甘葛浜茶譚

 普段は都内某所にあるひたすら薄暗い自宅の一室か、さもなくばそこそこおしゃれな、それでもどこかに闇がはびこってるようなノマドカフェに入り浸っている、誰がどう見てもインドアの塊でしかない俺が。
 この、夏、は!
 海で働いている!
 ……という話を東京のノマド仲間にしたところ、三分の二の人間に「頭がおかしくなった」扱いをされ、残りの三分の一には「嗚呼、とうとうこいつ金が尽きたんだ」という哀れみを持った目で見られたという哀しい事実は、ここだけの話にしておきたい。
 そう、自他ともに認める真っ白もやしっ子(しかし身長だけはそこそこある)の俺が、なぜ海で働くことになったのか。

 きっかけは、六月末に立ち寄った金澤・喫茶ないとでのやり取りだった。

 なぜその日に金沢に行ったのかは覚えていない。なんとなく、彩葉さんの珈琲が飲みたくて、と言うか彩葉さんに逢いたくて、北陸新幹線のチケットを買ったのだけは覚えている。ネット環境さえあればどこでも仕事ができるノマドワーカーゆえの行動といえばそれまでだが、人恋しい、いや、彩葉さんが恋しいと考える程度には意識していたのは確かであった。
 そして、いつも通りまっすぐ武家屋敷群の中にある喫茶ないとに入り、いつも通り珈琲を頼みつつ彩葉さんの後ろ姿を眺めることで、満足していた。はずだった。
 何気なく店内を見回したとき、一枚の張り紙を見つけたのだ。
「彩葉さん、なんですか? これ」
「ああ、それね……」
 バイト募集のお知らせ。ただし、喫茶ないとではなく。
「叔母さんが毎年『浜茶屋』出してるの。夏の間。いつもは近くの医大生とか、帰省中の大学生がバイトしてくれてるらしいんだけど、今年全然人が見つからないらしくって」
「へえ……」
 『浜茶屋』という響きが何か特別な何かを感じさせる。茶屋というのだから、きっと季節限定の喫茶店なのだろう。もしかしたら、かき氷やアイスを含めた氷菓子や冷たいおしるこなどを出す店かもしれない。
「このまま人が見つからないと、夏の間はないとのランチをお休みして、あたくしがお手伝いに行かないといけないのよね……」
「え、あ、そ、それなら! 俺が!」
「へっ?」
 困った彩葉さんを助けたい一心で、思わず手を上げた俺だが、更に困った顔をされた彩葉さんを見て、すぐに我に返る。
「……って、ダメですよね……」
「い、いや、嬉しいですけ、ど……」
「ほら、だって、俺。自宅は東京ですし。東京からの交通費なんて出るわけありませんよね」
 俺の言葉に、彩葉さんが意外なことを言い出した。
「叔母さんの浜茶屋の近くに別荘がありまして。あたくしも時々そこで寝泊まりして手伝ってるんですけど、そこでよければ住居は手配できるんですよ」
「え!? じゃあやります!」
「……藤川さん、お仕事は……」
「俺の仕事、ネットさえ繋がればどこでもできますし! 打ち合わせも今はネット会議の時代ですし!」
「……あの家、ネット環境あったかしら……」
「なくても、納品時だけここの回線貸してくださったら平気です!」
「へえ。そういう仕事もあるのね……」
「まあ、よーすけくんの仕事ってそういうもんですから」
 いつの間に来店していた三鷹が、めずらしくフォローらしきものを入れてくれたのが最後のひと押しになったのか。

 俺はひと夏の浜茶屋バイトを経験することになったのだった。
 一度東京に帰り、ろくに入っていない冷蔵庫の中身をカラにして、パソコンをリモートコントロールできるようセッティングし、ガスは元栓を締め、パソコンと温度調整用のエアコン以外の不必要なブレーカーを落とし、着替えとノートパソコンと、予備バッテリーと万が一のWiMaxとスマホだけカバンに詰めて、金沢に舞い戻る。その前に友人たちに告げておこうとの行きつけのノマドカフェの反応が最初の冷たいものであったが、俺は気にしない。
 彩葉さんの近くで働ける。彩葉さんの役に立つ!
 三鷹が「よーすけくん、ようやく自分の気持ちに気づいたのか」とかわけのわからないことを言い出したが、気にしない。好きな仕事を好きなだけこなす自由人、それがノマドワーカー!

「……ところでよーすけくんに聞きたいんだけど」
「何だよ、三鷹。っていうか、なんでここにいるんだよお前」
「この家の管理人やってるんだよ僕は」
「はあ? 聞いてないぞ」
「聞いていようがいまいが、全国のあちこちの別荘とか空き家とか管理するのが今の僕の仕事なんだ」
 初耳であるが、それはどうでもいい。
 金沢駅から彩葉さんの運転で連れられてきた一軒家。古い古い、昔の建物。喫茶ないとがベースとしている武家屋敷と比べるともう少し簡素な作りに見えなくもないが、それでもこのあたりの古い地主か庄屋クラスの人間が使ってたであろう大きな家である。
 そこに立っていたのは、何故か三鷹で。
「よーすけくん、車運転できないでしょ? それだと困ることがあるだろうからって、彩葉さんに頼まれたんだよ」
「と、いうこと、は?」
「うん。僕と同棲生活♪」
「……」
 最悪である。
「あ、いつもじゃないから。僕も別の仕事でいないときもあるし、そのときは彩葉さんか誰かが来る手筈になってるし。あとネットはよーすけくんのご要望にお答えしてケーブル回線入れといたから。東京のよりは遅いけどそこはまあ限界ってことで」
 確かに欲しいと言ったのは俺自身だが、ちっとも嬉しくない。
 もっとも。
「喫茶ないとに入り浸ってるのはこういう理由だからさ。彩葉さんを狙ってとかじゃねえから、そこは安心してくれよ」
 耳元で囁かれた三鷹の言葉に、なぜか安堵の感情が湧き上がったのも事実であった。

 それはさておき。
 「浜茶屋」での仕事が始まった。俺はその名称から和風の喫茶店の一種かと思っていたのだが、その実態はというと。
 建物は簡素な小屋で、海水浴場にある。そして俺はひたすら焼きそばを焼く。イカを焼く。かき氷を作る。ビールを売る。時々ナンパ目的のおっさんをそれとなく追い払う。
 ……端的にいうと「海の家」である。どうやら金沢周辺の地域では「浜茶屋はまちゃや」と呼ばれているそうな。
 海水浴場なんぞ何十年も行っていない俺であるが、一人暮らしがそこそこ長かったおかげもあって浜茶屋の仕事はすぐに慣れた。どちらかと言うと配膳……というか接客のほうが慣れるのに苦労している。しかもビキニ姿のおねーちゃんを見てもにやけないよう口元を引き締め仏頂面をかましている俺を見て、その浜茶屋の常連たちが「あのお兄さんを口説いたら勝ち」と勝手に賭けをを始めたらしく、出入りの若いおねーちゃんたちが色目を使ってくる始末で、男としては嬉しい悲鳴を上げる毎日を送っていたのであった。
 そして、おねーちゃんたちに色目を使われる日々が続くにつれ、俺自身、ようやく自覚した。以前、三鷹に言われたことを。

「それが男女の恋愛ってやつだと思うけど、僕は」

 金沢にしょっちゅう行くのも、喫茶ないとに出入りするのも、この浜茶屋の手伝いをするのも、みんなみんな。
 彩葉さんに逢いたいため。
 いわゆる男女の関係は望んでいない、というか考えたくもないけれど、特別な存在である女性。それが彩葉さんで、金沢に住んでいて。
 隣の部屋で高いびきをかいている三鷹がやかましいと思いつつも、あてがわれた古い屋敷の自室で、独り俺はそんなことを考えていた。

 自覚したものの、俺の生活は何も変わらない。この浜茶屋は元々のマスターである叔母さんの人望により常連が新人を連れてきて、その新人が常連になっていくというルーティンで人気があり、仕事中は彩葉さんのことを考えている暇などほとんどなかったのだ。そして相変わらず他の女の子には目もくれない俺に対して「かえって頼れる」「真面目なところが母性本能をくすぐる」とかという意味不明な理由により、
「ねえ、藤川くん? あなたが良ければだけど、このまま金沢に移住してこない? 冬は冬で色々仕事があるし、叔母さん顔広いから、こっちのゲーム会社とかに口利きしてあげてもいいのよ?」
と言われる始末である。流石にその言葉には苦笑いをするだけしか返せなかったのだが、内心、彩葉さんの近くにいられるのなら、今までの仕事や人脈を捨てて金沢に移住するのも悪くないとまで思っていた。
 そんなある日。
 浜茶屋のヘルプに彩葉さんが入ってきた。叔母さんも人気だが、彩葉さんが来る日はただでさえ大繁盛のこの店がさらに大忙しになる。もちろん、彩葉さん目当ての客が増えるということなのだが、彼女自身はいつもどおりマイペースに仕事をこなしていく。
 ……と言うと俺自身彼女の行動ばかり追っているように聞こえるかもしれないが、正直言ってそんな暇はないくらい忙しかった。どのくらい忙しかったかというと、普段色目を使って誘惑してくる常連のおねーちゃんの存在に気が付かなかったほどである。五~六人いたらしいのだが、全く覚えていない。とにかく次から次へと来る仕事をこなすのが精一杯であった。
 夕方になり、店じまいとなる。この海水浴場では午後五時ですべての浜茶屋が閉店しないといけないルールとなっている。当然、この店も例外ではない。時間になり常連が名残惜しそうに帰っていくのを横目で見つつ、店の片付けをしていると。
「彩葉。あんた、今日時間あるんでしょ? 藤川くんと遊びに行ってらっしゃいな」
 叔母さんの言葉。一瞬キョトンとした表情を見せた彩葉さんであったが、すぐに俺を見てニコッと笑う。
「今日は儲かったし、片付けはほとんど終わってるし。こっちの方にも色々面白いものがあるの、案内して上げなさいな」
「あ、はい。……あ、でも、藤川さん、しご」
「だだだだだだだだ大丈夫です!」
 彩葉さんの言葉を遮り大きく頷く俺を見て、叔母さんがウィンクをしていたことに俺は気づかなかった。
 そして、はにかむようなほほ笑みを浮かべていた彩葉さん自身にも、俺は気づかなかったのだった。

「だからお前は失敗するんだよ」
 何処かからそんな声が聞こえてきた気がしたが、きっと気のせいだろう。たぶん。


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サークル名:R.B.SELECTION(URL
執筆者名:濱澤更紗

一言アピール
海といえばひと夏の恋!というわけで両片思いな恋物語です。たぶん。なお本来は公共交通擬人化がメインのサークルですが「海水につけると錆びる」という理由により断念しました(擬人化にした意味がない)。

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