美少年興信所・第三話「倉の中」抄

 その土曜の午後、鷹臣はいつも乗る車両の停車位置までホームを歩いていった。予備校の秋の強化合宿の日で、校舎に一泊することになっていた。肩にしょったリュックには、教材の他に弁当と着替えが入っている。
「あ、平田……」
 ベンチに彼の姿をみとめ、声をかけようとして鷹臣は凍りついた。
 準一は白い錠剤をいくつもかじっていた。ミネラルウォーターのボトルを口にあて、流し込む。
 その瞳は何もうつしていない。
 ただ、下り電車が入ってくると、準一はその風圧にながされでもしたように斜めに立ち上がった。
 目的地が反対方向であることを忘れて、鷹臣は追っていた。電車の扉が背後で閉まる音を聞きながら、準一の肩に掌を触れる。
「平田!」
 視線だけは鷹臣の顔にあてられたが、準一の瞳の焦点は定まらない。糸の切れた人形のように座席に腰をおろす。
 電車内は空いていたので、鷹臣は脇にすかさず座り、
「平田、一体どうしたんだ」
「夢……だよな。なんでここにジョシュアが」
「おまえこそどうして」
「僕は、別に」
 呟いた瞬間、準一の平たい頬を、ひとすじ涙が滑った。
「なにがあった」
 準一は指で頬をぬぐった。
「なにも。ただ、眠くて……I駅についたら起こしてくれると嬉しい。引きずってでも降ろしてくれたら」
「わかった。必ず起こす」
「ありがとう」
 そのまま準一は、すうっと寝入ってしまった。

 I駅につく前に、準一は自分で目を開いた。鷹臣の肩から重みが消える。
「ジョシュア」
 一瞬甘える眼差しをみせたが、すぐ表情を引き締めて、
「I市に別荘みたいなものがあるんだ。今日はそこへ泊まるつもりなんだけど、ジョシュアはどうする?」
 放っておける訳がない。
「つきあうよ。どうせ今から引き返しても、合宿には間に合わない」
「今日も予備校だったのか。なりゆきでつきあわせちゃって悪かったな。家に連絡はいれたのか」
「家はいい。予備校ヘは後でする」
「しないと心配するだろ、ジョシュアの家は」
 温厚な父母の顔が脳裏に浮かんだが、鷹臣は首を振った。
「心配なんかしないさ、知らなけりゃ」
「意外に不良なんだな」
「平田は?」
「別荘みたいなものっていったろ。親がいない時、気晴らしに泊まりにいくんだ。ひととおりのものは揃ってるし、誰かに断る必要もない。別荘番はいないし、材料もないから、メシだけは駅前ですませとかないといけないけど」
 慣れた様子で、準一は駅前のラーメン屋へ入った。鷹臣は自分だけ弁当を食べる訳にもいかず、同じものを食べる。とても金持ちの舌にあうとは思えないドロドロしたスープを、準一はのみほした。添えられた柚子の香りだけはよかったが、鷹臣は残した。
 準一はタクシーをとめ、「蓮乃岬まで」といった。
「もうバスがないから、今からだと戻れなくなりますよ」
 運転手にいわれても準一は涼しい顔で、
「心配いりません。そばに親戚が住んでるんで、今日は友達と泊まるんです」
「親戚?」
「平田って家、あるでしょう」
「ああ、あのお宅の」
 急に運転手の背筋が伸びた。
 道は狭くて暗く、急勾配な上に曲がりくねっていたが、車はスムーズに走っていく。それでも鷹臣は酔いそうになり、タクシーが止まった時は心の底から安堵した。
「暗いですから、お気をつけて」
「慣れてますから。お釣りはとっておいてください」
 準一は運転手に大きな札を渡してスマートに降りる。鷹臣もその後について、タクシーから這い出した。
 海が近いせいか、外は寒いくらいだった。ワイシャツ姿の準一はだが、平気な顔で歩いていく。
「別荘ってどこなんだ」
「そんなに急がなくても、すぐ近くさ。それより、腹ごなしにすこし、散歩しよう」
 振り返りもしない。不案内な暗い山の中でおきざりにされるのは嬉しくないので、鷹臣はついていくしかなかった。

「すごいだろ、ここ」
 冷たい風が吹き上がるそこは、断崖絶壁という言葉がふさわしい場所だった。
 準一は暗い海を指さした。
 彼方で灯りがチラチラしているのが見える。対岸の町の灯なのか、漁に出ている船なのかすら、わからない遠さだ。
「ここ、一種の穴場でさ、自殺志願者が度胸試しにくるんだ。ここで足がすくむようなら、まだ死ねないって」
 鷹臣も、準一のかたわらで暗い足下を見おろした。波の響きから考えて、かなりの高さだと思われる。訓練を積んだ人間でない限り、ここから落ちれば、海面に叩きつけられて、死ぬだろう。
 準一は薄く笑った。
「だけどわざわざ、こんなとこまで来ることないんだ。ロマンティックな夢を描く奴は、本当は死ぬ気なんかない。自分に酔ってるだけさ」
「平田?」
「飛び降りたいなら、いくらでも適当なビルがある。飛び出したいなら、車の多い道がある。飛び込みたいなら、電車は毎日走ってる。だけど、いくら死にたいと思っても、いざとなると身体が動かない。何もかもどうでもいい、と思っても、本能的ななにかが、どうしても邪魔をする。なんでだろうな」
 鷹臣はカーディガンを脱ぐと、準一の肩に着せかけて、
「生きてろ、ってことなんじゃないのか」
「何の希望もなくても?」
 カーディガンの襟元を押さえて風にとばないようにしながら、準一は鷹臣を見つめた。
「ここからじゃよく見えないようになってるけど、実はこの崖の途中、救助用のネットが三カ所ぐらい張ってあるんだ。とびこんだ人間は、十中八九、ひっかかって助かる。そういう旅行者専用の病院も、近くにある。やたらに人に死なれると、観光地としては迷惑だからね」
 かすれた声。妙に真剣な眼差し。
 鷹臣は目を伏せた。
「本人にとっては、飛び込んだ方がいいのかもな」
「どうして」
「ここから飛んで、怖い思いやみっともない思いを一度でもしたら、自分の町に戻っても、死のうと思わないんじゃないかな」
「だと、いいけど」
 準一の声は、ふっと低くなった。
「……そろそろ、《別荘》へ行こうか」

 風呂上がりの準一は、コップをかぶせたミネラルウォーターのボトルを持ち、深い光沢のある白のパジャマ姿で現れた。
 鷹臣は紺のTシャツに灰色のジャージ姿で、予備校の課題を広げていた。先に風呂を出たので、その髪はもう乾きはじめている。
 準一はあきれ声で、
「ほんとにジョシュアは真面目だな。その声で誰でも口説けるから、高校のうちは勉強に専念しとこうってことかい。それともモテすぎて、最初から面倒か」
「別に、そういう訳じゃ……ただ、わかれば勉強って楽しいものだからさ」
 そこは瀟洒なコテージの一室だった。
 もっていた鍵で玄関をあけながら、準一は「週に一度は掃除の人間が入ってるから、清潔だよ」と説明した。たしかに埃っぽい感じはしなかった。ゆったりとした居間を中心に、基本的な設備が整っている。寝室も一つではない。窓の外は砂と風を防ぐためか、みっしりと木が植わっている。二階にあがれば海が見えるかもしれないが、もう外は暗かった。案内された浴室も広い。海遊びをした友達が数人でおしかけても、まったく困らないだろう。
 準一はなれた様子で、「潮風でベタベタするだろ、浴衣もあるし、先に風呂をすませてくれ」といった。テレビとラジオもあるから、適当にくつろいでてくれ、ともいわれたが、居間のソファに座ってみても落ち着かない。見慣れない番組を見る気もおこらず、鷹臣は今日勉強するはずだった、補習用の冊子を開いていた。数学だけはどうも苦手で、他人のノートをなぞるような勉強をして試験にのぞんでいる。このままだと、文系でも選べる学部がさらに減るな、と眉間に皺を刻んでいたところだ。
「ベクトルの基礎ぐらいだったら、教えようか」
「あ」
 不意に肩に顎を乗せられて、鷹臣は驚いた。
 準一はふっと身体を離すと、
「わかれば楽しいなんていって、苦戦してるからさ」
「どうも苦手なんだ。ただの矢印が大きさと向きをもってて、足したり引いたりできるって概念からして、わからない。だから応用もできない」
「概念は概念さ。それじゃ物理もつらいだろ。どういう場面で使えるか知ってれば、概念なんか後からついてくるよ。例えばさ」
 鷹臣の手から鉛筆をとると、準一はよどみなく説明をはじめた。
 駅で泣いていた時とは、まるで別人だ。
 何があったのか、きけずにいる。どう考えても、すすんで話したくない種類の話だろう。あの断崖で準一がもらした「何の希望もないのに?」という言葉が、鷹臣の胸に刺さっていた。それは将来が決まらない不安、というような漠然としたものではない。準一はもう、限界に近いのでは……。
 思わず喉が鳴って、鷹臣はハッとした。
 準一はペットボトルを差し出した。
「悪い、ジョシュアも喉かわいてるよな?」
「いや」
「遠慮しなくていいよ。ボトルの方には口つけてないから、汚くないし」
「汚いなんて思ってない」
「そうか」
 準一の瞳がすっと細められた。
「じゃ、これは?」
 冷たい口唇の味。
 抱きすくめられても、鷹臣は抵抗しなかった。
 むしろ目を閉じ、その口吻に応えていた。
 遠からず、こんな日がくることはわかっていた。
 すがるような準一の眼差しが、彼の気持ちをすべて語っていた。
 鷹臣にはなぜか、それが決して不快ではなく――。
 顔を離すと、準一は目を伏せた。
「軽蔑、したろ」
「いや」
「いやじゃないのか、どうして?」
「平田の気持ち、わかってたから」
「わかってて、こんなところまでついてきたのか」
 うなずく鷹臣の胸に、準一は掌を滑らせた。
「いいのか、何されても」
「いいよ」
 準一は顔を背けた。ぐっと声を低くして、
「これ以上誘惑しないでくれ。一度始めたら止められない。ジョシュアは自分が、何に関わっているのかわかってない。己の不幸すら自覚していない。今ゆるしたら、絶対に後悔する」


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サークル名:恋人と時限爆弾(URL
執筆者名:鳴原あきら(Narihara Akira)

一言アピール
テキレボの新刊は『美少年興信所』シリーズのスピンオフの予定で、新作の一部を抜粋しようと思っておりましたが、今回はもともとのシリーズから、主人公の吉屋鷹臣の海辺の一夜を抜粋してご紹介することにしました。未読の皆様に、どんな雰囲気かわかっていただけましたら……。

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