春の海

刀剣乱舞 2次創作
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 春の海にまどろむ陽光が、時折ちかちかと目の奥を射した。砂に座り込んだまま長谷部国重はまぶしく目をすがめ、手をかざした。隣に座る光忠はさっきから一言も口をきかない。ぼんやりと波と空の境界あたりをながめ、じっと動かないでいる。
 ……考えごとでもない、のは長い付き合いで分かっていた。ぽかんとしたからっぽの時間が好き、らしい。なにかをめまぐるしく考えている性質の長谷部には理解ができない生態だ。
 もっとも理解出来るとか、高尚な趣味とか、そんなことはどうでもよかった。大事なのは今の二人で、もっと大切なのはこれから先の二人だ。
 小学校二年の秋に転校してきた光忠は、けんのある物言いで幼稚園の頃から友達が極端に少なかった長谷部の人生で最初の親友で、去年からは人生で最初の恋人だった。その横顔を教室でそっと盗み見るたび、言いようのない幸福感が押し寄せてくる。
 クラスメイトの女子たちは「芸能人みたい」と伊達光忠にちらちら無邪気な秋波を送っていたが、テレビに映る売り物アイドルの少年たちより光忠はもっとずっときれいでかわいくて、それから……あのときはすごくみだらで扇情的で、柔躯にゆうくのどこもかしこも白くてやさしくて、長谷部にしか見せないいくつかの秘密の場所はやわらかな薄桃色ペイルピンク――
 長谷部は記憶の中からそれだけをすぐにさぐりあててしまう自分のみだらさを恥じた。慌てて飲み込むつもりで深呼吸するとあまりに急いでしまったせいで、しゃっくりに変わる。
「どうしたの、長谷部くん」
 光忠がこちらを向いて、かすかに笑った。ほころんだ唇の隙間から、白い歯がのぞく。その白に気付けば唇のほのかな赤みにも気付く。キスがしたいと衝動的に思う。
 そっと周囲を見回せば、自分たち二人だった。春の海は風が冷たくて、少し前に散歩の犬を連れた親子が通り過ぎていってから、誰も見ない。
 素早く光忠の手を握ると、光忠が「だめ」とほんの少しそっぽを向いた。
「誰もいない」
 長谷部が抗議すると、光忠はだめだよ、と繰り返した。
「でも、人が通るところではだめだってば。いつ、誰が見てるかわからないからね?」
「誰もいない」
 もう一度同じことを言うと光忠は呆れたように笑い、かすめるようなくちづけで長谷部の耳朶をつついた。小さなリップ音が耳元でして、途端に自分の鼓動が潮騒のように体中に渦をまく。自分の部屋ならそのまま押し倒しているところだ。
「だめだってば、人目のあるところでは、いやだよ……」
 光忠の声が低くかすれる。光忠も自分と同じようなみだらを引っ張り出してきたらしい。
 握った手に力をこめて指をからめる。光忠はよそへ視線をやったまま、指だけをからめ返してくる。お互いの手の温度、それから指のたどり、かすかに触れあう熱と脈のうずき。
 心臓が急にばくばくいいはじめて長谷部は更に強く光忠の手を握った。手元に十分な現金があれば今から手近なホテルに転がりこみたかったが、どうせ金があったところで欲望を剥き出しにする勇気はなかった。
 自分たちはこの春に高校にあがるただの子供だ。世間からは無垢と純真を義務づけられているが、その制服を着ていれば、大抵のことからは守ってもらえることも知っている。
 長谷部くん、と横で光忠が小さな声を出した。
「僕、君のことが好き……とても好き、だよ……」
 長谷部をじっと見つめてくる琥珀色の瞳は、かすかに熱を帯びている。もの言いたげに光忠が視線をわずかにさまよわせ、好き、ともう一度言って正面から長谷部と目を合わせた。
 そうだこの目だ、と長谷部は思う。初めて光忠と寝た夏の昼下がりにも、こんな目をしていた。
 またあの夏が胸に溢れてきて、長谷部は素早く頷いた。まだ十五歳の恋は、欲望と純粋をうまく切り離せなかった。
「俺も好きだ」
 簡単に答えてしまってから、もっと何か言いたいと思うのもいつものことだ。たくさんの言葉や仕草や、うまく表現出来ないきらきらしたものを光忠に投げてやりたいと思うのに、あまりにたっぷりと流れてくる感情を、長谷部は上手く言葉に直すことが出来ない。
 気恥ずかしさで顔をしかめると光忠が喉を鳴らして笑い、さっと立ち上がった。ジーンズにまといつく砂をぱたぱたと払い、帰ろ、と手を差し出してくる。
 高校の合格祝いに買ってもらった腕時計ドルチェをちらりと見ると、聞いていた今日の門限よりもかなり早かった。光忠には弟が二人いて、今年中学にあがる大倶利伽羅と小学五年生の貞宗、特に年下の貞宗をできるだけ一人で留守番させないようにしているらしい。
 今日も学校は春休みで、本来二人きりで出かけるということは難しいのだが、光忠の父親の弟だという青年が今日は二人を連れて都内の子供向けテーマパークへ出かけている。夕飯もどこかふたりで、と思っていた長谷部には早すぎる気がした。
 長谷部の表情で光忠は察したらしい。照れくさそうに笑う。
「君の部屋、行ってもいい、よね……?」
 中学生同士の秘密の時間はいつも長谷部の部屋だ。光忠は小さくて古いアパートを恥じているらしく、家に人を呼びたがらない。それに長谷部の両親は二人で税理士事務所をきりもりしている。年度末は常に大戦争で、つまりのところ、かなり遅くまで二人きりの時間だ。
「……お前、酷い目に遭うぞ、いいのか」
 長谷部はぐにゃりと顔をゆるめかけ、慌てて怒ったような表情を作った。見透かされた羞恥が半分とそれから期待が半分の微妙な表情のはずで、それが自分でも苛立たしいと思った目の前で光忠も似たような表情でうつむいた。小さな声が「いいよ」とつぶやく。
 長谷部はさっと立ち上がり、海岸から駅へ戻るための国道へ早足であがった。
 帰りの電車は二人とも静かだった。光忠の側の事情でなかなか遠出や二人きりでのデートということが出来なかったから今日は一日ふたりで楽しもうと思っていたのであるが、目の前の欲に負けてしまうのが悔しいし、けれど光忠の方からそうしようと言ってくれたのが嬉しくて、それはめまいの前兆のような強い恍惚に変わっていく。
 ちらりと横目で光忠を見ると、ちょうど同じことをした彼とぱちんと視線がぶつかった。どちらからともなく、小さく笑いあう。
 電車のシートに並んで座る三十分ほどの小さな旅行は息が詰まるほどの幸福で、まぶしさのあまりに泣きたくなった。光忠といると言葉が失われるかわりにきらきらした光の粒のような気持ちは自分にたくさん降り注ぐ。
 しばらく黙ったままでいると、光忠が肩かけの鞄から水族館のパンフレットを取り出して眺めはじめた。
 パンフレットの写真は照明を落とした紺青の空間に浮かぶ球体水槽と、泳ぐクラゲたちだ。淡い色のクラゲたちがたゆたう水槽は、巨大なスノードームを連想させた。
 展示室は青が沈殿した、静かな世界だった。静謐を固めた展示の前で、自分たちはぼんやりと立ち尽くした。完璧な美はつまり研ぎ澄まされた孤独で、だから手をつなぎたいとちらと思ったのに、結局他人を気にしてしまう。春休みの水族館は、平日なのに入りがよかった。
「きれいだったな」
 もどかしさをさしあたりは投げ捨てて、長谷部は感想だけを言う。光忠が顔を上げ、もう一度パンフレットに目を戻し、それから「そうだね」とうなずいて、「すごく、きれいだったね」ゆっくりと言った。
 数年前にリニューアルしたばかりの水族館はこのクラゲの展示が売りのひとつだった。長谷部の両親の仕事がらみの伝手つてからチケットが回されてきたのをもらったのだ。以前からも光忠と二人で出かけることはほとんどなかったから、これが初めてのデートだ。
 高校の合格発表から卒業式へは慌ただしく時間が過ぎていて、長谷部は答辞を読み、殆ど同じタイミングで小学校も春休みに突入し、光忠は引っ越しの支度もあって家にいるようになった。すぐ下の弟の中学入学もこの年で、ちょうどの機会に叔父のマンションへ転居することにしたらしい。
 会えない時間が長くなると、誰も悪くないしなんの不安もないと分かっているのに非難めいた気持ちになる――のが自分でも手に負えなかった。いらだちには怒りが要るが、怒りの火口ほくちになる不満は元々納得している事情のためにひどく湿っていて、自分でどうしていいのか分からない。
 水族館のチケットは助け船だったし、ちょうどよかった。一度は断られたのであるが、大倶利伽羅あたりが気を使って鶴丸に何か言ったのかもしれない。
「また二人で来れたらいいね」
 光忠が車窓から、水族館の屋根を指す。そうだなと簡単に返して長谷部も窓の外を見る。
 弱くなりはじめた日射しは電車に寄り添ってひろがる海の水面にまばゆいだんだらをえがいていて、光忠の頬にきらめく影を作っている。それは肌が白くてきめの細やかな者にしか浮かばない。なめらかで瑕疵きずのない、うつくしさの証明あかしだ。
 肌に淡く揺れる影、海から乱反射する光。ようやく始まろうとしている春は蕩蕩の中にあって、だらりと弛緩しきったまどろみのようだ。
 事実を述べるならばあと一時間もすればお互いに着ているものなど全て脱いでいるのだろうし、気絶するまでセックスだろうし、そのためにデートを途中で切り上げて二人きりになれる場所へ急ごうとしているわけで、ロマンチストにはなりきれない自分がおかしかったり呆れたり、でもだって仕方がない、と開き直ったりだ。
 けれど今、この電車がどこにも着かなければいいと思うのも本当だった。ずっとずっと隣で、二人だけで、そっと寄り添っているだけでいい。
 なのに二人でいるとすぐに息がつまってしまい、ほとんど伝えられない。光忠も言葉を選んでいるうちにわけがわからなくなって結局だんまりが多く、もどかしくて、それでも好きで、好きで好きでたまらなく好きで――セックスがしたい。
 欲望だけでもなく、純粋だけでもない。いま自分たちは同じ気持ちでいると信じている。それを愛と呼ぶのだと思う――多分。
 愛しているのだと言いたくて長谷部がそっと横を見ると、光忠がゆっくり見つめ返してくる。すると自分の言葉はまた喉でつっかえて、はきだすことも出来なくなってしまうのだ。
 だから長谷部は隣に座る光忠の手の甲を指で優しくなぞる。愛という文字は複雑で、うまく書けている気がしない。
 けれど光忠が深い満足の溜息をこぼし、長谷部の手を掴んで唇だけを動かした――僕もだよ。
 途端に長谷部の周りから、窓越しにかすかに聞こえていた潮騒も車内のかすかなさざめきも、何もかもが消えていく。代わりに自分たちの呼吸と鼓動の重なる音だけが急激に大きくなって、それに没頭するために長谷部は目を閉じた。
 自分たちだけの音がする、完全なる世界。
 パーフェクト、と長谷部は思った。 

 ――そして、この日が最後だった。
 最後の思い出にふさわしい、完璧な日だった。


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サークル名:ショボ~ン書房(URL
執筆者名:石井鶫子

一言アピール
創作ファンタジー小説と刀剣乱舞(燭台切光忠専門)で活動しています。こちらは7月の閃華の新刊の冒頭部分になります。現パロのへし燭、中学生パート。テキレボにも持ち込みます。もはや刀の「か」の字も出てこない刀剣乱舞ですが、どうぞよろしくお願いいたします。

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