なっちゃんとハワイアンブルーの野望

「天草の海は好かん」
 車窓を流れる景色を眺めながら、なっちゃんが呟いた。
 ハンドルを握っているので助手席に座る彼女の表情は分からなかったが、口調から察するに、ややご機嫌が斜めのようだ。
「好かんって、なんで」
「なんかのっぺりしとるもん」
「……なっちゃん。悪いけど、意味が分からん」
「色が、はっきりしとらんっていうか。パキッとしとらんでしょ。いつもぼーっとそこにある感じで」
「ぼーっと? 波がなくて穏やかってこと?」
「それもある。水はきれいなのに、流れがないせいで堤防のすみっこに赤茶けたもんがモワーっと湧いとったりすっと、残念感がすごい」
「海なんて、大体どこもそんなもんじゃ?」
「ハワイの海はどうね」
「いや、それは分からんけど……てか、なんでハワイ」
 車道からちらりと視線をずらして、街道沿いに広がる海を眺めてみる。遠浅の海は、青というより緑に近い。泥を多く含むせいか、浅いところは土色にも見える。水平線は白く、曇った空とあまり見分けがつかない。確かに「のっぺり」しているのか? これは。
「公平くん、ハワイ行ったことあるくせに」
 不満げな声がする。なっちゃんは三つ下の学年だ。姉の同窓生たちの団体旅行に混ぜてもらえなかったことをずっと根に持っているのだ。
「あんな四泊六日のやっすいツアーで、そんなにゆっくり見て回れんよ。日程の半分ぐらいは小春の買い物に付き合わされたけん、買い物に行ったような感じだったし」
「おねーちゃんのことなんか放っておけばいいのに」
「買い物に行くなら圭介を誘えって言うのに、小春がやたら恥ずかしがるけん。俺がいつも間に入って付いて回らんといかんくなっとよね」
「圭介くんって、東京に出て何年目だっけ? もう熊本には戻ってこんでしょ」
「先のことは分からんし、そうとも限らんど?」
「東京の大企業に勤めたら、まあ大体戻ってこんって。それなのにおねーちゃん、まだ夢見る乙女病が抜けとらん感じで。長年、片想いが駄々漏れとったとに、圭介くんにガン無視されとるとか。ぶっちゃけ完全に脈ナシなんじゃ?」
「そんな微妙な話、俺に聞かんとってよ」
「圭介くんも、なんかずるい。はっきり断ってから東京行けばよかったとに」
「それはあいつがかわいそうだって。告られてもないのに断るも何もないし」
「あーもうっ! だけん『のっぺり』は好かんったい」
 なっちゃんが突然、車の窓を全開にした。気持ちのいい潮風が勢いよく車内に流れ込んでくる。
 なっちゃんは窓の外に目を向けたきり、黙り込んでしまった。同級生である姉の小春はおっとりした大人しいタイプなのに、妹の夏美は全然違う。何でもハッキリものを言いすぎて、しょっちゅう周りと衝突してしまう。近所に住むこの姉妹とは幼い頃からの付き合いだが、姉の穏やかな性格のおかげか、姉妹仲は意外とうまく行っているところが面白いと常々思っている。
「あとちょっとしたら、道の駅があったよね。ちょっとお土産見たいけん、寄ってくれん?」
 潮風にカドを削がれたのか、なっちゃんの声のトーンは、さっきよりも少しだけ丸くなったように聞こえた。

 元々、一人で釣りに来る予定だったのだ。一緒に連れて行けとせがまれて乗せては来たものの、なっちゃんは撒き餌がくさいだのテトラポッドに群れたフナムシが気持ち悪いだの、不満ばかり並べ立てる。仕事で何かあったのか、姉と喧嘩でもしたのか事情はよく分からないが、本当は何か言いたいことがあるようにも見える。だが、ここは敢えて放っておくことにした。こちらから色々詮索すると、大体ややこしいことになってしまうから。
 物産館から戻ってきたなっちゃんは、甘夏が山盛り入ったビニール袋をぶら下げていた。近づいてきた彼女に向かって、両手に持っていたソフトクリームの片方を差し出す。
「これ、先に取って。そんで、それ持つから。貸して」
「えっいいよ、悪いし」
「いいから」
 甘夏入りのビニール袋を半ば強引に引き受けると、そのまま二人でぶらぶらと海岸沿いの遊歩道へと向かった。薄い雲の膜が張った空は白く明るい。午後の海は凪いでいて、海と空の境目は、相変わらず曖昧だ。
「公平くんって、すごかね」
「すごかって、何が」
「いや、ほら。荷物持ってくれたり、ソフトクリームばくれたり」
「だってこれ、どう見ても重そうだし。ソフトクリームは自分も食べたかったけん」
「いや、そういうことを自然にやっちゃうの、すごかよ。人として」
 前を歩くなっちゃんは、丈長の真っ白なシャツにジーンズ、サンダル、つば広の麦藁帽子をかぶっている。5月とはいえ、日中は暑い。ソフトクリームを持っている姿を見ると、小物が揃いすぎていて、もう夏か? なんて錯覚してしまう。
「ねえ。ちょっと訊いてよかね」
 なっちゃんが立ち止まってこちらに振り返り、改まった声で尋ねてきた。
「公平くんはさ、おねーちゃんと圭介くんがうまくいって欲しいって、本気で思っとっと?」
「そりゃあ、まぁ」
 思いもよらない質問を吹っかけられて、ほんの一瞬、言葉に詰まった。
「そうなれば一番いいと思っとるよ」
「実際、うまくいくと思う?」
「それは分からん。圭介も、何ば考えとるか分からん奴だけん」
「長年親友やっとるとに?」
「あいつ、自分のことあんまり喋らんし」
「……信じてよかね、その言葉」
「は? うん。嘘は言っとらんけど」
「そっか――、うん。分かった」
 やたらと疑われている気がするが、それ以上深く突っ込むのはやめた。あの二人がうまくいくのが一番いい。それは全然嘘ではない。圭介と小春の関係が崩れてしまうと、これまで当たり前に思っていた色んなことが失われてしまうだろうから。
「そういえば、仕事はもう馴れた?」
 なっちゃんは、四月に損保会社の事務職に就いたばかりだった。とてもしっかりした子なので仕事についての心配はないのだが、人付き合いの面が若干気がかりだった。
「うん。営業所の人、みんな優しい人ばっかり。このままのペースで行けば、思ったよりも早く目標金額までお金が貯まりそう」
「入社早々、そんなにがっつり貯金すっと?」
「うん。ハワイに備えて、資金が必要だけん」
「ハワイ?」
「そう。ハワイ」
「……へぇ」
 なんだろう。さっきから、やたらハワイが出てくるな。
「なんか、こう、豪華なホテルに泊まりたいとか、ここが見たい、とかあると?」
「私、ハワイで結婚式ば挙げるけん」
「は? 結婚? 式? なっちゃんが?」
 予想の斜め上を行く発言に、思わず笑ってしまった。
「何がおかしかとね」
「だって、『挙げるけん』って。明日にも結婚しそうな感じで言うけんが」
「明日は無理だけど、いずれは必ず。これは約束された未来だけん、笑ったらいかんとよ」
 ソフトクリームを舐めながら、なっちゃんはすました顔で言う。
「結婚とか、まだ早くない? 大体、相手は? 彼氏がおるんなら、こんなところで俺とソフトクリーム食ってる場合じゃなかろ?」
「彼氏なんておらんよ」
「なんだ」
 正直、ホッとした。幼馴染とはいえ、彼氏がいる女の子を車で連れまわしてしまったとなれば、具合がよろしくないだろう。
「具体的、現在進行形の話ってわけじゃなかとね」
「まあ、のんびり待っとって。いずれ分かるけん」
 昼下がりの海岸は人もまばらだった。ソフトクリームを食べ終わると、なっちゃんは海岸に続く石段の端っこに腰掛けた。
「やっぱり、どこまでものっぺりしとるなぁ」
 目の前に広がる海を見つめながら、彼女はしみじみと言う。
「ハワイは遠かけん、今日のところは天草で我慢せんね」
 甘夏の袋を挟んでなっちゃんの隣に腰掛け、同じ海を眺めながら言ってみると、彼女はかすかに眉根を寄せた。
「天草の海辺ってどこも磯臭いし、白い砂浜なんて全然なくて、泥と岩の浜ばっかりだけど」
 不意に言葉が途切れ、あれ? となったその時。
 なっちゃんはこちらをまっすぐに見つめ、花が開くような笑顔を見せた。
「でも、今日は来て良かった。公平くん、ありがとね」
 ――あ。やばい。
 完全なる不意打ちにやられ、慌てて海のほうへと目を逸らす。
 おかしいな、さっきまであんなに不機嫌だったのに。
 たった今、なっちゃん至上、最強の笑顔を見てしまった気がする。
「や……、まあ、良かったんなら、良かった」
 ……いやいやいや。
 いかん、いかんぞ。
 なっちゃんは今もこれからも「妹」じゃないと困る。色んな意味で、すごく困る。
 頭の中のごちゃごちゃをかき消そうとしているうちに、彼女は手持ちのバッグからビニール袋を取り出して、甘夏をいくつか取り分けてくれた。
「これ、公平くんちの分。おばちゃん、甘夏好きだったでしょ? よろしく伝えとって」
「……ありがとう」
 貰った甘夏からは、柑橘の爽やかな香りが漂ってくる。
「だけど、なっちゃんがそんなにハワイ好きとは知らんかったなぁ」
 目線を水平線にがっちり固定したまま言うと、彼女は声を上げて笑った。
「宣言すっと、余計燃えるね。明日からまたバリバリ働くけんね」
「ハワイのために」
「うん。ハワイアンブルーと、私の野望のために」
 堂々とした声。なっちゃんは立ち上がり、そのまま海に向かって石段をまっすぐに下りていった。

 ……野望、か。
 俺、そんなものを持ったこと、これまでの人生であったっけ。
 
 波打ち際で海を眺めているあの子は、小さかった頃と変わりなく見えるのに。
 もうちょっと子供のままでいたいのは、俺がガキだからだろうか。

 浜辺に立つなっちゃんが、こっちに向かって笑顔で手招きしている。
 海を背にした彼女の真っ白なシャツが、これまでよりも目に眩しく映った。


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サークル名:a piacere(URL
執筆者名:西乃 まりも

一言アピール
言葉の裏にある意図をめいいっぱい意識して書きました。
したたかに攻める女子を書くのが大好きです。
作中ではディスられていますが、天草はよかところですよー!!

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