フライ・ハイ

 ――かーん、かーんと教会の鐘が鳴り響く。時刻は午後一時。『お祈り』の時間だ。黒ずくめの女たちが鐘の下の広間に集まって、一斉に手を合わせる。
「主への祈り」
「偉大なる主、創造神ミハイオよ――」
 中心にいる神父の言葉にシスターたちの呼吸が重なる。
 今日は年に一度の聖霊祭、スラム化が進んでいないこのサリヤという町では、教会のシスターたちによってささやかな催しが開かれていた。

「こんなとこでサボってたのか」
 教会の向かいにはレンガで作られた小さな橋のモニュメントがある。その下に座って休む俺に声をかけてきたのはリヤだった。全身汗だくだったが、両手にコップを持っているもんだから、額を流れる汗を拭えないでいた。
 夏が過ぎ秋になったとはいえ、日中はまだ日差しが強い。俺はリヤの姿を見て、この日陰から出る気がいっそう失せてしまった。
「お前、真面目に『お仕事』してたのかよ。暑いのによくやる」
「調理場の人手が足りないっていうから仕方なく」
 そう言ってリヤは片方のコップを俺に差し出してくる。
「なんだこれ」
「梅ジュースだって。調理場のドンにもらった」
「さすが人たらし。早速サリヤのババアを攻略か」
「まだババアって歳じゃなかったけどな」
 俺はコップを受け取り、中の液体の匂いを嗅ぐ。すっぱい匂いに反射的に唾が溢れた。
「祭って言っても、いつもとやること変わらないんだな」
 リヤが梅ジュースを飲みながら教会を見やる。そういやこいつは聖霊祭に出るのははじめてだったか。
「お祈りをして、聖歌を歌って、炊き出しして、花を売る。わざわざ隣町まで来て、ルーティーンをこなしているだけじゃんか」
「昔はもっと豪勢にやってたらしいぜ。スラムが広がる前はな」
 俺たちのいるクナビ地方は、首都ミーティアから南に百五十キロほど下った場所にある。この地方は代々とある貴族によって統治されていたが、圧政が続き民衆が反発。暴徒化した一部の輩に一族が皆殺しにされ、領主不在の状態が続いている。

「……あとは、『お恵み』があるっていう点でいつもと違うだろ。調理場の手伝いに行ってるのはお前ぐらいで、ガキは基本、集金要員だ」
祭の間、俺たち孤児院の子どもは、『お恵み』という名の資金集めにかり出されるのだ。町の人間は時折足を止め、ガキの持つかごに金を投げ入れる。
なるほど、とひとり納得したようなリヤを横目に、俺は梅ジュースを仰ぐ。
「……濃い」
「あ、悪い。たぶんシロップの分量間違えた」
「テメェ……」
 ごめんごめん、と言葉では言っているが、どこか悪びれないリヤに無性に腹が立った。俺は拳を振り上げ、リヤのちょうど左腕あたりに向かって殴りかかる。リヤは一瞬のためらいのあと、避けることを止め、甘んじて俺の拳を受け入れた。ゴツッと鈍い衝撃が響く。
「いってぇ……。ひでぇな、リーダー」
「へらへらして俺を怒らせたお前が悪い」
「さーせんしたぁ……」
 ばつが悪そうに笑うリヤに、俺は空のコップを押しつけた。そうして俺は、コップを受け取るリヤの半袖からのぞく傷跡を盗み見た。

スラムの『上層』に位置する町ガラシャ――そこにあるオンボロ教会に俺たちの孤児院はあった。
俺たちのすみかにリヤがやってきたのは先月のことだ。なまっちろい肌と肉付きのいい手足、しゃんと伸びた背筋に、一目で『外』の人間だとわかった。
スラムでは、ガキはひとりで生きられない。だから俺たちは各々が生き延びるために集団――チームを作って行動する。チームには順列があり、今現在孤児院を仕切っているのは俺のチームの『ソーガ』だ。
ある日のことだった。リヤがソーガに入りたいと直談判に来た。
「メンバーになるには金と『証』が必要だと聞いた。金ならある」
 リヤが見慣れたパンの包みを差し出す。中を確認すると、大量のコインと数枚の紙幣が入っていた。
「……確かに。あとは『証』だな」
「何をすればいいんだ?」
「『イレズミ』を入れてもらう」
「……こんなところで刺青なんて入れられるのか?」
リヤが不審を露わにするが、俺が袖ををまくって腕の傷を見せ、彫刻刀を手渡すと納得したような顔をする。
「……お前のそれ、蛇だろ? 蛇を彫ればいいのか?」
「いや、なんでもいい」
 そうか、とリヤは彫刻刀をためらうことなく二の腕の内側に突き立てた。溢れ出す血を手のひらで雑に拭いながら、一言も洩らさず彫り進める。その異様な光景に、周りにいたメンバーは凍り付いた。
「……お前、ヤクでもキメてんのか?」
 俺が思わず顔をのぞき込むと、顔中びっしりと冷や汗をかきながらも、らんらんと目を輝かせるリヤと目が合った。
「……クスリはやってない。ただ……」
 リヤが腕を掲げ、傷跡を俺に示す。
「『アサノ』……?」
「……好きなやつの名前なんだ。それが俺のからだにあるってのが嬉しくて」
 とろりとリヤの顔がふやける。度を超えた一途さが、痛みさえ凌駕したというのか。これはもはや信仰だった。
「狂ってる……」とメンバーの一人が呟く。 確かに、こいつは頭がおかしい。しかし、俺はそんなリヤの狂気にどうしようもなく惹かれていた。
「……お前の覚悟はわかった。約束通りソーガの一員として迎える」

 ――リヤの傷を見る度にあの日のことを思い出す。こいつの狂気はソーガに必要なものだと俺は確信していた。

「おい、バン」
「あ?」
 呼んでるぞ、とリヤが教会の方を示す。
「バン!」
 見ればピンクのくせ毛が走ってくる。ミサキだ。小さくてなよっちいヤツで、ことあるごとにチームに入れてくれとまとわりついてくるのが目障りだった。
「ねえ、見て! 『イレズミ』だよ! 僕も彫ったんだ!」
 ミサキは半袖のシャツの裾をめくり、腕を示す。そこにはうっすらとミミズ腫れの痕があった。
「蛇か。バンと一緒だな」
「うん! バンみたいにはうまく彫れなかったんだけど……」
「これが蛇ィ?」
 リヤの言葉に目をこらすも、どう見たって赤ん坊の落書きにしか見えなかった。
「お金はこの前払ったし、あとは『イレズミ』を入れたら仲間にしてくれるって言ったよね! これで僕もソーガに入れてくれる?」
「だめだ」
 予想していなかったのだろう、えっ、とミサキは固まる。
「もしかして僕のイレズミの絵が下手だから……」
「ちげえ。浅いんだよお前。こんなひっかき傷、明日には消えちまう。これっぽっちの覚悟でソーガに入れると思ってんのか」
「そんなあ……」
 しょんぼりと頭を落とすミサキを、ひと睨みして追い払う。
「入れてやれば」
 リヤがミサキの後ろ姿を見ながら苦く笑う。
「足手まといはいらない」
 そう言って俺はバッサリと切り捨てたのだが……。
「後悔するかもしれませんよ」
 背後から急に声がして、反射的に振り返る。そこには黒ずくめの女――シスター・イーヴァが悠々と腕を組んで立っていた。
「あなたたち、今は『お恵み』の時間でしょう。持ち場が決まっていたはずでは?」
 リヤがちらりとこちらを見て、俺の反応を窺う。俺は口を開いた。
「うるせえクソババア。「恵まれない僕たちに救いの手を」って一日中かご持って突っ立ってろってか? 自分の境遇を売ったとしても、菓子代にもなりやしねえ」
 そう吐き捨てる俺に、イーヴァが切れの長い目尻に皺を寄せ、ふふふと笑う。
「まだあなたも子どもなんですね」
「あ?」
 青筋を浮かべる俺に、ご覧なさい、とイーヴァが指をさす。
 そこには、かごを持って『お恵み』を始めたらしいミサキがいた。黒服の屈強な男たちを引き連れた、若い優男に話しかけられている。
「誰だ、アレ」
「さあ。でもあの男、すげえいいスーツ着てる。訛りもないし、ここらのヤツじゃないな」
 きれいにラッピングされた、袋いっぱいの菓子を、優男がミサキに渡す。側にいた黒服たちは、周りにいた子どもとシスターを集め、一緒に写真を撮り始めた。その間、優男はなれなれしい手つきでミサキの頭を撫でている。
「……きめぇ」
「あの子はああいう人を惹きつけるんでしょうね」
 イーヴァが感心したように言う。
 撮影が終わり、男はようやくミサキを解放したかと思うと、頬にキスを落とし、スーツの胸ポケットから紙切れを出して握らせる。そして、何かを耳元で囁き、去って行った。
 ミサキはもらった紙切れを前にきょとんとした表情のまま動かない。そういえば、あいつは字が読めないはずだ。
「あれ、何もらったんだ?」
「小切手ですよ」
 小切手!? と俺とリヤの声が重なった。
「聖霊祭には、毎年首都から一流企業の社員が来ているんですよ。社会問題にもなっているクナビへ実際に足を運んでの寄付や慈善活動は、客へのいいアピールになりますからねえ」
 「知らなかったんですか」とイーヴァが嫌味ったらしく言うも、返す言葉が見つからない。
「……はあ。あなたたち、いい加減にプライドなんて一銭にもならないものは捨ててしまいなさい。えり好みできる立場でもないでしょう。利用できるものはなんでも利用することです」
「……聖職者がそんなこと言っていいのかよ」
「そういった先入観も、持ってていいことはありませんねぇ」
 リヤの嫌味もイーヴァによって一蹴されてしまう。
「ガラクタばかりの貧しい土地ですが、ある物をかき集めて積み上げてみたら、何か違う景色が見えるかもしれませんよ」
 イーヴァはそっと両手を合わせて、にっこりと微笑んだ。
「――他者を侮ることなかれ。偉大なる主、ミハイオ様は仰っています。今のあなた方のような、いきがってるだけのクソガキは、底辺マフィアの鉄砲玉にでもなって犬死にする未来しかありませんよ」
「エセシスター……」
 ホホホと手を口に手を当てて高らかに笑うイーヴァをよそに、俺は舌打ちをしたあと、怒鳴るようにしてミサキの名を叫んだ。


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サークル名:灰色のシェマ(URL
執筆者名:水城透子

一言アピール
初参加です。今回は、来年出せたらいいなと思っている長編のスピンオフを投稿させていただきました。どうぞよろしくお願いします。

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