さすらうほこり

 山麓の空が白みを帯び、東方より日が姿を現した。
 晩夏の朝、シカライガワ村では決まって風が吹く。東の山を駆け下りた風が小川に沿って開けた地をゆき、西の谷をのぼる。青草は湿り気をおびた風を浴び幾万の露を宿した。
 村の老人は日の出とともに吹くこの風をシガキと呼んだ。しかし、なぜシガキと呼ぶのか、若い村人はおろか老人でさえ正確に答えられなかった。
 シガキに乗ってさすらいのほこりが宙を舞っていた。ほこりは河原に沿って飛び、沢のほとりにある鳥居をくぐった。急な階段をゆく。境内は吹き溜まりであった。落葉の混じった地面はぬかるみ、ひとの足跡があった。
 風の主流からはぐれたほこりは境内の隅に建つ納屋の軒で三転した。換気口から中に入ると、しばしの刻をかけて暗がりを降下し、木枠に付着した。
 幾月か幾歳かはここで休むことになるだろう。ほこりは木枠に身をゆだねた。
「怖い、怖いよう」
 薄闇のなかから声がした。ほこりは構わず身を休めていた。しかし怯えた声が収まる気配が一向にないので、たまりかねず声をかけた。
「どうしたんだ、そこまで怖がって」
「ぼくはみこし。シカライガワ村の伝説を代々受け継ぐ祭具だよ」
 声は木枠からした。ほこりが乗る木枠がみこしなのであった。
「ぼくに話しかけるのはだあれ?」
「俺はほこり。ほこりは風に乗ってさすらうのさ」
 ほこりの自己紹介にみこしは固まった。
「風。君はもしかしてシガキに乗ってきたのかい?」
「今朝の風はシガキというのか。乱暴な踊りを踊らされたよ」
「シガキは乱暴なんだ。この時期になるとそこの板壁を叩くから、ぼくはいつもそれで悪い夢から目を覚ますんだ。けれど、シガキの目覚ましは、間もなく悪い夢が現実になる合図でもある。だから、こわくてたまらないんだ」
「悪い夢? 夢というのはもっと楽しいものではないのか? 架空の場所を探険したり、懐かしい光景に浸ったり。ところで現実になると言ってたが、一体どんな夢なんだ?」
「まつりさ」
 みこしは答えた。
「まつり?」
「シカライガワ村に代々伝わるおまつりさ。社のふもとに沢があったろう? まつりの日、沢はせき止められるんだ。土のうを使って、ぼくの肩まで浸かる高さまで。ぼくは土のうの前に立たされる。乾いた手ぬぐいでしごかれ、両脇を縛られたあげく、ひとはわざと土のうをひと袋、引き抜くんだ。水はたちまちあふれでて、ぼくに襲ってくる。毎年、ぼくはボロボロになっちゃう。からだの一部は失うし、びしょぬれだよ。先代のぼくは三年耐えて、四年目のまつりでついに腐っちゃった。ぼくも次で四年目なんだ。いったいぼくがなんの罪を犯したというんだろう」
「ひとは罪の理由を教えてくれないのかい?」
「教えてくれないさ。濁流にもまれるぼくを玩具のように見つめるだけで、なにひとつ教えてくれはしない。ぼくは、意味知れぬ罪で末代まで呪われてるんだ」
 意味知れぬ罪。旅するものは呟いた。果たして意味のない罪なんてものがあるのだろうか。生まれながらにして虐げられる。虐げられるために生きるものがあることをほこりは初めて知った。しかしあまりに縁のない話であったため、ほこりの想像は間もなく途切れた。ことばをことばどおり受け止めることで精いっぱいだったのだ。
 にわかに扉が開かれた。暗がりだった納屋に光と影が差しこんだ。
「ひとだ」
 納屋に伸びる二本の影が近づく。空気が揺れ動き、ほこりは宙に浮いた。
 そこで初めてみこしの全体像を見渡すことができた。端材を寄せ集めた姿をしていた。飾りはほとんどなく、代わりに絵が描かれた画用紙が張られていた。担ぎ棒は杉の柱材であった。延屋根は段ボール製で、艶のある黒い塗料が塗られていた。
「助けて、ほこりくん。このままぼくは連れ去られてしまう。きみのように旅立ちたいんだ。連れてってほしい。悪い夢にうなされない場所まで」
 みこしの乞いにしかし、ほこりは空気の微動に身を任せるしかなかった。
「それはできないな。俺はさすらいの身だ。だがすべては風の気まぐれでよ。俺の意志だけじゃ君を連れだせない。俺ができるのはこれだけだ。みこしさん、さよなら、さよなら、さよなら」
「ああ、ほこりくん。さようなら、さようなら、さようなら」
 ほこりは扉を抜けた。
 境内で留まっていた風がほこりを迎えた。つむじの一部となり、そのまま薄雲を突き破るまで高く舞った。
「お日さまがこんなに近い。ここまで高くへ送られたのはいつぶりだろう」
 日は空の一番高いところにいた。
「やあほこりくん。きみと話せるのは八度前の夏至以来だね」
 日はきままに挨拶をした。
「こんにちはお日さま。俺のことを覚えてるのか?」
「日なたのことはなんだって覚えてるよ。僕は君たちに陰をつくってあげるのが仕事なんだから」
「ならシカライガワ村のみこしさんも知っているか?」
「シカライガワ……ああ、秋分も近付いてきてるし、そろそろまつりの時期だね」
「みこしさんは罰を受けてるんだ。意味知れぬ罪で」
「意味知れぬ罪? それは初めて知るな」
「お日さまはなんでも知ってるのではないのか」
「みこしさんの話はここから見てたからよく覚えているよ。ただ、僕の見知る話と君の話にはずれがある。ほこりくん、君は知らないだろう? ひとはね、この村を危機から救うためにまつりをするんだ」
「あの村に危機が?」
「どの村だって一度は存亡の危機というものを体験してるものさ。何代も何十代も昔の話になるけど、あそこは何日も雨が降らず川が涸れてしまったことがあった。ひとは水を求めて葉しぼり茎しぼり、たくさんのひとがぼくに焼かれてしまったよ」
「お日さま、あなたがひとを苦しめたのか」
「どうだろう。僕は繰り返すことしかできないからね。強いていうなら風さんが気まぐれだからだろう。雲さんを運ぶ気分でなかった、ただそれだけさ」
 風の性格はよく理解していた。何日間も吹かれることもあれば、何年間も部屋の角に留まることだってあった。
「そこに一頭の鹿が現れた。鹿は涸れ川にたたずむと、どこ吹く風へひと鳴きした。するとどうだろう。風の気分が変わって、東の山から大きな入道雲を送ったのさ。雨が降り、鹿は潤った河原で身を洗った。以来、東から吹く風を鹿鳴シガキと呼び、川は鹿洗川シカライガワと言うようになった。みこしくんは村を救った鹿なんだよ」
「そんな話、みこしくんは知らないはずだ」
「それもそうだろう。ひとはまつりの意義を残さない選択をしたんだ」
「どうして?」
「さあ、それはわからない。ぼくだって日なたのことはよく知ってるけれど、日陰の話は知らないんだ。もう僕らのことばとひとのことばは通じなくなってしまった。僕に知られたくないのかもしれない。でもそれが選択するものの意志なんだよ。ひとは自らの意志で繰り返すことも、さすらうこともできるのだから」
「忘れることで、もっと別の、もっと大切なものを得ようとしたのだろうか。たとえば夢を得たかったのだろうか」
「そうかもしれないね。けれども夢は食べられない。ひとはぼくらと違って、食べなくては死んでしまうから。さてほこりくん、あいにく僕は繰り返すしかできない。君はこの話をみこしさんに伝えるかい?」
 日の問いに、ほこりは間を置いた。答える内容は決まっていた。日が繰り返すように、ほこりもまた行動はひとつだった。
「いいや、伝えられないさ。俺はさすらいのほこり。同じ場所へはきっと二度と戻れない」
 さすらいのほこりは気流に乗った。別れの時が来た。
「これから別のまちへ吹かれるよ。いつかビセイブツに分解されるまで」
「そうかい。ほこりくん、またね、またね、またね」
「お日さま、さよなら、さよなら、さよなら」
 日は西の陰に落ちる。
 ほこりは風に揉まれ、ゆく。


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サークル名:ドジョウ街道宿場町(URL
執筆者名:今田ずんばあらず

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