感謝祭の薔薇

 マジックミラーの向こうで巨体の青年は背を丸め、落ち着きなく周囲を見回している。薄暗い蛍光灯の下、その姿は小動物めいて、体躯とのちぐはぐさに見る者に違和感を与えた。
「これで一件落着ですね」
 言いながらコーヒーを差し出したのは、今回のパートナーのイアンだ。しかしそれを受け取るアヴェリーの心には手の中で揺らぐ湯気のようにモヤモヤしたものが残っている。
「どうしました?」並んでコーヒーに息を吹き掛けながらイアンが問う。
「……どうしても納得がいかないの」
「ですが今、集中治療室にいる少女を奴が連れていたのは確かです。意識がない彼女を、真夜中の国道で抱えていた」
「ええ……」
 アヴェリーが呼ばれたのは、イリノイ州の小さな町で続いている連続行方不明事件の捜査のためだ。五年ほど前から感謝祭の後に必ず若者が消えるという。十代から二十代の男性、もしくは女性。あるいは両方が。
 しかし彼らは未だに行方が知れない。見つかったのは今年の被害者である少女――予断を許さない状態の――だけ。死体はないのだ。その事実がアヴェリーの胸中で警鐘を鳴らし続けている。
――ちょっと待って下さい!
 脳裏に甦るのはアヴェリー自身の声だ。あれは青年――ハリー・ウォードが逮捕された日のことだった。
「彼にこの事件を起こすことは不可能です!」
 向かい合うこの町の警察署長は、険のある視線をアヴェリーに投げつけた。アヴェリーの捜査への介入を最も嫌った人物である。
「しかしハーパー捜査官、奴は血だらけの被害者を連れていた。これ以上の証拠がどこにある?」
「では、今までの被害者はどこにいると?」
「それをこれから我々が捜査するんだ。奴は色んな場所を転々としていた。どこにでも棄てられただろう」
「州を跨いでいた場合は私の組織の管轄になりますので、ご連絡を。最優先でお手伝い致しますから」
 アヴェリーの捜査介入を快く思わない人物は多い。それでも会話を思い出しただけで気分が悪くなるのは、ハリーが犯人ではないと確信しているのに聞く耳を持たれないからだ。聴取室を出てデスクに戻ったアヴェリーは捜査資料を捲った。どこかにある確実な証拠を求めて。いつの間に降り出したのだろうか、窓を叩く雨音がアヴェリーをイラつかせる。
 ハリーは、毎年祭りにやってくる家族経営の小さなサーカス団のピエロだった。大人しく、子どもや動物を優しい眼差しで見つめていた。嘘の得意な根っからの犯罪者もいるが、彼は生来穏やかな人柄だろうとアヴェリーは感じていた。それに、資料によると彼の知能は五歳程度のもの。そんな彼に手の込んだ犯罪ができるとも思えない。
 温くなったコーヒーをひと息に飲み、アヴェリーは別の資料を引っ張り出した。そこにイアンが声をかけてくる。
「ハーパー捜査官?」
「ね、マリガン夫人ってどんな人なの」
「マリガンさんですか?」
 第一通報者である。イアンは首を捻りながら、
「俺はよく知らないんですよね。十年くらい前に引っ越して来て、俺の実家とはあまり付き合いがない人で」
 でもいい人だと有名ですよ。イアンの言葉は手元の資料が証明している。ドナ・マリガンは地元で有名な慈善家だった。チャリティーは彼女の最高の親友らしい。
 アヴェリーは上着を手に取って廊下に出る。イアンが慌てて追い掛けてくるのを背中で感じた。
 マリガン家は町の外れに近い集落にあった。夫人は昨年夫を病で亡くして以来、緑の溢れる広い庭の一軒家で独り暮らしている。ぬかるんだ土で汚れた靴をポーチで丁寧に拭い、チャイムを鳴らすと、ややあってマリガン夫人が顔を覗かせた。
「まあ、刑事さん」
 来訪に驚きながらも夫人はふたりを招き入れた。清潔に整えられた部屋中至る所に薔薇が飾られ、むせかえるほどの香りに満ちている。窓から見える裏庭には薔薇園が。どれも四季咲きの薔薇だが、この季節に大輪の花を咲かせられるとは、夫人は薔薇栽培の名人らしい。
 夫人がお茶の支度をしている間、辟易したようにイアンが呟いた。
「薔薇の匂いで息が詰まりそうです……生臭い実家の方がマシかも知れない」
 アヴェリーが肘で小突いた所に夫人がお茶を手に戻ってきた。どうぞ、と出されたカップの中身もローズティーのようだったが、喉が乾いていたのか、イアンは早速それを飲み干している。
「事件のお話をもう一度お伺いしたくて」
 アヴェリーの言葉に夫人は、瞬いた。
「親類の家からの帰りだったの。道が混んでいて遅くなってしまって。突然、道の真ん中にふたりが飛び出してきたのよ。女の子は血だらけで……本当に驚いたわ」
 しばらく話を聞いたが、調書と矛盾はなかった。アヴェリーは落胆を押し隠して立ち上がる。ふと気になったのは続き部屋のダイニングキッチン。磨かれたシンクには大きな四角い包丁が光っていた。
 アヴェリーは上着のポケットに手を入れて携帯電話を弄ぶ。イライラした様子にイアンがちらりとアヴェリーを見上げた時に、それが鳴った。
「はい、ハーパーです。……えっ? 本当ですか?」
 アヴェリーは電話を切るとふたりを見回しながら明るい声で告げた。「被害者の意識が戻ったらしいわ。まだはっきりはしないけれど、じき安定するだろうって」

 病院の廊下を歩く人影があった。
 ある病室の前で影は立ち止まる。プレートには事件の被害者の名。静かに開いたドアの先は消灯されていたが、生命維持装置の明滅する光は小さく、けれどもしっかりと存在している。
 影は音もなくそれに近づく。ベッドに横たわる膨らみを確認して身を屈め、電源コードへ手を伸ばす。
 それを掴んだ次の瞬間、病室の電灯が煌々と灯された。
「……!?」
「何かご用ですか? マリガン夫人」
 細い腕を背後から捕らえたのはイアンだ。アヴェリーはベッドから飛び降りた。
「残念ながら、被害者はまだ意識を取り戻してないわ。深夜のお見舞いは止してあげてね」
「あなたたち!?」
「お話は署でゆっくり聞かせてもらいます」
 呼んでおいた応援の警官が夫人の身柄を引き取っていく。その背中を見送る間もなくアヴェリーはイアンの肩を叩く。「さあ、行くわよ」

 マリガン家は静まり返っていた。鍵を開け、足を踏み入れた室内に充満した薔薇の香りに、今度ははっきり顔を顰めるイアンを横目にアヴェリーは台所に向かう。
「なぜ、夫人が怪しいって思ったんです?」
 鼻を覆い篭った声で尋ねるイアンに、アヴェリーはシンクに置かれた包丁を証拠品袋に入れて掲げた。「これよ」
 腑に落ちていない様子のイアンにアヴェリーは問う。
「貴方のご実家は精肉店だったわね。スーパーもなく、家から一番近い肉屋と疎遠ということは、マリガン夫人は菜食主義者の可能性が強い。なら、どうして最近使った形跡の肉切り包丁があるの?」
 この季節に咲き乱れる薔薇がある。まさか、と顔を引き締めたイアンに、
「確かめましょう。もう礼状は出てる」

 失踪者達は薔薇の下に埋められ、死体は解体されていた。シートに包まれ運び出されるのを見送りながらイアンはアヴェリーに向かって肩を落とす。
「俺、飲んじゃいました……」
 人間を養分に育ったローズティーを、と言いながら口許を押さえるイアンだが、アヴェリーは構ってなどいられなかった。まだ、終わっていない。
 アヴェリーは穴だらけの元薔薇園の脇を回り込む。緑の垣根。それに隠れるように裏庭の更に奥へと続く石畳の小道がある。辿ったアヴェリーの目前に現れたのは隣家との境を成すフェンスだった。アヴェリーの胸程の高さのその手前、石畳から外れた所にひとつ、土に刻まれた足跡がある。アヴェリーは鑑識を呼ぶと、それとフェンスを指差した。「きっと共犯者の指紋が出るわ」

 家の中は荒れ果てていた。いくつかある部屋には、被害者を監禁していたと思われる形跡があった。埃の舞う中、壊れて傾いたドアをくぐると奥に悪魔信仰の祭壇があり、そこには被害者のものだろう心臓が捧げられていた。
 逮捕されたのは隣人のハワードだった。アルコールと薬物に溺れる彼はマリガン夫人と対象的に地元で評判の悪い男である。
 ハワードは言う。始めたのはマリガン夫妻だと。死体を解体していたのを目撃して以来、殺すと脅され、手を貸すよう強要された自分も被害者である、と。
 夫人は言う。夫とハワードが始めたのだと。非力な自分は従うしかなかった、と。
 歪んだ両家の関係は、いつから始まっていたのか、三人を駆り立てたものは何か、それを調べるのはイアンたちの仕事だ。アヴェリーはまた次の事件に向かわなくてはならない。
 警察署の廊下、アヴェリーの荷物を運びながらイアンは訊ねた。「共犯者がいるって、いつ気付かれたんですか」
「腑に落ちなかったのは、貴方が夫人の家で出されたお茶をすぐ飲んだことよ。猫舌の貴方が何故、すぐに飲めたのか」
 答えは簡単だ。用意したお湯がすでに冷めかけていた。つまり、誰か先客がいた。夫人が現れるのにも少し時間がかかったのは、先客を裏口から逃がしていたため。
「隣の男とは思わなかったけどね」
 携帯電話を操作してアラームを鳴らし、まるで着信があったかのように振る舞った。犯人ならば、口封じに動くだろうというアヴェリーの罠である。
「ハリーは少女を助けたんですね」
 毎年の興行で知り合った少女は、ハリーの数少ない友人だった。ハリーを差別せず受け入れてくれた優しい少女を助けるため、ハワード家に侵入したハリーは逆に濡れ衣を着せられたのである。
 イアンの上着の胸ポケットで携帯がなった。それを取ったイアンの表情が明るく輝く。
「少女が意識を取り戻したようです。もう大丈夫だろうと、病院から」
 リノリウムに大きな人影が揺れる。ハリーが立っていた。隣には身柄を引き取りに来た彼の兄が。アヴェリーがにっこり笑うと、ハリーもつられるように笑った。明るい、朗らかな笑みであった。


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サークル名:星の下に紫陽花(URL
執筆者名:鳥井蒼

一言アピール
普段は西洋風ファンタジーをメインに書いています。テキレボには二回目の参加です。今回も「短編集 夢の在り処」を委託して頂いております。今回のアンソロジーはファンタジーなお話をと考えていたのですが、何故かまたもやサスペンスな感じのものになりました。

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