると、一眼レフのカメラを首から下げた学ラン姿の男子生徒が憮然とした表情で教室に入ってくるところだった。
「折角来てくれたお客さんに嘘を教えるな」
「部長」
 と言うことは、この男子生徒が少女を撮ったのか。
「どういうことだ」
 彼は問い詰める僕の顔色の悪さにぎょっとしたようだったが、そもそも冷静な質らしく、仏頂面は変化しなかった。
「この写真、俺が撮ったものですが、心霊写真でも何でもありません。こいつの浴衣姿を写しただけです」
 部長はそう言って彼女を指した。先刻まで饒舌だった彼女は一転、唇を噛んでそっぽを向いてしまった。
「こいつは写真を撮られるのが苦手で、俺が許可を取らずに撮ってしまった。でも、現像は許可した癖に自分が写ったことを認めたくなくて、適当な嘘八百を並べ立てる機会を覗っていた。そこに貴方が来たんです」
 彼は躊躇なく展示された写真を毟り取ると、僕の目の前に突きつけた。
「同じ顔でしょ。髪は今のほうが更に短くなってるけど」
「あ…」
 言われてみれば、同一人物のような気がしてくる。
 写真に立ち込める暗闇に惑わされたのか。
「そう、だよな」
 そう判別した途端、感情が押し寄せてきて頬を涙が伝っていた。
「ど、どうしたんですか」
「だ、大丈夫ですか」
 同じような反応で慌てる二人を、どこか微笑ましく思う。
「すまない、写真で見ると僕の好きな女性に余りにも似ていたものだから…」
 彼女と初めて出会ったのは職場だった。彼女は僕の教え子で、彼女にとって僕は数多いる高校教師のうちの一人だった。肩に届かない黒髪と、いつも伏せられがちな瞳に、授業中にも関わらず見蕩れてしまっていた。聡い彼女はすぐに悟って、そして僕たちは卒業後の交際を誓い合った。僕は幸運にも彼女から疎まれていなかったのだ。しかし、ありもしない噂を流した生徒や教師には、僕たちは疎まれていたのだと思う。
 彼女は不登校になり、僕は心神喪失して田舎に逃げ帰った。
「だから、もし僕のせいで亡くなったのだったら、そして恨んで出てきたのだとしたら、もうどうしたら良いのかと思って」
「あの…すみませんでした。そうとは知らず無神経なことを言いました」
 写真部の彼女は素直に頭を下げた。脅かされたにも関わらず、不思議と彼女を責める気にはなれなかった。事実は分かっても、僕にとっての彼女は確かにこの写真の中にいる。そんな気がした。
 僕の思慕は蘇った。こんなところには居られない、という気が急にしてきた。
 彼女に会いたい。
 今の立場から考えると、すぐには叶わない願いかもしれないが。
「一つ頼みがある」
 僕は顔を上げて部長を見上げた。
「この写真を僕にくれないか。僕にはどうしても、恋した彼女に見える」
「えっ」
「駄目です、これは俺の物なので」
 彼女の困惑した声と、部長の断固とした拒否が重なった。部長の言うこれ、とは写真のことか、それとも。
「分かったよ、すまなかった」
 久しぶりに笑い方を思い出した。立ち上がった僕は、来た時とは違い確りとした歩みを始めている。
「もう大丈夫なんですか」
「ああ、大丈夫だ。ありがとう」
 背中で聞いた気がした「彼女」の声に、今度は自信を持って答えられる。
 写真部を辞して廊下に出ると、いつの間にか雲の隙間から淡い光が射し込んでいた。


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サークル名:キンシチョウコ(URL
執筆者名:谷水春声

一言アピール
恋愛ものを標榜しつつも失恋していたり今一歩のところで踏み出せなかったり、若さゆえに懊悩する人たちの短編小説を書いています。全体的に和風、幻想贔屓。最近は男同士の熱い友情や女同士の柔らかな思慕も取り入れているつもりだとか。

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