月光が眼鏡をかけている。
 酩酊した。そんなことくらい判っている。
 問題は俺がなぜ千葉の外れの砂浜で、一人夜空を見上げているのか、ただそれだけだろうが俺にとってはどうでもいい。来たかったから、はい終了、疑問解決。

 こんなはずじゃない、こうなりたくなかった、そんな馬鹿げた強迫観念を抱えつづけて今日も誰かが誰かを生きる。くだらないことをくだらないと蹴散らしてくだらない人間に成り下がる。そんなおとぎ話みたいな日常で溢れているこの世界が俺は大嫌いで、逃げ出したいし抜け出したいしあわよくば奴らに天誅を食らわせたいなんて殊勝なことを考えていた。その結果がこれだ。ざまあみろ、十年前の俺。
 おう、そこのお前だよ、聞いてるか?
 「面白くなき世を面白く」とか、きょうび使い古されたフレーズを面白がって多用しているそこのお前だよ。高杉晋作の引用なのは知ってるが今じゃダサくてメンドくさいおっさんの代名詞になっちまってるザ・陳腐ワードを掲げて世の中の巨悪と戦ってる場合か。そんなどうしようもない面白くもつまらなくもなんともない、掃いて捨てるような個性をトラベリングしたお前のドブみたいなセンスのせいで俺は今このザマだ。参ったか。せいぜい参れ。発狂でもしてろ。その方がはるかにマシだ。少なくとも波打ち際で縮こまる蛙くらいにはどうにかなるだろうぜ、きっと。
 いや、多分。
 うん、まあ、それなりには。
 中二病の高校二年生とかいうクソワードに満悦している場合か。どうせそれは一生もんだ。不治の病だし進行性だ癌と一緒。しかも俺は末期の中二病患者ときた。余命はそう、せいぜい三十年だろうな。長いか、馬鹿野郎、よく見積もってだよ。すぐ死ぬかもしれないし、死んだ方がマシだと思うような目にだって遭う。俺は七十万回くらい遭ってきたし、お前はこれからも、まあ二億回くらいは遭うだろう。お前にその覚悟があるか。どうせねえだろ。中途半端な覚悟なら辞めちまえ。いや、頼むから辞めておいてくれ。お願いだ、辞めてくれ。

 これから俺はお前に、長い長い手紙を書く。酩酊したまま、銀座の伊東屋で買った一万いくらの、ペン先がめちゃくちゃ豪華な万年筆でどうしようもないことを蚯蚓が蛇行運転してるみたいな筆跡――ご存じの通りそれがお前の字だ――で、月夜に照らされた水銀みたいな毒々しい色のインクでなんだかよくわからないノートの切れ端に書いて、手に持っている「魔王」と書かれた瓶にねじ込んで、東京湾に放り投げてやる。沈めないだけマシと思え。読めるだけ、誰かに読まれるような文を書くだけマシと思え。お前ならその意味くらいわかるはずだ。
 月は相も変わらず、あり得ないほどの上から目線で俺を見下している。こんな人間が目の前に現れたら即座にぶん殴ってブタバコだろう。月は月という特権で今まで殴られないし、第一手が届くようなところにいない。そんな女が今も昔も好きだ、そうだろ。優等生みたいな顔をして、そのくせ屋上でマルボロを吸っている黒髪ロング一重まぶた微乳お嬢様系女子。でもな、月はどんなに手を伸ばしたって届きやしないんだぜ。そいつを諦めろとは言わない、ただそいつがお前の一番嫌いな体育会系崩れのドラゴンクエストナインとのハメ撮りをネットに公開していたからといって動じるな。まずは捜し当てた自分を褒めろ。お前の数少ない秀でた才能のひとつだ、その程度のトラウマごときで潰すんじゃねえ。少なくとも戦うべき相手を間違える悪癖よりはずっとお前の役に立つ、これだけは間違いない。長井秀和より間違いないぞ。いただろそんな芸人。いつのまにかいないことにされているけど。それが世間の怖いところだし俺がはまった罠だよく考えろ。教科書でいないことにされてる人の写真あっただろ、あれみたいなもんだ。ま、あと何年かすりゃ嫌でもわかるさ。
 生きればいいことがある、なんて馬鹿のひとつ覚えみたいにお前はこれから先何度も何度も、それこそ数え切れないくらい言われる。でも、そんなことを言う奴が手をさしのべたことはないし、なんなら鋼鉄に武装された善意で蹴り落としてくるから、生きていても何もいいことなんてない。これは異論を認めよう。どうせお前の言い訳なんて高が知れている。

 じゃあ何故生きているかって?

 そんなのわかってたら今頃死んでるさ。ここが九十九里だろうが岩井海岸だろうが関係ないし、なんなら海岸じゃなくたっていい、でも俺は魔王の瓶にこのもずく以下のコンテンツを投げ込むために海という舞台を選んだ。そうだ酩酊しているが全ては計算ずくだ。お前はまだ酒を飲んだことがないから知らないかも知れないが、俺は――というかお前は――頭が良すぎて、アルコールで頭を鈍らせないとろくな思考になりやしないのさ。試しになんか酒を飲んでみろ、信じられないくらい頭がすっきりするぞ。それで勉強してみろ、もしかしたらだいぶマシになるかもしれないし、ものは試しだ。やる価値はある。ただ頼りすぎるな。試験前にスミノフの瓶が空になって発狂する羽目になる。何事も程度が大事だ。
 そう、程度。お前は程度というものを理解していなさすぎる。いいか、いかに程度というものが大事なのか俺が、この十年後に生きている俺が身を持って示しているだろ。見ろ、この伸びきった髪を、脂まみれの顔を、くすみかけた肌を、ぼろぼろのコートを、コンビニのレシートしか入っていない薄汚れた財布を。これは全部、お前の持ち物だったはずだ。だが俺は――俺たちは程度というものを知らなすぎて、自分がマッコウクジラか何かだと勘違いしていた。でも違うんだ、俺たちは所詮薄汚い猿なんだよ。母なる海では暮らしていけない、コンクリートジャングルにしか住み着けない愚かでちっぽけで臆病な猿だ。だがお前は――俺は勘違いしてしまった。愚かであるがゆえに。天性の怠け者であるがゆえに。アスファルトの床は冷たい、だが世間よりはまだ暖かいんだ。新谷良子は正しかったんだよ。俺たちは一度メンヘラになることで正しい世界のありようを見据えることができる、多分唯一の生き物で、お前にはその資格がある。

 生きろ、とにかく生きろ。
 後ろを振り返るな。
 邪魔な奴はそこのコカコーラの瓶で殴り倒せばいい。それでだめならアルミの灰皿をやるよ。こっちだって生き残るのに必死なんだ、生存権を振り回していけ。ミクロはそれでいいんだ、マクロなんてお偉い公務員と政治家に任せておけばそれでいい。どうせ奴らは人間を駒としか見ちゃいない。もっとも――俺たちはその駒にすらなれなかったわけだけど。だから奴らは守ってくれないぞ。出来損ないの駒なんざ自分の得にならないからな。税金を納めてようがなかろうがそれは義務でしかない。役所の奴らはサービスや金で生きてないから容赦ないぞ、気をつけろ。それでもなお、お前は生きなければならない。俺にならないために、お前は出来る限り慎重に生きなければならない。傲慢で強がりで自分を信じ続けた、ただそれだけ、正しいだけの俺を超えて、どんなに苦しくてもどんなに醜くても、どれだけ汚い手を使ってでも生き延びろ。生命だけの話をしてるんじゃないぜ。お前の右手は何のためにあるんだ、マスかくためだけじゃないだろ。そいつを使って生き延びるんだ、したたかに、確かに。
 純情や繊細な神経は持つだけ無駄だ、どうせすぐにすり減る、とっとと捨てろ。ただ捨てる前に書いたものは取っておけ。どんなに恥ずかしくなっても燃やしたりするな。書きたくても二度と書けない日が、必ずくる。その時に使え。使い方くらい自分で考えろ。

 ほら見ろ、月はもうだいぶ傾いていて、心なしか周りが暖かくなってきた。俺の手紙ももう少しで書き終わる。辛抱は大事だ。

 さっきから同じ話ばかりしている。
 それは酔っぱらいだからだ。
 酔っぱらいってのは同じ話をしたがるものだし、歌手は持ち歌を歌いたがるだろう。それと同じようなものだ。

 馬鹿なお前のためにひとことで言いたいことを言う。
 生きろ。
 死ぬな。
 未来の俺を殺すな。
 そして俺を殺せ。
 以上だ。

 怠けられなかった俺のぶんまで、正しく慎重に怠けろよ、馬鹿野郎。

 手紙を書き終わり、魔王にそれを託した。地球は今日も回っているが、俺はもう回らないだろう。なぜなら既にまわっているから。これは俺にとって初めての手紙で、十年前の俺との再会で――ここで視界に黒猫が入って和んだ――そしてどうしようもない嘘っぱちで、つまりは俺の俺による俺のための祭りだった。
 海よ、お前が恋人だったら俺はもう少しだけマシだったかも知れないな。
 溶けだしていく世界の中、俺はふと、最後にそんなことを思った。柔らかな感覚に包まれて、なんだかとても眠い。
 東の空が明るいことを見送って、俺はゆっくりと目を閉じた。


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サークル名:(株)ごうがふかいなホールディングス(URL
執筆者名:ひざのうらはやお

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