万灯会

 墓の台座を掃き清め、桶に汲んだ水を打つ。
 竜胆、鶏頭、女郎花。充が夏の花々を生けている間に、桃子は柄杓から湯呑に水を注いで墓前に供えた。誰が教えたというわけでもないのに大人のしていることを見て憶えたらしい。
 ライターで蝋燭に火を灯して石燈籠の中に収める。燈籠の窓に貼った和紙を通して黄色みを帯びた光がやんわりと浮かび上がった。
 線香を束ねる紙帯を外し、こちらにも火を近づける。線香を扇に広げて火を振り消すと先から一斉に白い煙が立ち上った。その中から二本、桃子のぷっくりとした手に渡した。
「熱いから、気をつけろよ」
「うん」
 桃子は手慣れたもので先端に触れないように注意しながら盛り土の上に線香をさした。充も二本だけ取り出して土にさす。残りはまとめて線香立てにさしこんだ。
 両手を広げたほどの長さの麻殻を二つに折り、それをまた二つに折る。新聞紙に火をつけて麻殻の先端をあぶる。
 炎が燃え移ったところで麻殻の火が消えないようにゆっくりと墓石の上に持っていく。

 くるり、一回まわすと墓の前の空気がひずんだ。
 二回、白い靄のようなものが現れた。
 三回目をまわし終えると靄が固まり人の形をとりはじめた。

 去年は「ママだ」と駆け寄りそうになった桃子が、今年はじっと墓石を見つめている。充を見上げて不安げに「ママいる?」と聞いた。桃子が訝しがるのも仕方がない。風貌は留めているものの弓子の姿は充の目にも去年より薄くなっている。桃子にはもう見えていないのだ。
「ああ、ママいるよ」
 充はそう言って桃子の頭を撫でた。桃子は納得していないようだ。
 火の始末をして、墓に背を向けてしゃがんだ。感触も重さもないが弓子の白い腕が肩に回ったのが見えたので、弓子を負ぶって墓を後にした。
 西の空にはまだ太陽が残っている。生ぬるい潮風が海から吹き始めていた。墓石がぎっちりと立ち並ぶ曲がりくねった道を桃子は先になって歩いていく。
「走るなよ」
「うん」
 小さいころ充もよく言われた。道は一応セメントで舗装されてはいるが、ところどころ石が顔を出している。墓で転ぶのは縁起が悪い。そう教えられて育ったせいか怪我を戒める方便だとわかっていても子どものこととなると気になった。
 崖にへばりつくようにのびる石段に桃子が先にたどり着いた。小さな体で懸命に石段を登っていく。充は後ろからゆっくりと登っていった。崖を登りきるとアスファルトで舗装された道路に出る。
 西日が海の上に黄金色の道を作っていた。沖にはイカ釣りの漁火がぽつりぽつり見え出した。眼下に墓地を見やると漁火に呼応するように薄闇の中に小さな燈籠の光が幾千と光っていた。

 弓子を背負って歩いていると、知った顔に出会った。桃子の通う保育園の先生だ。
「薫先生、こんばんは」
「桃子ちゃん、こんばんは」
「どうも、いつもお世話になってます」
「いえいえこちらこそ」
 薫は背も高く細長いシルエットをしている。しかし保育士という仕事柄かTシャツの袖から見える腕は案外たくましい。こちらも帰りらしく荷物は少なかった。
「後ろの方は桃子ちゃんの……?」
「ええ、母親です」
「たしか、事故で……」
「はい、もう四年目になります」
 薫はちらりと充の背後をのぞき込んだ。
「そうですか、お気の毒様で」
「いえ、ここにおりますから」
「……そうですね」
 どちらともなく、くすりと笑ってから別れた。

 仏壇の前に弓子をおろした。弓子はどこを見ているのかわからないような目つきだ。去年はまだ感情があった。桃子を見て目を細めたり、弱々しくも口元を綻ばせていた。今はただそこに座っているというだけだ。

 何故血縁でない者が長く故人が見えるのか、この前、和尚に聞いてみた。
「血縁でもないのに、家族になるっちゅうことは、より縁深いものがあるといいますなぁ」
「そんなもんですか」
「そんなもんですよ」
 よく聞かれるのか、適度に整っていて適度に曖昧な答えだった。確かめられる人もいないから、まぁ世間的にはそんなものでいいのだ。
「三年経っても見えるちゅう人は希だわな。それだけ縁深いっちゅうことだが……なんぼ見えるといっても、もうあっち側のお人じゃ。妙な執着は持たん方がええ」
「はぁ」
 和尚は充が『見える』ということを弓子への執着と捉えているようだった。

「スイッチ入れていい?」
 桃子の言葉で我に返った。
「ああ」
桃子が手を伸ばして提灯のスイッチをいれた。電球が暖まり小さな気流が起きて中に入っている筒が回りだす。赤、青、緑……カラフルな光が部屋中を躍った。弓子の目がゆっくりと色を追った。

 一日経ち、二日経ち、弓子は透明度を増していく。少しずつ空気に馴染んで、空気そのものになっていく過程を見るようだ。桃子はもはや関心すらないのか、友達の家から帰ってくると一人、人形遊びに興じている。弓子の方もさして現世の人々に興味を持っている様子もない。
 孤独、という言葉が頭に浮かんだ。
 今、自分と同じように弓子を見ることができる人間はいない。その弓子は茫洋とした表情で充と目を合わせることもなかった。弓子が少しでも反応を見せるのは提灯が回る時だけだ。

 朝まだ暗いうちに目が覚めた。横で桃子が穏やかな寝息を立てている。桃子を起こさないようにそろりと寝床を抜け出した。今日は幸い仕事が休みだ。眠くなったら昼寝をすればいい。桃子が保育園から帰ってきたら今年も弓子を背負って墓に送る。
 トイレに行って台所で麦茶を飲んでいるとガラス戸越しに何かが動く気配がする。戸を開けるとスイッチを切り忘れた提灯が律儀に回っていた。
 弓子は提灯の光への関心も失ってしまったのか、白い姿にぼんやりと色を受け止めるだけだった。
 少し迷ってから充はスイッチを切った。

 桃子の朝の支度をすませてバスの待合場所につくとすでに何人かの子どもたちと母親たちが立っていた。母親たちは愛想よく充に挨拶をしてくれるが、さすがにお喋りの輪に加わることはできない。いつものことだが妙に気を使ってしまう。おそらくあちら側もそう思っているだろう。
 母親たちとは少し離れたところで桃子が他の子どもたちとじゃれあうのを見守っているとバスが到着した。普段なら園長が降りてきて園児たちを乗せていくのだが今日は薫が現れた。
「あれ、園長先生は?」
 早速母親の一人が問いかけた。
「お風邪だそうです。明日も私が来ますので」
 心配ないという風に薫は笑顔を見せた。園児たちをバスに乗せてドアが閉まる瞬間、薫と目が合った。薫は墓の上で会った時のようにくすりと笑って会釈した。

 家に戻ると朝と変わらない格好で弓子の形をした白い光が仏壇の前に座っていた。
『ちょっと、鬱陶しいな……』
 ふとわき上がった感情に充は愕然とした。希だと言われるほど縁深い妻のはずなのに。
 充は跪き弓子を抱きしめた。
「……ごめん」
 抱いたところで感触も熱も感じない。反応もない。反動のように薫のむっちりした腕が目に浮かぶ。薫に弓子の面影を求めてなどいない。生きている人間の肉を感じるだけだ。執着と言われようが充は弓子の肉を、熱を、心を感じたかった。
 充は光の中に顔を埋めた。そして、そのまま中へ分け入った。

 ありとあらゆる色彩が充の目の前で、遙か彼方で飛び回る。渦を作ってまとまったかと思うと爆発するように四散する。天地左右どちらがどちらかもわからない。

 自分が今、存在しているのか疑問に思い手を見ると、何色ともつかぬ光がどろりとまとわりついていた。振り落とそうとしても粘っこく捉えられて身動きすらままならない。
 光は皮膚を溶かすように全身に侵入してくる。外からだけでなく、内からも。どう身をよじっても柔らかく押さえ込まれて光の海の中をくるくると回り続けるだけだった。
 段々と感覚が無くなっていく。うっすらとしか見えなくなった目の前を変わらず光が集合離散し乱舞していた。自分もあの光の中の一つになるのか。

 いや、その中の「一つ」にはなれない。全てが混ざり込み、現れては消え、とどまるものは何ひとつ無い。
 ここに弓子はいない。
 どこかで弓子の中に溶け込んでしまうならそれも本望だという気持ちがあったが、そんなことはできないのだ。
 理由も理屈もない。
 そんなもんなのだ。

 充は出口を求めて暴れ回った。まとわりつく光を拭い取ろうと体に爪をたてた。まだ痛いという感覚があった。自分だけが感じる痛み。充という一人の人間の感覚が蘇ってきた。
 何かが聞こえた。何を言っているのかわからないが呼ばれている。声の方向に無理矢理身体をひねると、わずかに光が薄れ、もやもやした灰色の点のようなものが見えた。充は手を伸ばし灰色の靄を突き破った。

「パパ!」
 気がつくと畳の上に汗だくで寝っ転がっていた。上から心配そうに桃子と薫がのぞき込んでいる。何故か押入のふすまが倒れていて、腰から下が押入に入り込んでいた。体中かき傷だらけだ。
 充は薫の頼りがいのある腕にしがみついた。
「け、結婚してください」
 薫も桃子もぽかんと充の顔を見つめた。
 ヒグラシの鳴く声が聞こえた。なぜ桃子と薫が家にいるのか気にもしなかったが、もう桃子の帰宅時間になっていたのだ。充が出てこないので薫もついてきたのだろう。
 桃子がケタケタと笑い始め、薫は困ったように黙っている。やっと現実がおいついてきた。慌てて手を離した充は、汗の上にさらに冷や汗を垂らしながら正座した。
「す、すみません、今のはその……」
「残念でした」
「え?」
「先生、来月結婚するんだよ」
 照れくさそうに薫は苦笑いした。
「ああ、そうですか……そう、ですか……」
 あれは寝ぼけて言ったのだと散々言い訳して、しこたま礼を言って薫を送り出した後、怖々仏壇を見に行った。
 仏壇の前には人の形もしていない光の塊が浮かんでいた。
 今日はこれを送る。
 来年は多分、迎えない。


Webanthcircle
サークル名:UDON Violence(URL
執筆者名:薄水ハヤ

一言アピール
初参加。
アンソロジー投稿作は非BLのファンタジーですが、普段は一次創作BLを書いてます。
今回は「眠れぬ夜は」(司法修習生候補とバーテンダー見習い?話)と「とべないぶたのいるところ」(進学校に入った高校生と、幼馴染のヤンキーの親分と子分の三角関係っぽい感じ)の二種を委託。どちらもシリアス、R-18。

Webanthimp

この作品の感想で一番多いのはしんみり…です!
この作品を読んでどう感じたか押してね♡ 「よいお手紙だった」と思ったら「受取完了!」でお願いします!
  • しんみり… 
  • しみじみ 
  • 切ない 
  • 胸熱! 
  • 受取完了! 
  • 怖い… 
  • ゾクゾク 
  • 尊い… 
  • エモい~~ 
  • この本が欲しい! 
  • そう来たか 
  • ロマンチック 
  • かわゆい! 
  • 泣ける 
  • うきうき♡ 
  • ドキドキ 
  • ほのぼの 
  • 感動! 
  • 笑った 
  • 楽しい☆ 
  • キュン♡ 
  • ほっこり 
  • ごちそうさまでした 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください