結婚式はあのスーツで

 もし、自分に子供ができる日が来たとしたならば。
 もし、その子供が大きくなってそれまでの人生で一番大きな決断をすることになったのならば。
 もし、結婚式を挙げると言ったならば。

 十五年ほど前まで、それらはすべて頭の中だけの話だった。想像なんて名前でとても呼べたもんじゃない。妄想も甚だしいお伽話に過ぎなかった。
 僕にも愛しい人がいた。その人には大切な家族が一人いた。名前は健くん、スポーツが得意な小学生だった。本当に健やかで手間のかからない子で、アパートの隣室に住む六つ年下のまいちゃんを兄妹みたく可愛がっていた。数年後、二人は本当に家族になった。それは僕が彼らの後見人になる半年前の話だった。
 愛しい人が亡くなったとき僕は涙をこらえきれなかった。実の父親を亡くした健くんのショックは計り知れないから、遺言通り葬儀と火葬が終わるまでの間、必死に歯を食いしばって耐えた。子供たちの前で泣いて堪るものかと。一年前に建てられたばかりの家へ小さくなってしまった彼を連れ帰り、着替えさせ、軽いご飯を作った。
くたびれた二人が眠ったのを確認した瞬間――プツン――と心を支えていた仕付け糸が切れた。遺骨のまえで膝をつき咽び泣いた。気が付くと僕の背中にそっと寄り添った健くんが小さな手で背中を撫でてくれていた。寄り添ったまま小さな体を丸めて寝付いてしまったころ、外はうっすらと朝日が昇り部屋を照らし出していた。健くんと妹ちゃんの後見人として役目を果たすまでもう二度と涙は流さないと心に決めた。

 あれから幾度と泣かされそうになったことか。顔を赤く染め初めての感情をこっそり相談してくれた時も、授業参観の作文で初めてお父さんと呼ばれた日も、こんな僕を恥ずかしがることもせず心に決めた人を家に連れてきて紹介してくれた春も。心の中は涙の雨で溺れてしまいそうなほどだった。一年たりとも彼らが成長を見せない日々はなかった。二人を写した画面にそれらの思い出を刻み込むように集めてきた。いつか自分の役目が終えて、この家から卒業する日に忘れ物をしないように。一緒に過ごしてきた時間を宝物にもらっていくつもりだった。

 そして、今日。覚悟しいていた「いつか」がやってきた。あの日、赤い顔してこれは恋だと告げた女の子とついに結婚するのだ。
「それじゃカズさん、先に式場へ向かうから忘れ物しないようにね」
「ありがとう、健くん。いつも心配ばかりかけちゃったけど、本当にうれしいよ。……おめでとう」
「なんて顔してんの、泣くのは誓いの言葉まで取っておいてよ!」
 かばんを担いで笑って出ていく背中がどことなくあの人に似ていた。初めて会ったとき僕の太ももくらいまでしかなかった背丈も今では逆に見上げるようになった。十五年の月日が走馬灯のように溢れてくる。浸りたくなってしまうから震える手でキーホルダーから鍵を外した。

「つながらない。カズさん何かあったのかな、ねえ出てくるとき体調悪そうとかなにか変なところなかった?」
「なんも……」
「もう、待てないよ。晴子ちゃんのご家族もざわついちゃってるし」
「……私はいいから健ちゃん、カズさん探しにいこうよ」
「ダメ! それじゃ式がキャンセルになっちゃうじゃない……あたし探してくるから二人は式に出て」
「妹、いいよ。カズさんが何考えてるのかわかった気がするから」

 少し肌寒くなり、吹きさらしの平地を広い空から乾いた風が通り抜ける。
「会いに来たよ」
 慣れた手つきで砂埃を水で流す、乾いた布で残った水分をふき取り、伸びた雑草を抜き取る。線香がくゆって秋空に絵を描いた。
「去年漬けたんだ。白ワインに庭の金木犀のつぼみをね。ちょうど飲み頃のはずだ」
 ふわり花の香りが広がった。墓石の前のちょうど飲みやすそうな場所へ半分ほど撒いた。
「乾杯といきたいところだけど、運転があるから僕はあとで飲むよ」
 ふたを閉め残りを紙袋へ戻して、今一度手を合わせた。
「大人になったよ、二人とも。僕の役目は終わりだね」
 きっと今頃は誓いの言葉が終わって、健くんは少し誇らしげにしているだろう。新郎の瞳の奥に照れを感じとって花嫁が微笑んで、そんな二人を見て妹ちゃんは涙をこらえて怒ったような顔になっているはずだ。昔から純粋で涙もろく優しいところもそのまま大人の女性になった。きっと何年かすれば真っ白なウエディングドレスを彼女も着るのだろう。選ぶのはやっぱり的確なアドバイスくれる人じゃないとね、と僕のスケジュールを勝手におさえて……なんてね。一人になると昔の悪い妄想癖が出てきてしまう。
「式はどうですか。きっとここになんていないで見に行ってるんでしょう?」
 僕は間違ってたかな、最後は涙よりも笑顔のほうがいいよね? と聞いても答えてはくれない。それでも落ち着く。やっと笑えそうだ。背筋を伸ばして、夜まであてもないドライブへ出ることにした。

「……どうしてここが」
 新しい家が決まるまでの仮住まいにととっていたビジネスホテルのロビーに健くんと妹ちゃんがいた。怒っている様子はないがとても静かだった。
「帰るよ、カズさん」
 断ることもできず手を引かれるままに家へ戻ることになってしまった。

「あの……なんて言ったらいいか」
 ダイニングテーブルはいつも左手前が定位置で、目の前に健くんが座る。その横が妹ちゃんの指定席だけれど、彼女はいま台所で夕飯を作っている。
「スーツ」
 どういう意味なのか理解するのに数十秒かかってしまった。『結婚式には親父の形見のスーツを着てほしい。色はカジュアルに見えなくもないけれど二人で出席してよ』と以前言われたことがあった。
「今日が何の日か覚えてた?」
「うん、結婚式なのを忘れたわけじゃないんだ」
「ちがうよ」
 ダイニングの電気が消され台所からケーキを持ってきた妹ちゃんが満面の笑みで歩み寄る。誕生日でもない、なんでもない今日の日になぜ……。
「初めてお父さんって呼んだ日、覚えてる?」
「……そんな忘れるわけがないじゃないか」
「カズさんが俺らの親になってくれて、お父さんになってくれて今日で十年なんだ」
「本当は毎年何かできないかなって話し合ってはいたんだけれど、照れくさくてね。それを知った晴子ちゃんが披露宴で祝いましょうって」
 ゆらゆらとロウソクの灯りが中央のプレートを浮かび上がらせている。

――お父さんいつもありがとう――

 ケーキがぐらぐらと踊りだす。こぼして堪るかと天井を仰いだけれど間に合ってくれなかった。
「出ていこうなんて考えないでよ。これからも俺たちの家族でいてよ」
 返事をしようにも口を開けば啼泣してしまいそうで、水面に顔を出すコイのように口を開いたり閉じたりするしかなかった。
「あたしのときはドレス一緒に選んでよ? ドタキャンはさせないからね。列席者がカズさんのこと軽蔑でもしようものならブーケでぶん殴ってやるから!」
「うん……うん、でるよ」
「なめないでよ、カズさん。俺らすっごくカズさんのこと大好きなんだから」
 愛しい人が生前、僕に言ってくれなかった言葉。愛情から言わなかったのだなと今ならわかる。好きという言葉に縛られることのないよう、生きたい人生をその時になったら選べるようにきっと黙したのだろう。今はその気持ちがわかるようになった。僕も子供たちへ同じことをするだろうから。違う点はただ一つ。二人は僕なんかよりもずっと上手で「もし」僕が僕らしくない道を選ぼうものなら行き先まで正しい方へ変えてしまう意思を持っているのだ。

 桜並木から花弁がひらひらと舞い落ちてくる。ダークブラウンのスーツにまた一片積もっていく。あの日の約束通り「ふたり」で来た。何年も前のことなのに昨日のように覚えている。ロウソクの灯りもケーキの味も、三人で乾杯した半分残っていた桂花陳酒の香りも。やはりカジュアルに見えて場違いな恰好かなといまだに考えてしまうけれど。少しの酔いに身を任せ今日のところは胸を張っていたい。
「お父さん! 着物重いんだからはやく一緒に写真!」
 今日は娘の結婚式だから。


Webanthcircle
サークル名:kaleidoscope(URL
執筆者名:百画れんかん

一言アピール
テキレボ初参加!好きなことは命がけ、なんでも作っちゃう雑貨屋のような個人サークルです。主に小説、イラスト、詩を扱っております。本作は血のつながりだけが家族じゃないがテーマの小説と漫画で連なる本編『代理家族』のアナザーストーリーになります。

Webanthimp

この作品の感想で一番多いのはしんみり…です!
この作品を読んでどう感じたか押してね♡ 「よいお手紙だった」と思ったら「受取完了!」でお願いします!
  • しんみり… 
  • 泣ける 
  • ほっこり 
  • ごちそうさまでした 
  • ほのぼの 
  • 受取完了! 
  • 胸熱! 
  • 尊い… 
  • エモい~~ 
  • この本が欲しい! 
  • そう来たか 
  • ゾクゾク 
  • しみじみ 
  • かわゆい! 
  • 切ない 
  • うきうき♡ 
  • ドキドキ 
  • 感動! 
  • 笑った 
  • ロマンチック 
  • 楽しい☆ 
  • キュン♡ 
  • 怖い… 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください