物語はここからはじまるのである

 春とか、秋とか、暑くもなく寒くもない、いわゆるはざまの季節はなぜかなかなか衣服がセールにならない。
 タグについている値札、一万五千円、予算を大幅にオーバーしているかわいいチェック柄、揺れるミニスカート、ふくらむパフスリーブ。この、布をちくちくと縫製してリボンをつけただけのワンピースにほんとうに一万五千円の価値があるのだろうか。いや、まあ、もちろんデザイン料ブランド料、その他もろもろのご事情があるからこの値段になっているのは分かる。たぶん妥当なんだ、だってほんとうにかわいい服なんだから。
 でも、予算七千五百円でワンピースを買いに来て倍以上の値段のするものを買って帰るのは、とてもとても勇気が出ない。
 ご試着もできますと笑顔でインフォしてくるお姉さんを曖昧に蹴散らして、わたしはすごすごと店を出た。ショッピングビルも出て、背後に駅改札の人いきれを感じつつも地下に入っていく。しばらく歩くと海に出た。
 分からない方のために説明しよう。横浜駅という場所は、JR改札すぐのルミネという商業施設を右手に見つつポルタという地下街を通過してそごうというデパートに行き、さらにそごうから続くベイクオーターという商業施設に向かう道すがら、海を臨める構造になっている。
 それにしても、かわいいワンピースを買うのに、七千五百円は、大人の女性としては甘すぎる目算だったかなあ。せめて一万円は見ておいたほうがよかったのかなあ。
 海を睨みつけながら、わたしはベイクオーターの桟橋風になったテラスでため息をつく。
 いや、でもわたしとしては、ワンピース(と言うよりはアウターじゃない服)に七千五百円というのは相当思い切った大盤振る舞いのつもりだった。なぜならば普段はファストファッションの店で無難な服を無難なコーディネートでまとめ、社会からせめて振り落とされないくらいの品位を保っているだけだったのだから。スカートが二千円くらいの価格帯で生活していると、たかが服に一万円も出すなんて馬鹿らしいと思えてきてしまう。
 普段から、ちゃんとおしゃれすればかわいいのに、とよく言われる。顔が悪くない自覚はある。だって両親ともにぶさいくではないし、よく考えればメイクに苦労するほど肌が汚くないし、目鼻立ちはすっきりしているしたぶんわたしはかわいいの部類に入るほうだ。
 それに、安い店で服を買いたたいているからと言って、名の通ったブランドの鞄や時計、十代から三十代の女性がこぞって入るような洋服の店に興味がないわけじゃない。入ったことはあるし、一着や二着は奮発して買ったこともあるし、細かくは分からないものの店構えでだいたいの価格帯は分かるくらいの知識はあるつもりだ。
 だからこそ、なのである。
 もともとがかわいくて、それなりに女の子の服のことも分かる。そんなわたしがモテないわけがないのだ。
 何言ってんだおまえ、という批判は甘んじて受け入れる。
 つまり何が言いたいか、正直に白状すると数日前別部署のずっと気になっていたイケメン社員にデートに誘われた。
 わたしは、来客をさばく仕事をしているので制服の着用が義務づけられている。平たく言えばロビーで受付をしている。だから、仕事中会う人はわたしの私服姿を知らない。せいぜい、同じ時間に上がる女性社員に着替えを見られる程度だ。
 だからたぶん、あのイケメン社員氏もわたしのファストファッションで固めた無地オンリーの地味な私服姿を知らないのだ。これは、考えようによってはチャンスである。
 デートにて、かわいい服を着て行けば、普段からこんな格好をしていると彼に植えつけることができるじゃないか、そうだろう。
 交換した連絡先をじっと見つめながら、なんかもう断ろうかな、というやさぐれた気持ちにすらなってくる。だって、たとえばこのあと彼とめでたくお付き合いすることになったとしよう、そうすると、普段のわたしを隠し通すことは不可能だ。いつかはわたしの素のファッションがばれる。
 トーク画面をじいと見つめていると、急にその画面に文字が躍る。
『今大丈夫ですか?』
 あ、やばい。画面表示してたせいで既読をつけてしまった。とはいえ、急いでいるとか間が悪いとかではないので、返事をする。
「大丈夫ですよ。どうしたんですか?」
『週末のデートなんだけど、海に行かない?』
 海。思わず目の前のしけた海を眺める。なんでこの、夏も終わって寒くなっていくぞって時期に、海なんだ。
「海ですか?」
『そう。秋の海ってけっこう俺好きなんだよね』
 その後、なんだかんだと会話が続き、結局デートは海に決まった。もちろん泳ぐわけではない。海沿いをドライブして、適当なところで降りて散歩しようという話だ。悪くないけど……。
 わたしを悩ませるのは、やっぱり服装のことだった。どうしよう、秋の海辺をドライブデートって、何着て行けばいいんだ……。

   ◆

「添田さん」
 結局、わたしはあの日予算をオーバーしたかわいいワンピースを着て待ち合わせ場所で待っていた。たとえば食費をちょっと削るとか、趣味の映画を三本我慢するとか、そういうことでお金は浮くものだ。
 現れたイケメンは、私服もイケメンだった。男のファッションはよく分からないけど、イケていると断言できる。なぜなら待ち合わせ場所にいた少女たちが色めき立っているから。
 行こうか、と促されついていくと、ふつうの国産車が停まっている。よく、軽が停まっていたら帰る女がいるとか言われるけど、少なくともわたしは車にはまったくこだわりがないので、たとえナンバープレートが黄色だろうが踵を返したりしない。冗談抜きに車高が低すぎるとかだったら返すかもしれないけど。
 車に乗り込んで海辺をゆっくりとドライブしながら、わたしは彼の様子をうかがった。待ち合わせ場所でも何の反応もなかったけれど、男性っていうのは女が思っているより女の服装に興味がないのだろうか。このワンピース、めちゃくちゃかわいいし一万五千円するんだけど。
「あのさ」
 彼が、世間話ではなく改まったように口を開いたのは、秋の海、という情緒漂う浜辺を砂に足を取られながらも歩いているときだった。わたしが砂で滑ったところを彼の手に支えられ、あ、手をつないだ、と思ったときに、彼のほうからも言葉があった。
「今日、なんかすごくかわいいよね」
「……」
 ようやく気がついたか一万五千円に。わたしの目が輝いたのを見たのか見逃したのか、彼は続けざまに言葉を放つ。
「普段とは全然違うから、俺のためにおしゃれしてきてくれたんだなって思って」
「待って」
 思わず彼の歓喜に満ちた言葉を遮った。待て待て待て、普段と全然違う、だと?
「わたしの私服、見たことあるんですか?」
「そりゃあ、あるよ」
 さも当たり前のこと、愚問とでも言うふうに彼は首を傾げた。なぜ、女子ロッカーから毎度毎度寄り道もせず一目散のわたしの私服を彼が知っている?
「え、なんでですか」
「なんでって……俺の仕事場はロッカー室の近くだし、添田さんの私服とかめちゃくちゃ気になるからとりあえず待ち伏せもするよね?」
 さも当たり前のこと、愚問とでも言うふうに彼は首を傾げた。いや、何当たり前みたいにストーカー行為を自白しているのだ。
 というか、それならそれで声をかけてくれればいいのに。なんのためにわたしは食べたいお菓子を削って一万五千円のワンピースを買ったのだ、こんなことなら普段と同じ無地の地味服で来ても問題なかったじゃないか、完全に誤算だ、ひどい、ひとでなし。
「というか、いつもシンプルな服を着ているから安心してデートに誘ったというのもある」
「は?」
「特に金曜は念入りに観察していたけど、特に華やかな服装になることもないので、デート相手はいないだろう、と勝手な予想を立てていた」
「……」
 たしかにデートするような相手はいないけれども。え、男の人って女の服装でそんなことまで見ているの?
 完全に無駄遣いになったワンピースの布地をじっと見つめる。わりと真剣にむなしい。だってこの服はもうきっと着ることもない、まさしくタンスの肥やしになる服だ。たった一日、今日のデートのためだけに見栄を張って一万五千円、しかも相手はそれをわたしの見栄だと知っている。こんなむなしいことがあるだろうか、いやない。
「だから俺すげえうれしかったんだよね」
「……」
「添田さんが、今日、たぶん普段着ないような服を着てきてくれたことが」
「…………」
「俺のために選んでくれたのかな、とか、すげえ考えちゃうじゃん。俺のためにかわいい服着てきてくれたんだって舞い上がっちゃうじゃん」
 あー。
 許す。なんだこのはにかみ王子。わたしは一万五千円を水に流そう。すべて許そう。これは無駄な出費じゃない。彼の心をときめかせるために必要な出費だったのです。アーメン。
 めでたし、めでたし。(ここで荒波をバックに東映という文字が躍る。なぜならばわたしたちのストーリーはここからはじまるからなのである)

「次回からは量販店地味服でいいですか」
「添田さんが落ち着くならね。ってか次回あるんだね、ふふふ」
「……」

   ◆◆◆


Webanthcircle
サークル名:notice me senpai(URL
執筆者名:宮崎笑子

一言アピール
男と女がどったんばったん大運動会、すったもんだのあげくにちゅっちゅしたりしなかったりします。

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