Color glass
広い屋敷を駆け抜ける。曲がり角、太い柱、階段の上。少しでも黒い銃口が見えたら弾道を避ける。想定より大人数だが、問題ない。前を駆ける男――エイベルが、的確に相手を潰している。前方・側方の敵はもちろん、後方の敵を見ずに撃って命中させるのだから恐ろしい。本人は「音がしたから撃った」なんて言うので、五感の出来からして常人とは違うのだろう。
「そういえば、プライベートビーチ持ってるんだっけ。」
銃声の響く中で話しかけられ、エイベルのすぐ後ろを走っていた女性――シンシアは、ターゲットについての情報を思い出した。逃走には使えないので重要視しなかったが、エイベルは何か察知したのかもしれない。
「うん。ここからそう遠くない。」
答えながら、彼が弾丸を補充する一瞬の間、自分に任された敵を撃ち抜く。三人いた内の一人は角に隠れてしまったが、補充を終えたエイベルが跳弾で仕留めた。
「せっかくだし、帰りに寄ろうか。」
――寄る、とは。
どういう事なのか。口ぶりからして仕事とは関係がなさそうだ。階段を駆け上がるエイベルが、腰の手榴弾に手をかけた。この先に複数人いるらしい。ピンが外れ、投げられた先。廊下を塞ぐように六つの銃口が見えたのは一瞬で、手を引くエイベルに身を任せて壁に隠れる。
爆発音。
「…今言う…?」
すぐさま飛び出して行ったエイベルを追いながら、思わずそう返した。
×××
政治家のプライベートビーチだけあって、海岸には人っ子一人いない。星だらけの夜空も、さざ波の音も、砂浜も全て二人で占領できた。潮の香りを肺いっぱいに吸い込んで、吐く。出張の合間に海なんて不謹慎な気もするが、来てよかったと思う。月の映る海を眺めていると、エイベルが横から覗き込んできた。
「もしかして、泳ぎたい?水着持ってくればよかったね。」
「…別に、そんな事言ってない。」
ふいと顔をそむけて、シンシアは視線を落とした。体には大きな傷跡があるから、もし水着になるならパーカーか何かを羽織って、きっちり前を閉じておかなくてはいけない。好奇の目に晒されるのは御免だ。
「見たかったなぁ、シンシアちゃんの水着姿。」
へらへら笑うエイベルは、その傷を知らない。数年前、二人が出会うより前にできた傷だから。
「……絶対に、見せない。」
なんとなく気持ちが落ち込んで、そう言った。傷跡なんてエイベルの方がたくさんあるだろうし、気にする事でもない、はずなのに。
「はは、つれないなぁ。」
言いながら、エイベルは靴を脱いで裾を捲り始めた。泳がないとしても、足だけ浸かる気らしい。
「ちょっと…」
「これくらい許されるでしょ。シンシアちゃんも来なよ。」
「私は…」
いい。と言おうとしたけれど、ざぶざぶ歩いていくエイベルを見ていると、自分だけ我慢はできなかった。同じように靴を脱いで裾を捲り、砂浜が濡れているところまで進む。数秒待てば、薄く低く。踝くらいまでを冷たい波が撫でていく。さぁ、と引いていく波につられる砂粒。――悪くない。海水が足首の上にくるまで進むと、エイベルが手を差し伸べた。
「大丈夫?転ばないように手を繋いであげようか。」
「こんなに浅いのに、そんなヘマはしない。」
「はは、そうだね。まぁ気を付けて。」
予想通りの回答だったらしく、エイベルは笑っている。言われなくても、二人とも腰や懐に銃もナイフも装備したままだし、第一着替えがない。転ぶわけにはいかない。
「シンシアちゃん、海はよく来たの?友達と遊びにとか。」
見つけたヤドカリを地味に追い詰めながら、エイベルが聞いてきた。遠い昔の光景が目に浮かぶ。シンシアもその時ヤドカリを見つけて、自分が作った砂の城のてっぺんに乗せてやった。たくさん泳ぎもした。当時の自分が心から楽しんでいたのを思い出して、自然と少し、口元が緩む。
「子供のころ、イェルドに連れられて…姉さんと三人で来た。」
イェルドは、シンシアとエイベルが所属する刑事部特務課の課長だ。上司とはいえ、シンシアにとっては幼馴染で兄のような存在だが、エイベルとは至極仲が悪い。会うと大体殺気をぶつけ合っている。名前を出すだけでも大抵エイベルの機嫌が悪くなるのだが、今日はその気配がなかった。それが少し意外で、シンシアはエイベルを見上げる。
「君がお姉さんの話をするの、珍しいね。」
意外そうな顔をしていたのは彼も同じだった。言われてみれば、確かにそうだ。墓参りの時期など、イェルドとは話をする事もあるが、エイベルと家族の話をする機会はあまりなかった。する必要がないのだから、当然といえば当然なのだが。
「それ、いつ頃の話?」
興味があるのか、エイベルが先を促した。
「十歳くらい。その時は姉さんが溺れて、私とイェルドで助けた。」
「お姉さんの方が溺れたんだ?」
「運動音痴だったから。」
「へぇ…姉妹でも違うんだね。」
小さい頃から運動の得意なシンシアと違い、姉のジュリアはおっとりしていて、走るのも遅ければボールを投げるのも下手だった。
「姉さんは気が弱い、というか…大人しくて優しい人だったから。…男の子にいじめられたりすると、私が追い払ってた。」
「いじめ?」
「姉さんは目が違ったから、……」
そこまで言って、シンシアは言葉を途切らせた。もういない姉の顔を、それが最後になると知らなかった日の姿を思い出す。いつだって、優しく笑っている人だった。目を閉じて、頭を振る。見上げれば自分の髪や瞳と同じ、銀色の月が浮かんでいた。
「…あなたに言うような話でもなかった。」
「そう?もっと話してくれてもいいんだけど。シンシアちゃんの昔話なんて貴重だし。」
「あなたの方が貴重でしょ。」
じろりと見て言ってやると、「まぁ、確かに。」と視線をそらした。といっても、昔話をしないのはエイベルのせいではなく、
「あ、カニもいるみたいだよ。シンシアちゃん、食べる?」
「食べない。」
では、どうして殺人犯が警察のために働くなどと信用できるのか?その監視のためにシンシアがいて、エイベルの心臓には小型の爆弾が埋め込まれており、警察を裏切るような行動をした場合には――起爆する。盗聴器がある、言葉にも気を付けろと言われているエイベルは当然、禁じられた自らの事件について、シンシアに教える事はしない。
「…どうしたの、シンシアちゃん。」
「!」
声をかけられて、自分がエイベルを――その心臓を見ていた事に気付いた。視線を上げると、エイベルが微笑んでいる。爆弾の事を考えて見ていたのは、悟られているだろう。
「そんなに見つめるくらい、僕が好き?」
「違う。」
「はは、冗談だよ。僕はシンシアちゃんが好きだけどね?」
エイベルは、けらけら笑っている。
「…それこそ冗談でしょ。」
ため息をつきたい気分だ。シンシアは視線を海へと向ける。すべてを飲み込んでしまいそうな暗い海なのに、月に、星に照らされる姿は綺麗だった。辺りに響くのは波の音ばかりで、ここには街の喧騒もなければ、誰かの目もない。誰かの耳も…。
シンシアは、胸元を握りしめる。今なら聞けるかもしれない。手が震えるのはきっと、気のせいだ。
「エイベル」
振り返ると、彼はすぐそこにいた。焦る気持ちを押さえて、一歩、歩み寄る。そっと手を伸ばしても、エイベルが避ける事はなかった。そのまま彼の胸に触れる。
「あなたは…このままでいいの?」
「……」
いきなり何を、という顔だった。当然だ。二人が出会ってから、もう二年以上が経っている。
「会ってから一度も、
本当はずっと、聞いてみたかった。
「あなたは、どう
「――…。」
もし、エイベルが何か企んでいるとしたら。元から警察の人間であるシンシアには、話さない方が得策だろう。それでも聞いてみたかった。彼が自分に何と答えるのかを。いつも通りわかりやすい嘘を言って流すのか、こんなのどうしようもないと諦めているのか、それとも。
エイベルは、心の中で笑みを浮かべた。
――この子はきっと、「助けてほしい」――そう、言ってもらいたいのだろう。
「……何か、言うことはないの。」
沈黙に耐えかねて、シンシアが聞いてきた。彼女にわかりやすいよう、エイベルはにっこりと笑う。
「何て言ってほしい?」
本心を絶対に、カケラも言う気がない時の顔だ。シンシアは思いきり眉間に皺を寄せ、引っ込めた手を自分の胸元で固く握りしめた。そのままくるりと踵を返す。
「タオル取ってくる。」
「僕も行くよ。」
「一人で行く。いて、そこに。」
「あれ、声にすごく棘があるなぁ。」
笑って言いながら、エイベルは視線を周囲にはしらせた。車は海岸から見えるところに置いてあるし、ここへ来てから一度も他人の気配は感じていない。一人で行かせて問題はないだろう。シンシアは歩きながら、ちょっと砂浜を蹴ってみたりしている。割と不機嫌にさせたようだ。本気で聞いていたようだから、当たり前だが。
「…僕を信じ過ぎるなって、イェルドに言われてるでしょ。」
風と波の音に紛れて消えるように、呟く。
「もう少し守りなよ。」
彼女はきっと、心臓に爆弾を埋め込まれた自分に同情してくれているのだろう。何も知らないから、素直に心配しているのだろう。疑うべき事はたくさんあるのに、気付きもせずに。
「そんなだから、君は――」
一際高い波が押し寄せ、ざざん、と音を立てる。足に触れた水が引いていくと、残された色ガラスの破片が見えた。月の光を反射して輝いている。まだ角が取れていない、鋭い破片。なんとなしに拾ってかざすと、銀色に光る月が半分、金色に見えた。いつか見た、あの瞳のように。
――『姉さんは気が弱い、というか…』――
「…気が弱い、ね…。」
色ガラスを海へ放り投げ、エイベルは背を向けた。
「強い子だったよ。…最期はね。」
サークル名:藤墨倶楽部(URL)
執筆者名:鉤咲蓮一言アピール
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※本作は個人本『Joke』の関連作品です。