水曜日、僕たちのウォータークラス

 瓶を割った不注意が、天変地異を生むなんて、誰が想像しただろう。

 教室は物で溢れている。僕のクラスでは、追い掛けっこやボール遊びで花瓶や地球儀を壊し、「校長に見つからないように直しとけ」と担任から隠ぺい工作を指示されるのは日常茶飯事。そんな日常は、ある時終わりを告げた。

──ガチャン。

 談笑中、肘が棚に触れ、小さく響いた破壊音。
「お前、今、何を壊した?」
 チャイムに先駆けて現れた担任は、いつもとは打って変わって鋭い視線を投げ掛けた。
 足元には両手に収まる透明な小瓶が転がっていて、ひび割れた個所からカラフルな星の砂が漏れ出していた。先生の私物だろうか。雷を覚悟したけれど、先生はよく通る声で宣言した。
「お前ら、よく聞け。今からこの学校は海に沈む」
 教室には疑問符が大量生産されたというのに冗談は止まらない。
「冷静に対処しろ。検討を祈ってやる」
 そうして、教室は海に沈んだ。

「ツグミ! 大丈夫か!?」
 水中から上がった僕のもとに、クラスメイトのマルスケルスが駆け寄る。水没を免れた三階に一足先に泳ぎ着いて、待っていてくれたらしい。

 一瞬のことだったんだ。床から水が湧き出したと思ったら、あっという間に教室が水で満たされていた。驚いて口を押さえた僕の体もクラスメイトも、机や椅子、教科書、何もかもが水中で浮かび上がる。春のような暖かさに包まれて、青みがかった視界では、窓から差し込む光がキラキラと反射していた。幻想的だ。
 息も忘れて誰かが言った。「本当に海にいるみたい!」と。
 その言葉で僕たちは気付いた。呼吸ができるってことに。

「あの大発見のおかげで、冷静に大事な物を持ってこれたぜ」
 バレーボールを小脇に挟み、友人は歯を見せて笑う。教科書や道具一式を鞄に詰めて避難した僕としては、ボールは大事な物に入りますかと聞きたいところだったが。

 三階の廊下には所々水溜りができていた。一階と二階は沈没していたので、みんな階段を通ってここまで泳いできたらしい。ラッキーなことに三階には、眺望を楽しめるアリーナ型テラスがある。
「やっほーーーい! 海だーーーー!」
 テラスに出たマルスケルスの第一声は、現状を率直に表現していた。
 広大な敷地内には、スポーツコートや植物園、機械仕掛けの庭園迷路、ドラゴンの住む森があるはずだが、今や一面青い海。すべてが水に沈んだらしい。
「こんなことがあるなんて……。さすが魔術学校だよ」
 感動で声が震える。
 そう、僕の通う学校は、全寮制の文系理系魔術系なんでもございの魔術学院。蜜柑色の髪と瞳のマルスケルスは炎の魔術師の家系で、その恩恵から常時ほんのり熱を帯びている。羨ましいことに、洋服はもう乾いたようだ。
「はーーーーーーーーーあ」
 その時、溜息が後ろから聞こえた。白磁の肌と絹のような長い髪、黙っていれば天使なのにとガッカリされる容貌の先生は、ボロボロのローブと柄の悪さで佇んでいた。
「煙草がお陀仏だよ……。持ってねえか?」
 発言も最悪だ。台無の化身だ。
「見て分かるだろ。学院にだけ発動した水の魔術だよ。下の階までポックリだが、呼吸はできるし、紙も機械も問題なく使える。……煙草がクズになったのは水の精霊の嫌がらせだろうな。アイツら、そういう所が駄目なんだよ」
 萎びた煙草を海に向かってぶん投げた。そういう所が駄目なんじゃないかと思う。
「ところで、瓶を割ったのはお前だな?」
「それは、その……ごめんなさい……」
「そういえば、生徒を置いて逃げる前に、そんなこと言ってたな」
 唐突にトス練習しながら呟く友人を無視して、先生は僕に指を突き付けた。
「この学校のモットーは?」
「えっと……自主自立の精神と危機に対処する勇気の育成、です」
「そう。不注意の責任は自分でとれ。学級崩壊を二週間以内に解決しろ。以上」
「あの……解決って……?」
 理解の追い付かない僕を置いて、先生はくるりと背を向ける。どういうことだろう。責任をとるなんて、僕のせいだとでもいうのだろうか。
「わかりましたあーー!」
 軽快な返事で僕の問い掛けは掻き消される。頭にボールを乗せてバランスを取る友人が、何も考えていないことは明白だった。

 流れるように一週間が過ぎた。あのマルスケルスと文系人間の僕では、学校規模の魔術をどうこうするなんて無謀過ぎた。なにしろ、謎の魔術には続きがあったのだ。

 二日目、図書室で朝を迎えた僕の体は、鮮やかな緑色の葉っぱに覆われてた。何事かと飛び込んだテラスはジャングルそのもので、校庭から生えた樹木が天高く幹を伸ばし、学校を牢獄のように包んでいた。どうやら木の精霊の暴走だということは、葉っぱを搔き集めていた先生から聞き取ったので間違いはない。
「ヤシの実でバスケできるんじゃね?」
 それが寝惚け眼のマルスケルスの感想だ。

 三日目、景色は砂漠と化していた。暴風が黄土色の砂粒を顔面に叩きつけてくる。テラスの一角で昨日集めた葉をスルメのように干している先生に挨拶しに行くと、黄金の精霊が欲深い人間を嫌い砂漠で代用したのだと言っていた。代用という表現に引っかかりを覚えたが、芳しい葉に鼻を近づけるマルスケルスを引き離していたせいで、聞きそびれてしまった。

 四日目、朝から暗闇だった。炎の恩恵でぼんやり光るマルスケルスを引っ張ってテラスに行くと、学校が岩に飲み込まれていた。まるで洞窟の中だ。お馴染みになっていた先生の奇行は、ナイフで岩を削り取ることだった。黒く汚れた手袋で汗を拭いながら、授業では目にしない真剣な姿勢で掘り進める。零れ落ちた破片を拾い上げると、藍色の蛍の化石だった。

 五日目、テラスは無人だった。昨日までは魔術書を片手に分析する者、貴重な体験を日記に綴る者、いい旅夢気分の者などで大賑わいだったというのに。
「……太陽の神め……猛暑にしやがって……」
 先生はあまりの酷暑に説明半ばで倒れ、残された僕は汗だくになりながら橙色の綿が悪戯に舞う天を仰いだ。

 六日目、最高の日だった。一日を通して夜の帳が下りていて、頭上には学校よりも大きな満月が迫り、星々が笑うように瞬いていた。時々、夜の欠片が降ってくるみたいで、みんなは歓声を上げてテラスを飛び回った。僕の頭に当たった夜の欠片は、紫色の金平糖の形をしていた。

 七日目。今日は校庭に大穴が開き、断続的にマグマや火山灰を撒き散らしている。
「ありゃあ、火の精霊が唾吐いてんだよ」
 先生は紫煙を吐き出して、テラスにいる僕の横に並んだ。手作りの葉巻は格別らしい。
「先生、大丈夫ですか?」
 深夜、月の下で目撃した、先生と学院長の会話を思い出す。

『魔具を壊した本人に事態を終結させるよう貴方に命じましたが』
 射干玉色の髪を引き摺る学院長は、怒りを潜めて囁いた。
『担任の指導が悪いせいで、生徒が力を発揮できず期限を迎えるようでしたら、クビです』

 その時の焦った顔などおくびにも出さず、今日の先生は通常運転だ。
「煙草の出来より自分の心配をしろよ。解決方法は見つけたのか?」
「そうですね……」
 眼下の黒い大地には磔にされたマルスケルスがいた。炎の魔術師の血脈を生贄に捧げて、火山活動を止めてもらう作戦らしい。

 さて、冷静に考えてみよう。ヒントはいくつもあった。
 天変地異は壺を割った直後に起きて、解決を言い渡された僕は壺を割った張本人。先生はテラスに陣取って、何が起きているのか逐一教えてくれた。
 周囲の様子もヒントになった。教師陣は自習を命じて雲隠れしているし、生徒たちはこの事態に慌てるでもなく楽しんでいる。まるで、誰かが解決すると聞かされているように。

 それに対する僕の回答は鞄の中だ。
 青い珊瑚、緑色の葉、黄土色の砂、藍色の化石、橙色に光る綿、紫色の金平糖。そして、真っ赤な熱を封じ込めた小さな噴石。七日掛けて収集した七色の欠片たちは、僕が割った壺から零れ出した星の砂と同じ色をしていた。

「先生の専門は契約魔術学。多種多様な精霊との契約の結び方、でしたよね?」
「……もしかしてお前、俺の授業を聞いていたのか?」
 何故か驚いている先生が、真面目に授業をしてくれたことは一度たりともなかったけど、僕には海の中から救出した教科書があった。そこには精霊の欠片を集めて契約する方法や禁止事項の記述がある。欠片を詰めた瓶を壊したから、精霊の怒りを買って学級崩壊に陥ったのではないだろうか。だったら、もう一度契約し直せば日常に戻れるのではないか。
 だけど、僕は困り顔を作って先生を見上げた。
「いいえ。僕、契約の儀式なんて全然分からないです」
「おい……冗談だろ?」
 申し訳なさげに首を傾げると、先生は葉巻を指から取り落として口の端を引き攣らせた。
 でも、冗談じゃないのは僕の方だ。煙草を製造していた先生や奇跡に興じていたみんなとは違って、僕は頭を使って動き回っていた。
 だから、いいじゃないか。タイムリミットまでのもう一週間、楽しんだっていいじゃないか。
「先生、ごめんなさい。用事があるので行きますね」
 呆然とする先生を置いて駆け出した直後、熱風に煽られた。生贄の効果空しく噴火を再開したらしい。負けじと熱波を掻いて、テラスに身を乗り出した。マルスケルスはサッカーボールをドリブルしながら、馬鹿みたいに笑ってマグマから逃げていた。

「ツグミ! まだ勉強してるのかー!?」
「もう終わったよ! 明日は海の日だよ! 一緒に遊ぼう!」

終わり


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サークル名:朝焼けが来る前に(URL
執筆者名:織本みどり

一言アピール
ライトなファンタジーや中華風小説で、青年たちが自分や友人のために頑張る話を書いています。テキレボ初参加ですが、よろしくお願いします!

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