「翼交わして濡るる夜は」より、海の場面

「肉より甘いものが好きです。でも肉も嫌いじゃないですよ」
 知らないおじさんと二人きりで焼肉を食べている。自分が置かれた奇妙な状況にまだ慣れない。この個室だけが現実世界を離れ、空中に浮かんでいるようだ。
「ああ、美味しかった」
 光一は食事を終えると、膨らんだお腹を満足そうにさすった。僕はデザートに、エスプレッソコーヒーがかかったバニラアイスを食べた。
 食後は大牟田の方に向かってドライブすることになった。僕は助手席に座ってすぐに寝てしまった。車が動いてないのに気付いて目を覚ますと、フロントガラスの前に広がっているのは道路ではなく、海だった。
「おはよう」
「僕、どれくらい寝てました?」
「だいたい一時間かな」
 車から降りて砂浜に立つと、湿って重たい海風が全身に当たる。
「人、いないですね」
「このあたりは浅くて泳げないから。今日は天気もあまり良くないし」
 光一が波打ち際の方に歩いていったので、僕もついていく。
「晴れた日に見せたかったな。僕は曇りの日のこの風景も好きだけど」
 小さな波が寄せて返すだけの、何の変哲もない海だ。そんな風景より光一に興味があった。遠くを見つめて立ち尽くす光一の背中に、僕は抱きついた。まるで僕の体がはまるのを待っていたかのように、ちょうど良い形でくぼんでいる。腰をぎゅっと押し付けると、冷房で冷えた体が温まった。
 光一は僕の腕をほどいてこちらを向いた。僕たちは何も言わずに見つめ合った。
「ごめん」
「嫌でしたか?」
「そんなことない。人に触れられることがあまりないから」
 足元まで来た波をよけようとして、光一は転びそうになった。腕をつかんで助ける。
「上手く歩けない」
「大丈夫ですか?」
「動揺してる。ものすごく」
 光一はその場でしゃがみ込み、頭を抱えてつぶやいた。
「不純な気持ちになってしまったんだ。君は僕を軽蔑していい」
「不純な気持ちって?」
「胸がドキドキした」
 光一の深刻な声が可笑しくて、笑ってしまった。
「ドキドキするのは不純ですか?」
「僕はゲイなんだ」
「僕もですよ?」
 光一は僕を見上げる。眼鏡の奥の目が潤んでいた。
「分かっていてやったの?」
「光一さんが喜ぶかと思って」
 光一は立ち上がり、眼鏡を外してハンカチで拭いた。崩れた前髪がおでこにかかり、別人みたいに子供っぽく見える。その時に僕は「この子を守りたい」と思った。光一は僕よりずっと年上なのに。色んな価値観がひっくり返ってゆく。
「ブログ、銀の匙の感想以外も読んだんだ」
「全部読みました」
「全部?」
 光一は眼鏡をかけ直して目を丸くする。
「同性愛を嫌う文章が多くて悲しかった。僕まで否定された気分になりました」
 光一は首を振る。
「否定しているのは同性愛ではなく、僕自身だ」
「同じことですよ」
 光一の黒目をにらむ。おびえて泣きそうになっている。やっぱりこの人は弱い大人、大人のふりをしている子供なんだ。
「そんなに悪いことですか?」
「自然に反してる」
 僕は大笑いして、目じりの涙をぬぐいながら言った。
「じゃあこれから僕は、自然に則したことをしますね」
 背伸びして光一の唇に■■…■。そんなことをするのは初めてだったけれど、光一が無抵抗だったから割と上手くいった。
 光一のを■■…■口だけ離す。
「これが僕のしたいことです。したいことをするのは自然なことだと思いませんか?」
「とりあえず、ここじゃまずいよ」
 背中にしがみつき、ほとんどぶら下がるようにして耳に■■■■、そのままささやいた。
「二人きりになれる場所に行きましょう」

 光一はラブホテルではなく、旅行客が泊まる大きなホテルに連れていってくれた。叔父と甥だということにしようと口裏を合わせて(でも別に、ホテルの受付の人は僕たちの関係を尋ねたりしなかった)部屋に入ると僕はすぐに光一を■■…■。光一はその間、体をこわばらせて寝ているだけだった。最後にお返しをするように■■…■。
 ■■終わると、夢から醒めたように冷静になって、自分が異常なことをしたのだとようやく気付いた。今日初めて会った、恋い焦がれている訳でもないおじさんと、性的な関係を持ってしまったのだ。しかも向こうから誘ってきたのではなく、こちらが一方的に■■■ようなものだった。光一は嫌がりも喜びもせず、されるがままになっていた。二人とも汗をかいて髪が濡れている。
「すみません。夢中になってしまって」
「そうだったねぇ」
 光一は腕を伸ばして僕を抱きしめた。
「すみません」
「ううん」
 光一の匂いがして、僕のがもう一度■■■■。光一の抱き方はあまりにも優しく、自分が正しいことをしたのか、間違ったことをしたのか、うまく判断出来なかった。

 軽くシャワーを浴びて(光一が髪を丁寧に乾かしてくれた)家の近くまで送ってもらい、夜になる前に別れた。家族と夕飯を食べていると、いつも通りの光景が全く違うものに感じられて落ち着かない。変わったのは家族ではなく、僕だ。もちろん父と母に光一の話をすることはなかった。
 次の日の夜、光一のブログが更新された。「罪」というタイトルだった。

 罪を犯した。
 いくつの罪を犯したのか、恐ろしくて数える事も出来ない。
 けれどもその中で最も重く、何をしようと決して贖う事が出来ないと分かっているのは、自分に対する罪だ。

 これまで私は自分の臆病さを憎んできた。
 この醜い性質が、本来なら味わえるはずだった美しいものを遠ざけてきたのだと。
 しかし今、この臆病さがどれだけ自分を守ってくれていたのか、自分が何故臆病であったか、ようやく理解した。

 私の心は途轍もなく弱い。
 この苦しみの中で正気を保てるだろうか。
 考えようとするだけで気が狂いそうになる。

 罰はすでに始まっている。
 天使に会えなくなったら。
 これほど大きな痛みを私は知らない。

 罪というのはたぶん、僕とした■■…■を指すのだろう。予想外の一日ではあったけれど僕は楽しかったし、光一も笑って見送ってくれた。それなのにこんな風に書くなんて。
 天使に会えない? キリスト教は確か同性愛を禁止していたはずだ。光一がもしクリスチャンだとしたら、天国に行けなくなるとか地獄に落ちるとか、信仰に関する事で悩んでいるのかもしれない。僕は特定の宗教を持たないから「神の教えに背く」というのがどんな感覚のものなのか、全然分からなかった。
 僕は光一にメールを送った。

 今日更新された罪の話、どういう意味?
 僕のことだよね?

 すぐに返事が来た。

 ごめん。削除した。どうしてもどこかに気持ちを吐き出さないと耐えられなくて、軽率なことをした。本当にごめん。

 光一のブログを見てみると、さっきの記事は無くなっていた。僕は削除して欲しかったのではなく、意味を教えてもらいたかっただけなのに。遠く離れた場所で勝手なことをする光一にイライラした。

 光一はクリスチャンなの?

 違う。どうしてそんなことを聞くのだろう。ああ、罪と罰について書いたせいか。もしクリスチャンだったら、僕はもっと苦しむことになったのか、それとも救われたのか。

 メールのやり取りではらちが明かないと思い、週末に再び会う約束をした。

 心が乱れていて事故を起こしそうだから、話しかけないで欲しい。そう光一が言うので、僕はあの海に着くまで助手席でおとなしくしていた。
 砂浜に車を停め、僕たちは冷房の効いた車内で話すことにした。外には家族連れが遊びに来ており、小さな姉妹がおもちゃのスコップで濡れた砂を掘り返している。
 もう車は動いていないのに、光一はハンドルを握りしめ、前を向いたまま言った。
「僕と、友達になってもらえないだろうか」
「■■■■フレンドのこと?」
「そうじゃない。普通の友達だ。雑談したり、笑い合ったりするだけの」
「え~っ」
 光一とは歳が離れているし、趣味も合いそうにないし、友達になりたいとは思えなかった。友達はダメで■■■■フレンドなら良い、というのも変な感じがするけど、正直に言ってそうだった。
「もし友達になれないなら」
 光一はハンドルを強く握り、手の甲の血管がぐっと浮き上がった。
「もう会うのはやめよう」
 声も体も震えている。
「この間僕がしたこと、そんなにイヤだったの?」
「イヤじゃなかった」
 光一は頭を大きく振った。
「でもするべきではなかった」
「光一がしたんじゃなく、僕がしたんじゃん」
「僕には止める義務があった。それなのに、君に体を触ってもらいたいという欲望を、抑えられなかった」
 光一の耳がみるみる赤くなる。
「今も触って欲しいんじゃないの」
 僕は外から見えないように光一の■■…■。
「ダメだよ」
 そう言いつつ、僕の手を振り払いはしない。
「あの日の夜、君のお母さんのことを考えて眠れなくなった」
「うちの親?」
「サッカーもやらせないで大切に育てたのに、二十も年上の男にわいせつな行為をされたと知ったら、ショックで倒れてしまうんじゃないだろうか」
 球技禁止の話のせいで、光一は僕の親を過保護だと勘違いしたようだ。ピアノの練習さえサボらなければ、あとは放任なんだけどな。
「わいせつな行為をしたのは僕じゃん」
「世間はそう考えない。中年の男と未成年者が性行為をしたとなれば、自動的に未成年者の方が被害者だと見なされる。細かい事実なんて誰も見てくれない。大人には未成年者を保護する義務があるんだ」
 いつも夢見がちなことばかり言っているくせに、急に普通の大人みたいなことを言い出して。
「君のお父さんかお母さんが警察に相談すれば、僕は逮捕されるかもしれない」
「じゃあ僕は『親に言いつけるよ』って光一を脅せるんだね?」
 ガバッとこちらを向いた光一の顔は引きつり、瞳は叩かれる直前の子供のようだった。
 太ももを撫でていた指を■■■に移動させ、布越しに■■■を確認する。
「早くちゃんと二人きりになろうよ。我慢出来ない」


Webanthcircle
サークル名:柳屋文芸堂(URL
執筆者名:柳田のり子

一言アピール
第4回のアンソロでハニワを作っていた人です。覚えてますか? 今回のテキレボではボケ×ボケのボケ倒しグルメBL「翼交わして濡るる夜は」を出します。この海の場面は回想シーンなので、物語の中心となる恋愛ではありません。伏せ字のせいであれこれ想像してしまう、というのをやってみたかったのですが、どうでしょう。

Webanthimp

この作品の感想で一番多いのはドキドキです!
この作品を読んでどう感じたか押してね♡ 「よいお手紙だった」と思ったら「受取完了!」でお願いします!
  • ドキドキ 
  • 受取完了! 
  • ごちそうさまでした 
  • 胸熱! 
  • ゾクゾク 
  • しんみり… 
  • 尊い… 
  • エモい~~ 
  • この本が欲しい! 
  • そう来たか 
  • 怖い… 
  • しみじみ 
  • かわゆい! 
  • 泣ける 
  • 切ない 
  • うきうき♡ 
  • ほのぼの 
  • 感動! 
  • 笑った 
  • 楽しい☆ 
  • キュン♡ 
  • ほっこり 
  • ロマンチック 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください